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第二章 臣下とは王のために存在する

たのしいおしごと

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「ギルバート団長、おまちしておりました」

 ブラットリーに、転移室に押しこまれた瞬間、ローブを着た魔術士まじゅつしが駆けよってきた。

 彼の名はモリス。
 転移を専門におこなう、転移術士てんいじゅつしだ。
 小柄で童顔、くせのある髪だけが、とってつけたようなピンク色をしている。
 
「使用許可が下りています。さっそくこちらへ」
「まてモリス」
「はい」
「転移先の、座標ざひょうはどこだ」
 
 モリスが、ふしぎそうにまたたく。

「『国境の山の大型魔獣』に設定してあります」
「ずらせ」
「こちらの一存いちぞんでは決めかねます。今日は使用予定がつまっていますので、早急に魔術陣のうえにお乗りください」

 事務的な口調で、ギルバートを転移魔術陣に押しこもうとする。
 たたらを踏んだギルバートが、その手を払いのけた。

「ふざけるな! おまえ先週、座標を『イグニレット指揮官しきかん』に設定しただろ!」

 イグニレット指揮官とは、小競り合いがつづく国境の砦の、最高責任者だ。

 彼からの援軍要請に、ギルバートに出向の王命が下った。
 そのときの術者も、モリスだった。

「それがなにか」
「指揮官の真上に転移したんだぞ! おっさんの頭を踏みつけた、俺の気持ちがわかるか!?」

 犬歯をむきだしにして、ギルバートがどなる。
 それもそのはず、はずみで床に背中を打ちつけたギルバートが見たものは、いつもとちがう、指揮官の寒そうな頭だった。
 そばにあった髪の毛のかたまりは、かつらにちがいなく、彼の重大な秘密を暴いてしまったことに、ギルバートは痛みも忘れて固まった。

 そして運が悪いことに、これは衆目の中で起きた出来事であった。

 だれかがふきだし、それを合図に砦は爆笑で満たされる。
 国境の砦の騎士は、最前線にいるだけあって、豪快な性格のものがおおい。
 そのおおきなわらいごえは一帯にひびきわたり、ちかくで陣を張っていた敵軍が、おそれをなして撤退するほどであった。

 ギルバートは、その身にやどす膨大な魔力で、数々の偉業をなし、いくつもの伝説をもつ。
 しかし、魔術を使わずに敵を撤退させたのは、あとにもさきにも、この「鬘事件かつらじけん」だけだったと、史実に記されることとなるとは、この時のギルバートは、夢にもおもわなかった。

 国境の砦での仕事が消えさったギルバートは、とんぼがえりのごとく、半日もたたないうちに、転移魔術で帰還した。
 
「俺……なにしに行ったんだよ……」

 執務室でひとり、ぽつりとつぶやくギルバートに、こたえる者はいなかった。



 そんな先週のギルバートの哀愁あいしゅうなど知らず、モリスは淡々と口をひらく。

「そうですか。俺の座標指定の精度は、国いちばんと言われていますが、あながち間違いではないということですね」
「自信がついたところで、座標をずらしてもらおうか、天才術士さま」

 ギルバートの要望に、モリスはためいきをつく。

「わかりました。数十メートル、ずらしましょう。ですが、誤差が発生する可能性を、くれぐれもお忘れなく」
「それでいい」

 ギルバートとモリスは、ふたりそろって、おなじ表情を浮かべる。
 『こちらがおとなになって、相手のわがままに譲歩してやった』と、ありありと書かれていた。
 




 国境の山は、ほとんど人の手がはいっていない。
 大小さまざまな石のあいだから、草がのびて、やぶになる。

 転移したギルバートは、石で足をすべらせ、地面に手をついた。

 視界に黒いものが映った気がして、顔をあげる。
 すぐそばに、熊型魔獣グリズリーがいた。

――ミスってんじゃねーよ、クソ術士!!
 
