The snow of the underworld

文字の大きさ
上 下
2 / 25

1ー2 秘密

しおりを挟む
「大変だったなぁ。緒方」
 ようやく解放された激務の当直明け。突然、目の前に現れた遠野の笑顔に、勇刀は激しく脱力した。
「大変ってもんじゃなかったですよ、本当」
「イッチー、持ってるからなぁ」
「は? え? ちょ……どういうことですか!?」
「署にいたなら、わかるだろ? 持ってる当直主任とかさ」
「……」
 〝持ってる〟とは。〝持ってる〟警察官が当直につくたびに事件事故が多発して、相当な激務にまきこまれる当直のことだ。つい最近まで警察署の刑事課にいた勇刀も、〝持ってる〟人がいることは認識していたし、カチ合ったこともある。しかし、ここは一線署とは違う、警察本部の当直。比較的事件事故に遭遇しないだろうと、勇刀はたかを括っていた。まさか本部当直でさえ、こんなになろうとは想像していたなかった。制服のネクタイを緩めて、勇刀はため息をついた。
「緒方、見たか?」
「何をです?」
 今の今まで緩い笑顔を見せていた遠野が、急に神妙な面持ちになると、そっと勇刀に耳打ちをした。
「犯人らしい奴が、ライブ配信してる」
「……は?」
 勇刀は、半ば閉じかけていた目を見開いて執務室を見渡す。執務室の真ん中にあるディスプレイ。そこに何人かの捜査員が集まっている。勇刀はその隙間をぬうように体を入れ込むと、ディスプレイに注視した。
 真っ黒な背景と同化した人影。たまに黒い塊が左右に揺れて、その塊が人であることが認識できる。
『いやぁ、あのお巡りさんたち死んだかな? いいなぁ、何年ぶりかな?』
「何年ぶりって……どういう?」
「……緒方は、知らないのか?」
 目の前にいた捜査員が、真っ青な顔をして返答した。
『そういえば、あのお巡りさん、元気かなぁ? 唯一、殺しそこねた、あのお巡りさん』
 画面の中の人物が楽しそうに言った、その時。鈍い鉄の光が画面に映り込む。一目で拳銃と認識できるようにチラつかせながら、嬉々とした犯人の言葉に一同が凍りついた。
「佐野……!! 追跡は!!」
 遠野の逼迫した叫び声に、バックアップにあたっていた捜査官が首を横に振る。
「海外サーバーを複雑に経由しています。追跡までしばらくかかります……」
「田中! 中井! 援護しろ!!」
「はい!!」
 いつもは飄々としている遠野に、焦りの色が見えて。そのただならぬ様子に、勇刀は思わず息を呑んだ。疲れた頭も体も、一瞬で忘れてしまうほどに。その切迫した光景を、手も足も動かせない勇刀はただ見守ることしか出来なかった。
 その間にも、犯人は拳銃を大事そうに撫でながら、自らの犯歴を列挙する。
『市川雪哉さーん、元気ー? 見てるんでしょー?』
 画面から流れる言葉に、キーボードの打突音が響いていた執務室が一瞬で静かになった。
(今……なんて言った?)
 勇刀は捜査員を押し退けて、ディスプレイの前に身を乗り出す。疲れ切っているはずの目と耳だけが嫌に研ぎ澄まされていた。外見的な手がかりを見つけようと、勇刀は真っ黒な画面を食い入るように見つめる。
『会いたくなっちゃったなぁ……。市川さーん。あなたもオレに会いたいでしょ?』
 ボイスチェンジャーで変えられた声に、遠野がさらに大声で叫んだ。
「追跡まだかッ!!」
「あと、五パーセントです!!」
 サイバー犯罪対策課の捜査員を嘲笑うかのように、画面の中の犯人は愉快そうに続ける。
『オレ、忘れられないんだよねぇ。市川さん、キレイだったなぁ。……おっと、これ以上配信したら特定されちゃうなー。今日はこの辺でおしまい。……市川さーん、迎えに行くから。待っててね』
「佐野ッ!!」
 遠野が叫んだ声と同時に、配信がプツリと切れる。
「……ダメでした。なんて数のIPアドレスもってやがんだ、コイツ」
 ダァァン!! 遠野が執務机を思いっきり叩いた。再び、執務室がシン--と、静まり返る。
「途切れても追え! アドレスから何からひっくり返して特定しろ!! いいな!!」
