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【5】別れの朝、流せぬ涙 その1
しおりを挟む十日の日は長いようで瞬く間に過ぎていく。
「あと二日か……」
ウーサーがぽつりという。そこにはどこかさみしい響きがあった。アルマティは表情を変えずにいった。
「たまには宿の外に出るか?」
「外は雨。出てもなにもないんじゃないか?」
「店が三件あるそうだ。雨期は閉めているが、いまは私達についてきた兵士達の為に開いていると聞いた」
そう提案すれば「ああ、いいな」とウーサーが笑う。外を歩けるというより、自分と歩けるのが楽しいのだとばかりに。
宿で傘を借りて、それをさして外に出る。ウーサーがさしかける一つの傘に二人で収まって。普通なら「雨具は一人一つだ」とでもいっただろうが、ここにいる間は特別だ。
傘の中、濡れないようにウーサーがアルマティの肩を抱いても、アルマティが身を寄せても、不信には思われない。護衛の騎士が二人あとからついてきたが、彼らも魔物が襲ってくる気配がかけらもない、この温泉滞在にどこか気が緩んでいる風だ。
店屋は崖にへばりつく宿屋から見て、細い街道を挟んで反対側にある。渓流側に足場を組める宿屋と違って、険峻な山の傾斜が迫る反対側はそう敷地がとれない。だから小さな店を建てたのだ。店屋もこの一件宿の親族がやっているときいた。
二人が立ち寄った最初の店は茶器と茶葉を扱うものだった。そこでアルマティは茉莉花の茶と、宿で使って気に言った赤茶色の丸いポッドに、小さなカップを買った。
アルマティの千年の近くの生涯は放浪の旅から旅そのものだ。そこでの楽しみが茶であった。土地土地の特有の茶と茶器と。アルマティの魔力ゆえにやたら広い魔法倉庫には、そんな茶器と茶葉がごまんと詰まっている。時間の停止した魔法空間の中では、茶葉の劣化もない。
二人きりの放浪中も毎日のように茶をふるまってやったのだが、このいい加減な男はついぞ茶の味を理解することなかった。「アルマティの煎れる茶は格別にうまい」といつもいうが、本当にわかっているとは思えないとアルマティは思っている。
言葉通り自分の煎れた茶だからうまい……というのは、信じてやっていいとは思っているが。
今も茶器を選ぶアルマティの肩越しのぞきこんだり、差し出された見本の茶葉の匂いを、くんとかいでいたが、最後には狭い店のなかを所在なげにぶらぶらしていた。分かりやすくていいことだ。
隣の店は土産物屋であった。この郷土の玩具や飾り物が小さな店の棚にずらりと並ぶ様子に、ウーサーの瞳が輝くのに、アルマティは内心で『またか……』と思う。
「おお~この牛が首振ってるの、いいと思わないか? 赤に青に黄色に緑といろいろあるし、留守番の近衛の奴らに買ってやろう」
「……そうだな」
はたして大人の男の騎士達が首をふりふりする牛さん人形をもらって喜ぶのだろうか? いや、我が殿下の土産ならばと彼らはありがたく戴くだろうが。「お~これこれはどこでもあるな。これも全種類くれ」なんて店のオヤジにいっているのは、たしかにどこの土産物屋でもなぜかある、三角の旗の形をした壁飾りだ。これも王家の下賜品として騎士や兵士達の家の壁を末代まで飾るのだろうか? それはそれで、王家としてどうなんだ? と思うが。
ちなみにウーサー直属の騎士団員たちの部屋には、いつかのときに全員にあたえた木彫りの熊の像が必ずあるはずだ。鮭を口にくわえているものだ。
アルマティもウーサーと離れての行軍などのとき、出会うと必ず土産はもらった。まあ、それは木彫りの熊や壁掛けではなく。
「ああ、これはいいな。あなたの髪に似合う」
「…………」
ウーサーがアルマティの銀の髪に当てたのは、この地方で採れる青い石を三つはめ込んだ、髪飾りだった。
そう、ウーサーがアルマティに贈るのは珍奇? な土産ではなく、必ず美しいものだった。それは髪飾りだけでなく、子供の頃はキラキラと光る石だったり、野の花だったり。
初めての贈り物は……そう。まだ放浪の旅の初め。アルマティが見おろしていた十歳の子供が握りしめて差し出した。
「アルマティ、これ」
「ヒヤシンスか?」
「うん、青くてアルマティみたいだって」
「……花にたとえられても男の私は嬉しくないがな。そういうのはご婦人にしてやれ」
「でも、アルマティはこの花より綺麗だから」
「…………」
まさか、あのヒヤシンスの花が自分のインベントリの片隅に、いまも朝露に濡れたそのままにあるとは、ウーサーは思ってもいまい。
「やれやれ、私に髪飾りを贈るぐらいならば、ご令嬢に選んでやれ」
王都は奪還できていないウーサーではあるが、諸侯達のすべては、すでに彼の軍門にある。当然年頃の令嬢達を持つ諸侯もいて、彼らは将来の王であるウーサーの未来の王妃にと……そんな望みを抱く者達も多い。親達の思惑はともかく若く凜々しい王子に惹かれる令嬢達もだ。
