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6-2 ワーム
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「ワーム、ですか?」
市川は声を顰めて、遠野に聞き返した。
病室の一角で眉間に皺を寄せるスーツ姿の男と、パソコンにへばりつく寝巻き姿の男。異様な空気を纏う二人の姿は、今や四人部屋の病院で、かなり浮いた存在となっている。
市川は周囲を気にするように視線を投げると、遠野が食い入るように見つめるパソコンの画面を覗き込んだ。
「最近は〝トロイの木馬〟系のマルウェアが主流だからな。ワームのマルウェアは珍しい方だ」
マルウェア--。
コンピュータに損傷を引き起こす可能性がある悪質なプログラムだ。ワームやトロイの木馬を、ウイルスと呼んでしまうことがあるが、ウイルス、ワーム、トロイの木馬、それぞれ性質が違う。
主流となるトロイの木馬は、主に破壊活動を行うプログラムだ。正規のアプリケーションに見せかけ、コンピュータへの入り口であるバックドアを開かせる。開いたと同時に、ハッカーはシステムにアクセス。機密情報や個人情報を盗むことができる構造となっている。
一方、ワームは自己増殖を繰り返す。他のデバイスに感染し、大規模感染を引き起こすのだ。自己複製されたワームはPCの記憶装置に書き込まれる。中にはCPUの処理能力を独占し、記憶可能容量ギリギリまでその処理を延々と続けるものもあり、厄介極まりないマルウェアだ。
「しかし、〝cubic ATRIA〟って考えたな」
「このサイトは、何なんですか?」
「知らないか、市川? かなり昔にオンラインゲーマーの集うツールとして流行ってたんだ。チャット掲示板とかそんなと一緒だ。今はこのとおり。〝P〟というハンドルネームの奴しか使っていない」
「まさか……」
市川は息を呑んだ。
「あぁ、すばるだよ」
遠野は、目を輝かせて市川を見た。
「このサイトは掲示板としての役目の他に、自作ゲームのプログラムを置いておける共有サーバーがあるんだ。その筋のオタクは、自作のゲームを自慢したり、他人のゲームを試したりしてな。めちゃくちゃ活気があったんだが……。今は閑古鳥だな」
「当時としては、かなり膨大な容量ですね」
「んで、これが……。〝P〟の自作マルウェア」
遠野が一つファイルをクリックすると、二つのデータが姿を現す。
「これが……?」
「さっき、デモでやってみたんだが。よくできてるよ」
〝black star〟と書かれたファイルに、遠野はマウスのポイントを合わせた。
「こっちのが攻撃型のワーム。増殖して全ての機能を破壊してCPUに入り込む。で、情報を取り出すんだ」
次に〝white star〟というファイルにポイントを遠野は合わせる。
「こっちのワームは復旧型。攻撃型が破壊した機能を記憶し複製して修復していく。最後は仕事を終えた攻撃型ワームを取り込んで消滅するようにプログラムされてる」
「そんなこと……。ワームで、できるんですか?」
瞬きを忘れたように目を見張る市川に、遠野は「できるヤツがいるみたいだな」と独言た。
「ワームは感染力が強くて、動きも派手だ。百パーセントの確率で発覚する。マルウェアとしては、ハッカーの娯楽性に長けているんだが。これは、なかなか気づかないな」
はぁと、ため息を吐き。遠野はサイドテーブルに乗せていたお茶を口に含んだ。
「帝都銀行のハッキング。おそらくこのワームを使ってる。俺の推測だか、ハッキングの痕跡が追えなかったんだろ?」
市川は目を見張る。
「はい。遠野補佐の推測どおりです」
漏らす息に流れる市川の言葉。遠野は病室の出入り口を意識しながら、ニンマリと笑った。
「すげぇよな。こんなの作るのかよ、すばるは。でも……ここまで来れば、すばるを追える」
「まさか……」
「そのまさかだよ」
