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第二章 臣下とは王のために存在する

過保護な約束

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 ギルバートは飛び起きた。
 バクバクとうるさい心臓と、引きずる焦燥感しょうそうかんに、ひどい悪夢をみていたと知る。
 内容はおぼえていない。
 息はあがりきり、汗がこめかみからあごに流れた。
 さいあくの目覚めに、手をひたいにあてる。
 カシャン、と鳴る金属音に目をやると、手首には金の腕輪――中央に鎮座する大粒の希少宝石パライバ・トルマリンが、うすぐらい寝台のなかで、あおくまたたいた。

 ようやく周囲に目をやる余裕が生まれ、ブレイデン公爵家の自室であることに息をつく。
 ひどい喉の乾きに、水を欲してベッドをおりる。
 着ていた騎士服に、またこのまま寝落ちしたのかと思い、ふと違和感がわいた。
 首をひねりながら、サイドテーブルの水差しを持ちあげ、手がすべる。
 とっさに両手でつかみなおし、目に飛びこんできた右腕の縫合傷に、ギルバートは思い出す。――違和感の正体は、最後の記憶が医務室だからだ。

「……俺はいつ帰ってきた」
『僕が連れてきたよ』

 背後からの返事に、ギルバートはふりかえる。
 銀髪紅瞳の少年――ギルバートが使役する悪魔イブリースが、にこやかにたたずんでいた。





 イブリースが医務室をおとずれたのは、夜がもっとも深いころ。

 ブレイデン公爵家でディナーを完食後、デザートのフォンダンショコラを堪能たんのうし、ディビットの書庫にある『悪魔全集』の新刊に赤文字で添削を入れて遊んでいたが、とうとつに飽きた。
 おなじ本棚にならんだ一際ひときわめだつ白の詩集、その表題の『会えない時間が愛を育てる』の文字に、イブリースは小首をかしげた。
 ギルバートとは、夕方に会ったきり。
 それからどれだけの愛が育ったのか、確かめに行くのも悪くない。

 イブリースにとって、ギルバートは最愛のあるじだ。
 ギルバートにとっても、自分はかけがえのない存在であると、イブリースは確信していた。

 王立の建物は『魔術』は発動しない造りだが、悪魔が使うのは『魔法』だ。
 現世においても遺憾いかんなく能力を発揮できる高位悪魔にかかれば、空間転移くうかんてんいなど造作もない。
 ギルバートの魔力を目印に転移したイブリースは、ベッドの上、深い眠りに堕ちている彼に出会う。
 そのすがたを目にしたとき、言いようのない不快感に、イブリースの機嫌は急降下した。
 すぐさま、彼を取り戻すかのように抱きあげる。
 かすかな抵抗は彼の左腕につながるくだのせいで、邪魔だとにらめば一片のかけらも残さず消滅した。
 
 蜂蜜色の髪に鼻をうずめ、彼のにおいを吸いこむ。
 濃厚で甘い魔力のにおいに、うっとりと目を細め――かすかに混ざる残留臭ざんりゅうしゅうに、イブリースは柳眉を逆立てた。

『ギルに聖魔術を行使こうしし、軟禁なんきんするとはどういうことだ』

 するどく問うと、目の前の男が無感動に告げた。

「心外です」

 ふてぶてしい返答に、イブリースは彼をにらむ。
 聖騎士、エリオット・ローガン。
 対極な存在でありながら、何の因果いんがかギルバートのおさななじみ兼部下であり、本日晴れて主からおそろいのピアスを容認された――まったくもって、忌々いまいましい。
 人間のくせに、そこまでの特別扱いは過剰というもの。
 昨日まで裏切らなかったからといって、今日裏切らない保証はないのに。

 最愛の主は、現世のけがれにてられたとしか思えない。ならば。

『ギル、起きて。いますぐ魔界に行こう。命じてくれれば、すぐにでも連れていってあげる』
 
 聖騎士の動きが止まる。目を見開き、すぐにその翠瞳を伏せる。
 ごまかしたつもりだろうが、高位悪魔に攻撃的な視線をぶつけるとはいい度胸だ。
 負の感情を察知することにかけては、悪魔の右にでるものはいない。
 
