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1. エリーナの罪 ※

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「どうしよう……」

私は、繊細な刺繍の施された天蓋つきの寝台の上で震えていた。
いまから私エリーナの夫、テオドール・グレイソンが、初夜を迎えるために部屋に来る。
この国の第二王女であるエリーナが熱烈に望んだために、本人の意思を無視して連れてきた花婿だ。

テオドールは小さな村出身の庶民だけれど、ある日特別な力に目覚めて騎士団に入団した。
隣接する帝国の侵略を退けたこの国の英雄として、戦争から戻ってきたばかりなのだ。

功績を上げた英雄が、その褒美としてお姫様と結婚する。昔からあるおとぎ話ではそれでめでたしめでたしだけど、実際のところエリーナはテオドールの意向を無視して、父親である国王の権力を使い、彼の故郷を人質にとる形で結婚を強制した。

そして私は、問題の重大さについ先程気付いたエリーナとは別の人間だ。
異世界転生、というものだと思う。私が持っている記憶は、教育実習のために電車の中で授業について考えていたのが最後。真っ黒いスーツに身を包んで、うつらうつらし始めて、なんだか揺れていた気がする。そして、目が覚めたら王女になっていた。最後に感じた揺れは地震だったかもしれない。いまや、前世の自分が生きているのか死んでいるのかも分からない。

王女のエリーナは、初夜の準備で身を清めた後、はしゃいで床に跳ねた水に足を滑らせて頭を打ったようだった。前世の私よりも少し幼いけれど発育の良い身体に、杏色のふわふわした髪のとてつもなく可愛らしい女の子だ。
外見はとても可愛いけれど、エリーナはとんでもない問題児である。

城にはほとんど毎日男の人を呼び寄せ、使用人や騎士団にまで手を出していたらしい。わがままで侍女やメイドもいびり倒し、国庫の財政状況も無視して新しいドレスや宝石を欲しがってきた。

わがままなのはともかく、男ぐせが悪すぎて高貴な貴族の元へと嫁に出せる王女ではない。国王が庶民のテオドールに押し付けようとしているのだった。外聞的には庶民出身の英雄の褒美として写り、国王にはデメリットがない。

私は記憶を失ってしまったということにして、テオドールとの結婚を白紙に戻してほしいと訴えたけれど後の祭りだった。
国王には、記憶喪失のことは信じてもらえないし、もしテオドールに飽きても、今まで通り他の男を呼べばいいから、とりあえず結婚するようにと言われて、寝台の上にいる。

それに、魔力が桁外れのテオドールと交合することでエリーナ自体の魔力も高まるため、王族の力を高めるために国王から期待されている。一人で生きていく力のないエリーナにも、前世の記憶を取り戻したばかりの私にも、国王に逆らえる力はない。

(本当に申し訳ないな……)

私がテオドールと顔を合わせるのは初めてだ。エリーナとしての記憶の中にはうっすらと、背の高いくすんだ茶髪の男性の姿が残っている。でも、そこには愛情や恋をする気持ちはなくて、ちょっとした好奇心があるだけだ。
そんな気持ちだけでひとつの村を人質に結婚を迫ることができるエリーナのことが怖い。

ガチャ、と音がして、部屋に男の人が入ってきた。不機嫌そうな顔で、私のことを睨む。灰色がかった緑色の瞳は冷たく、心底軽蔑されているのがよくわかった。

(それは、そうだよね)

住んでいた村を人質にして結婚を迫るような女を愛せるわけがない。謝罪をしても混乱させてしまうだろうから、何もしなくていいことを伝えたら一人で寝てくれないだろうか。

(そんなに都合よくいかないか……)

彼は国を救った英雄で、エリーナとは体格的にも経験値的にも桁外れの強さだ。エリーナのしたことを考えると、腹いせに暴力を振るわれても仕方ない。

(転生してもなにも変わらないな)

私の母は、私が何かうまく出来ないと平手打ちをする人だった。大学に入ってからは手を出されることはほとんどなかったけど、私を冷たく睨むあの顔が少し似てる。
男の人に殴られるより、母に平手打ちされる方が身体へのダメージは少ないけど、実の母に愛されていないという事実に目を向けなくてよくなったのは救いだ。

(もういいや。疲れちゃった)

どうにでもなれ、という気持ちでテオドールに向き合う。私が黙っていると、テオドールは大股で寝台まで近づいて来て、それから一本の薬瓶を取り出して一気に仰いだ。
私の視線がその瓶に注がれているのを見て、テオドールが鼻で笑う。

「俺はあんた相手じゃ"機能しない"から、薬で無理やり反応させるしかない。あとは一人でなんとかしてくれ。得意なんだろ?」

テオドールは吐き捨てるようにそう言って、私の横を通り過ぎて寝台に横たわった。

「早くしろよ。もう薬は効いてる」
「……え?」

状況が読み込めずに、私は間抜けな返事をしてしまった。

「あの、何もしないわけには……」
「は?」

テオドールは身体を起こし、私の胸ぐらを掴んだ。

「ふざけるな。明日の朝あんたの瞳の色が俺の魔力で染まってなかったら、村に何をされるか分からない。今更怖気付いたのか?それとも庶民と交わるのがおぞましいのか?驚いた。後からでも自分が何をしたか理解できる程度の頭はあるんだな!」

恐ろしい剣幕で怒鳴られ、身体が動かなくなる。テオドールは舌打ちすると、下半身だけ下着を脱いで、寝台に座った。

「早く済ませてくれ。薬を飲んでても、いつまで役に立つか分からない」

初めて目にする男性器はそこだけ赤黒くて別の生き物のようだ。これを自分の身体に受け入れなければならないかと思うと、怖くて震えてしまう。

何もしなければまた先程みたいに怒鳴られる。のろのろとなんとか下着を脱ぎ、テオドールと向き合う。このまま彼の上に跨り、自分の身体を使って吐精を促さなければいけない。

(できない……)

私は性行為どころか、誰かとキスもしたことないのに。母に異性との交流には厳しく言われていて、課題のためにクラスメイトと連絡先を交換しただけで色気付いていると責められたことがある。
そんなだから、今までまともに恋をしたことも、彼氏もできないまま大学生になってしまった。

「おい」
「で、できません…ごめんなさい……」

怒鳴られても殴られても仕方ないけれど、できない。身体が震えて動かない。
テオドールは深いため息をついた。

「なにもかも俺に背負わせるつもりか。流石王女様は違うよ」

その声の冷たさに、びくっと身体が震える。テオドールも被害者なのに、自分だけが辛い目にあっているような気になっていた。
テオドールは私の肩を押して寝台に押し倒した。

「よく効く薬でお互い助かったな」

熱く湿ったものが、私の足の間に当たる。

(怖い……!)

涙でじわりと視界が滲んでいく。ずっと彼氏がいなくても、漠然といつか好きな人ができて、いつか結婚するのだと思っていた。こんな形で、顔を合わせたばかりで私を憎んでいる人と、初めての行為に及ぶと思っていなかった。

