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ならば強行突破します!~オーロラの帝都と癒やしの殿下~
金獅子王子の憂鬱
しおりを挟むランベール・ラ・ジルはサランジェ王国の皇太子にして、偉大なる金獅子の大王ロシュフォール・ラ・ジルとその王妃にして参謀であるシャトレ大公、レティシア・エル・ベンシェトリの息子だ。
父親譲りの金の巻き毛に金の瞳を持つ、彼も金獅子である。父そっくりのその容貌と雷光を操る魔力から、いずれは父王のあとを継いで同じように大王と呼ばれる方になるに違いないと、周囲の期待も大きく、本人もまた、そんな重圧などに負けないだけの強靱な精神と優秀さを持っていた。
その彼も御年一八歳。王族、まして皇太子ならば生まれながらの婚約者がいてもおかしくないが、この王子の周囲には浮いた噂の一つもなかった。
本人からすれば当然といえた。
今も昔も自分の最愛はただ一人なのだ。そこに恋情や欲情などという、穢らわしい邪な想いはない。ただ守りたい慈しみたいと思っていた。
愛おしい、愛おしい双子の弟。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「だから俺が行くと言っている!」
「なりません、国王たるあなたが国を空けてどうするのですか?」
「初孫が生まれたのだぞ! お前とて会いたくないか?レティシア!」
サランジェ王国王宮、その奥にある後宮は国王一家の光差す居間にて。
目の前では父と母が言い争っている。いや、父だけが憤っていて、母はあくまで冷静沈着に受け答えしている。
いつもの光景だ。
「行く」「いけません」とくり返している父と母に、ランベールは立ち上がって口を開いた。
「国王たる父上がそう簡単に動けないのは当然でしょう。
ミシェルの兄であり皇太子であるこの俺が、祝いの使者としてリンドホルムに参ります」
その言葉に父と母は言い争いを止めて息子を振り返る。レティシアは「あなたが妥当ですね。よろしくお願いします」とうなずいたが、ロシュフォールは吠えるようにさけんだ。
「ランベールだけなどずるいぞ! 俺だってミシェルに会いたい!」
「だから、国王であるあなたが軽々動いてどうするのですか! 私だって可愛い孫に会いたいのに、あなたと国でお留守番するのです! 我慢しなさい!」
ぴしゃりと言った母に父がその獅子の耳としっぽをたらんとさせて「わかった」と答えた。これもいつもの光景であるが、父はなにも母の正論に負けたのではない。
氷の大公だの、そのひと言だけで空間が凍り付くなんて畏れられている母が“私だって可愛い孫に会いたい”に“お留守番”ときた。
この氷の母、父にはたまにデレる。公の場ではぴくりとも動かない、銀色の尻尾がふわんふわんとせわしなく揺れている。
そしてそんな時の父の行動は決まっている。母の細い身体をその片腕でひょいと抱きあげるのだ。丸太のような腕に母の細腰をのせて、自分の宝物だとばかりに見上げて目を細めて。
「では、皇太子よ」
「はっ!」
名ではなく、そう呼びかける男の顔は、時に子供のように我が儘をいう父の顔ではなく、大王としての公の顔だった。ランベールは床に片膝をつく。
「第二王子ミシェル・エル・ベンシェトリの初産の祝いの特使を、皇太子であるランベール・ラ・ジル、そなたに命じる。よく務めを果たせ」
「かしこまりました」
自分の伴侶である美しい銀狐を片腕に抱いたまま、偉大なる金獅子の大王は居間を去っていった。向かう先は寝室だろう。父と母は変わることなく仲がよい。
王子二人だけでは心許ないと、周りがどれほど勧めようと、父は頑として側室を迎えなかった。
自分もあのような最愛を迎えることが出来るのだろうか?とランベールは静かにため息をついた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
そして、ランベールは再びため息をついていた。
目の前には、吾子を抱く妻を軽々とその片腕にのせている、銀狼王の姿があった。
初めて訪れた春のリンドホルム。まだ道の端に雪が残る白い森を抜けて訪れた、王城に思わず感嘆の声をあげてしまった。
弟が手紙でさかんに、まるでおとぎ話に出てくるような美しいお城だと自慢していたとおり、絵画にでもしたいような城だった。針葉樹に囲まれた湖面に浮かぶ城。その湖に映る城の姿も相まって、本当にこれが現実の城なのか?と思う。
しかし、中に入ってみればそこには、人々の営みがあった。王と家臣たちのあいだは、自分が知る王宮よりもだいぶ近くまるで、親族家族のようだった。
王家の居室もまた大理石と金泥で飾られたサランジェと違って、リンドホルムの特産品である木のぬくもりにあふれ、また冬のあいだの女達の手仕事だという、美しい布の小物で飾られていた。
ミシェルはそんな城にすっかり馴染んでいた。立て襟や袖口に刺繍が施されたブラウスに、前面にびっしりと刺繍が施されたジレが良く似合っている。この地の民族衣装だ。これもまた、毎年の春、村々から贈られてくるものだと。
そして、いまは銀狼の吾子を抱いた妻を、夫である銀狼王が片腕に悠然と抱いて、その腰を力強い腕に乗せていた。
ランベールにとって、既視感ありありの光景だ。
敬愛する父と母そのままだ。この銀狼の背丈は父王と変わらない。体躯に関しては若干細身ではあるが、ミシェルと吾子を軽々抱きあげる腕は、揺るぎなく力強い。