 些末事さまつじは捨て置き、だきしめた主に、ほおずりする。
 それだけで、聖魔術の残滓ざんしは消滅した。
 かせは取り除いたものの、ギルバートのまぶたは依然として開かない。
   
『ギルになにをした。なぜ目覚めない』

 いらだちに呼応こおうし、医務室の空気がビリビリとふるえる。
 一変していだ翠瞳が憎らしく、それでも彼の答えを待つ。

「……縫合のため、麻酔剤ますいざいを使用しました。現世での安全性は確保されていますが、魔界の瘴気しょうきと反応し、中毒症状がでるかもしません」
『そんな怪しい薬を、よくも投与してくれたものだね』

 イブリースは歯噛みする。
 すこし目を離しただけなのに、愛が育つどころか、彼の安全がおびやかされるとは。

『こんな場所に、ギルを置いてはおけない。もっと安全で快適な場所でないと。僕の主は繊細せんさいなんだ』
「…………そうですね。明朝には目覚めると思いますが、ここよりも安全な場所とは」
『そんなもの――ブレイデン公爵家のほかにありえない』

 聖騎士はうなずき、口に手をあてる。

「……ええ。しかし彼に負担がかかる移動方法しかありません」
『地べたをうしか能がない人間は、哀れだね。その点、僕ならば空間転移ができる。ギルのひとりやふたり、連れ帰るのはじつに容易たやすい』
「さすがですね。では、おまかせします」

 姿勢を正す聖騎士は、無表情ながらにまとう雰囲気からけんがとれる。
 それもそのはず、彼が口から手を離す一瞬、口角が上がっているのをイブリースは目撃していた。
 イブリースのすばらしさに感服かんぷくしたのだろう。
 それ以外ありえない、と悪魔の胸中は晴れ渡る。
 
『我が主、ギルバート・ブレイデンの怪我の完治まで、僕がはべると約束しよう』

 勝利の余韻よいんに浸りながら、イブリースは仰々ぎょうぎょうしく告げる。
 エリオットがうなずくのを横目に、ギルバートをしっかりとかかえなおして、瞬きの間にブレイデン公爵家に帰宅を果たした。





『ギルがなかなか目覚めないから、心配しちゃった』
「おまえの心配は報酬ほうしゅうだろ」

 イブリースの魂胆こんたんを指摘し、ギルバートは水を飲む。
 乾いたからだに水が染みいり、ようやく息が楽になる。
 融合ゆうごうの報酬に、はたして悪魔はなにを要求してくるのか。
 探るようにイブリースを見ると、悪魔もまた鏡のように見返してきた。

『魔力の回復がわるいね。怪我けがのせいかな』

 ギルバートの右手をとって、検分するようにひっくりかえす。
 あまりに自然な動きに、ギルバートは身構えるのを忘れた。

『傷口はくっついたね。ひじは曲がる?』
「……ああ」

 返事がおくれたギルバートにも、悪魔はこだわりなく笑う。

『それならあとは、いっぱい食べて、いっぱい休んでね』
「――急にどうした」
『ん? 人間は寝て食べたら回復する生き物だよね?』
「そうではなく――悪魔は善意ぜんいでは動かない」
『ああ。エリオットと約束・・したからね。ギルの怪我が治るまで、僕がそばにいると』

 ギルバートははげしくまたたく。

――悪魔は『約束』をたがえない。
 約束とは、あるじ以外と結ぶ条件的かつ限定的な契約の一種であり、対価も報酬も不要でありながら、寸分の狂いもなく実行される。
 しかしごのみのはげしい悪魔は、主以外の人間には見向きもしない。
 ゆえに、悪魔と約束をとりつけた人間はまれであり、詳細は不明――悪魔学の事典には、おおまかな説明しか記されていなかった。
 
