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4部

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※視点変わったままです

◇◇◇◇***◇◇◇◇***◇◇◇◇***◇◇◇◇


その後オリオン・レイスは救護室へ向かい、傷の手当てを受けた。
伯爵令息である身分と王太后の指示の為やたら丁寧に手当てされ、念のためと巻かれた包帯がまるで大怪我のように見えて恥ずかしささえ感じる。兄ハロルドが着替えを持って迎えに来てくれるまで、と個室のベットにまで寝かされて、ため息が出た。
見慣れぬ天井を仰ぎ見ながら先刻起きた事を思い出される。
セレナーデを傷つけてまで手に入れようとした女の末路が苦く、あのままあの女を選んでいたら自分はどうなっていたのかと考えるとゾッとした。
そういえば、と体を起こしサイドテーブルに置かれた上着から黒革のヘチマ観察日記を取り出し、表紙をめくった。

『貴方の瞳にはこの世界がどんな風に見えているのでしょう』

聞き覚えのある言葉。

それはセレナーデと始めた会った日に言われた台詞だった。

初めて会ったのは何処かの屋敷の茶会だった。
母親に連れられ令嬢や子息が集まって、今ならわかるがあれは子供同士の相性を見て将来の婚約者候補を探すものだったのだったのだろう。しかし、子供にそんなことはわからず、セレナーデは好奇心のまま兄のアニデスと共に小川を覗き込んでいた。姦しい令嬢に囲まれても話が合わないオリオンは何度か顔を合わせたことのあるアニデスに挨拶すべく輪を抜け、小川へと近づいた。

「何を見ている?」

挨拶よりもそちらが気になった。

「ああ、レイス家のオリオン殿か」
「アニデス殿、お久しぶりです」

兄達が挨拶していてもお構いなしに水面を見続けるセレナーデに代わり、アニデスが説明してくれた。

「妹のセレナーデだ。小魚の群れの中に青い目をした白い魚を見たと言うのでな」
「青い目をした白い魚?それは絵本に出てくる水の精霊じゃないか」
「黒い魚の群れの下に一匹だけいるのです」

水面を見つめたまま可愛らしい声でセレナーデが答えた。

「あの魚の群れか?」
「………信じてくださるのですか?」
「嘘なのか?」

ブンブンと首を横に振った少女が、ピタリと動きを止めて大きな榛色の瞳で真っ直ぐにオリオンを見つめて、ポカンと口を開けた。

「あなたの瞳にはこの世界がどんな風に見えているのでしょう?」
「え?」
「宝石のように美しい瞳ですね、初めて見ました」

確かに紫の瞳はこの国でも珍しい方だが、宝石のように美しいなどと言われたのは初めてでオリオンは耳まで赤くなった。
アニデスはそれをニヤニヤと見ながら

「セレナ、そういうのは男が女を口説くときに言う台詞だ」
「!」

今度はセレナーデが赤くなり「もうしわけありません」と小さく謝った。

「前も教えたが、例え瞳が赤くても青くても同じように空は青く見える」
「ですが兄さま、その青は私の見ている青と同じでしょうか?」
「う~ん…そこまではわからないけど、お前が色ガラスを透かして見ているような世界にはならないよ」

そうですか。と返すセレナーデは少しがっかりしているようだった。

「悪いな、オリオン殿。うちの妹は好奇心が旺盛で少しばかり他のご令嬢と違っているのだ」
「いや、構わない」
「ほら、兄さまあそこに白い魚が!」

笑いながら謝るアニデスに、気にしないと応えているとセレナーデが小川を指差し、小魚が水面を跳ねた。

「騙されてはいけませんよ、オリオン様!」
「またそんな嘘を言って、殿方の気を引いているの?」
「頭のおかしい子」
「魚なんていないじゃない」

三人の背後に四人の令嬢が近づいていた。真ん中にいる伯爵令嬢はこの屋敷の娘だ。フリルがふんだんにあしらわれたドレスは動きにくそうで、侍女が日傘をさしながら付き従っている。オリオンもアニデスも面識があったが、名前を思い出せない。常に自分のドレスや髪型がいかに流行のものかを自慢する令嬢。という認識だった。