「彼女達には花を贈っているだろう?」
たしかに騎士の中の騎士として育てられたウーサーは、ご婦人達をうやうやしく扱うし、彼女達の誕生日や祝いに花を贈ることは忘れない。もっとも、その手配をするのは彼の従者なのだが。
「そういえばいつも花だな、どうしてだ?」
「あなたがご婦人には花を贈れって言ったからだろう?」
「…………」
そんな昔に言ったことを覚えていたのか? しかし、アルマティの眉間にしわがよる。
「お前は私にも花を贈ってくるではないか?」
そう、こんな装身具だけでなく、それに花が添えてあるときもあるのだ。
「彼女達には薔薇の花だろう? あなにはあなたの花だ」
たしかに毎回贈られる花は違っていた。最初は青のヒヤシンス。一番最近は。
「アマリリスだったな。花弁の外は白で、中はほんのりと薄紅の」
「うん、俺も覚えている。あなたへの花は俺が選ぶからな」
「まさかすべての令嬢に薔薇の花なのは……」
「そのほうが迷わなくていいだろう? 色はこのあいだの夜会で来ていたドレスの色だ」
「それもお前が覚えてなくて、従者が覚えているのだろう?」
「よくわかるな」
「お前、いつか刺されるぞ」
本気の言葉ではない。ウーサーは騎士として令嬢達にうやうやしく接しはすれど、それは常に節度を保ったものだ。誰か一人を特別扱いして、他の妬心をあおることなどない。
彼女達に贈る花も同様だ。一律に薔薇の花、それも誕生日など決まった理由がなければ贈られることはない。これでは自分一人がこの王子の特別とは思えないだろう。
そうやって諦めや婚期が迫る娘に親の勧めで泣く泣く、他の貴公子と結婚した娘達も数多い。この戦乱の中でも、いやだからこそ他家との繋がりを深めるための政略結婚は、盛んに行われている。
そんな令嬢達の結婚式の日にも、当然アーサーは祝いとして花を贈っていた。花嫁の純潔を現すように純白のその薔薇は“涙の花”と呼ばれているとか。ウーサーはそんな花の別名を、たぶん知らないだろう。
「シフみたいな女騎士ならともかく、令嬢に刺されるほど常日頃から、油断しているつもりはないが」
「……そういう意味ではない」
シフとはレジタニアの北方の剽悍な騎馬民族の族長の娘で女騎士だ。兄とは違う意味で破天荒な彼女と堅物のガレスとは妙に気が合ってことは気付いていたが、のちに二人が夫婦になるとは、このときのアルマティも予想外ではあった。
「薔薇は従者に選ばせているが、あなたに贈る花は俺が選んでいる」
「……そういう意味でもない」
まったく花のような令嬢に贈る花は人任せで、枯れたエルフのジジイに贈る花は、王子様自ら選ぶとは逆だろう……と思う。
「花はないけれど」とウーサーはアルマティに髪飾りを贈った。「俺が手からつけても?」という言葉にうなづけば、ウーサーはアルマティの髪にそれにつけて「やはり似合ってる」と笑顔をみせた。
まったくエルフの爺の白い髪に髪飾りをつけてなにが楽しいのやら……とアルマティは心中でごちる。
それと同時に、ウーサーが“理由もなく”こういった贈り物をするのは自分だけだ……と気付いていたが、いつものように淡々と受け取った。
三軒並んでいる小さな店屋の一番端は茶屋であった。そこは休憩時間中の騎士達がたむろしていたが、二人が入ってきたとたんに直立不動で礼をとる。それにウーサーは「今は忍びだ。俺はお前達と同じ“湯治客”だぞ」と苦笑して、楽にするようにとうながす。
とはいえ、彼らのいる中央の大テーブルに同席などしたら、折角の休憩時間のあいだ気を遣わせてしまうと、二人は茶屋の奥まった席へと移動した。衝立で仕切られた恋人同士が語らうような場所だ。
適当に茶と茶菓子を頼んで、アルマティは隣の土産物屋で、ウーサーが奇妙な土産物を見繕っているあいだに買ったものを取り出す。アルマティがいま、銀の髪につけている髪飾りの色石と同じ、青とそれと赤の色石に、この地方の特産である絹の組紐だ。こちらは金と銀のものを選んだ。
「なにするんだ?」
「まあ見ていろ。そのあいだなにかしゃべれ」
「なにかって言われてもなあ」
などとウーサーはぼやくが、そこに香り高い茉莉花の茶と茶菓子が運ばれてきた。茶菓子は蕎麦粉をといて薄くやいたものに、スグリやアケビのジャムをぬってくるくると巻いたものだ。クリームをたっぷり使った宮廷菓子のごてごてさはない、いかにも鄙びた地らしい素朴さがよい。
「これはあまり甘過ぎなくていい。戦地の野営でも作れそうだし、兵士達の間食にどうだろう?」
戦中の慰めといえば酒ではあるが、とはいえ戦いに響くほど過ごし過ぎるのはよくないし、飲めないものだっている。
「甘い菓子ってのは、どっか心がほっとする」
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