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3 美食家(エピキュリアン)

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「君が食べたい、食べたくて仕方ない」

あれ?

僕は、何言ってんだ……?

今何て、言った?

はっとして顔を上げた。

ぼんやりと痺れたような思考が、急にクリアになる。
自分が発した言葉に半信半疑だった僕は、目の前のウェイターの顔で真実だったことを確信する。
小刻みに手を震わせたウェイター。

恐怖、軽蔑。

色んな感情が入り乱れた顔で僕を見下ろしていた。
無意識に握りしめた手を慌て離すと、ウェイターから顔を背ける。

「……Aセットをください」
「……ドリンクは、いかがされますか?」
「アイスコーヒーで」
「かしこまりました」

ウェイターは、小さくため息を吐くと、小走りで店の奥へと消えていった。

なん、だったんだ?

ぼんやりとした直近の記憶を辿る。

そうだ……。
甘い、匂いがしたんだ。
あのウェイターから。

もう10年以上も感じたことがない味覚が、何故か刺激されて。
僕の目覚めることがなかったフォークの本質が、現れてしまったんだ。

でも、何故?

まさか、あれが……!?

特殊体質の、

僕はたまらず口を押さえた。
胃がムカムカして、湧き上がってくる気持ち悪さ。
それとは逆に。
空っぽの胃が、確信的な捕食の欲望を刺激してならない。

ダメだ……これ以上いたら!!

ガラスの表面が白くなったコップの水を一気に煽った。
妙に落ち着かない手が、財布から千円札を乱暴に抜き取る。
テーブルの上に叩きつけるように千円札を置くと、僕は勢いよく席をたった。

「お客様!?」

さっきのウェイターが驚いた様子で、僕に声をかける。
僕は咄嗟に嘘をついた。

「すみません、急用を思い出しちゃって……。オーダーしちゃったんで、お代はテーブルに置いてます」
「え? ちょっ……お客様!」

ウェイターの驚いた声が、僕の背中を引っ張る。

顔が見たい、もう一度

そんな衝動を必死に押さえて。
カランカランと古臭いドアベルの音を背に、重たい喫茶店のドアを勢いに任せて開けた。





それから、午後はずっと。
集中力もやる気もなかった。
味はしないのに、お腹はすくから。
なんとも言えない食感のゼリー飲料を、何個も何個も胃に流し込んだ。

「おい、篠井。大丈夫か?」

あまりの異様な行動に、金谷が怪訝な眼差しをして言った。

「大丈夫。ちょっと胃の調子が悪いだけ」
「そっか、無理すんなよ」
「うん、ありがとう」

本当のことなんて言えるわけない。
言えるはずがない。

僕はフォークで、どうしても食べたいケーキに出会ったって。
言えるはず、ないじゃないか。

あの喫茶店にはもう、二度と行けない。
絶対に行ってはいけない!





「あ……あれ? なんで?」

昼間「二度と行かない」誓ったはずの、あの喫茶店の看板が目の前にいきなり現れて。

僕は血の気が足元に落ちるほど驚いた。

頭も体も、死ぬんじゃないかってくらい疲れていて。
早く家に帰って休まなきゃって。
重たい体を無理矢理動かして、家に向かっていたはずなのに。
電気が消えた店内のせいで『喫茶 スノードロップ』という文字が、鮮明に浮かび上がる。

早く、ここから立ち去らなきゃ……!

踵を返し、家に向かおうとしたその時。
路地裏の方から、物音と微かな甘いあの香りがした。

行っちゃ、ダメなのに。
体が路地裏へと進んでいく。

「ッ!?」

路地裏を除いた瞬間、僕は思わず手で口を塞いだ。
塞がなきゃ、多分叫んでいた。

だって……あのウェイターがフォークにされていたから!!

羽交い締めにされ、身動きすらとれないウェイターが、無理矢理キスをされている。

助けたいのに……!!
助けなきゃいけないのに!!

頭の中に浮かび上がる言葉に、僕は二の足を踏んでしまった。

『それは、僕のケーキだ』

助けたら、今度は僕がウェイターを襲ってしまうかもしれない!

味覚やケーキに飢えた僕は、きっと。
あのフォークより、酷いことをしてしまうかもしれない。

ただただ、見つめることしかできない僕の目の前で、いきなりフォークが地面に倒れた。

「がぁッ!」

断末魔をあげるフォークが、血が滲むほど強く喉を掻きむしり苦しんでいる。

……え、何? まさか!?

瞬間、金谷の言葉が頭をよぎった。

『死んだのは、フォーク。ケーキを捕食したことによる中毒死』

目の前で起こった信じられない光景に、僕は言葉を失って立ち尽くす。

「あ、見られてたか」

ハッとして、僕はウェイターを見た。

薄笑いを浮かべたウェイターの表情。
真っ直ぐに僕を見つめていて。
あの声が僕に向けられていたと判断するのに、そう時間はかからなかった。

ウェイターは、倒れたフォークを踏みつけると僕にゆっくりと近づく。
逃げたいのに、体が全く言うことを聞かない。

「昼間感じたのは、間違いかな?」
「ッ!?」 

立ち尽くす僕に、ウェイターが顔を近づけて言った。

「全然怖くない。あんたもその辺のフォークと一緒だ」
「ぅ……くるな……」

情けない、掠れた僕の声に。
ウェイターはより気をよくしたのか、満面の笑みを浮かべて僕の頬に触れた。

「見られちゃったからしょうがない。最後に俺をやるよ」
「いや……やめろ……」
「よかったな、人生最後の食事が俺で」

僕の頬を引き寄せ、ウェイターはゆっくりと唇を重ねる。
抵抗する間もなく。

ウェイターの甘い舌が、僕の口の中を掻き乱した。

侵食する甘い、甘い毒。
押さえ込んでいた欲望が、湧き上がる。

やめろ……!

やめてくれ!!

今すぐ離れて!!

でなきゃ……僕はあなたを、!!
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