「アニデス様には申し訳ないけれど、何故この子を連れてきたのです?」
「まったくよ」
「前にもドレスは虫が吐いた糸からできてるとか白い虹を見たとか、おかいなことばかり言う子ですのよ」

そこでセレナーデが立ち上がり、令嬢の髪飾りをじっと見る。

「本当ですよ、ドレスの絹は虫が吐いた糸ですし、あなたの髪飾りについてる七色の飾りは虫の羽でできています」
「馬鹿なことを言わないで!この髪飾りは今日のためにお母様にお借りした物なのよ」

立ち上がったアニデスも髪飾りを覗き込み「間違いない、それらは虫からできている」と言った物だから令嬢達はキャーキャーと騒ぎ出し、しまいには髪飾りを自ら外して小川に放り投げた。

「あ」

オリオンは呆気にとられていたが、セレナーデは躊躇いなくザブザブと小川に入って髪飾りを追いかけて拾った。小川といえど子供の膝まで水嵩があり、流れも速い。オリオンは慌ててセレナーデを追って小川に入り、その手を取った。

「危ないだろう」
「大丈夫ですよ。泳ぎは得意なので」

追ってきたオリオンに驚いて、セレナーデが小首を傾げる。

「…濡れますよ?」
「もう濡れた」

二人で濡れた足元に目をやったその時、二人の足の間をス一…っと白い魚が通った。

「!」
「ね、いたでしょ?」

どこか得意げに笑ったセレナーデはとても愛らしく、オリオンはセレナーデに触れた手を意識して汗が滲むのを感じていた。

「君の世界は俺が見ているものより楽しそうだな」

セレナーデの手を引いて岸に上がると「妹は泳げるから、流されても大丈夫だぞ?」と気楽に言うアニデスに迎えられ、オリオンは呆れた。セレナーデはスカートの水を絞り、令嬢に髪飾りを返そうと側に駆け寄った。

「お母様にお借りした大切な物なのでしょ?」
「もういらないわ!」

差し出した髪飾りは叩き落とされて地面に転がった。令嬢は礼も言わずに取り巻きを連れて屋敷へと足早に去ってしまい、侍女がそれを拾って何度も頭を下げて追いかけて行った。



「あの後、叱られていたな…」

真っ白なドレスで小川に入ったことを母親に叱られるセレナーデの姿まで思い出し、笑いがこみ上げた。
病室のベットに横になってヘチマ観察日記のページをめくる。

『ヘチマを栽培する許可を貰い、園芸薬学部に入部いたしました。実は学園内のあちこちに薬草や果樹が植えられているそうです。騎士科の方にも何か生えているでしょうか。見に行きましょう。これは部活動です』

『騎士科の実技準備室は西日が差し込んで夏は暑くて大変だと聞きました。私のヘチマが緑のカーテンになってお役に立てると良いです。頑張って育てましょう』

『管理棟と中庭の間から騎士科の練習が見えて、毎日部活動に励んでいたらそこだけ雑草を駆逐してしまいました。抜きすぎました』

『収穫したレモンでシャーベットを作りました。エルザ先生が隣国から取り寄せた貴重な冷蔵器を貸してくださったのです。これはあくまでも部活の一環です。騎士科の鍛錬の後はお腹がすくと聞きました。暑いですしさっぱりした冷たいものが良いでしょう。甘いものはお好きでしょうか。鍛錬場にはひどく甘い匂いが充満していました。キャンベラ様がオリオン様にマフィンを差し入れたようです。立ち尽くしている間にシャーベットは溶けてしまいました。仕方ありません、これは自分のお腹にしまいましょう』

『明日は騎士科で剣技大会があるそうです。剣技大会で優勝した生徒は婚約者や想い人にその勝利を捧げると聞きました。オリオン様は優勝候補の一人、とても強いのだそうです!オリオン様は今年で卒業してしまいますからこれが最初で最後の機会でしょう。少しだけ期待してしまいます。いけませんね、何より怪我がなく悔いなく全力を尽くされることを願わねば』

