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5. 特別な存在
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早朝に車を走らせていた俺は「特別な奴になりたかったんだ」と言った。
助手席には優奈がシートベルトをして座っている。これから死ぬ人がシートベルトをしているというのも不思議な話だが、優奈は「不運な死」を回避したいのだろう。車に乗ること自体渋っていた。
「それってヒーロー願望があるってこと?」
「いや違うかな。人とは違う個性を何でもいいから周囲に認めさせたかった」
「やっぱりヒーロー願望じゃん」と優奈は納得いかないという様子だった。
「他人と変わりないというのが恐ろしかった。俺はどこまでも人間という群れの一員で、俺と似たようなやつが学校にはいっぱいいた」
「そう? おにーさんみたいな変人見たことないけど」
「学校で授業を受けるだろ? 最初は真面目に授業を聞くんだ。すると、俺を同じように授業を聞いている奴がいる。だから俺はそいつと同じになりたくなくて授業をサボってみた。どうなったと思う?」
「どうって……成績が下がったとか?」と優奈はズレたことを言った。
「違う。次は同じようにサボってる奴が目につくんだ。悟ったよ。俺という存在はいつでも替えが効くんだって」
思い出す度にいらだつ忌まわしい事実だ。総人口が七十億人といる中で、俺という存在を確立させるにはどうすればいいのだろうか。精々、身分証明書が俺をナンバリングしているだけに過ぎない。
「……だから死にたいの?」と優奈は恐る恐る聞いてきた。
「そんなとこかな」と俺は嘘を吐いた。
「たまたま絵を描くことが得意だったから、中学生の時はコンクールに出して入賞したりした。でも、中学生でそんな奴って腐るほどいるんだ。モチーフが被ったときは悔しかったなぁ。俺の想像力は人間の域を出なかった」と俺は矢継ぎ早に話した。優奈は完全に押し黙ってしまった。暗い話をし過ぎただろうか。人は、自分に関係の無い人にほど無責任に話をしてしまうものらしい。
数秒の沈黙の後、「死んでくれるのは、おにーさんしかいなかったけどね」と優奈は呟いた。
思わず「そうなの?」と聞き返してしまう。自殺界隈というコミュニティに属しながら、共に死ぬ人がいないというのは不思議な話だった。
「何度か会って一緒に死のうとしたんだけど、全部中途半端になっちゃった。直前になるとみんな逃げちゃう」
「俺だってその可能性はまだあるよ」
「おにーさんはそんなことしないよ」と優奈は断言した。何を根拠に言っているのか分からなかった。「私の勘って当たるから」と彼女は続けて言った。
優奈の白い息が視界の隅にちらついた。そうか、今日って寒いんだなと、初めて気づいた。
*
車を走らせて十五分後、目的の吊り橋に着いた。優奈とはここで飛び降り自殺をするということになった。もちろん死ぬつもりはないのだが、話を合わせておいた。時刻は午前五時に差しかかっている。周りはまだ薄暗く、吊り橋を渡る通行人も見えない。死ぬには絶好のロケーションだった。
「最後の晩餐がモツ鍋になっちゃった」
車から降りた優奈は微笑みながら吊り橋を眺めていた。
「最後に食べるものちゃんと考えとくべきだったな」
「本当だよ。いい加減だなぁ」と優奈は言った。叱責にしては優し気な物言いだった。
俺にとっては最後の晩餐ではなかったからな、とつい考えてしまう。予約しやすい普段使いの店を選んでしまっただけだった。そして、食べるものにこだわるという感性を持ち合わせていなかったのも起因した。
我ながら、最後まで無責任で自分勝手であると内省した。俺はいつの間にか、相手を思いやるという気持ちをどこかに置いてきてしまったようだ。
「心の準備はできた?」
「できてるよ。かなり前からね」と彼女は言った。俺には強がっているようには見えなかった。
吊り橋に向かってゆっくりと歩く。突き落とすだけなので道具は何も必要なかった。強いて言うならば、手袋を着けた。やはり、素手で突き落とす際のリスクは避けたかったのだ。真冬ということもあり、優奈には違和感を持たれなかった。
吊り橋に着いた瞬間、横並びに歩いていた優奈が自分を追い越し、目の前に立った。何事だと焦るが、彼女の表情は驚くほどに冷静だった。
「今までありがとね」
「別れの言葉には早くないか?」と俺は言った。
「おにーさん、私を突き落とす気でしょ」
図星だった。いつの間に自分の嘘が暴かれていたのであろうか、と己の無能さを恥じた。
「いつから分かってた?」
「最初から。言ったでしょ。私の勘って当たるの」と彼女は誇らしげに言った。
「そうか、最初から失敗してたんだな」
「私が死ぬところそこで見ててよ」優奈の顔を見つめる。とち狂っているわけではなさそうだった。
「いいのそれで?」と俺は強がりながら抵抗した。当初の人を殺すという目的を達成できないことに焦る。
「看取ってもらうのも悪くないかなって。わたしの自殺、観測してよ」
そういって、彼女は吊り橋の欄干の上に乗った。
「おにーさん、またね!」と言って優奈は腕を肩まで上げて、落下する姿勢を取った。優奈が飛び降りれば、彼女が自殺したという事実は確定してしまう。優奈の体が徐々に傾いていく。
――完全に出し抜かれた。そう思考を巡らせて、俺は優奈目掛けて走った。間に合うだろうか。いや、間に合わせなければいけない。俺は特別に脳を焼かれてしまった人間なのだから。