ランベールにとっては大王たる父は目標であった。おおらかでときに子供のように我が儘を言って、母にやり込められて、だが、王として表に立つときは大王と呼ばれるそのままに獅子王たる風格をまとう。彼が現れるだけで大臣達は引き締まり、兵士達は熱狂する。
「私があれこれいくら考えようとも、それを動かすのは陛下という人心を惹き付ける要があればこそです」と母は言った事がある。
それが王たる資質なのだとしたら、目の前の銀狼にも確かにそれがある。
しかし、ランベールもそうだが、父王ロシュフォールだって、この男には言いたいことは山ほどあった。
自分達の可愛い可愛いミシェルをぽっと現れたこの狼は、横からかっ攫っていったのだ。
「まったく、父上も怒っていましたよ。大切な己の妻を、帝国の田舎虎ごときに一時的にしろ、奪われるなど、北の銀狼の名が泣くと」
ミシェルが吾子がおねむだからと、寝かしつけに行ったすきに、ランベールが口にすれば「あのときのご協力感謝する」と銀狼王は穏やかに微笑んだ。
こちらの嫌みなどまったく歯牙に掛けてない様子に、本当にむうっとする。器が馬鹿みたいに大きい男だ。
ミシェルがさらわれたとの知らせに、あの父王は烈火のごとく怒り、今にもスタニスラワ帝国に進軍しそうな勢いであったのだ。もちろんランベールも父がその気ならばついて行くつもりであった。
が、それを止めたのが母大公レティシアだった。帝国との間には黒き森のゲレオルク国が横たわり、それを越えたとしても、今度は冬となり雪に埋もれた大地がある。雪になれないサランジェ軍では凍土の行軍など自殺行為であると。「あなたは国を滅ぼす気ですか?」との母の言葉に、父も自分も冷静になったことはいうまでもない。
その上でレティシアは「それとリンドホルムの銀狼王はただ己の妻が連れ去られたから、サランジェに泣きつくような情けない書簡を送りつけては来ませんでしたよ」と続けた。
「まあ、そんな器であったなら、我が国単独でミシェルを取りもどして、リンドホルムに戻しませんでしたが」とさらりと怖いことを述べて。
そして、母が示したクリストフの案に父王も自分もうなるしかなかった。母レティシアでさえ「出来うる最善の策ですね」と珍しくも褒めていた。
それはサランジェとイーストスラントの同盟の仲立ちをリンドホルムがすることで、タイテーニア女王国を抑えるというものだった。
タイテーニア女王国とはサランジェも海を隔てて、にらみ合っている状態であったから、この同盟には一つも損はなかった。陸軍が強いサランジェの海軍力は残念ながら弱い。海の民であるイーストスラントの力はなにより頼もしい。
「ではゲレオルク国のほうはこちらで抑えましょう」と母は言って、かの国の銀聖堂騎士団とサランジェ、リンドホルムとの春、帝国国境付近での合同演習をさっそくまとめてしまったのは流石だった。それを「誤解無きよう」と慇懃無礼な書簡を帝国皇帝に送ったのも。
そして、この銀狼は自ら自分の妻を帝都へと迎えにいったのだ。かの北の大国の帝宮に眷族たる狼たちと、わずか二人の従者とともに乗り込んだというのには呆れたものだ。
国の防衛は慎重に固めておいて自ら動く豪胆さ。狼の引くソリで逃げたのだとミシェルのはしゃぐような手紙の報告に、ランベールはどこかうらやましささえ感じたものだ。
ランベールはミシェルと同じ十八だ。この歳には目の前の銀狼王は、叔父から玉座を取りもどす戦いに大軍に少数で挑み見事勝利したのだ。
父であるロシュフォールはそのとき、十歳の子供の姿のままだった。だが、二十歳のときに父から玉座を奪おうとした叔父公爵。その彼から父を守ろうと孤軍奮闘した母の窮地を救おうと、力が欲しいと大人になったのだと。それは父から繰り返し聞いた話だ。
レティシアへの愛が俺を強くしてくれたのだ……と。
その自分はいずれは大王と呼ばれる父のあとをついで王となる。周りは自分を父そっくりだと褒めたたえる。父の剛毅さと母の知性を受け継いでいるとも。
だが、本当に自分はそんな風になれるだろうか?
なぜ、そんな会話の方向になっていたのか。思わずこぼした弱音に、ランベールは自身でうろたえた。
「い、今のは忘れてくれ」と目の前の銀狼に言う。
銀狼王は「すぐに忘れよう。だが余分な言葉かもしれないが」と続けた。
「十歳のミシェルと交わした約束が俺を強くしてくれた。王国をとりもどして、あの子を迎えにいこうと。
きっと君にも、そんな存在が現れるはずだ。
守る最愛が出来たとき、人はなによりも強くなれる」
それは確かに父と目の前の男を見ればわかった。
だけど、自分には……。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「最愛の運命になどそう簡単に出会えるものではないだろう?」
と、弟に問いかければ、彼は彼らしくあっけらかんと言ったものだ。
「かならず出会えるなんて保証はないけど、一目でわかるというか、恋なんて転げ落ちるものじゃない?」
自分はそんな風に簡単に落ちるものかと、ランベールは思ったが。
この先にとんでもない“運命”が待ってるなんて、このときの自分は知らなかったのだ。
たしかに恋は転げ落ちるもので、愛は人を弱くも強くもするものだと。
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