ーーいますぐ学園時代の俺を斬り殺しに行きたい

ヘチマの成長の合間にそっと自分へ想いを寄せるセレナーデの姿があった。
下らない自分の言いつけを守って、目立たぬように静かに。
いったい自分は何度彼女を傷つけたのか。その姿を思うと切なく、目の奥がツンと痛む。

「ん?」

『剣技大会に日から体調を崩して一週間もお休みしてしまいました。ヘチマにお水をあげなければと廊下を急ぐと、奴がいました』
「…奴?」
『廊下の真ん中であたかも死んでいるようにひっくり返っていますが、私は知っています。奴は生きている。迂回して生徒会室前を通ったのですが、王太子殿下とキャンベラ様が縺れ込むように薄暗い生徒会室に入って行かれました。淑女が殿方と密室で二人きりは危険です。オリオン様が知ったら悲しまれます。背に腹は代えられません!廊下を戻りハンカチで奴を捕まえて生徒会室に放り込みました。数分後、悲鳴と共に着衣を乱したお二人が廊下へ飛び出し、通りがかった複数名の生徒が驚いておりました。奴はキャンベラ様の頭にくっついていましたが、飛んで窓から外へ逃げて行きました。奴は最期に良い仕事をしました。ミーンミーン』

「これがアルファード殿下が言っていた、あの時のアレか…」

黒革のヘチマ観察日記を閉じ、それを見つめながら、もう何度目になるか…あの日のことを思い出していた。



ーー彼女が王太子殿下を選んだ。自分は役目を終えた。

卒業の夜会で彼女の側を一歩ずつ離れるごとに思考がクリアになっていく気がしていた。
どこか酩酊していたような意識、足元から蜘蛛の巣が絡んでいたような感覚。それらから解放され、それまで自分が些末なことだと切り捨ててきていたものが気になりだす。
そこが学園のホールで、夜会の最中であることも自分の行動も記憶もある。

ーーそうだ、卒業の夜会なら俺は…セレナは?

オリオンは会場を見回し、すぐにセレナーデの姿に気づき、そちらに足を向けた。

ーーこんな会場で一人にしてしまった。制服がよく似合ってる。可愛いな。
ーー少し背が伸びたか?入学してから1年経ってるはずだ…すぐに制服姿を見せに来てくれればよかったのに。セレナは今まで何処に?
  …いや、俺は何度かセレナを見かけていたはず。…何かがおかしい?

人混みを縫って徐々にセレナーデに近づきながら、オリオンの内心は混乱し焦燥感にかられていた。

ーーなぜ、セレナだけが制服なんだ?
ーーなぜ、俺はセレナにドレスを贈らなかった?
ーーなぜ、俺はセレナの側にいなかった?

セレナーデが視線を巡らせ、オリオンを見つけ視線が合う。
堪らず足を速めるオリオンの目の前で、こちらに気づいたはずのセレナーデがふいっと視線を逸らした。まるで他人のように。
オリオンにとってそれは初めての経験だった。セレナーデはいつだってこちらを見つけると瞳をキラキラさせていから。

「セレナ」

名を呼んでもこちらを見ないセレナーデに「オリオン様」と呼ばれ、僅かに安堵し手を伸ばす。

「オリオン様。手前のケツは手前で拭ってくださいまし」

一瞬、何を言われたのか判らず固まった。
そして「騎士様はモテるらしいので心配はいりません。きっとオリオン様なら入れ食いでしょう」と、見たことのない拒絶の微笑みを浮かべたセレナーデが目の前から去って行く。
侮蔑の言葉、榛色の瞳は冷たく、そこにはいつも向けられていた好意も興味も関心もない。


その日、初めてセレナーデの怒る姿を見た。


セレナーデがぼうっした娘だから侮っていたのか、その寛容さに甘えるつもりだったのか。なぜ自分は許されると思ったのか。
今でも思い出す度に自己嫌悪から吐き気がする。
それでも…

ーーセレナに会いたい。抱きしめたい





コンコン…

「はい」



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