67 / 73
魔女と黒狐と金獅子王子
第十話 幸運の女王
しおりを挟む「てっきり片付いたと思っていたのだけど、まだ生きていたというの?」
黒いローブを目深に被った魔女の顔は見えない。ローブの長い袖から、染めた長く赤い爪に、大きなエメラルドがはまった指輪がちらりとのぞく。
薄暗い部屋。椅子に座る彼女の足下にひざまずく、こちらも灰色のローブをまとった間諜の男の報告に、彼女は傍らの小卓をこつこつと長い爪で鳴らした。
「十六の歳まで飢えることも凍えることもなく“教育”までほどこしてやって、事も成さずにおめおめ生きているなど、目の前にいるなら本当に“役立たず”とののしるところだけど」
フードの陰からのぞく赤い紅が引かれた唇がにいっとつり上がる。その肌の青白さと対比して、ひどく不気味だ。
「しかし、ただ逃げたのではなく殺すはずだった相手のそばにいるだなんて、まったく面白いことになっているわね。
しかも、皇太子妃ですって!? あの真っ黒の雄狐の赤ん坊が?」
ほほほ……と魔女は笑う。そして「いいことを思いつきました」とつぶやく。
「ならば婚約の幸せがさめやらぬ絶頂で、己の花嫁に殺されるならば、あの王子様も幸せでしょう? まあ、なんて残酷なおとぎばなし」
そこに「お母様」と若い娘の声が響く。
「まだなにかされるおつもりなのですか? 二度も失敗しているのです。これ以上はもう……」
「なにを弱気になっているのです? 使い捨ての駒などいくらでもあります。まして、いらない子だったあれが、かの王子のそばにいるのですよ。
わたくしの暗示はいまだ有効なはず。今度こそ、確実にあの黒いカラスは王子の心臓をえぐりとるでしょう」
「母様……もう、おやめください。白き家で可哀想な孤児達を育てるのも、この忌まわしき因習も」
「黙りなさい! 孤児達が可哀想? 温かな食事に寝床が与えられる暮らしのどこが可哀想と? そして、あの子達は幸せなまま死んでいくのですよ」
「それは母様達が与えた幻想です。子供達も間諜達も、そう思いこんで死んでいく」
「屍の山を築かずに繁栄した王国などありません。あなたもわたくしも、そのうえに立っている。
良いことを教えてあげましょうか? あのとき生まれたのは双子でした。白い子と黒い子、黒い狐の男子は白き家におくられ、白い子供は私の目の前にいるわ」
「そ、そんな……まさか……」
「喜びなさい。あなたの双子の兄だったか弟だったか、そんなことはどうでもいいわ。
それが、あの王子を殺し、あなたの王国を盤石にしてくれるのですから」
ほほほ……と狂ったような魔女の哄笑が暗い部屋に響きわたった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「海?」
「見た事があるか?」とランベールに訊ねられて、シエナは首をふった。
いつもの食堂での昼。今日の献立は干しぶどうにチーズ入りのニンジンのサラダに、アスパラガスのキッシュ、キャベツの酢漬けと大きなソーセージ、豚肉の塩漬けの煮込みに、潰したジャガイモを添えたもの。
その大半はランベールの胃袋におさまった。そして食後のお茶と今日はランベールがもってきた、砂糖菓子《ボンボン》をいただく。レティシアからのものだという。
そこで、海の話が出たのだ。
「白い施設を出たときに船に乗ったと思うけど、目隠しされていたから、見た事はない」
シエナはランベールにぽつぽつと施設のことや、仮の祖父母との暮らしを話すようになっていた。ランベールはそれを黙って聞いてくれる。それ以上聞き出すようなこともしない。
「なら、今度の旅で初めて見るのか。船にも乗るぞ」
タイテーニア女王国との和平条約の調印。両国の国境線上である、海上で行われるそれは双方の皇太子を出すこととなり、シエナもそれに招かれているという。
「どうして、わたし?」
「あちらとしては、婚約者もご一緒にどうぞと、俺のご機嫌取りだろうな」
実際、ランベールはちょっと機嫌がよさげだった。「シエナの初の外交の仕事だな」なんてだ。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
甘みと塩味が遠くに効いているシエナの手製のバターたっぷりの焼き菓子を一口かじり、レティシアは「あいかわらず美味しいですね」とその表情は変わらないが、しかし、機嫌が良いのは息子のランベールにはわかる。
大公の執務室。大きな執務机を挟んで、座るレティシアと立つランベールが対峙していた。
「タイテーニア女王国としては今回の和平は大変不本意でしょうね」
「たしかに軽い小競り合いだったとはいえ、海戦で我が国に負けたという衝撃は内外で大きかったでしょう」
一年前、ランベールは初陣で、女王国を退けている。同盟国である海の民イーストスラントの力が大きいにせよだ。
「もう一ついうならば、タイテーニア女王国のグウェンドリン女王はかなりの高齢だとも聞いています。後継の皇太子であるマージェリー王女は十六歳だとも」
「かの国の女王は白獅子だそうですね。後継の王女も白獅子だとも。二代続けての白獅子の女王とは珍しい」
