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【24】毒入りの菓子
しおりを挟むさて、対峙した母后とハレム唯一の夫人であるが、直接言葉を交わすことはない。互いの部屋付き宦官の頭が、それぞれ“代理”で名乗りあっている。
ラドゥの側は当然、ムクタムが。
サフィエはその母后用人であるベルガンが。
こちらは椅子に座っているだけでやることがない。侍女が気をきかせて、氷を浮かせた甘い葡萄水のシルベットを持ってきてくれる。向こうの母后もまた同じように、銀色のゴブレットを手にしているのが見えた。
「母后様より菫の方様へ」
ベルガンが声をはりあげる。サフィエの傍らには皿を手にした侍女が跪いており、そこに盛られたてっぺんから一つ、サフィエがなにかとるのが見えた。
「ご一緒にお菓子をいかが? とのことにございます」
皿を持った侍女がやってきて、ラドゥの前に両膝をつく。ささげられた東方渡りだろう青い染め付けの陶器に盛られていたのは、バクラバという焼き菓子だ。
サフィエがその一口大のバクラバを口にする姿が見えた。「お毒味を」というムクタムに「無礼な!」とベルガンが声を張り上げる。
「先に母后様が口になされた菓子をお疑いになるか!」
おやおや、よくも考えたものだ……とラドゥは胸の内でつぶやく。
毒は入っていないと、サフィエ自ら口にして見せる。どうせ一番上に盛られたバクラバ“だけ”に毒は入ってはいまい。
しかし、公衆の面前で、帝王の正式な“妻”となった夫人にあからさまな毒の菓子を食らわせようとするとは、なんとも大胆。いや、やりたい放題か?
きっと今までは許されてきたのだろう。
ムクタムは母后にとって、ハレムの女はいくら帝王の愛が深かろうと、取り替えのきく花だと言っていた。
しかし、今は違う。
彼女はすでに母后ではなく“前”母后だ。
その違いを旧宮殿に“居続ける女”はわかっているのか?
「慣例ですのでお毒味を」とムクタムがベルガンの“脅し”にひるむことなく涼しい顔で告げる。それにベルガンは「たかが愛妾が母后様の菓子を疑うか!」と今度は明らかな怒りをもって怒鳴る。
自分はもう愛妾ではなく夫人なのだがな……とラドゥは思う。もっともラドゥにとっても、愛妾だろうが夫人だろうが、男の自分には馬鹿馬鹿しい茶番であるが。
そういえば、菫の方とベルガンは呼びかけていた。それは女奴隷の愛称だ。どうしても、帝王の第一夫人となった“ソフィア”の名は認めたくないというところか。
妙な意地だとラドゥは思う。しかし、ことは単なる意地の張り合いでは終わらないらしい。
ベルガンが声を張り上げると同時に、母后の天幕の両わきに居並んだ、黄のシニチェリの軍団がざっと前に小さく一歩踏み出したのだ。
同時に、今度はラドゥの天幕の両わきに並ぶ黒のシニチェリが応じるように一歩前へと出る。
やれやれ、このまま双方のシニチェリがぶつかったら、焼き菓子の騒乱とでも呼ばれるのか? とラドゥは内心でため息を一つ。
「いただきます」
小さな声で告げたのは怯えているように見えたかもしれないが、断じてそんなことはない。たんに姿形はこんなだろうと、声は男だからだ。男にして高いにしろ。
「お方様!」と青くなるムクタムの向こうで、ベルガンが勝ったとばかりいやらしい笑みを浮かべる。そうお前の思い通りいくか。馬鹿め。
「だから、あなたもお一ついかが?」
ラドゥは手に持っていた、緻密な透かし彫りがされた香木の扇子で、大皿を捧げ持つ侍女をさした。母后付きの侍女はそれだけで顔色を無くした。
「いただきなさい」
青ざめる侍女の背に非情な声が響いた。サフィエが艶然と微笑みこちらを見ている。
「菫の方のせっかくのご厚意です。お方様より先にわたくしの菓子を口にすることを許します」
それは非情な命令だった。そんな風に微笑みながら平気な顔で、自分の侍女に『死ね』というのか?
可哀想に侍女は自らの持つ皿から、菓子をひとつとり、カタカタと震える手でそれを口に運ぼうとした。
しかし、それはラドゥが放った扇によって、はばまれた。扇が彼女の手に当たり、彼女は手に持っていた菓子と皿を落とす。バクラバは地面に転がり、皿も割れる。
「遅効性の毒を使われれば、毒味など何人用意しても同じことよ」
ラドゥの小さなつぶやきは周囲の者にしか聞こえなかった。逆に「なんという非礼な!」いうベルガンの声が、糸杉の庭に響く。
「愛妾ごときが! 母后様から賜った菓子を自ら地面に投げ捨てるなど!」
さて、自分はすでにイクバルではなく、夫人なのだが……と、ラドゥはさっきと同じ言葉を胸の内で繰り返す。
それより“そろそろ”来るはずなのだが。
早くこないと、本当にシニチェリ同士がぶつかることになるぞ……と、また一歩、前へと進んだ黄のシニチェリをラドゥは眺める。当然この天幕の周りの黒のシニチェリも前へと出ただろう。
ラドゥの両わきにいるバルラスとピエールもまた、腰の剣の柄に手をかけている。あちらの天幕の宦官達も同様に、金ぴかの剣に手をかけていた。
この馬鹿馬鹿しく大仰な芝居のような対面の場まで用意して“時間を稼いで”やったのだ。
来てくれなければ困る。
もう一歩、黄のシニチェリが前へと出、黒の軍団が同じく前へと進んだとき、糸杉の庭と外廷を繋ぐ扉が開く音が響く。
やっと来たか……と思った。
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