遠野は握ったマウスに力を込めると、語気を強めて呟いた。その表情を見ていた市川は、少し微笑み、安堵の表情を浮かべる。変わらない、と。市川を、そして同期を警察官として導き示していたあの時の、強い眼差し。そばにはいなくとも、市川の記憶で生きる霜村や切田が、遠野や市川の背中を支えてくれるような気がした。
〝大丈夫。きっと上手くいく〟
その聞こえない声に、遠野は呼応して言った。
「まってろ……すばる」
揺るぎない自信を、その目に宿す。遠野は握りしめたマウスをそっとずらした。
✳︎ ✳︎ ✳︎
『Where is the data and $10 million?(データと十万ドルはどこだ?)』
機械的な声が薄暗い部屋に響く。感情の起伏も感じないはずであるにも拘らず、その声には怒気が含まれていた。
見るからに分厚いコンクリートの壁に、機械的なステラの声が反響する。不安な心をかき乱しながら響き、頭の中にこびりつく。すばるはたまらず両手で耳を押さえた。
同時に、空気を震わし裂く音が突き刺さるように、塞いだ耳を貫く。すばるは身を固くした。
--バシッ! 瞬間、背中に焼けるような痛みが走る。
「ッあ!!」
『Tell me quickly!(早く言えよッ!)』
続け様に響く不快な音と、容赦なく与えられる皮膚を引き裂く痛み。砕かれんばかりに食いしばる歯。すばるの口の中に、じんわりと血の味がした。
ステラが、これほど怒りを露わにしたのをすばるは初めて見た。いつも冷静で人を嘲笑うように裏を掻く。気がつけば、二進も三進もいかない状況をつくりだし、無意識に服従してしまう。ステラに逆らう者など今までいなかった、と思料する。
意のままにならないすばるの行動は、ステラの逆鱗にふれた。
肩で息をするすばるの目の前には、黒い乗馬鞭が揺れている。ゆっくり身体を起こすと、すばるは壁を背に鞭の先にいる男を睨みつけた。白く薄笑いを浮かべた、アノニマスマスクを着けた男は、鞭を手にすばるに一歩を近づいた。
「……んなに、ぶっ叩いたら……。言えるもんも、言えないだろ」
『Shut up! Tell me quickly!(うるさいッ! 早く言えッ!)』
「Doing nothing is doing ill.(小人閑居して不善をなす)」
『What did you say!?(なんだと!?)』
「たまには……自分の手で、やれば……? あんたなら簡単なことだろ……?」
『Shut up!(黙れッ!)』
姿が見えぬステラの言葉に反応して、目の前の鞭が消える。空気が切り裂かれ、悲鳴の如く唸りを上げる。
「ッゔぁ!」
こめかみに強い衝撃を受け、すばるの軽い体が大きく弾かれた。言い難い痛みと、味わったことのない空間の歪み。すばるは、自分の意思で起き上がることができなかった。
『For a long time, you've been that kind of guy!(昔から、おまえはそういうヤツだよ)』
機械的な言葉が、吐き捨てるように部屋に響く。すばるはぼんやりする意識の中、その言葉を黙って聞いていた。冷たく硬い床に身体を預け、厭に胸にチクリと刺さる言葉が、じわじわとワームが繁殖するように体中に広がる。
『Collect $10 million for now! Do you understand?(とりあえず、十万ドルを回収しろ! いいな!?)』
ブツッと断線した機械的な声。それに合わせて、アノニマスマスクの男も静かにドアを開けて部屋を出ていった。
ガチャン、と。重たい鍵の音が必要以上に響く。遮断された空間。すばるは、一気に静寂に包まれた空間に残される。
「思っ……きり……。殴り、やがって……!」
もがきながら力の入らない腕を動かし、すばるはゆっくりと起き上がった。
グラグラと揺れる視界に、浮かび上がる華奢なデザインと机とノートパソコン。ディスプレイの光が、薄暗い部屋のそこだけを明るく照らしている。すばるは思わず、手を伸ばした。
(遠野さんは、気づいただろうか……? オレが残したヒントに……気づいただろうか?)