落ちていく優奈に追随するように、俺は吊り橋から飛び降りた。
助手席には優奈がシートベルトをして座っている。これから死ぬ人がシートベルトをしているというのも不思議な話だが、優奈は「不運な死」を回避したいのだろう。車に乗ること自体渋っていた。
「それってヒーロー願望があるってこと?」
「いや違うかな。人とは違う個性を何でもいいから周囲に認めさせたかった」
「やっぱりヒーロー願望じゃん」と優奈は納得いかないという様子だった。
「他人と変わりないというのが恐ろしかった。俺はどこまでも人間という群れの一員で、俺と似たようなやつが学校にはいっぱいいた」
「そう? おにーさんみたいな変人見たことないけど」
「学校で授業を受けるだろ? 最初は真面目に授業を聞くんだ。すると、俺を同じように授業を聞いている奴がいる。だから俺はそいつと同じになりたくなくて授業をサボってみた。どうなったと思う?」
「どうって……成績が下がったとか?」と優奈はズレたことを言った。
「違う。次は同じようにサボってる奴が目につくんだ。悟ったよ。俺という存在はいつでも替えが効くんだって」
思い出す度にいらだつ忌まわしい事実だ。総人口が七十億人といる中で、俺という存在を確立させるにはどうすればいいのだろうか。精々、身分証明書が俺をナンバリングしているだけに過ぎない。
「……だから死にたいの?」と優奈は恐る恐る聞いてきた。
「そんなとこかな」と俺は嘘を吐いた。
「たまたま絵を描くことが得意だったから、中学生の時はコンクールに出して入賞したりした。でも、中学生でそんな奴って腐るほどいるんだ。モチーフが被ったときは悔しかったなぁ。俺の想像力は人間の域を出なかった」と俺は矢継ぎ早に話した。優奈は完全に押し黙ってしまった。暗い話をし過ぎただろうか。人は、自分に関係の無い人にほど無責任に話をしてしまうものらしい。
数秒の沈黙の後、「死んでくれるのは、おにーさんしかいなかったけどね」と優奈は呟いた。
思わず「そうなの?」と聞き返してしまう。自殺界隈というコミュニティに属しながら、共に死ぬ人がいないというのは不思議な話だった。
「何度か会って一緒に死のうとしたんだけど、全部中途半端になっちゃった。直前になるとみんな逃げちゃう」
「俺だってその可能性はまだあるよ」
「おにーさんはそんなことしないよ」と優奈は断言した。何を根拠に言っているのか分からなかった。「私の勘って当たるから」と彼女は続けて言った。
優奈の白い息が視界の隅にちらついた。そうか、今日って寒いんだなと、初めて気づいた。
*
車を走らせて十五分後、目的の吊り橋に着いた。優奈とはここで飛び降り自殺をするということになった。もちろん死ぬつもりはないのだが、話を合わせておいた。時刻は午前五時に差しかかっている。周りはまだ薄暗く、吊り橋を渡る通行人も見えない。死ぬには絶好のロケーションだった。
「最後の晩餐がモツ鍋になっちゃった」
車から降りた優奈は微笑みながら吊り橋を眺めていた。
「最後に食べるものちゃんと考えとくべきだったな」
「本当だよ。いい加減だなぁ」と優奈は言った。叱責にしては優し気な物言いだった。
俺にとっては最後の晩餐ではなかったからな、とつい考えてしまう。予約しやすい普段使いの店を選んでしまっただけだった。そして、食べるものにこだわるという感性を持ち合わせていなかったのも起因した。
我ながら、最後まで無責任で自分勝手であると内省した。俺はいつの間にか、相手を思いやるという気持ちをどこかに置いてきてしまったようだ。
「心の準備はできた?」
「できてるよ。かなり前からね」と彼女は言った。俺には強がっているようには見えなかった。
吊り橋に向かってゆっくりと歩く。突き落とすだけなので道具は何も必要なかった。強いて言うならば、手袋を着けた。やはり、素手で突き落とす際のリスクは避けたかったのだ。真冬ということもあり、優奈には違和感を持たれなかった。
吊り橋に着いた瞬間、横並びに歩いていた優奈が自分を追い越し、目の前に立った。何事だと焦るが、彼女の表情は驚くほどに冷静だった。
「今までありがとね」
「別れの言葉には早くないか?」と俺は言った。
「おにーさん、私を突き落とす気でしょ」
図星だった。いつの間に自分の嘘が暴かれていたのであろうか、と己の無能さを恥じた。
「いつから分かってた?」
「最初から。言ったでしょ。私の勘って当たるの」と彼女は誇らしげに言った。
「そうか、最初から失敗してたんだな」
「私が死ぬところそこで見ててよ」優奈の顔を見つめる。とち狂っているわけではなさそうだった。
「いいのそれで?」と俺は強がりながら抵抗した。当初の人を殺すという目的を達成できないことに焦る。
「看取ってもらうのも悪くないかなって。わたしの自殺、観測してよ」
そういって、彼女は吊り橋の欄干の上に乗った。
「おにーさん、またね!」と言って優奈は腕を肩まで上げて、落下する姿勢を取った。優奈が飛び降りれば、彼女が自殺したという事実は確定してしまう。優奈の体が徐々に傾いていく。
――完全に出し抜かれた。そう思考を巡らせて、俺は優奈目掛けて走った。間に合うだろうか。いや、間に合わせなければいけない。俺は特別に脳を焼かれてしまった人間なのだから。
落ちていく優奈に追随するように、俺は吊り橋から飛び降りた。
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