通常、王族、貴族の女子は狐族でしめられている。それは狐族の特性として男子は夫たる種族の子を産み、女子は狐族となるというのがある。もっとも、まれに夫側の種族の女子が生まれないわけでもないが。
「マージェリー王女はグウェンドリン女王の御子ではないですよね?」
「表向きは嫡子ということになってますが、王女を生んだときはすでに五十過ぎの女王が命がけでお腹を痛めたとは誰も思ってないでしょう」
女性に年齢を聞くのは失礼ではあるが、かの女王国の女王の治政はたしかに五十年を越えているのだ。そもそも彼女の代で、あの国は女王国とあえて国名を変更している。
「それにあの女王は一度も結婚したことがありません。独身のままあちこちの王に自分との婚姻をちらつかせて、巧みな外交戦略の綱渡りをしてきたのが、かの国ですから」
そしてあの女王の代で北の辺境の海賊国家よ、と言われていた国は急速に拡大したのだ。
もっとも、もう一つの要因もあるのだが。
「あなたも幸運の女王の呪いにかからないように気を付けなさい」
「かの女王の有名な話ですね。彼女の障害となったものがいつのまにか消えている」
真っ先に暗殺を疑われそうであるが、いずれも病死や不審死で片付けられていた。それも国王や皇太子などではなく、常勝の将軍にやり手の大臣など主要な家臣を失ってその国の国力が弱まり、間接的に女王が利を得たような形ばかりだった。
「それからすると皇太子である、俺は呪いの範囲外に見えますが」
「わかりませんよ。かの国の女王の実年齢はわかりませんが、己が高齢であり、後継者が若年ゆえの焦りはあるかもしれない。
自分一代で大きくした帝国ならばなおさらです」
「シエナに聞いた話を思いだしたのですが」
白い施設で主に習ったのは毒の扱いだったことをだ。その毒を暗器に塗っての不審死を装う方法など。
「なるほど、病死にみせかけられる遅効性の毒もありますし、針一本を身体に突き刺すだけで心臓を止められる。そんな話も聞いたことがあります」
「ただ、今回は俺が獅子族だったからこそ、毒は効かない。それで直接的な方法をとるしかなかったということです」
獅子族ではないならば、毒は十分に効くということだ。それこそ、トゲにでも刺された程度のひとさしで、十分に死に至らしめるほどの。
「しかし、憶測にすぎません。なんの証拠もありませんね」
「それにたとえシエナがいた白い施設と、女王国に関わりがあるとしても、今、あれは俺の腕の中にいます」
「もう、二度と関わることはありませんよ」とランベールは言った。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
逃げたい。
だけど逃げられない。
紅い瞳にひたりと見据えられる。
黒いローブ。フードを目深にかぶって、そこからこぼれている白い髪。黒い袖からのぞくのは紅く塗られた爪先、指には大きなエメラルドの指輪。
尖った爪がひたいにふれる。そして、魔女の紅い唇が開いた。
「お前は良い子だね?」
「はい」と自分の意思ではなく唇が動いた。
そして、魔女は告げる。
「ならば、その男を殺せ」
横たわっている金色の獅子の青年。瞳は閉じているからわからないが、その色は金色だと知っている。
そして、手に持っていた短剣をふりあげて、その胸に振り下ろした。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
シエナは飛び起きて、そして「夢か……」とホッと息をつく。ここがランベールの寝台であることも。
そして、次の瞬間にはパチパチと瞬きをした。
夢を見たことはわかるのに、夢の内容はわからない。
どんな夢だったのか?
思い出したいような、思い出すのが恐ろしいような……。
「シエナ……?」
「ごめん、起こした?」
ランベールが手を伸ばしてきて、ひきよせられるままに、彼の胸へとおさまる。少し汗に濡れた前髪を大きな手でかきあげられて、その心地よさにシエナは目を細めた。
「怖い夢でも見たのか?」
「わからない」
正直に答えた。大きな手がそのまま、頭をなでてくれるのに安心する。「このまま抱きしめていてやろう」との言葉に「いつものことじゃない」とクスリと笑う。
そうこの腕の中にいれば安心なのに……。
覚えていない夢の余韻なのか、なぜか得体の知れない不安を感じる。
シエナをそれを消すように、かたわらのぬくもりにすりっとほおをすりつけるようにして、目を閉じた。
20
お気に入りに追加
1,138
あなたにおすすめの小説
虐げられ聖女(男)なので辺境に逃げたら溺愛系イケメン辺境伯が待ち構えていました【本編完結】(異世界恋愛オメガバース)
美咲アリス
BL
虐待を受けていたオメガ聖女のアレクシアは必死で辺境の地に逃げた。そこで出会ったのは逞しくてイケメンのアルファ辺境伯。「身バレしたら大変だ」と思ったアレクシアは芝居小屋で見た『悪役令息キャラ』の真似をしてみるが、どうやらそれが辺境伯の心を掴んでしまったようで、ものすごい溺愛がスタートしてしまう。けれども実は、辺境伯にはある考えがあるらしくて⋯⋯? オメガ聖女とアルファ辺境伯のキュンキュン異世界恋愛です、よろしくお願いします^_^ 本編完結しました、特別編を連載中です!
