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3. 死の意味
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時刻は二十二時を過ぎていた。
この店は二十三時に閉まるので、俺と優奈はモツ鍋を黙々と食べ続けた。華奢な見た目をしている優奈がモツ鍋を食べ進めているのが意外だった。その体のどこに入っているんだろう。しかし、美味しいから食べているというよりかは義務感で食べているようだった。
「食べるのは面倒くさいんじゃなかった?」
「お店に迷惑がかかるでしょ」
あれだけ俺の顔を睨んでいた優奈の視線は、もう鍋にしか向いていない。これから死ぬのだというのに、店を気遣うのか、と驚く。優奈の性格がいまだに掴めないでいた。
個室のドアをノックする音がした。「どうぞ」と応答する。
「失礼します。ラストオーダーになりますが、追加の注文はございませんか?」と店員が個室に入って来て言った。
「無いです」
「ありがとうございます。失礼します」と言って店員は去った。
店員の顔は明らかに疲れているようだった。二十三時までご苦労様です、と心の中で労う。アルバイトをしている俺にとって、店員は同情に値する。ここの店はそこそこの人気店で人の入りも激しい。個室の外から話し声が聞こえてくるので、自分たちの他にも客がいるようだった。
「箸、止まってるよ」
考えごとをしている俺を見て、優奈は指摘した。閉店間際に箸を止める奴は裏切り者だとでもいいたげに、優奈の口調は厳しかった。
「ごめん。行儀悪いよな」
「ぼーっとするのはいいけど、食べるのは手伝って。ずるいでしょ」
「別に残せばよくない? 罰金を払うわけでもないのに」
それこそ死ぬわけでもないのに――と俺は思った。
「私のポリシーに反するの。私と一緒に死ぬ以上、守ってもらうから」
優奈の言い方はまるで母親が叱るかのようだった。食事マナーで怒られることは久しぶりだ。三つ年下の相手に叱られているというのは情けなかった。
私と一緒に死ぬ以上か……。なんとも文学的な響きだ。ここがモツ鍋店でなければ俺はしばらく感傷に浸っていただろう。しかし、俺は毛頭死ぬ気がないし、一方的に殺害する気満々といった気持ちである。対面に座る彼女が可哀想に思えた。
まるで、「あらしのよるに」に出てくるヤギのようだった。彼女の対面にはオオカミがいる。優奈の盲目的な信頼は現実の見方を変化させているに違いなかった。
「死ぬことって、価値のあることだと思う?」と優奈は言った。
「あるんじゃないかな。死ぬことで、周囲の人間は悲しむだろうし、いじめてきた人間を不快な思いにさせることもできる」
本当はそんなことを思ったことがない。肉親はさすがに悲しんでくれるだろうが、他の人間が自分の死を悲しむ姿が想像できなかった。死んだ先には何もないというのが持論だ。生命維持活動が終了すれば、そこにあるのは大きなタンパク質のかたまりでしかない。
「私は意味が無いと思う」
「なんで?」
「私が一人死んだところで何も変わらないから。人間一人いたところで社会に起こせる変化って微々たるものじゃない? 権力者だって、部下や労働者がいなければ何もできないよ」と優奈は至って淡々と言った。
「じゃあ、なんで死ぬの? 死ぬことに意味がないなら生きることを辞める理由がない」
「自分で区切りをつけたいから。私の人生に」
意味が分からなかった。死ぬことに意味を見出すのが自殺志願者なのではないだろうか。「あの世」の存在を根拠もなく信じぬける奴らばかりだと思っていたので、優奈の意見に反射的に肯定するか迷った。俺はまだ試されているのかもしれなかった。
「自分の人生を完全にコントロールできたことってある?」
「そりゃあるよ。大学生をやっているのも俺の意志だし、アルバイト先を決めたのだって俺だ」
「大学生になりたいと本気で思った? 社会に沿って生きることって自分で選んだの?」
「それは……」言葉に詰まる。こういった哲学的な問いは苦手だ。確かに、人生に選択肢は無限大にあると言っていいが、結局、取捨選択できるのはほんの僅かだ。一年間遊んで暮らしたいと親に頼み込んでもゲンコツが飛んでくるだけだろう。そうやって否定されることは選ばなかった。いや選ぶことを許されなかったのだ。
「死ぬことすら選べないって残酷だよ」
俺は彼女の表情を読み取ることができなかった。
結局、優奈と仲良くなれたのか分からないまま、会計して店を出た。代金はもちろん俺が出した。十七歳の少女と割り勘をするのは、さすがに羞恥に耐えられなかった。
店を出ると、外は街灯が優しく道を照らしていた。時刻は二十二時半になった。
「これからどうするの?」と優奈は腕を振り子のように揺らしながら言った。
「一緒に帰って寝るだけ」優奈が断らないのはなんとなく予想できた。
この店は二十三時に閉まるので、俺と優奈はモツ鍋を黙々と食べ続けた。華奢な見た目をしている優奈がモツ鍋を食べ進めているのが意外だった。その体のどこに入っているんだろう。しかし、美味しいから食べているというよりかは義務感で食べているようだった。
「食べるのは面倒くさいんじゃなかった?」
「お店に迷惑がかかるでしょ」
あれだけ俺の顔を睨んでいた優奈の視線は、もう鍋にしか向いていない。これから死ぬのだというのに、店を気遣うのか、と驚く。優奈の性格がいまだに掴めないでいた。
個室のドアをノックする音がした。「どうぞ」と応答する。
「失礼します。ラストオーダーになりますが、追加の注文はございませんか?」と店員が個室に入って来て言った。
「無いです」
「ありがとうございます。失礼します」と言って店員は去った。
店員の顔は明らかに疲れているようだった。二十三時までご苦労様です、と心の中で労う。アルバイトをしている俺にとって、店員は同情に値する。ここの店はそこそこの人気店で人の入りも激しい。個室の外から話し声が聞こえてくるので、自分たちの他にも客がいるようだった。
「箸、止まってるよ」
考えごとをしている俺を見て、優奈は指摘した。閉店間際に箸を止める奴は裏切り者だとでもいいたげに、優奈の口調は厳しかった。
「ごめん。行儀悪いよな」
「ぼーっとするのはいいけど、食べるのは手伝って。ずるいでしょ」
「別に残せばよくない? 罰金を払うわけでもないのに」
それこそ死ぬわけでもないのに――と俺は思った。
「私のポリシーに反するの。私と一緒に死ぬ以上、守ってもらうから」
優奈の言い方はまるで母親が叱るかのようだった。食事マナーで怒られることは久しぶりだ。三つ年下の相手に叱られているというのは情けなかった。
私と一緒に死ぬ以上か……。なんとも文学的な響きだ。ここがモツ鍋店でなければ俺はしばらく感傷に浸っていただろう。しかし、俺は毛頭死ぬ気がないし、一方的に殺害する気満々といった気持ちである。対面に座る彼女が可哀想に思えた。
まるで、「あらしのよるに」に出てくるヤギのようだった。彼女の対面にはオオカミがいる。優奈の盲目的な信頼は現実の見方を変化させているに違いなかった。
「死ぬことって、価値のあることだと思う?」と優奈は言った。
「あるんじゃないかな。死ぬことで、周囲の人間は悲しむだろうし、いじめてきた人間を不快な思いにさせることもできる」
本当はそんなことを思ったことがない。肉親はさすがに悲しんでくれるだろうが、他の人間が自分の死を悲しむ姿が想像できなかった。死んだ先には何もないというのが持論だ。生命維持活動が終了すれば、そこにあるのは大きなタンパク質のかたまりでしかない。
「私は意味が無いと思う」
「なんで?」
「私が一人死んだところで何も変わらないから。人間一人いたところで社会に起こせる変化って微々たるものじゃない? 権力者だって、部下や労働者がいなければ何もできないよ」と優奈は至って淡々と言った。
「じゃあ、なんで死ぬの? 死ぬことに意味がないなら生きることを辞める理由がない」
「自分で区切りをつけたいから。私の人生に」
意味が分からなかった。死ぬことに意味を見出すのが自殺志願者なのではないだろうか。「あの世」の存在を根拠もなく信じぬける奴らばかりだと思っていたので、優奈の意見に反射的に肯定するか迷った。俺はまだ試されているのかもしれなかった。
「自分の人生を完全にコントロールできたことってある?」
「そりゃあるよ。大学生をやっているのも俺の意志だし、アルバイト先を決めたのだって俺だ」
「大学生になりたいと本気で思った? 社会に沿って生きることって自分で選んだの?」
「それは……」言葉に詰まる。こういった哲学的な問いは苦手だ。確かに、人生に選択肢は無限大にあると言っていいが、結局、取捨選択できるのはほんの僅かだ。一年間遊んで暮らしたいと親に頼み込んでもゲンコツが飛んでくるだけだろう。そうやって否定されることは選ばなかった。いや選ぶことを許されなかったのだ。
「死ぬことすら選べないって残酷だよ」
俺は彼女の表情を読み取ることができなかった。
結局、優奈と仲良くなれたのか分からないまま、会計して店を出た。代金はもちろん俺が出した。十七歳の少女と割り勘をするのは、さすがに羞恥に耐えられなかった。
店を出ると、外は街灯が優しく道を照らしていた。時刻は二十二時半になった。
「これからどうするの?」と優奈は腕を振り子のように揺らしながら言った。
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