「……あんた、城に男を連れ込んで遊んでるんじゃないのか。嘘なのか?」
「いいえ、本当です。ごめんなさい」

涙が出てくるのが止められなくて、ぐすん、ぐすんと鼻を啜りながら答える。

「俺に興味があって、どうしても嫁ぎたいとわがままを言ったんだよな?」

私は泣きながらこくこくと頷いた。記憶が戻る前だけど、私がやったことには間違いない。

「……誰かに脅されてる?」

私は首を横に振る。全てはエリーナの意志で、彼女がどういう気持ちで何をしてきたか、私の頭の中には全て記憶として残っている。彼女は私であり、私は彼女だ。

「はぁ……」

テオドールはため息をついて起き上がった。

「あんたも起きろ」
「……?」

テオドールが私の腕を掴み、背中に手を回してぐっと引き寄せる。いとも簡単に身体が起きた。

「口を開けてみろ」
「……?」
「あんた、どんくさいな。こうだよ」

テオドールは私の顎に手を添えた。顎を下に開ける動きに合わせて、よく分からないまま口を開ける。

「舌を縛られてるわけじゃなさそうだな……。目を閉じて俺に魔力を流してみてくれ」

続いて両手を繋ぐ。魔力を流すというのがよく分からないけれど、言われたままに目を瞑る。すると繋いだ手が体温とは別のなにかでじわりと温かくなった。

「異常はないか。間違いなく王女なんだな」
「はい」

別人の記憶が追加で入っている以外は間違いなくエリーナ王女だ。私が頷くと、テオドールは困惑した顔で私を見つめた。

「俺の尊厳を踏みにじろうとする女がどんな目に遭おうと知ったこっちゃないけど、あんたみたいに怯えられたらどうしていいか分からない。嫌がらせするなら最後まで悪役でいてくれよ」
「……ご、ごめんなさい」
「とりあえず、服を着てくれ。……はぁ、どうするか」
「あの、最後までしないと村が大変なことになるって」
「そうだよ。だからどうしたらいいか考えてるんだ!」

テオドールは目を瞑って考え込んだ。しばらくして目を開ける。

「服を着ろ」

まだ下着をつけていない私に、ぴしゃりと言った。声の鋭さに反応して、私は慌てて下着を身につける。テオドールは下半身裸のままだ。ただ、性器は勃起した状態ではなく、肌色で先ほどより控えめな大きさになっていた。
じっと見てしまったことを恥ずかしく思って慌てて目を逸らす。

「とりあえず、なんらかの形で魔力が流し込めればいいわけだから、別の方法で体内に入れてみよう」
「別の方法?」
「口から飲む」

提案内容を理解するのに数秒かかった。

「あ…」
「流石にそれくらいは協力してくれよ。元々は全部あんたのせいなんだから」
「は、はい」

正座をしてテオドールの動きを見守っていると、後ろを向いているように言われて慌てて身体の方向を変えた。
深いため息の後に衣ずれの音が聞こえ、段々とテオドールの息が上がっていくのが分かる。

「……ンっ」

悩ましげな声が聞こえると、何をしてるのかを強く意識してしまい、気まずさに逃げ出したくなってきた。

(なにもかもエリーナのせいなんだから逃げちゃダメ!)

短い呼吸の間に水音が混ざり始めた。いやいよ耐えられなくなって、何もしていないのに涙が出そうになってくる。

「おい」
「はいっ」
「こっち、向いて……しゃがんでくれ」
「……はい」

言われるがままに、身体の向きを変える。もう一度存在感を放つようになったそれを視界に入れ、現実を突きつけられて眩暈がしそうになる。

恐る恐る四つん這いになり、テオドールの手の中にあるそれの先端に口をつけた。

「っ……」

先端がぬるりと湿っていて暖かい。しょっぱいような苦いような不思議な味と、生々しいにおいに軽い吐き気を覚える。

手の動きで口から外れそうになってしまい、慌てて、先端の少し深く膨らんでいるところ全体を口の中に含んだ。

「……!」

口の中にある陰茎がどくんと脈打って、口の中に熱い液体が流れ込んできた。先ほどの生臭さがいっぱいに広がって咽せてしまう。

「っげほ、……うっ」

思わず吐き出しそうになり、これがないと村が大変になることを思い出して手のひらに受け止めた。白くてベタついたものを残さないように舐め取って、挽回できたことに安心して息を吐いた。

「はぁ……」

安堵のため息をついて顔を上げると、テオドールと目が合った。はっと気まずそうな顔をした彼は、すぐに寝台横にある水差しに手を伸ばし、私にグラス一杯の水を用意してくれた。
グラスを渡す前にも水に手をかざしてなにかしている。

「気休めだけど水にも魔力を入れてみるよ。これで様子を見よう」
「ありがとうございます」
「……」

テオドールは何か言いたげに私を見つめたが、無言だった。受け取った水を飲むと、喉に残っていた不快感が流れていく。

魔力が馴染むまで時間がかかるはずということで、身なりを整えて寝台に座って二人で待つことにした。

(気まずい)

相手にとって大切なものを人質に取って無理やり結婚した相手と、寝台の上に並んで座っている。共通の話題もなければ、話したいこともない。沈黙が痛くて、恨み言や罵詈雑言を浴びせられた方がマシな気がしてくる。

「……あの」
「なんだよ」
「ご、ごめんなさい」
「いちいち謝るな。俺が悪いことをしたみたいだろ。どう考えても全部あんたが悪いのに俺を悪者にしようとするな」
「ごめ……いえ、あの、テオドール様のご出身の村はどんなところなんですか?」