「無理しなくて、結構です」
 瞬間、静かに響くその声に。その場にいた捜査員一同が顔を引き攣らせた。
「市川……」
 辛うじて発せられた、遠野の掠れた声。振り返ると、そこには制服からスーツに着替えた市川が立っていた。
「……今の見てただろう?」
「はい。大体は」
「アイツはお前に執着している!! 一刻も早く特定しないと……」
「〝迎えに来る〟と言っていました」
 まるで自分のことではないような、どこか現実味のない不思議な感覚で、市川は静かに淡々と語る。どこか他人事みたいな振る舞いをする市川の様子に、勇刀は息をするのを忘れていた。
「何もしなくても、現れますよ。遠野係長」
「なっ……!!」
「大丈夫です。同じ轍は踏まないようにしますから」
「市川ッ!!」
 興奮する遠野に、市川はいつものように抑揚なく冷静に答える。その時、勇刀は昨夜の市川の様子を思い出していた。
 震える、細い手--。おそらくあの時点で、市川は気付いていた。あの犯人の犯行であることに。そして、自分を狙っているとに……。
「今日は当直明けなので、これで、失礼します。急用があれば携帯に連絡をください」
「市川ッ!!」
 遠野の言葉に応えることなく。市川は「ご迷惑をおかけしてすみません」と一言付け加えると、深々と頭を下げて執務室を出て行った。
(あの人、平気……なのか? 平気なわけ、ないだろ!! 平気なわけ!!)
 勇刀は弾かれるように執務室を飛び出した。咄嗟に、エレベーターに乗ろうとする市川の腕を掴む。
 驚いたように大きく見開かれた、眼鏡越しの市川の瞳。冷静な市川の動揺した表情に、勇刀はグッと息を呑む。
「……離してくれないか? 緒方警部補」
「なんで平気な顔をするんですか!? 震えてる……今、震えてるじゃないですか!!」
「震えて……ない。震えてなんていない!!」
 声を荒げ、市川は乱暴に勇刀の腕を振り払った。いつも冷ややかで鋭い光を放つ市川の瞳。今、その瞳は怒りと熱を宿らせ、眼球を焼いてしまうのではなないかと思うほど、強く勇刀を睨みつける。窓から差し込む朝日の強い光に負けない意思のある瞳に、勇刀は一瞬たじろいだ。
「……特研生に心配されるほど、落ちぶれちゃいない」
「……市川さん」
 その市川の表情に、勇刀は父親の言った言葉を思い出し市川の姿に重ねていた。
(裏にある真実を、聞き出すんだ)
 勇刀は再び、市川の華奢な腕を掴む。
「言わなきゃ分からない!! 俺たち警察官はエスパーじゃない!! 神でもない!! 口をつぐんだら、真実がわからないじゃないですか!!」
「お前に言う真実などない!!」
「!!」
「言ったところで何になる!! 同情するのか!? 笑い者にするのか!?」
 市川の感情は、燃え上がる青白い炎のように吹き出した。勇刀の動きを封じるように延焼をしはじめた。じわじわと勇刀の体を覆いつくす感情の炎。市川は動けなくなった勇刀の体を、壁に打ちつけた。その威力は華奢な体からは想像が付かないくらい強い力で、壁に背中を打ちつけた勇刀の肺が、ビクッと振動した。
「……土足で……踏み込むな!!」
 苦しそうに、声を振り絞る市川の罵声。市川は勇刀から目を逸らすと。動けなくなった勇刀に踵を返して、エレベーターに乗り込んだ。扉の中に吸い込まれていく市川を見送ることしかできなかった勇刀は、その時、ようやく息をすることを思い出す。
「はぁ……」
 長いため息と同時に、勇刀はその場に座り込んだ。自分を覆いつくした、市川の青白い炎。市川が体の中に宿す怒りや不安が一気に、勇刀に流れ込んだ感覚が全身から抜けない。市川の放ったいまだ勇刀の体の中でくすぶる炎は、身をジワジワと焦がしていた。
 そんな状態であるにも拘らず、直感していた。
 〝拳銃を携行できない〟理由が。捜査から外され庶務係にいる理由が。全て、市川が仕舞い込んでいる秘密の内にあるんだと。勇刀は直感していた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「鏡像のイデア」 難解な推理小説