 モリスを胸中で罵倒ばとうしながら、放たれたおおぶりな攻撃を、地面に転がってかわす。
 ごつごつとした地面は、おれた枝や石がおおく、とても背中が痛かった。

「帰ったらぜったいシメる。術式展開じゅつしきてんかい

 かたく決意し、障壁しょうへきを身にまとわせる。

 グリズリーが、うしろあしでたちあがる。
 魔獣化により骨格が発達しており、五メートルはくだらない。

 いらだちをぶつける相手に、不足なし。
 ギルバートは、うすく笑い――とうとつに気づく。

 そもそも、なぜ休暇と単身討伐がひきかえだ。
 ほかの騎士は、あたりまえのように10日以上の連休をとっているのに。
 どうして、俺だけが休めない。

「グリズリーより、クソジジィを斬りたい気分……だ……?」

 じぶんの言葉に、ギルバートはしばしまたたく。

「それだ!」 

 ギルバートが指をならす。
 グリズリーの、ひびわれた咆哮ほうこうを耳に、いきいきと魔術を練りはじめた。

「構築、動作遅緩どうさちかん。――追加構築、物質改変ぶっしつかいへん。指定範囲は、目標物の顔面がんめん

 口に出し、かくじつに構築していく。

 グリズリーが、丸太のような腕をふりかぶる。
 するどい五本の爪は、獲物の首を、一撃でへし折る威力をもつ。
 
 臨戦態勢りんせんたいせいのグリズリーにも、ギルバートはのんきだった。
 
「――どうせなら完成度をあげるか。追加構築ついかこうちく、物質改変。指定範囲、目標物の声帯せいたい」 

 グリズリーの攻撃が、障壁しょうへきにはじかれる。
 みみざわりな音が、こだました。

 無傷なギルバートに、グリズリーは後方に飛びずさる。
 巨体の着地の衝撃は、地面を揺らすほどであった。

 グリズリーが突撃の体勢をとるのを、ギルバートは冷静に見据みすえる。

「完成。展開前に障壁しょうへきを消去」

 ギルバートが手をはらう。
 障壁が消滅すると同時に、グリズリーが地を蹴った。

「術式展開!」

 空中に浮かびあがる魔術陣は三連。
 一直線に魔獣をとらえたかと思うと、火花を散らしながら展開されていく。

 ギルバートは、あらい呼吸をくりかえしながら、目をすがめる。

 複雑な術式は、急激に魔力を消費するために、痛みをともなう。
 体温が上がり、汗がしたたる。
 それでも、順調に魔力が抜けていく感覚に、口角を上げた。

 グリズリーが飛びだしてこないところをみると、動作遅緩の術が効いているようだ。
 痛みから意識をそらしながら、魔獣にすべての術がかかるのを見届ける。

 魔術陣が蒸発するように消えて、グリズリーの巨体が再びあらわれた。

「ふっ、ははははっ!」

 ギルバートはたまらず笑いだす。

 グリズリーの顔面は、しわが目立つ荘厳そうごんな人面になった。
 吠える声までが、ねらいどおりで、笑いが止まらない。

 笑いすぎて浮かんだ涙を指でぬぐい、ギルバートは抜刀ばっとうする。

「覚悟しろ、クソジジィ!」 
 
 国王の顔面と声を持つグリズリーに、喜々としておどりかかった。

 魔術剣の切れ味はすばらしく、かたいグリズリーの肉をなんなく削っていく。
 一太刀ごとに、爽快感が増していく。
 いちいち、悲痛な声をあげるのが、たまらない。

 グリズリーが、うなりながら、たちあがる。
 ちからなく両腕をあげて、ふらつく。

 ギルバートは、それを指さし、爆笑した。

「虫の息ではありませんか! 侍医じいをお呼びしましょうか!?」

 ふりおろされる単純な攻撃を、ギリギリまでひきよせてから、さける。

 グリズリーが体勢をくずして、四つ足で地面に着地する。
 その無防備な首筋くびすじに、魔術剣の刃をあてた。

 スッとすべらせ、頸動脈けいどうみゃくを切断する。
 返り血をさけるために、うしろに跳んだ。
 
 グリズリーが、国王の声で断末魔だんまつまを叫ぶ。
 ギルバートは、恍惚こうこつとそれに聞きほれ、刃にのこる露をはらう。

 国王の顔をした魔獣は、こときれた。
 その死体にむかって、ギルバートは臣下しんかの礼をとる。

「なんと、おいたわしい。すぐに火葬いたします」

 涼やかな碧眼が、流麗なをえがく。
 うっとりとした表情のまま、ギルバートは、焼却の術式を展開した。

 


 

「――報告は、以上です」

 語尾が震えるのを、気合でとどめたのは、黒装束の男だった。
 目の前には、この国を統べる王。

 諜報機関ちょうほうきかん――通称「かげ」の一員として、長年勤めているが、こんなにも気まずかったことはない。

 玉座の王は、あっけにとられた表情で、影を見返す。
 手に余る駒であった稀代の魔人が、文句ひとつ言わずに単身討伐に向かったとの報告に、念のために調査を命じた。
 正確、迅速に任務を達成する影の言葉を、信じない理由はない。
 たとえ、その事実に、信じたくない理由しかなくても。

 国王は、自分の隣で笑いをかみ殺している男に問う。

宰相さいしょう。これは、反逆罪はんぎゃくざいにあたるのでは――」
「ご冗談を。彼は王命通りに、魔獣退治を遂行したようですね。よかったじゃないですか」
「だが、さすがに不敬罪ふけいざいに――」
「かすりもしていませんね。最終的には欠片も残さず焼却されたので、衆目しゅうもくに触れることもありませんし。まさかこれしきのことで、あなたの尊厳そんげんは傷つくのですか?」

 絶句した国王が、うなだれるようにため息をついた。

「……悪魔め」
「悪魔ではなく、魔人です」
「いまのは、おぬしに言ったのだよ、宰相」
「おや、そうでしたか。まったく気付きませんでした」

 心底おどろいた、という顔をしてから、宰相は国王にたずねる。

「ひきつづき見張らせますか? つぎはどのような方法で討伐するのか、いまから待ちどおしいですね」

 国王はためいきをついて、影にむかって手をはらう。

「もうよい。下がれ」
「……御意」

 ふだんはまったく表情を読みとらせない影が、おおきく安堵あんどして姿を消したのが、玉座からも見てとれた。

 人目がなくなったとたんに、堂々と笑いだす宰相を恨めしげに見ながら、国王は本日何度目かのため息をつく。

「さすが国王様は、寛大かんだいであらせられる」
「おぬしな」
「いいではありませんか。団長とはいえ、彼はまだ二十歳を過ぎたばかり。若気の至りというやつです」
「若気の至りで、魔獣を国王の顔に変えてから殺すのか?」
「はい。わたしも彼ほど若ければ、おなじことをしていました」

 にっこりと笑う宰相に、国王は背筋せすじが寒くなる。

「国のため、若造のおどしに屈するのはおやめくださいと、再三にわたって進言いたしましたが、先日も無視されたばかりですから」
「覚えておる覚えておる! あれには理由があって――まて宰相、なんか出ておるぞ暗器あんきが!!」
「国立魔術学院からの、抗議に対する謝罪と、慰謝料の手配に、わたしの貴重な休日が潰れました」
「そうか!? では明日! 明日はなにもないから休んだらどうだ? ん?」

 その言葉を聞いて、宰相は半分ほど出ていた暗器を、懐に押しもどす。

「そこまでおっしゃるなら、明日は有給をとらせていただきます。そうと決まれば、さっさと今日の仕事を片付けてしまいましょう、国王」

 人の良さそうな笑顔に切りかわる宰相を見て、国王は――声に出すとさわりがありまくるために――胸中でこっそりとつぶやく。

――わしをおどすことに関して言えば、おぬしがぶっちぎりトップじゃよ、宰相……。
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