唯一の、ただ唯一の信用できる真っ当な大人。持っている何かもの、全てを託した。
すばるにはその僅かな光が、託された遠野との繋がりに思えて仕方がなったのだ。
重力を半端なく感じる体を引き摺り、すばるは椅子にしがみつく。皮膚の下を這う絶望というワームの気配に意識が飛びそうになりながら、すばるはパソコンのエンターキーを震える指で押下した。
「遠野……さん」
ディスプレイが、光を強くし息を吹き返す。すばるは、その唯一の希望である光から目を逸らすことができないでいた。
市川は声を顰めて、遠野に聞き返した。
病室の一角で眉間に皺を寄せるスーツ姿の男と、パソコンにへばりつく寝巻き姿の男。異様な空気を纏う二人の姿は、今や四人部屋の病院で、かなり浮いた存在となっている。
市川は周囲を気にするように視線を投げると、遠野が食い入るように見つめるパソコンの画面を覗き込んだ。
「最近は〝トロイの木馬〟系のマルウェアが主流だからな。ワームのマルウェアは珍しい方だ」
マルウェア--。
コンピュータに損傷を引き起こす可能性がある悪質なプログラムだ。ワームやトロイの木馬を、ウイルスと呼んでしまうことがあるが、ウイルス、ワーム、トロイの木馬、それぞれ性質が違う。
主流となるトロイの木馬は、主に破壊活動を行うプログラムだ。正規のアプリケーションに見せかけ、コンピュータへの入り口であるバックドアを開かせる。開いたと同時に、ハッカーはシステムにアクセス。機密情報や個人情報を盗むことができる構造となっている。
一方、ワームは自己増殖を繰り返す。他のデバイスに感染し、大規模感染を引き起こすのだ。自己複製されたワームはPCの記憶装置に書き込まれる。中にはCPUの処理能力を独占し、記憶可能容量ギリギリまでその処理を延々と続けるものもあり、厄介極まりないマルウェアだ。
「しかし、〝cubic ATRIA〟って考えたな」
「このサイトは、何なんですか?」
「知らないか、市川? かなり昔にオンラインゲーマーの集うツールとして流行ってたんだ。チャット掲示板とかそんなと一緒だ。今はこのとおり。〝P〟というハンドルネームの奴しか使っていない」
「まさか……」
市川は息を呑んだ。
「あぁ、すばるだよ」
遠野は、目を輝かせて市川を見た。
「このサイトは掲示板としての役目の他に、自作ゲームのプログラムを置いておける共有サーバーがあるんだ。その筋のオタクは、自作のゲームを自慢したり、他人のゲームを試したりしてな。めちゃくちゃ活気があったんだが……。今は閑古鳥だな」
「当時としては、かなり膨大な容量ですね」
「んで、これが……。〝P〟の自作マルウェア」
遠野が一つファイルをクリックすると、二つのデータが姿を現す。
「これが……?」
「さっき、デモでやってみたんだが。よくできてるよ」
〝black star〟と書かれたファイルに、遠野はマウスのポイントを合わせた。
「こっちのが攻撃型のワーム。増殖して全ての機能を破壊してCPUに入り込む。で、情報を取り出すんだ」
次に〝white star〟というファイルにポイントを遠野は合わせる。
「こっちのワームは復旧型。攻撃型が破壊した機能を記憶し複製して修復していく。最後は仕事を終えた攻撃型ワームを取り込んで消滅するようにプログラムされてる」
「そんなこと……。ワームで、できるんですか?」
瞬きを忘れたように目を見張る市川に、遠野は「できるヤツがいるみたいだな」と独言た。
「ワームは感染力が強くて、動きも派手だ。百パーセントの確率で発覚する。マルウェアとしては、ハッカーの娯楽性に長けているんだが。これは、なかなか気づかないな」
はぁと、ため息を吐き。遠野はサイドテーブルに乗せていたお茶を口に含んだ。
「帝都銀行のハッキング。おそらくこのワームを使ってる。俺の推測だか、ハッキングの痕跡が追えなかったんだろ?」
市川は目を見張る。
「はい。遠野補佐の推測どおりです」
漏らす息に流れる市川の言葉。遠野は病室の出入り口を意識しながら、ニンマリと笑った。
「すげぇよな。こんなの作るのかよ、すばるは。でも……ここまで来れば、すばるを追える」
「まさか……」
「そのまさかだよ」
遠野は握ったマウスに力を込めると、語気を強めて呟いた。その表情を見ていた市川は、少し微笑み、安堵の表情を浮かべる。変わらない、と。市川を、そして同期を警察官として導き示していたあの時の、強い眼差し。そばにはいなくとも、市川の記憶で生きる霜村や切田が、遠野や市川の背中を支えてくれるような気がした。
