秘密のサクラと秘密の朔

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#8 紗久の中の朔

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僕は元々、宵っ張りだから。


紗久の部屋を開けると、深夜の湿り気の風がスッと入ってくる。


これ………僕は、すごく気持ちいい。


サクラとして夜のバイトをしていた時は、この空とか、風とか………大好きだったな。
サクラの思い出と朔の思い出は、違うラインを走っているみたいなのに悩みは共通で。
その悩みをサクラの時も、朔の時も、秘密にして生きていた。
それを両方から見ていたのが司で、はじめはすごく司の存在が怖かった。
怖かったけど、僕の秘密を共有してくれる人ができたことに、僕は心底、安心したんだ。

結果として。
それに気付いたのは、僕が無意識に死んでからだったから。


…………だから、僕はいつだって後悔している。


今だってそう。


司に1秒でも早く会いたくて、なりふり構わず紗久の体を手に入れて。
僕だけの感情に突っ走ってると、その分紗久との歪みが生じて、色んな人を巻き込んでしまう。

結局、何をしても………僕は、後悔から抜け出せないんだ。


………何、やってんのかな、僕は。


後悔ばかりして、死んでもいいって思ってたのに急に生に執着したり。
一人で秘密を抱えて生きてきたのに、司という存在にすべてを持っていかれて。


でも、今は………今は、ちゃんと、腹を括ったから。


………大丈夫。


ちゃんと、〝朔〟として〝紗久〟の決着をつけなきゃ。


………大丈夫、大丈夫だよ。


僕は部屋を出ると、極力音を小さくして紗季の部屋のドアをノックした。


「お兄ちゃん………。紗季、ちょっと話がしたいんだけど………。いいかな?」









ーーー

「いやぁ、やめて!!お兄ちゃん!!」

泣いても、謝っても。
お兄ちゃんが、僕を縛る手は容赦なくて。

僕はお兄ちゃんの制服のネクタイで、後ろ手に縛られてベッドに押さえつけられた。

今日は、お父さんは夜勤で。
お母さんは、地元の高校の同窓会でいなくて。

家には、お兄ちゃんと僕の二人きり。
嫌がらせにしては、お兄ちゃんの顔が切羽詰まってて。
イタズラにしては、僕を押さえつけるその手が震えていて。


………本気だ。


と、わかるまで………そう時間もかからなかったんだ。
縛られてもなお、僕は抵抗した。


………だって、こんなの………僕が大好きなお兄ちゃんじゃないんだもん。
大好きだけど………こんな怖いことを、したいわけじゃないんだもん。


「やめてっ!!やだぁっ!!」
「なんで………そんなに嫌がるんだよ。………俺の気持ちはわかってんだろ……、紗久」


分かんない………分かんない、よ。


だって、紗季は………僕の〝お兄ちゃん〟じゃない………か。
抵抗しているうちに僕は疲れて、力も入らなくなって、紗季に着ている服を全て、下着まで全部剥ぎ取られた。
うつ伏せに押さえつけられて、紗季が僕の小さな胸を指でいじって、背中に歯をたてる。
ドロドロした何かをかけたもう一方の紗季の指は、僕のお尻に徐々に太くなりながら入ってくる。


僕は………何を、させられてるんだろうか。


………こんなの、知らない。


………知らない、よ。


「いっ…あぁっ………やめっ………やめっ」
「ずっと、したかった。紗久と、こういうこと。………紗久、きれいだ。白い肌も、天使のようなに純粋なココも。全部、俺のもの。誰にも………渡さない」


………ゾッ、とした。


と、同時に僕のお尻の中に入っていたお兄ちゃんの指が抜かれて、熱くてかたい何かがゆっくり隙間なく入ってくる。


く、くるし………いたぁ、い。


お尻も、それ以外も、心も全部………苦しい、痛い。


「あ“ーっ!!」


つぶれた叫び声が、僕らしかいない家にこだました。

誰も、来ない。
誰も、お兄ちゃんを止めてくれない。

そして、僕は………お兄ちゃんに裏切られた気がして………涙が、止まらない。
お兄ちゃんは、いつから僕とこんな風なことをしたいと思っていたのかな………?
僕のことを、弟だって思わなくなったのは、いつからなのかな………?


