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【38】さらに三百年後の未来のために……
しおりを挟む「皇妃領ってなんだ?」
「機嫌を直せ」
騒乱? の即位式を終えて、今日は公国領に一泊ということで、宮殿の王の寝室ならぬ、皇帝と皇妃の寝室にて。リシェリードはクッションを抱えてむくれていた。
「たしかに皇帝直轄領より、皇妃直轄領のほうがなにか特別な感じはするからな。帝国側だって配慮はするだろうし、私も自分の領地となれば直接ラルランドを助けることも出来る」
「わかっているではないか」というヴォルドワンの言葉に、リシェリードはさらにむうっと口を引き結ぶ。
「だからって、なんで事前に……」
「話して、あなたがすんなりと『はい』と承知してくれるのか?」
「…………」
それはうなずかなかっただろう。皇妃領なんて、あの王子が策謀を尽くして帝国皇妃の地位も、ラルランドも両方手にいれたとかなんとか言われるだろうし。いや、そんなものはいくら影で言われようが構わないが。
皇妃となっても自分はヴォルドワンの後ろで目立たずいたい……というのも、皇妃になった時点で今さらか。
ようするに。
「うん、私も覚悟を決めたと言いつつ、覚悟が足りなかったようだな」
帝国とラルランド両方背負っていくのだ。かたわらにいる男とともに。
そう思い、そっぽを向いていた顔を前に戻して男を見上げれば、抱えていたクッションをとりあげられてポイと投げ捨てられた。
「え?」
そして同時に寝台に押し倒されていた。上質で広いベッドはぽふりと二人の体重を受けとめる。
「するのか?」
「昨日の初夜が出来なかっただろう?」
「……初夜もなにも散々してる……んっ!」
唇をふさがれた。こんなときのヴォルドワンの言いたいことはわかる。彼いわく、自分は雰囲気もなにもあったものではない……そうだ。三百年前も言われた。
口づけは好きだ。息継ぎがヘタクソなのは相変わらず。わかっているかのように唇をずらされて、はくりと息を継ぐ間もなく塞がれて、溺れているかのよう。頭がふんわりとするのは、息が出来ないせいか。絡まる舌の甘さだろうか?
男の唇が滑り降りて胸へ……と。とがりを指でいじられて、キツく吸われて思わず声をあげてのけぞる。熱い吐息を吐きながら、慌てて言う。
「わ、私も、な、舐めたい!」
言ったら胸から顔をあげて、くすりと笑われた。わかっている。雰囲気がないと言いたいのだろう? 舐めたいなんて、子供が棒飴でも欲しがるようだと。
「どうぞ」と言われて、男の股座に手を伸ばす。涼しげな顔していて、そこはもう立派にそそり立っていた。
可愛くない棒飴だ。いきなり先端からかみ砕いてやろうか? なんて思わない。いくら魔法が通じない男でも、ここは弱点だろう。
優しく大切に舐める。口に含んで、大きくて全部など無理だが、そういえば何回目かのとき、舐めてる途中で顔をあげて「なあ、はみ出したこの下の分はどうすればいいんだ?」と真顔で訊ねたら、なんとも言えない表情をされた。わかっている、自分は雰囲気が……以下略。
それでも根元を手でさすればいいと教えてくれた。リシェリードは勉強熱心な素直な生徒? なので、それからはそうしている。
「もういい……」
熱心に舐めていたら、手に顔を添えて上げさせられた。そして、口許に一つ含まされるのは砂糖菓子。薄い砂糖のからをかみ砕けば、とろりとサクランボの甘いリキュールが溶け出す。
口にふくんでマズイといったら、翌日からベッドの脇にボンボンがはいったガラス瓶が置かれるようになった。この宮殿の寝室にもしっかり用意されているとは、寝室の係のメイドがどんな顔でこれを置くのやらとは……考えないようにしよう。うん。
「あ……っ!」
前を撫でられて声をあげる。足のあいだの立ち上がっているものをやんわりと握りしめられて。
「あなたもこんなだ」
「愛する者を舐めて、興奮してどこが悪い? それとも、マズイと萎えて欲しいのか?」
答えてから『しまった』と思った。やっぱり自分は雰囲気がない。
しかし、目の前の緑の瞳の色が濃くなったような気がした。「俺も舐めたい」と言われてぱっくりと。
「お、お前はこんなことで興奮するのか! そ、そんなところ、なめ……ぁ……」
とんでもないところを舐められた。「ヘンタイ!」「ヘンタイ!」とぽかぽかと男の厚い胸板を叩いたが、あらぬところをなめられてぐすぐずにとけた拳に力ははいらず、気持ちよくなってしまった自分もヘンタイかもしれない。
そして、とろけたそこにずぶずぶとはいってくる男の熱に揺さぶられて、奥を突かれて、なにがなんだかわからなくなるのは、三百年前と変わらなかった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「……三百年は夢のようだな」
蜜のような情交のあと、男の胸を枕にうつ伏せまどろみながら、リシェリードはつぶやいた。
「寝ていなかったのか?」
その言葉にはいつもは疲れ果ててすぐに眠ってしまうのに……という響きがあった。多少むっとして答える。
「さすがにお前の相手をたびたびしていれば慣れるし、体力もつく。こらっ、もう一度とかいうなよ」
腰のあたりに伸びた手をぴしゃりと叩く。なんだ。その残念そうな顔は。この絶倫男め。
「これからのことを話したい。まあ、三百年前の私の夢は崩れ去ったがな」
ラルランドという国は無くなった。帝国内に公国という形で残ったが、今世の自分やヴォルドワンが亡くなったあとはどうなるのかはわからない。