〝大丈夫。きっと上手くいく〟
その聞こえない声に、遠野は呼応して言った。
「まってろ……すばる」
揺るぎない自信を、その目に宿す。遠野は握りしめたマウスをそっとずらした。
✳︎ ✳︎ ✳︎
『Where is the data and $10 million?(データと十万ドルはどこだ?)』
機械的な声が薄暗い部屋に響く。感情の起伏も感じないはずであるにも拘らず、その声には怒気が含まれていた。
見るからに分厚いコンクリートの壁に、機械的なステラの声が反響する。不安な心をかき乱しながら響き、頭の中にこびりつく。すばるはたまらず両手で耳を押さえた。
同時に、空気を震わし裂く音が突き刺さるように、塞いだ耳を貫く。すばるは身を固くした。
--バシッ! 瞬間、背中に焼けるような痛みが走る。
「ッあ!!」
『Tell me quickly!(早く言えよッ!)』
続け様に響く不快な音と、容赦なく与えられる皮膚を引き裂く痛み。砕かれんばかりに食いしばる歯。すばるの口の中に、じんわりと血の味がした。
ステラが、これほど怒りを露わにしたのをすばるは初めて見た。いつも冷静で人を嘲笑うように裏を掻く。気がつけば、二進も三進もいかない状況をつくりだし、無意識に服従してしまう。ステラに逆らう者など今までいなかった、と思料する。
意のままにならないすばるの行動は、ステラの逆鱗にふれた。
肩で息をするすばるの目の前には、黒い乗馬鞭が揺れている。ゆっくり身体を起こすと、すばるは壁を背に鞭の先にいる男を睨みつけた。白く薄笑いを浮かべた、アノニマスマスクを着けた男は、鞭を手にすばるに一歩を近づいた。
「……んなに、ぶっ叩いたら……。言えるもんも、言えないだろ」
『Shut up! Tell me quickly!(うるさいッ! 早く言えッ!)』
「Doing nothing is doing ill.(小人閑居して不善をなす)」
『What did you say!?(なんだと!?)』
「たまには……自分の手で、やれば……? あんたなら簡単なことだろ……?」
『Shut up!(黙れッ!)』
姿が見えぬステラの言葉に反応して、目の前の鞭が消える。空気が切り裂かれ、悲鳴の如く唸りを上げる。
「ッゔぁ!」
こめかみに強い衝撃を受け、すばるの軽い体が大きく弾かれた。言い難い痛みと、味わったことのない空間の歪み。すばるは、自分の意思で起き上がることができなかった。
『For a long time, you've been that kind of guy!(昔から、おまえはそういうヤツだよ)』
機械的な言葉が、吐き捨てるように部屋に響く。すばるはぼんやりする意識の中、その言葉を黙って聞いていた。冷たく硬い床に身体を預け、厭に胸にチクリと刺さる言葉が、じわじわとワームが繁殖するように体中に広がる。
『Collect $10 million for now! Do you understand?(とりあえず、十万ドルを回収しろ! いいな!?)』
ブツッと断線した機械的な声。それに合わせて、アノニマスマスクの男も静かにドアを開けて部屋を出ていった。
ガチャン、と。重たい鍵の音が必要以上に響く。遮断された空間。すばるは、一気に静寂に包まれた空間に残される。
「思っ……きり……。殴り、やがって……!」
もがきながら力の入らない腕を動かし、すばるはゆっくりと起き上がった。
グラグラと揺れる視界に、浮かび上がる華奢なデザインと机とノートパソコン。ディスプレイの光が、薄暗い部屋のそこだけを明るく照らしている。すばるは思わず、手を伸ばした。
(遠野さんは、気づいただろうか……? オレが残したヒントに……気づいただろうか?)
唯一の、ただ唯一の信用できる真っ当な大人。持っている何かもの、全てを託した。
すばるにはその僅かな光が、託された遠野との繋がりに思えて仕方がなったのだ。
重力を半端なく感じる体を引き摺り、すばるは椅子にしがみつく。皮膚の下を這う絶望というワームの気配に意識が飛びそうになりながら、すばるはパソコンのエンターキーを震える指で押下した。
「遠野……さん」
ディスプレイが、光を強くし息を吹き返す。すばるは、その唯一の希望である光から目を逸らすことができないでいた。
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