上 下
22 / 30
番外編

◆番外編:ノアとイリスがとあるご夫人を訪問する話 - ②

しおりを挟む
 ノアとイリスは、グリーン夫人との話を終えて、彼女の庭のベンチに座っていた。温かいストール、膝掛け、温めた石で暖をとり、熱いお茶がたっぷり入ったカップを手にしていた。全てサンドラが用意したものである。
 息を吐くと、白い吐息と、湯気が混ざった。

 ノアがふぅ、と息を吐いた。

「サンドラの手紙のことまでバレるんだから、参るよね。降星祭のリース作りと展示に協力するって言ってくれたのはよかったけど」
「そうね」

 イリスの今日の役割は、刺繍好きの夫人としてグリーン夫人との会話を盛り上げること。そして、義母のヴァンデンブルク夫人とイリスが計画している降星祭のリースの作品展示会のために、彼女の図案のコレクションを借りることだった。

 冬の大きな祭である降星祭にて、王都やウィントロープでは、花の咲かない冬の時期を彩るための刺繍のリースを飾る。ヴェルディアではあまりその文化は根付いていないようだったが、イリスはそれをこの地域でも流行らせたいと思った。

 単純にリースを作るだけでは暇つぶしにしかならないので、ヴェルディアと縁の深い隣国のススリクや、近隣の領地の産業も盛り上げることを考え案を出していた。そこでノアが、グリーン夫人が世界各国から図案を集めていたことを思い出した。

 刺繍糸の染色はヴェルディアの得意分野で、グリーン侯爵領は絹の輸入とその加工が盛んである。イリスはちょうどマロナの職人の知り合いが増えてきたところなので、関係者をたくさん巻き込んで、祭を華やかに彩ろうという話になった。
 本格的に開催できるのは来年になるが、今年もできるだけ縁を結んでおくつもりである。

 グリーン夫人は、展示の特別審査員として、エメリアに招待をする予定だった。彼女の知り合いにも刺繍好きのご夫人が多いので、またこの屋敷に人を招いて、それについて話題にして、サンドラと二人きりで過ごすこの屋敷が、賑やかなものになればいい。
 それがノアがやりたいことだった。

 ノアがはぁ、とため息をついた。

「リジーが本当は人を呼ぶのが好きじゃないって、知らなかった。いつも楽しそうに見えたんだよ。一人で静かにしているのが好きなのに、私がやったことってただの迷惑じゃないか」

 屋敷に滞在していたときは、ノアは夫人をリジーと愛称で呼んでいたらしい。昔の呼び方に戻って、ノアは過去を思い出すように、遠くのほうを見つめている。

 展示の企画や役割についてノアが説明したあと、グリーン夫人はいくつか質問をしたあとにそれを了承した。「それでわたしに人を呼べと言うわけね。これは貴女の計画でしょう、サンドラ」と自分の侍女に呆れた視線を向けたのだ。

 グリーン夫人は、自分は一人でいるのが好きで、夫が亡くなってお客様を屋敷に呼んで招待する必要もなくなったので、自由な時間を楽しんでいるのだ、と言った。そして家が大好き。だから人と話したほうがいいとか、外に出なきゃだなんて、心配する必要もない。ホームパーティーで料理やお菓子を準備して、ゲストをお迎えするのはくたびれる。
 そう言っていた。

 今年は全力で協力するけれど、来年からはグリーン侯爵領を巻き込むべきかどうか、よく検討したほうがいい、と冷静なアドバイスをもらってしまった。よく検討した結果必要ならば、来年以降も協力する、と。

 イリスは、気まずそうな顔をしたサンドラとノア、そしてその二人を見つめるグリーン夫人の穏やかな顔を思い出していた。
 夫人は、「なぜみんなわたしが人といるのが好きだと思うのかしら。あの人もいつも、わたしが寂しくないように、人を呼べとうるさかったわ。寂しい思いなんて少しもしていないのに」と笑っていた。

 ノアがベンチで、「あー……」と言いながら俯いた。また自己嫌悪に陥っているらしい。

「なんでいつもこういうことに気づかないんだろう。本当に馬鹿なんだけど……笑っている人が、心では笑ってないってことに気づけないんだ。……リジーは、私がいる間、ずっと気が休まらないって思ってたのかな。いつも優しかったから分からなかった。侯爵は思ってることをなんでもはっきり言ってくれる人だって思ってたけど、もしかしたら侯爵も違ったのかもしれない。父上の頼みだから断れなかっただけで」
「でも一度断られたんでしょう?」
「うん。そのあとまた手紙がきて、やっぱり受け入れるって言ってくれたらしい」
「貴方が色々と……ミスもしたあとだったんでしょう?」
「うん」
「じゃあ、侯爵は、断りたかったら断ることができたけれど、受け入れたのよ。亡くなってしまったから、もうお話は聞けないけれど」