僕はまだ、子どもで。


保健の授業でサックリとしたことしか、学んでないのに。
色んなことをすっ飛ばして、僕は汚れた大人になった気がしたんだ。
大人になりかけたお兄ちゃんの体と、まだまだ子どもの僕の体が、大人みたいにぶつかり合って、その一線を超えていく。


………お兄ちゃん、どうして?

どうして………なの?


ーーー











「………紗久じゃないんだろ?おまえ」
「やっぱり、気付いてた?紗季」

電気もつけずに暗い部屋に一人座っていた紗季は、何もかも悟ったような目で僕を見た。
部屋は暗いけど、紗季の細かい表情までみてとれたのは、月が異様なまでに明るいから。
その明かりをたよりに僕は、ベッドに座る紗季の前に立った。

「迎えにきたんだよ、紗季」
「どこから?」
「………あの世から。間違って紗久が逝ってしまったあの世から、迎えにきたんだ」
「………どうして?」
「分かってるでしょう?………あの時、死ななきゃならなかったのは、紗久じゃない。紗季、君なんだよ」
「…………」

紗季は、月明かりを涙で揺れる瞳に宿して僕を見る。


あの、運命の日。


マンションの踊り場の転落防止柵に手をかけたのは、紗季。
それを紗久は必死に止めていた。
紗久は紗季にされていた一連のことを、担任の長谷川先生に告白した、そのことを聞かされたショックで、そういう状況になっていたんだ。
精一杯の力で柵から紗季を剥がした紗久は、そのまま足をかける。
ちょうど、平均台のような体勢になった紗久は、にっこり笑って紗季に言ったんだ。
「さよなら、紗季」って。

ふわっと、紗久の小さな体が宙に投げ出されて。

スローモーションのように、落下していく。

そう………あの日、死ぬべきは………その日が命数だったのは、紗季だったんだ。


「………紗久に、謝りたい」
「直接は、無理だけど………ちゃんと、聞いてるよ。僕を通して、ちゃんとね」
「ねぇ………あなたは、許されざる恋をしたことがある?
俺は、紗久を愛してはいけなかったの?
この気持ちに嘘をついて、ずっとずっと、過ごしていた方が良かったの?………ねぇ、教えて?」


紗季が、視線を僕から逸らさずに言った。


………それ、僕に聞く………かな?


僕は、その答えを間違ったらいけないんだけど………。


どうしても、嘘をつくことができなかったんだ。


「僕は〝愛〟とか、そういうのが、分からなかったんだ。
僕もそう。
紗久みたいに、一方的に義父からも兄からも、体の深いところまで弄ばれて、ボロボロになって。
でも、義父も兄も僕を〝愛してる〟って言う。
………正直、ツラかったよ。
肌を重ねることが愛なのか、って。
身も心も支配することが恋なのか、ってね。
でもね、僕は一人の人に出会って、それがどういうものか分かったんだ。
独占したい、その肌に触れていたい、ずっとずっと一緒にいたい。
でもね、それは一人じゃダメなんだ。お互いの気持ちがそうじゃなきゃ、成立しないってこともね」


紗季の瞳から涙がオーバーフローして、ポロポロと溢れ落ちる。


でもその顔は、すごく吹っ切れた顔をしていて。


穏やかな笑みで、僕を見ていた。


………だから、僕は確実ではないけど、確信したんだ。


紗季は、義父や勒みたいにならずにすんだかもって。
ちゃんと、分かってくれたかもって。


「………俺、生まれ変われるかな」
「うん、大丈夫。生まれ変われるよ、紗季」
「生まれ変わったら………ちゃんと、紗久に真っ向から〝愛してる〟って言えるようになりたい。2度と同じ過ちは繰り返さないように、するんだ」