祝福という名の厄介なモノがあるんですけど
野犬 猫兄
BL
魔導研究員のディルカには悩みがあった。
愛し愛される二人の証しとして、同じ場所に同じアザが発現するという『花祝紋』が独り身のディルカの身体にいつの間にか現れていたのだ。
それは女神の祝福とまでいわれるアザで、そんな大層なもの誰にも見せられるわけがない。
ディルカは、そんなアザがあるものだから、誰とも恋愛できずにいた。
イチャイチャ……イチャイチャしたいんですけど?!
□■
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです!
完結しました。
応援していただきありがとうございます!
□■
第11回BL大賞では、ポイントを入れてくださった皆様、またお読みくださった皆様、どうもありがとうございましたm(__)m
転生するにしても、これは無いだろ! ~死ぬ間際に読んでいた小説の悪役に転生しましたが、自分を殺すはずの最強主人公が逃がしてくれません~
槿 資紀
BL
駅のホームでネット小説を読んでいたところ、不慮の事故で電車に撥ねられ、死んでしまった平凡な男子高校生。しかし、二度と目覚めるはずのなかった彼は、死ぬ直前まで読んでいた小説に登場する悪役として再び目覚める。このままでは、自分のことを憎む最強主人公に殺されてしまうため、何とか逃げ出そうとするのだが、当の最強主人公の態度は、小説とはどこか違って――――。
最強スパダリ主人公×薄幸悪役転生者
R‐18展開は今のところ予定しておりません。ご了承ください。
【完結】ただの狼です?神の使いです??
野々宮なつの
BL
気が付いたら高い山の上にいた白狼のディン。気ままに狼暮らしを満喫かと思いきや、どうやら白い生き物は神の使いらしい?
司祭×白狼(人間の姿になります)
神の使いなんて壮大な話と思いきや、好きな人を救いに来ただけのお話です。
全15話+おまけ+番外編
!地震と津波表現がさらっとですがあります。ご注意ください!
番外編更新中です。土日に更新します。
婚約破棄したら隊長(♂)に愛をささやかれました
ヒンメル
BL
フロナディア王国デルヴィーニュ公爵家嫡男ライオネル・デルヴィーニュ。
愛しの恋人(♀)と婚約するため、親に決められた婚約を破棄しようとしたら、荒くれ者の集まる北の砦へ一年間行かされることに……。そこで人生を変える出会いが訪れる。
*****************
「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく(https://www.alphapolis.co.jp/novel/221439569/703283996)」の番外編です。ライオネルと北の砦の隊長の後日談ですが、BL色が強くなる予定のため独立させてます。単体でも分かるように書いたつもりですが、本編を読んでいただいた方がわかりやすいと思います。
※「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく」の他の番外編よりBL色が強い話になりました(特に第八話)ので、苦手な方は回避してください。
※完結済にした後も読んでいただいてありがとうございます。
評価やブックマーク登録をして頂けて嬉しいです。
※小説家になろう様でも公開中です。
王子様と魔法は取り扱いが難しい
南方まいこ
BL
とある舞踏会に出席したレジェ、そこで幼馴染に出会い、挨拶を交わしたのが運の尽き、おかしな魔道具が陳列する室内へと潜入し、うっかり触れた魔具の魔法が発動してしまう。
特殊な魔法がかかったレジェは、みるみるうちに体が縮み、十歳前後の身体になってしまい、元に戻る方法を探し始めるが、ちょっとした誤解から、幼馴染の行動がおかしな方向へ、更には過保護な執事も加わり、色々と面倒なことに――。
※濃縮版
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】
異世界で出会った王子様は狼(物理)でした。
ヤマ
BL
◽︎あらすじ:地味でモブ街道まっしぐらの数学オタクで教師の立花俊は、ある日目が覚めるとファンタジー乙女ゲームの攻略対象に転生していた。
だがヒロインは不在。なぜか俊が代わりに王子達からの度重なる壁ドンと、呪文のような口説き文句に追い回されることに。
しかも異世界転生で一番大事なチートもない!生き残りをかけ元隣国王子クレイグのもとを訪れるも、彼の態度はつれない。だが満月の夜、狼に変身していたクレイグの正体を見抜いたせいで彼は人間に戻り、理性を失った彼に押し倒されてしまう。クレイグが呪われた人狼であると聞いた俊は、今後も発情期に「発散」する手伝いをすると提案する。
人狼の元王子(ハイスペック誠実童貞)×数学オタクの数学教師(童貞)
初投稿です。よろしくお願いします。
※脇キャラにNL要素あり(R18なし)。
※R18は中盤以降です。獣姦はありません。
※ムーンライトノベルズ様へも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる