二番目の弱者

目黒サイファ

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二番目の弱者

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 背筋に汗が伝う、ノートが手汗で濡れる、とても暑い夏の日でした。ボクはさして面白くもない小説をななめ読みしながら、無為に過ぎる休憩時間に耐えていました。ボクの周囲には声をかけてくれる友人などいません。道端に落ちている特徴もない石のように、ボクの存在は無いも同然でした。
 それにしても暑く、教室にはエイトフォー特有の匂いが充満していました。体育の授業が終わった後の独特の空間がつくられていました。運動部の陽気な集団はつまらない会話を延々と繰り広げています。
 教室の隅っこでは、ニシハラ君が制服を奪われ困っている様子でした。奪ったであろういじめっ子群(いじめとは必ず集団で行われます。)がニヤニヤしながらニシハラ君を見ていました。
 ボクはそれを日常の一部として認識し、また小説の文字の羅列へと視線を戻しました。ボクには集中力がないので活字とは本来相性が悪いのです。スマホでもいじりたいですがここは教室なので我慢しています。
 休憩時間の終わりを告げるチャイムがなりました。チャイムが鳴ると同時に国語の先生が教室のドアを開きます。先生の名前はまだ覚えていません。覚える気にならないのです。どうせ三年間お世話になれば終わってしまう関係だと、ボクは考えてしまうのです。その考えを改める気にもなりませんでした。
 国語教師(以後、そう呼びます。)はニシハラ君を視界に収めると不機嫌な顔をして、
「ニシハラ、体育の授業はもう終わったぞ。早く着替えなさい」と言いました。
ニシハラ君は気が弱いので言い返すことすら出来ません。
「はい…」と小さな返事をするのみです。
 そして、着替えをしろというのは無理な話でした。なぜならニシハラ君の制服はいじめっ子群が持っているのですから。奪い返すこともできず、ニシハラ君は右往左往するのみでした。
「ニシハラ、どうしたんだ。お前のせいで授業をすることが出来なくなるぞ」と国語教師は高圧的な態度でニシハラ君を責めました。
 ニシハラ君が困っているのは誰が見ても明らかな状況です。教師がいじめを見て見ぬふりをするのは本当なのだなと、軽蔑します。これでは国語教師もいじめの加担者です。
 結局、ニシハラ君は体操服のままで授業を受けることになりました。ニシハラ君は恥ずかしいのか挙動不審になり、それがまた目立つのです。さらに、汗の嫌な臭いが教室に漂います。教室の雰囲気は最悪でした。
 クラスメイトも顔を歪ませながら、「くせえんだよ」「授業時間返せよ」と独り言を呟いています。
 こんなことが何てことないただの日常でした。いじめも時間が過ぎると第三者からは「なんでもないもの」になります。ニシハラ君を好いている人が居ないのもこの状況を助長していました。

***

 夏休みが終わり、数日が経ったある日。ボクは深夜の町を闊歩していました。当然明日(正確には今日ですが)は学校があります。普通なら寝ている時間です。しかし、ボクの家庭環境は世間一般が見て劣悪な環境でしたので、時々耐えられなくなった日は夜の町を徘徊しています。田舎町ですから巡回する警官もいません。夜の町はボクを誘っているかのように自由でした。
 しばらく歩くと町の神社付近に着きました。ちっぽけな神社で、参拝する人は近所のボケ老人くらいしかいない場所でした。その人気の無さにボクは少し惹かれます。
 いつもの調子で辺りを伺いながら石造りの階段を上りました。手すりもなく石も欠けている部分があるため、ボクは慎重にゆっくりと足を運びます。
 神社の本堂に着きました。相変わらず何も無い場所です。そして、ボクにとっては居心地の良い場所でした。
 カンッ。カンッ。
 その音は突如聞こえました。金属がぶつかり合う音です。誰も居ないと思っていたので、驚いて体が跳ねます。明らかに誰かが鳴らしている音です。自然にこんな音は出ません。
 金属音は一定のリズムを保ち鳴り続けます。ボクは怖がりながらも非常に興奮していました。そしてその正体を暴いてやろうという気持になりました。
 日常が糞であるならば、非日常は宝です。ボクは非日常に飢えていました。
 足音をなるべく消しながら、音のする方向へと近づきます。しばらくすると小さな明かりが見えてきました。木々が邪魔をしてはっきりとは見えませんが、その明かりはゆらゆらと揺れています。
 ランタンでも点けているのかと思いましたが、どうやら違いました。
 白装束を纏った何者かが、頭に火の点いた蝋燭を括り付けているのです。そして、その何者かは木の幹に何かを打ち込んでいました。
 ボクはその光景を見た途端、少しの間呆けていましたが、丑の刻参りをしているのだと察しました。
 丑の刻参りは深夜に五寸釘を藁人形に打ち込み呪うという儀式です。確か、丑の刻参りをしている姿を見られると呪詛返しにあうはずです。血の気が引いて後退りをしてしまいます。落ち葉を踏み潰した音が鳴ってしまいます。
 白装束の人間はピタッと動きを止め、こちらを振り返ります。髪が乱れた、白い顔をした男でした。男の顔には見覚えがありました。そうです、ニシハラ君です。
 そこには恐怖に染まりきったニシハラ君の姿がありました。
 「う、うあ、あ」とニシハラ君は呻き声を上げます。ボクは唖然として声が出ませんでした。
 そして、ニシハラ君はボクとは反対方向に駆けだしました。
 とんでもないものを見てしまった。恐怖に支配されていた体は徐々に落ち着いていき、ようやくまともに思考をすることが出来るようになりました。どうしよう、見てはいけないものを見てしまった。
 足りない頭で考えましたが、今の僕にはどうすることも出来ないという結論に至りました。ニシハラ君はもうこの場に居ないのですから。
 見なかったことにして帰路につく他ありませんでした。

***

 その日の朝です。ボクは寝ぼけながらも朝の七時に起き、学校に行く準備をしました。学校には徒歩で通っているので早起きしなくてはならないのです。朝御飯はいつも食べていません。そもそも食べるものが無いのです。一か月ほど前に母親がつくったカレーがキッチンに置いてあるくらいです。なので、朝の空腹を水道水で誤魔化しながら、ボクは玄関のドアを開けました。
 教室に着くと数名のクラスメイトが席に座っていました。授業の予習をしていたり、早めに来た者同士で談笑したりなど過ごし方は人それぞれです。
 ボクは席に着き、睡眠時間を取り返そうと机に突っ伏し、眠りました。直にチャイムがボクを起こしてくれるでしょう。
 教室のスピーカーからチャイムが流れました。教室のドアが開きます。誰かと思うと国語教師でした。国語教師は学年主任を務めているのです。担任ではなく国語教師が来るのは珍しいことでした。
国語教師は教室が静かになるのを見計らって「えー、ニシハラが無断欠席のようだが、誰か事情を知っている者はいないか? ニシハラの家に電話をしても出ないんだ」と至って事務的に言いました。
 教室がざわつきます。ニシハラ君が学校を休むのは珍しいことなのです。そして、事情を知る人は誰一人居ませんでした。
「寝てるんじゃないんンすか」といじめっ子群の生徒から声が上がりました。どうでもいいと言いたげに。
「まあ、知らないならいいんだ。今担任の先生がニシハラの家を訪問している。一時間目は自習になるから、くれぐれも静かにするように」と国語教師は告げ、教室を後にしました。
 すると教室はわっと、自習を喜ぶ声に包まれました。ニシハラ君を心配する人は誰も居ませんでした。
 一時間目が自習になるというイベントが終わると、教室はいつもの雰囲気になりました。運動部が大声で喋り、ボクはつまらない小説を読みます。変わったことと言えば、ニシハラ君がいじめられてないことくらいです。
 ニシハラ君の居ない教室はやけに静かで、やけに快適でした。

***

 後日、ニシハラ君は首吊り自殺をして、この世を断っていたことがわかりました。第一発見者は担任の先生だそうです。このことは地方新聞に小さく載りました。もちろん、テレビに取り上げられることはありませんでた。アナウンサーが目新しくもないことをペラペラと述べているだけです。学生の自殺なんて今時珍しくないのでしょう。
 学校のホームルームではニシハラ君が亡くなったこと、担任の先生がしばらく休暇を取ることが伝えられました。担任は国語教師が請け負うそうです。
 それから、ニシハラ君の話題は徐々に出なくなり、完全に忘れられました。国語教師が「ニシハラが死ななければこんな面倒くさいことをしなくても良かったのになぁ」と笑えない冗談を言うくらいです。
 ニシハラ君はクラスにとって、役目のない歯車でした。なので居なくなってもクラスの歯車はかみ合い、回転します。最初から居なかったかのように、ニシハラ君は影すら残りませんでした。
 変わったことと言えば、ニシハラ君のようにボクがいじめられるようになったことくらいでしょうか。つまり、いじめっ子群はいじめることさえ出来れば誰でも良いようです。
 ボクは二番目に愚鈍で馬鹿でした。ニシハラ君の儀式を見なければこんなことにはならなかったでしょう。
 もしかして、これはニシハラ君の呪いなのでしょうか。
 いえ、違います。いじめられっ子のニシハラ君は間違いなく、愚鈍で馬鹿で無能の人間であるのみでした。それ以上でもそれ以下でもないのです。クラスの歯車は回転します。ニシハラ君は一矢報いることすら出来ず、この世から忘れ去られることでしょう。 
 ボクも時間の問題かもしれません。
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