泣きながら、でも、前向きに笑顔で言う紗季の頭に、僕は軽く手を添える。

「紗季ならできるよ、大丈夫」

その時、僕と紗季の間にサッと影が入った。

ベランダに音もなく現れた、精悍な顔をした耳の欠けた男………ケルベロスだ。

「迎えにきた、春山紗季。行こうか」

紗季は涙で濡れる頬を拭おうともせずに静かにうなずくと、差し出されたケルベロスの手を取って立ち上がる。


………僕も、もうすぐ………こうなるんだよなぁ。


でも………今僕は、後悔していない。


自分に秘密もない、嘘もない。


今が一番、キレイな気がする。


「後で紗久の魂を連れて、おまえを迎えに行く。それまでおまえの思うようにしろ、朔」
「うん、ありがとう!ケルベロス!!」

僕はそう言うと、2人に踵を返して家の玄関を飛び出したんだ。





懐かしい、司の家。





猫になって暮らした僅かな期間だったけど、あの時から何も変わらないから、僕はたまらず部屋中を見渡した。

「サクラ………また、俺の前から、いなくなっちゃう?」

ローテーブルの上にイチゴミルクの入ったマグカップをソッと置いて、複雑な顔をした司が言う。

「………うん。ごめん、司………」
「せっかく………会えたのに………早すぎる、かな」
「………やっぱり、紗久じゃダメだったんだ。僕は僕として、司と一緒にいたいんだ」

僕は小学生ならではの細い腕で、司のがっしりとした体にしがみついた。

そして、そのままの惰性でキスをする。

重なる唇から触れ合う舌先まで、お互いからイチゴミルクの味がして………照れ臭くなって、思わず笑ってしまった。

「いつか、ちゃんと朔として会いにくるから。いつになるか分からないけど………。だから………それまで、司のこと好きでいていい?」
「………もちろん。俺も朔を見つけに行く。大丈夫、すぐわかる!………だから、それまで………朔を好きでいていいかな?」


気持ちが、繋がる。


体温が、伝わる。


やっぱり、好きって気持ちは一方通行じゃダメなんだ。

気持ちを受け取る器が必要で。


………愛しあうって。


重いのに……苦しいのに………すごく、幸せだ。


「今、僕は小学生だけど、小さいけど………。最後に、抱いてくれる?」
「………大丈夫?」
「………優しく、ね?司」
「うん」
「司の全てを忘れないように………全部、紗久をとおして朔で覚えたい。司………愛してる」


唇を重ねると、司が紗久の未発達の体を愛撫する。


紗久の薄い体に腕を回して、小さな紗久の入り口に司の熱いのがゆっくり挿入ってくる。


感じ、る。


気持ちよさ………司の全てを………忘れない。


忘れるわけない、よ………。 


朔の短い一生で、初めて心から愛したこの人を。


次に生まれ変わっても………ずっと、ずっと、忘れない。


「………司。………〝さよなら〟って……言わないよ、僕。………だから………〝またね〟って。……司、またね。司」








「もう、いいのか?」


人気のない深夜の公園で、僕はベンチに座ってその声を待っていた。

「うん。ありがとう、ケルベロス。最高の思い出になったから」
「おまえがその気なら、俺は見逃しても………」
「いいんだ。いいんだよ、ケルベロス。優しいんだね、あなたは。………もう、大丈夫だよ。僕は、後悔してないから」