葉羽
ミステリー
豪邸に一人暮らしする天才高校生、神藤葉羽(しんどう はね)。幼馴染の望月彩由美との平穏な日常は、一枚の奇妙な鏡によって破られる。鏡に映る自分は、確かに自分自身なのに、どこか異質な存在感を放っていた。やがて葉羽は、鏡像と現実が融合する禁断の現象、「鏡像融合」に巻き込まれていく。時を同じくして街では異形の存在が目撃され、空間に歪みが生じ始める。鏡像、異次元、そして幼馴染の少女。複雑に絡み合う謎を解き明かそうとする葉羽の前に、想像を絶する恐怖が待ち受けていた。

残響鎮魂歌(レクイエム)

葉羽
ミステリー
天才高校生、神藤葉羽は幼馴染の望月彩由美と共に、古びた豪邸で起きた奇妙な心臓発作死の謎に挑む。被害者には外傷がなく、現場にはただ古いレコード盤が残されていた。葉羽が調査を進めるにつれ、豪邸の過去と「時間音響学」という謎めいた技術が浮かび上がる。不可解な現象と幻聴に悩まされる中、葉羽は過去の惨劇と現代の死が共鳴していることに気づく。音に潜む恐怖と、記憶の迷宮が彼を戦慄の真実へと導く。

アナグラム

七海美桜
ミステリー
26歳で警視になった一条櫻子は、大阪の曽根崎警察署に新たに設立された「特別心理犯罪課」の課長として警視庁から転属してくる。彼女の目的は、関西に秘かに収監されている犯罪者「桐生蒼馬」に会う為だった。櫻子と蒼馬に隠された秘密、彼の助言により難解な事件を解決する。櫻子を助ける蒼馬の狙いとは? ※この作品はフィクションであり、登場する地名や団体や組織、全て事実とは異なる事をご理解よろしくお願いします。また、犯罪の内容がショッキングな場合があります。セルフレイティングに気を付けて下さい。 イラスト:カリカリ様 背景:由羅様(pixiv)

無限の迷路

葉羽
ミステリー
豪華なパーティーが開催された大邸宅で、一人の招待客が密室の中で死亡して発見される。部屋は内側から完全に施錠されており、窓も塞がれている。調査を進める中、次々と現れる証拠品や証言が事件をますます複雑にしていく。

イグニッション

佐藤遼空
ミステリー
所轄の刑事、佐水和真は武道『十六段の男』。ある朝、和真はひったくりを制圧するが、その時、警察を名乗る娘が現れる。その娘は中条今日子。実はキャリアで、配属後に和真とのペアを希望した。二人はマンションからの飛び降り事件の捜査に向かうが、そこで和真は幼馴染である国枝佑一と再会する。佑一は和真の高校の剣道仲間であったが、大学卒業後はアメリカに留学し、帰国後は公安に所属していた。 ただの自殺に見える事件に公安がからむ。不審に思いながらも、和真と今日子、そして佑一は事件の真相に迫る。そこには防衛システムを巡る国際的な陰謀が潜んでいた…… 武道バカと公安エリートの、バディもの警察小説。 ※ミステリー要素低し 月・水・金更新

暗闇の中の囁き

葉羽
ミステリー
名門の作家、黒崎一郎が自らの死を予感し、最後の作品『囁く影』を執筆する。その作品には、彼の過去や周囲の人間関係が暗号のように隠されている。彼の死後、古びた洋館で起きた不可解な殺人事件。被害者は、彼の作品の熱心なファンであり、館の中で自殺したかのように見せかけられていた。しかし、その背後には、作家の遺作に仕込まれた恐ろしいトリックと、館に潜む恐怖が待ち受けていた。探偵の名探偵、青木は、暗号を解読しながら事件の真相に迫っていくが、次第に彼自身も館の恐怖に飲み込まれていく。果たして、彼は真実を見つけ出し、恐怖から逃れることができるのか?

時計の歪み

葉羽
ミステリー
高校2年生の神藤葉羽は、推理小説を愛する天才少年。裕福な家庭に育ち、一人暮らしをしている彼の生活は、静かで穏やかだった。しかし、ある日、彼の家の近くにある古びた屋敷で奇妙な事件が発生する。屋敷の中に存在する不思議な時計は、過去の出来事を再現する力を持っているが、それは真実を歪めるものであった。 事件を追いかける葉羽は、幼馴染の望月彩由美と共にその真相を解明しようとするが、次第に彼らは恐怖の渦に巻き込まれていく。霊の囁きや過去の悲劇が、彼らの心を蝕む中、葉羽は自らの推理力を駆使して真実に迫る。しかし、彼が見つけた真実は、彼自身の記憶と心の奥深くに隠された恐怖だった。 果たして葉羽は、歪んだ時間の中で真実を見つけ出すことができるのか?そして、彼と彩由美の関係はどのように変わっていくのか?ホラーと推理が交錯する物語が、今始まる。

仮題「難解な推理小説」

葉羽
ミステリー
主人公の神藤葉羽は、鋭い推理力を持つ高校2年生。日常の出来事に対して飽き飽きし、常に何か新しい刺激を求めています。特に推理小説が好きで、複雑な謎解きを楽しみながら、現実世界でも人々の行動を予測し、楽しむことを得意としています。 クラスメートの望月彩由美は、葉羽とは対照的に明るく、恋愛漫画が好きな女の子。葉羽の推理力に感心しつつも、彼の少し変わった一面を心配しています。 ある日、葉羽はいつものように推理を楽しんでいる最中、クラスメートの行動を正確に予測し、彩由美を驚かせます。しかし、葉羽は内心では、この退屈な日常に飽き飽きしており、何か刺激的な出来事が起こることを期待しています。

処理中です...