昔はそんな都市があり、国があり、名前があった……なんて場所はいくらでもあるのだ。ラルランドという名も伝説の彼方へと消えるのかもしれない。
三百年、自分が結界の中に閉じこめた国は。そのまま時を止めて、どろりとした安寧の中にまどろんで、そして、泡のように結界がはじけるとともに消えた。
「あのとき、あなたはラルランドの民を騎馬民族の脅威から守った。あれは必要なことであなたしか出来なかった」
だから無駄ではないと、自分の髪を撫でる男の手は優しい。
「そうだな。ラルランドの民の生活が脅かされることなく、続いている。それでいい」
リシェリードは王家の存続にこだわりはない。国は無くなっても人々は生きている。ならばそれで。
「だが、反省は必要だぞ。三百年、結界に閉じこめて外敵の危機のない中で王家と貴族は堕落し、人々は進歩を忘れた。これは憂えるべきことだ」
「逆に帝国は大きく拡大、進歩はしたが、強い者が皇帝となるという俺の遺言は、血で血を洗う権力闘争を激化させた」
お互いが残した三百年後の世界に魔法王と初代皇帝の生まれ変わりは、互いに苦笑する。
「帝国も変革の時だろう。七つの選帝侯家の力が弱まっている今、その特権をとりあげても彼らに抵抗する力はない」
選帝侯家の特権とはすなわち、皇帝を選ぶ権利と彼らの血筋から次の皇帝が出ることだ。
ラルランドを併合し、リシェリードという彼そのものが強力な魔法使いである皇妃を得た。強い皇帝であるヴォルドワンに確かに今、彼らは抵抗できまい。すでにオドンは望んで選帝家の名を返上すると先に宣言している。
だが、では次の皇帝は? とリシェリードが口を開こうとしたところ。
「次代皇帝はカイだ。皇帝の長子が皇帝となる。ラルランドも併合した帝国に、これ以上の拡大も争いも必要ない。平和な世には安定こそ必要だ」
たしかに長子相続が決まりとなれば、跡目争いの激化は防げる。しかし。
「だが、それでは皇帝が凡庸だった場合……」
それがラルランドの末路だった。リシェリードの今世の父は玉座に座っているのだけが務めの男だった。普通であることは悪くないが、王としてはあまりにも力足らずな。
「凡庸どころか、三百年前のような暴虐の皇帝が生まれる可能性もある。ひとりの皇帝に権力が集中するのはあまりにも危険だ。
だからこそ“議会”が必要だと俺は思っている」
「それは……」とリシェリードは声をあげた。三百年前に、自分が夢物語だ……と笑いながら、ヴォルドワンに語った話を彼は覚えていたのだ。
「暴君の誕生のように、ひとりが国を導くのはあまりにも危険だ。だから、人々が選んだ代表の者達が話し合って国の行く末を決める。そのような議会が開けたならば……」
だが、今の王を戴くことが当たり前と考えている人々に根付かせるには時間が必要だろう。その時間が自分にはないのが……残念だ……と。
そのときにはもう、北方の脅威から国を守るために大結界を展開することをリシェリードは決めていた。自分の命がそのとき無くなることも。
「ならば、万民にあまねく学を与えねばならないな」
リシェリードはヴォルドワンの裸の胸に手をついて起き上がった。その空色の瞳は、未来を視ているかのように前を見る。
「初めは貴族や聖職者達に議席をあたえるとして、次には平民にとお前は考えているだろう?」
「それがあなたの理想だった」
すべての人々とリシェリードは語った。その人々が自分の代表を選ぶと。
「だから、学が必要なのだ。自分達に耳障りの良いことばかり並べる偽物を見極める目を人々が持たねば」
人は甘い言葉に簡単に騙される。魔女の誘惑の力を使うまでもなく。今後も魔力などなくとも、第二、第三の魔女のようなものが現れ、人々がそれに扇動されないために。
その予防のための学問が。本当の知恵を人々は得なければならない。
「……とはいえ、とほうもない事業だな」
帝国の全土に学校をなど……金もかかるが、治める民に余計な知恵などつけなくてよいと、貴族達の抵抗も大きいだろう。
さらには議会を開くということ自体もだ。
「生涯の仕事になるだろうな。俺の代では終わらず、カイに受け継ぐことになる」
「やれやれ、あの子に重荷を背負わせるのか?」
「あなたと俺が“育てる”のだ。立派に務めを果たしてくれると思うが?」
「…………」
カイは良い子だ。だが、それだけで上手くいくとは限らない。きっと自分達も困難にぶつかるだろう。
「次の三百年後のことなんて誰も予想は出来ないぞ」
なにもかも思い通りにならないのが人生だ。どころか未来もそうだったと、転生して思い知った。
それでも。
「前に進むしかないだろう?」
「そうだな」
ヴォルドワンの言葉にリシェリードはうなずいた。思い描いた世界でなくともラルランドの民は生き残り、北方の略奪と争いばかり繰り返していた騎馬民族は一つの国となったのだ。
だから、未来にすすむことは無駄ではない。
「それにだ。次の三百年後にまた、俺達が転生したら、楽しみではないか? 世界がどんな風になっているのか」
「いや、また転生するとは限らないだろう? だいたい私達が転生するなんてとき、魔女を封じたピクルスの壺の蓋が開くとか……あ、馬鹿! よせ! どこを触っているっ!」
「話す元気があるなら夜明けまで付き合ってくれ」なんて、たぶん生まれ変わっても、また自分を捕まえるだろう男に言われて、とけた。
END
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