 ノアは暗い顔をして頷いた。

「あの部屋にあった、大きなタペストリーは、グリーン夫人が作ったものなのよね?」
「そうだよ」

 イリスは、部屋にあった一番大きな作品を頭に思い描いた。四季折々の花と野鳥を描いた作品で、さまざまな場所の刺繍の技法が混ざった不思議な作品だった。
 夫のもとを訪れたさまざまな国や地域の人々が、夫人が刺繍が好きだと知って、よく書籍を贈ってくれる。その一つ一つを参考に作り上げたものらしい。
 
 素晴らしい作品だが、右下は未完成だった。夫人の手が思うように動かなくなって作品を完成させられなくなり、ツバメの身体は白いまま残っている。その周りにある桃色のモチーフは何を刺したか分からないくらいに下手で、一つはノア、もう一つはサンドラが刺したらしい。桃色の花なのだと言っていた。

 それから、イリスは、あの部屋に飾ってあった数少ない絵画のことも頭に思い描いた。おそらく夫の肖像画と、家族の肖像画。それからスケッチではあったが、ここにいたときのノアだと思われる青年の横顔。それに彼は気づいているだろうか。

「あの部屋に貴方の絵があったことには気づいた?」
「え? 私?」

 ノアは首を横に振った。

「暖炉の上にあったスケッチの横顔は、多分貴方よ。面影があったわ」
「スケッチ……? 侯爵様が描いたものかな。昔画家を目指していたらしいんだよね」
「そうなのね」

 イリスは落ち込んでいる様子のノアの顔のことをじっと見つめて、彼の手を取った。

「その絵がまだこの家に飾ってあるのは、侯爵様の作品だからという理由だけではないと思うわ。それに、夫との思い出がある大作なんて、私だったら絶対に誰にも触らせない。しかも信じられないほど下手くそな人に」
「頑張ったのにひどいよ。あれでも練習してマシになったんだよ」
「何を刺したか分かったものじゃなかったわ。それでもそこに残してあるのよ。その意味を、考えてみたら?」

 ノアはイリスの青紫の瞳をじっと見つめて、頷いた。

「みんな本音しか言えなくなればいいのに。やりたくないことをやりたいとか、楽しくないときに楽しいって言わないでほしい」
「貴方だって本音と建前があるじゃない」
「そうだけど、私は『やだなぁ』って思ったことは、『やだなぁ』ってそのまま顔に出てるよ。そんなに複雑じゃない」
「貴方は自分で思っているよりも分かりにくいわよ。貴方が自分で分かってる気持ちは外に出るけど、自分で気づいてないことは顔に出ないもの」
「そう?」
「ええ。自分のことは自分では分からないものよ。鏡みたいに、他人に映るものじゃない? 私は貴方がグリーン夫人のことを気にかけて、会えて嬉しいと心から言ったのと同じように、彼女も貴方を気にかけて、今日ここに来たことを喜んでくれていたと思う」

 イリスはノアを励ますように微笑んだ。

「聞いてみたらいいじゃないの。素直でなんでも口に出てしまうところが、貴方のいいところでしょう」
「いいところなんだか、悪いところなんだか……それでよく呆れられるし」

 ノアは長く息を吐いて、カップのお茶を飲み干した。イリスに微笑む。

「ありがとう。そうだね、聞いてみないと。来年もまた誕生日プレゼントを贈ってもいいか聞きたい」

 扉の開く音が聞こえて、イリスは顔を上げた。グリーン夫人と、サンドラが、ストールをかけて屋敷から出てくるところだった。サンドラの腕には一枚ブランケットがかかっている。
 グリーン夫人が杖をついて、ゆっくり歩を進める。

「手助けしてくる」
「ええ」

 ノアが手にしていたカップをベンチに置いて立ち上がった。

「ねぇ、大丈夫? 私が持つよ!」

 ノアの呼びかけに対してサンドラが眉を顰めた。ブランケットを渡さないように抱え込む。グリーン夫人が笑って、駆け寄ってきたノアの方を見上げて口を開いた。彼ははっとした様子で手を差し出していた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