「なぜそのような約束・・を交わした」

 いつもの気まぐれにしては、イブリース側の制約が大きすぎる。
 わざわざ約束にする意味がわからない――なにか真意があるはずだ。
 しかし、当のイブリースは不思議そうに小首をかしげた。

『約束にしたのは、僕の意思だ。エリオットは僕にギルをまかせると言い、その殊勝な態度にむくいてやろうという気になった。でも後から考えると、わざわざ約束を交わすほどでもなかったな、と』

 それは自分の考えをまとめるような口調で、イブリースはしばらくギルバートを見つめた。

『約束したからには、ギルの怪我が治るまではそばにいる。そばにいるからには、ギルの怪我が治るようにふるまうのが道理だ。悪魔が重要視するのは、約束を果たすこと。――お分かりいただけましたか、ご主人様』

 イブリースが、流れるような所作で礼を取る。
 彼の銀髪が、窓からの陽光を反射し、ギルバートは目をすがめる。

「……ああ」

 つまりこいつは、エリオットの策略にはまったのか。
 エリオットが悪魔の約束を狙ったのかは知らないが、イブリースがギルバートに危害を加えない確証が欲しかったのだろう。

「過保護だな……」

 こぼれた感想は、目の前の悪魔にではなく、エリオットに対してだ。

――ギルバートの怪我が心配です。それ以上のことは、今は考えられません。

 裏付けするようなエリオットの科白せりふがよみがえる。
 それが、面と向かって言われた響きでないことに、気づく。
 状況を思い出そうとするが、脳裏にうかぶのは、おぼろげな情景ばかり。
 きっと鎮静剤ちんせいざいの影響だ。投与した前後の記憶があいまいになると聞いたことがある。

 覚えているのは、ディビットが性懲しょうこりもなくアンジェリカの婚約話を持ちだし、しかもエリオットがちょうどそこにいたから候補にすると馬鹿げたことを言いだしたことだ。
 アンジェリカの将来を何だと思っている。
 婚約話は叩き潰したが、執拗に食い下がるディビットに、エリオットが返答を――?

「……わからない」

 終わりまで見た記憶がない。
 それが焦りと不安を駆り立てる。

 エリオットは、ギルバートの指示に従うと言った。
 しかしそれで話は終わらなかった。
 ギルバートが意識を失った後も話は続いて、その結果を知らないことに愕然がくぜんとする。
 あのディビットのことだ。
 どんな手を使っても不思議ではなく――その手練手管に、一介の騎士が丸め込まれても、不思議ではない。
 
『――ギル』

 背中の手の感触に、弾かれたように顔をあげる。
 いつのまにか隣に来たイブリースが、ギルバートの体をささえるようにしていた。
 
『顔色が悪い。疲れているなら、横になろう』
 
 おもわず腕を振りはらう。
 
「――寝ている場合じゃない」
 
 ギルバートは目を伏せる。
 ピアスキャッチのチェーンが揺れるのを感じながら、通信術具に魔力を流した。

『――エリオット』
『――はい』
『俺に報告することがあるはずだ』
『……お待ちください』

 誰かに断りを入れる声が聞こえたので、人の相手をしていたらしい。
 扉の開閉音と彼が歩いている気配に、報告に適した無人の場所にむかっているのだろうとあたりをつける。
 いったん通信を切るかと提案しかけた時、自室の扉がノックされた。
 ギルバートは目を見開き、ふりかえる。
――いま、ノックの音が、通信術具からも聞こえなかったか。 
 
『――入ってもよろしいでしょうか』

 声が二重に聞こえた。
 ギルバートは確信する。
 エリオットがここに――ブレイデン公爵家にいる。
 それがすでに答えではないのか。

 ギルバートは奥歯をかみしめ、通信術具の魔力を切断する。
 
「――入れ」
 
 肉声の命令に、扉からあらわれたのは、やはりエリオットであった。
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