また謝りそうになって、慌てて別の話題にした。エリーナが、そして私が彼について知っていることは、とある村の出身であることと、類稀なる魔力を持つ英雄ということだけだ。
本当によくこんな情報だけで無理にでも結婚しようと思ったものだ。

「別に何もない村だよ。泉のそばの村なんて名前だから同じ名前の村があちこちにある」
「近くに泉があるんですか?」
「あんたが想像する泉じゃない。雨が降らないとすぐ干上がるような水たまりだ。井戸ができる前は大事な生活用水だったけど、今じゃ夏に子どもたちが足を入れて涼むくらいにしか使われてない」

子どもたちが水の中をばしゃばしゃとはしゃぎ回る姿を想像して、少し心が温かくなった。子どものやることは、どこの世界でもあまり変わらないらしい。

「……どうして、村のことなんて聞くんだ。興味あるふりして機嫌取ってるつもりか?」

テオドールの声には警戒と戸惑いが混じっていた。そこまで打算的ではなかったけれど、興味よりは気まずさを打開したくて質問したのは事実だ。

「……っご、ごめんなさい」
「だから謝るなって!調子狂うな。……あんたは?」
「私?」
「あんたの大切なものは何なんだ」

答えようとして、私には何もないことに気付いた。元々私は好きなことも大切な人もおらず、家族はいまや存在していたかも分からない状態だ。唯一の目標であった教員への道も完全に閉ざされている。私を私たらしめるものは何もない。名前すら別人のものだ。

エリーナの大切なものを答えようとして、それも思い当たらないことに気付いた。エリーナは欲しいものはなんでも与えられてきたけれど、その中に彼女にとって特別なものはなにもない。彼女自身の心や身体さえ、エリーナは大切だと思っていなかった。

「なにも、思いつきません」
「……そうか。あんたがどうして人に酷いことをできるのか分かったよ。自分に大事なものがないから、それを奪われたやつがどれだけ傷つくか分からないんだな」
「……!」

自分がどれだけ空っぽで、とんでもない人でなしだという事実を突きつけられて、心が張り裂けるような気持ちになる。否定もできず、じわりと目に涙が滲んだ。

「泣くなよ。別に悪いことばっかりじゃない。王族の手は庶民とは比べ物にならないくらい大きいはずだ。これからいっぱいになるように、見つけていけばいいだろ」

思いがけない優しい言葉に驚いた。しかし、それに応えられる前向きさが私にはなかった。

「でも……私、いままでずっと生きてきて、ひとつも、なにも……ないっ」

テオドールは私の両肩を掴んだ。

「泣くなって!分かった。夫婦になったよしみで一緒に探してやるから」

テオドールのグレーグリーンの瞳は真剣だった。この部屋に入ってきた時の突き刺すような冷たさが消え、どこか必死ささえ感じる。人でなしの王女に向ける視線ではなかった。

「テオドール様は、人が、良すぎるのでは……」
「は?人が良くなかったら村を人質にされても結婚なんかしないでとっくに逃げてる。こういう性分なんだ。ほっといてくれ」

バツが悪そうに視線を逸らし、それからまた私の瞳をじっと見つめた。右手の親指が、私の目の下辺りに触れる。

「良かった。ちゃんと移ってる」

瞳の色の話だと気付いた。強い魔力を持つ男性と交合すると、女性の身体にその魔力が移り、それが瞳に出るらしい。王侯貴族は、そうしてより強い魔力を持つ子孫を作ることを求められている。

「とりあえず明日からしばらくこれで誤魔化そう。……疲れたな」

テオドールは息を吐き、寝台に潜り込んで私に背を向けた。私はサイドランプに手を伸ばして電気を消す。床かどこか、適当な場所で眠ろうとして寝台から足を下ろした。

「おい」
「……はい」
「変な遠慮はいい」

寝台を出ようとしたことを咎められたのだと気付いて、どうしようか迷う。

「今更何かされると思ってるのか?」
「いえ……!」
「じゃあ早く寝ろ」

有無を言わせない口調だった。のろのろと寝具の中に入り、テオドールに背を向けて丸くなる。自分以外の誰かの気配を感じながら眠るのは、物心ついて以来初めてのことだった。
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