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【19】魔法研究所 その1

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 帝国にやってきてリシェリードが目を見張ったのは、人々の日常生活に魔道の技術が取り入れられていることだ。

 家や街路を照らす灯りに、常に温かなお湯が出る魔道装置。結界に守られたラルランドでは、灯りはオイルランプや松明であり、煮炊きや風呂も薪を使う、三百年前のまま時が止まっている。
 帝国の人々の生活を便利にしているその技術を生み出したのが、初代皇帝によってつくられた魔法研究所だ。

「見学をしたい?」

 リシェリードを皇妃にという話は、相変わらず難航しているようで、本日も長引いた会議に遅く帰ってきたヴォルドワンを出迎えて。
 本日の夜食は小麦粉の皮で挽肉の種を包んだものを入れたスープに、塩漬けのニシンにビーツのサラダだ。相変わらず豪快にして綺麗に食べる皇帝陛下を前に、リシェリードは自分の希望を告げた。
 魔法研究所を見たいと。

「帝国の魔道研究の三百年の成果を見たいのは当然じゃないか?」

 「わかった」とうなずいたヴォルドワンに「いいの?」とリシェリードは訊ねる。

「そんな簡単に機密の固まりだろう研究所を私に見せて」
「隠したところであなたには無駄だと知っている」
「確かに」

 リシェリードがその気になれば、どんな厳重な結界に守られた中ものぞき見ることが出来るし、なんならばその中に転移することも出来る。

「カイも連れて行っていいか?」
「カイを?」
「あの子はこの帝宮の中から一歩も出たことがないと聞いたぞ」

 皇帝の唯一の子の身の安全もあったのだろうが、大半は父親たるヴォルドワンがいままで、その息子に無関心を通してきた。その為に乳母以外の周囲も、あの子に配慮しなかったのだろうと、ちくりとやる。

 そうそう、カイの以前の乳母のマーサであるが、復帰してこの帝宮にやってきた。ふくよかな婦人でカイは彼女をみたとたんに泣きながら、飛びついていた。マーサもまた、涙ぐんでカイを抱きしめた。
 カイがひねくれもせずに素直な子に育ったのは、この乳母がいたからだろう。
 とはいえ、乳母のマーサだけでは色々と力が足りなかったことも確かで、カイが七歳となるまで夏の離宮への遠出どころか、帝宮以外の外を見たことがないのが良い証拠だ。

 もっともこの若き皇帝陛下も就任以来、外出といえば視察に演習に遠征と、私事がまったくない仕事人間だったらしいから、そのようなことに考えがおよばなかったのだろう。
 まあ、それをいうなら前世のリシェリードだって、幼い頃から遊ぶことより魔道書を読んでいたほうが楽しかったし、反乱軍を率いてからは転戦の連続で休みなどなし、王として玉座にあったのは一年足らずで、そのあいだ大結界の準備でいそがしく……。

 要するに前世の王だった自分も目の前の皇帝陛下とどっこいだったな……と思う。
 あのときはああいう時代だった。明日、生きることに必死で、誰もが遊ぶ暇なんてなかった。
 だからこそ、平和な今世を享受しようと思うのだ。

「よし、お前もつきあえ」
「俺が? ……しかし」

 『政務がある』と続くだろう言葉を遮って、リシェリードは口を開いた。

「皇帝が魔法研究所を“視察”するんだ。立派な仕事だろう? 
 それに未来の“皇妃”とともに親子水入らずで外出したくないか?」

 そう言えば皇帝陛下はあっさりとうなずいた。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 魔道士達の集まりの研究所なのに、なぜ魔法とついているのか? 
 これも初代皇帝陛下の遺言による命名だったという。

「あなたの“魔法”による大結界の研究なのだ。魔法研究所が相応しいだろう」

 今世の皇帝陛下からそんな言葉が返ってきた。なるほどたしかに、魔法を研究するならばそれが相応しい。
 愛された寝台の中で訊くには無粋だったかもしれない。ヴォルドワンの裸の腕のなか、リシェリードもまた生まれたままの姿で、その蜂蜜色の髪を男の長い指がすく。
 それにうっとりとまどろみに身をまかせながらも、前々から気になっていたことを訊ねた。