精悍でキツい見た目とは裏腹に、ケルベロスは優しくて………優しくされなれていない僕は、つい泣きそうになってしまう。

僕はベンチから立って、ケルベロスに近づいた。

「もう、大丈夫。僕を連れていって」
「………分かった。すぐ済む。目を瞑るんだ、朔」

ケルベロスが懐から青白い光の玉を取り出した。

………あ、紗久の、魂……。

キレイな、魂だなぁ………って、ぼんやり考えながら僕は目を閉じた。


少しの間だったけど、楽しかったよ………紗久。


ありがとう、紗久。


またね、司。


刹那に。

僕の胸を抉るように腕が入ってきて、僕の体は一瞬で軽くなった感じがした。










✳︎

「お兄さんが急逝したのはビックリしたけど。春山君が、元に戻った感じがする!よかったぁ」

教育実習の最終日、僕の指導教員だった長谷川先生が満面の笑顔で言った。


紗久の体で朔と過ごした大事なあの日。


俺は不覚にもまた眠りこけてしまって、気がついたら紗久の小さな体はなくて。


………また、やっちまった………って思ったんだ。


ふと、ローテーブルに目を移すと、小さなメモが置いてあった。

朔らしい、几帳面な字のメモ。
僕は、飛び起きてそのメモを食い入るように見る。

『司!ありがとう!
そろそろ迎えが来るから、行きます!
最後に、一つだけ。僕のわがままを行使していい?
司から渡されたスマホ。
持っていっていいかな?
ひょっとしたら、もしかしたら、あの世からメッセージを送られるかもしれないし。
じゃあ!またね!司。愛してます。
サクラと朔、そして紗久より』


サクラ、らしい。


でも、前みたいに悲しくはなかったんだ。


いつか、会える。

必ず、見つけ出す。

そして、何より………サクラと繋がっている、ツールを持っているから。

だから、大丈夫。
前を向いて、生きていけるんだ。


たまに、くるんだよ。
サクラからメッセージが。


『元気?』とか『頑張って』とか………『愛してる』とか。
たったそれだけで。


切なくなるけど、嬉しくて。


サクラを思いだして、にやけちゃうんだよ……。


「春山君に色々相談されてたんだよ。でも、春山君自身に固く口止めをされてたからさ。………まさか、転落事故を起こすなんて夢にも思わなかったし。一命を取り留めて学校に出てきた時は、別人みたいになっちゃってて………。でも、本当、よかった」
「長谷川先生は、生徒のことをよく見ていらっしゃるんですね」

長谷川先生は俺の言葉に一瞬、ビックリしたような顔をして、でもすぐにその顔を崩して破顔一笑した。

「いやいや、伊藤先生には敵わないよ」
「え?どうしてですか?」
「別人の春山君にボク自身、一歩引いてしまって戸惑ってしまったんだ。でも、伊藤先生は生徒一人ひとりに分け隔てなく接していて。………初心回帰っていうんだろうね。伊藤先生と一緒に過ごせて、ボクもすごく勉強になったよ。ありがとう、伊藤先生」

そう笑って右手を差し出す長谷川先生の懐の大きさに、思わず目頭が熱くなるのを感じた。
そんなんじゃ、ないのに………紗久の中身がサクラだったから………。

それでも、胸にじんわりくるような長谷川先生の言葉が嬉しかったんだ。

「伊藤先生は、いい先生になると思います。いや、絶対にいい先生になります。頑張ってください」
「………ありがとう、ございます。長谷川先生。頑張ります……」


………頑張れそうな、気がした。


サクラに繋がるツール以上に、長谷川先生の日の一言に……生きる勇気と、サクラを探し出せる自身がついたんだ。


「失礼します!」


職員室に耳慣れた元気な声が響く。

この声、かつてサクラが依代にしていた、紗久の声。
俺は、思わず顔をあげた。

「伊藤先生!お別れ会をするんですけど、教室にきてもらえますか?」

紗久の中の朔はもういなくなってしまって、その痕跡すら辿れないけど………。


俺は、忘れない。


サクラと朔が、いたことを。


目の前にいる小さな紗久の中にいたことを。
 
俺は、サクラに再びあう日まで。


絶対に、忘れない。


………愛してる、サクラ。

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