【完結】そんなに側妃を愛しているなら邪魔者のわたしは消えることにします。

たろ
恋愛
わたしの愛する人の隣には、わたしではない人がいる。………彼の横で彼を見て微笑んでいた。 わたしはそれを遠くからそっと見て、視線を逸らした。 ううん、もう見るのも嫌だった。 結婚して1年を過ぎた。 政略結婚でも、結婚してしまえばお互い寄り添い大事にして暮らしていけるだろうと思っていた。 なのに彼は婚約してからも結婚してからもわたしを見ない。 見ようとしない。 わたしたち夫婦には子どもが出来なかった。 義両親からの期待というプレッシャーにわたしは心が折れそうになった。 わたしは彼の姿を見るのも嫌で彼との時間を拒否するようになってしまった。 そして彼は側室を迎えた。 拗れた殿下が妻のオリエを愛する話です。 ただそれがオリエに伝わることは…… とても設定はゆるいお話です。 短編から長編へ変更しました。 すみません

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

【完結】公女が死んだ、その後のこと

杜野秋人
恋愛
【第17回恋愛小説大賞 奨励賞受賞しました!】 「お母様……」 冷たく薄暗く、不潔で不快な地下の罪人牢で、彼女は独り、亡き母に語りかける。その掌の中には、ひと粒の小さな白い錠剤。 古ぼけた簡易寝台に座り、彼女はそのままゆっくりと、覚悟を決めたように横たわる。 「言いつけを、守ります」 最期にそう呟いて、彼女は震える手で錠剤を口に含み、そのまま飲み下した。 こうして、第二王子ボアネルジェスの婚約者でありカストリア公爵家の次期女公爵でもある公女オフィーリアは、獄中にて自ら命を断った。 そして彼女の死後、その影響はマケダニア王国の王宮内外の至るところで噴出した。 「ええい、公務が回らん!オフィーリアは何をやっている!?」 「殿下は何を仰せか!すでに公女は儚くなられたでしょうが!」 「くっ……、な、ならば蘇生させ」 「あれから何日経つとお思いで!?お気は確かか!」 「何故だ!何故この私が裁かれねばならん!」 「そうよ!お父様も私も何も悪くないわ!悪いのは全部お義姉さまよ!」 「…………申し開きがあるのなら、今ここではなく取り調べと裁判の場で存分に申すがよいわ。⸺連れて行け」 「まっ、待て!話を」 「嫌ぁ〜!」 「今さら何しに戻ってきたかね先々代様。わしらはもう、公女さま以外にお仕えする気も従う気もないんじゃがな?」 「なっ……貴様!領主たる儂の言うことが聞けんと」 「領主だったのは亡くなった女公さまとその娘の公女さまじゃ。あの方らはあんたと違って、わしら領民を第一に考えて下さった。あんたと違ってな!」 「くっ……!」 「なっ、譲位せよだと!?」 「本国の決定にございます。これ以上の混迷は連邦友邦にまで悪影響を与えかねないと。⸺潔く観念なさいませ。さあ、ご署名を」 「おのれ、謀りおったか!」 「…………父上が悪いのですよ。あの時止めてさえいれば、彼女は死なずに済んだのに」 ◆人が亡くなる描写、及びベッドシーンがあるのでR15で。生々しい表現は避けています。 ◆公女が亡くなってからが本番。なので最初の方、恋愛要素はほぼありません。最後はちゃんとジャンル:恋愛です。 ◆ドアマットヒロインを書こうとしたはずが。どうしてこうなった? ◆作中の演出として自死のシーンがありますが、決して推奨し助長するものではありません。早まっちゃう前に然るべき窓口に一言相談を。 ◆作者の作品は特に断りなき場合、基本的に同一の世界観に基づいています。が、他作品とリンクする予定は特にありません。本作単品でお楽しみ頂けます。 ◆この作品は小説家になろうでも公開します。 ◆24/2/17、HOTランキング女性向け1位!?1位は初ですありがとうございます!

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

『別れても好きな人』 

設樂理沙
ライト文芸
 大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。  夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。  ほんとうは別れたくなどなかった。  この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には  どうしようもないことがあるのだ。  自分で選択できないことがある。  悲しいけれど……。   ―――――――――――――――――――――――――――――――――  登場人物紹介 戸田貴理子   40才 戸田正義    44才 青木誠二    28才 嘉島優子    33才  小田聖也    35才 2024.4.11 ―― プロット作成日 💛イラストはAI生成自作画像

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にノーチェの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、ノーチェのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。