「お前は、私の“大結界”を破るつもりだったのか?」

 三百年後、実際に帝国軍はラルランドを守る外側の結界をやぶって侵入してきたわけだが。

「いいや、逆だ」
「逆?」
「結界を破るためではなく。結界を“創る”ためにあの研究所を私は起こした。誰の命の犠牲もなく、国を守る壁を築けたなら……と」

 誰の命の犠牲があったかはいうまでもない。「そうか」と答えて、リシェリードは眠りについた。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 魔法研究所の所長、ピムチョキンはちょびひげに小太り、後ろになでつけた頭髪のせいもあるだろうが、額がやたら広い。ようするにちょっと危うい頭髪の中年の男だった。
 リシェリードの見えぬものが見える目には、所長だけあってかなりの魔力は有しているが、その背負う気の色は見事に濁っている。ようするに野心満々の俗物だ。

 皇帝陛下直々の視察ということで、この所長自らが案内に立った。
 まず一番最初に紹介されたのが、結界を破った魔道装置だった。要となるのはオーブと呼ばれる巨大な人造宝玉だ。
 魔法研究所が開発したこのオーブは、自然界に満ちている精霊の力を取り込み蓄積することで出来るとのことだった。これが人々の暮らしの様々な魔道具の動力源として応用されていると、リシェリードは興味深くきいた。

 初めは小さなオーブしか作れなかったが、近年、巨大な結晶を作ることに成功したと。その一つがラルランドの結界を破るのに使われたという。

「これほど巨大なものを創るとなると十年の歳月はかかりますな。あのいまいましい結界を破り、大軍を通す大穴をあけたときに、装置の負荷に耐えきれず一つは砕け散ってしまいました。
 ですから、これが今ある、貴重な一つです」

 ピムチョキンは自慢げに胸を張る。リシェリードはその“忌々しい”結界を破られた国の王子なのだが。

「では、その逆も出来るのではないですか?」
「逆?」

 リシェリードの問いにピムチョキンが怪訝な顔となる。

「魔法王が張った大結界をこのオーブを使えば、出来るのではないか? と」

 誰かの命を犠牲にせず……と初代皇帝は願ったのだ。その言葉にピムチョキンはフンと鼻を鳴らし。

「もちろん、逆にも応用出来ますが、しかし、そんなことをしてどうします? このオーブ一つでおおえる結界など、せいぜいがちっぽけな国一つ。とうてい帝国の全土はおおえますまい」

 そのちっぽけな国とは当然、ラルランドのことだろう。が、国の名前を出した訳ではないから、とがめることでもない。
 そんなピムチョキンの不躾な態度をリシェリードはまったく気にせずに「そう」と答え。

「たしかにこの帝国をおおう結界としては弱い。だけど、この帝都などの都市一つ分を覆うには十分じゃないかな? 
 それに一つが小さくとも、これを連ねて使えば巨大な防壁も展開できるだろうね。
 別に帝国全体をおおう結界など必要はない。敵軍の前に立ちはだかる巨大な壁となればいい」

 急な敵襲の都市での防衛戦や、一兵の損失なく敵軍を足止めできる防壁となるというリシェリードの言葉に「そのような考えがあったか」とざわめく。ヴォルドワンもまた、その緑の目を見開く。

「しかし、これだけ巨大なオーブを創るのには十年かかるのですぞ。とても、帝国にあるすべての都市をまかなうような……」

 ピムチョキンが慌てて反論するのに「そんなに大きなものをつくる必要はない」とリシェリードは返す。

「そうだね、せいぜい一月、結界が展開できるようなものなら、すぐに出来るんじゃないかな?」

 「小さな盾でも連ねれば大きな盾になる」とリシェリードは続ける。それに「ちょっと良いですか?」と研究員の一人が手をあげる。

「一月しか保たないのでは意味がないのではないですか?」
「だから、結界が切れる前に次のオーブを発動すればいい。はるばる遠征してきて戦うことも出来ず、糧食だって乏しくなれば、一年どころか半年もたたずに大概の軍は撤退に追い込まれる」

 ただ待つだけなど当然兵士の士気は落ちるし、なによりそれだけの兵士達を食わせるだけの糧食がいるのだ。略奪をしようにもそれは結界の内側。大概の軍は退くというものだ。

「どうやら、俺は両国の融和の証以上に、得がたい宝を得て戻ってきたようだ」

 ヴォルドワンがそう言って微笑み、リシェリードの手をとって口づける。「まこと、我が皇妃にふさわしい」と続けたのは、いささかやりすぎだぞと、リシェリードは内心で思ったが。




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