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8-1 有馬手記(8)
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「兄貴、いつ帰んの?」
相変わらずリビングのソファーで爆睡している長男・英祐を見ながら。モソモソと朝ご飯を食べる次男・洋祐が言った。この所やたらと多い〝家族団欒〟
あまりにも過密なそれに、辟易しているのか。
英祐が帰ることにより、終わってしまうのが寂しいのか。
寝起きの低いテンションから発せられる洋祐の言動は、母親・清香の「あら、いつだっけー?」で一蹴されてしまった。
「いつだっけー、って……」
「六ヶ月は警察学校に入るんですって。大学卒業前には、今住んでるアパートも引き払わなきゃーって」
「えー、六ヶ月も入んの?」
「そりゃそうでしょ」
「え? 何で?」
口だけは動く。しかし頭は働かない。
全く働かせる気がない洋祐は、母親の発する答えに対し、同じ言葉で疑問を投げかける。まるで自動音声のように抑揚がない。
「当たり前でしょ?」
「え? 何で?」
母親は、浅くため息を吐いた。
何を言っても疑問形で返す洋祐に、母親は少しうんざりして、薄い視界で洋祐を見つめる。
「『今日から洋祐は、警察官です。はいっ! 殺人犯を逮捕してください』」
「は?」
「そう言われたら、あんたどうする?」
「……できません、かな?」
「制服着て、鉄砲もって。でも〝できません〟じゃ、通じないでしょ?」
「まぁ……うん、そうだね」
「警察学校行って、犯人を逮捕できるように。警察官の勉強を頑張るんでしょ?」
「うん」
「逮捕できるように、たくさん学ばなきゃいけない。貴重な六ヶ月でしょ?」
確かに、母親の言うとおりだ。
人の命を守る事。
こればっかりは、切羽詰まった試験勉強みたいに一夜漬けで、どうにかなるものではない。
いきなり警棒や拳銃を持たされたとしても、殺人犯を捕まえることなど、恐らく無理な話だ。
下手したら、自分の命ですら失ってしまうかもしれない。ましてや、赤の他人を守りながら対峙することなどできるだろうか?
その不安や恐怖を一つ一つ取り除き、克服する。
そして、絶対的な自信を持たなければ。殺人犯なんて一生捕らえることはできないだろう。
そんな過酷な職業に就く予定の兄は、ソファーの上で、呑気に寝息を立てて眠っている。
「兄貴に、そんな覚悟……。あんのかな?」
「え?」
「いや、命を張って職務を全うする覚悟が、兄貴にあんのかな? って」
「やだー、あるわけないでしょ」
「……」
そこは嘘でも、あるって言って欲しかった。
母親の一言で真剣に考え、真剣に兄である英祐の心配をしたのに。
さらに母親の一言で、思考が停止するほど脱力する。洋祐は少しうんざりして、薄い視界で母親を見た。
「何? 怒ってる?」
「怒ってると言えば、怒ってるかもしれない」
「やだ、怒らないでよー。今はないかも、って話よ」
「今は、ない?」
少し視界を開いた洋祐に、母親は豪快に笑う。
「そういうものでしょ?」
「どういう事?」
「今はそんな覚悟はなくても。責任やら重圧やらを背負うたびに自覚していくものなんじゃないの? 覚悟とかってのは」
「そんなもん?」
半信半疑。そう言わんばかりに、洋祐はお茶を啜りながら呟いた。
「中にはさー、洋祐の言うとおり。相当な覚悟を持ってる人もいると思うわよ?」
「だろうね」
「でも、そうじゃなくてもいいんじゃないかしら」
「そんなもん?」
「私だって、あんた達を産んでから、初めて母親になったんだって覚悟したわよ」
「そりゃ、母さんはそうだろうよ」
「覚悟をしたら、もう突き進むしかないんだから」
今の今まで笑っていた母親が真顔になって、洋祐は一瞬、ドキリとした。
「洋祐も何でも、好きなことしなさいよ」
「え?」
「後悔しないように。自分に嘘をつかないように」
「……母さん?」
「あんたはあんたの人生で、いつか覚悟を決めなさい」
「……」
起きてすぐ、いきなりヘヴィな話になってしまった。
好きなように生きろという割には、これからの人生で必ずぶち当たるであろう、全ての分岐点では覚悟をもて、と。
甚だ矛盾していると思いつつも、母親の言葉が厭に突き刺ささる。洋祐は、言葉を返すことができなかった。
それでも、それでも!! 洋祐は薄い視界を大きく見開く。
「それ……兄貴にも言った?」
ガサガサと音をたてる自分の気持ちを軽くするように。洋祐は、あえて母親に聞いた。
「いいえ、言ってないわよ」
「え!?」
なんだよ、俺だけかよ!? とツッコミたかったが、今はそんな元気もない。洋祐はガクッと肩を落とした。
「うふふ」
いつの間にか。母親は、いつもの豪快な笑顔に戻っていて。キッチンでコーヒーをひと口飲みながら、落胆する次男を薄い視界で見ていた。
(ちょっと言い過ぎたかしらねー)
次男特有の要領の良さ。
今まであまり真剣に悩まずに、楽な道をトントン拍子で生きてきたのも自他共に分かっている。どこか、イージーモードで生きているような。そんな洋祐に、少しは生きていく上での緊張感を持ってもらいたかったのだ。
『世の中、そんなに甘くない』
コーヒーカップをカウンターテーブルに置く。
未だ寝起きの低浮上な頭に加えられた衝撃で、呆然とする次男に、敢えて母親は付け加えた。
「洋祐に、お母さんはいいことを教えてあげる」
母親は、洋祐の目の前に一枚の葉書を差し出す。恐る恐る葉書を見下ろす洋祐に、母親は非常ににこやかな顔をして囁いた。
「島津義弘公の『男の順序』って格言よ。せめて三位以上にはなってね」
相変わらずリビングのソファーで爆睡している長男・英祐を見ながら。モソモソと朝ご飯を食べる次男・洋祐が言った。この所やたらと多い〝家族団欒〟
あまりにも過密なそれに、辟易しているのか。
英祐が帰ることにより、終わってしまうのが寂しいのか。
寝起きの低いテンションから発せられる洋祐の言動は、母親・清香の「あら、いつだっけー?」で一蹴されてしまった。
「いつだっけー、って……」
「六ヶ月は警察学校に入るんですって。大学卒業前には、今住んでるアパートも引き払わなきゃーって」
「えー、六ヶ月も入んの?」
「そりゃそうでしょ」
「え? 何で?」
口だけは動く。しかし頭は働かない。
全く働かせる気がない洋祐は、母親の発する答えに対し、同じ言葉で疑問を投げかける。まるで自動音声のように抑揚がない。
「当たり前でしょ?」
「え? 何で?」
母親は、浅くため息を吐いた。
何を言っても疑問形で返す洋祐に、母親は少しうんざりして、薄い視界で洋祐を見つめる。
「『今日から洋祐は、警察官です。はいっ! 殺人犯を逮捕してください』」
「は?」
「そう言われたら、あんたどうする?」
「……できません、かな?」
「制服着て、鉄砲もって。でも〝できません〟じゃ、通じないでしょ?」
「まぁ……うん、そうだね」
「警察学校行って、犯人を逮捕できるように。警察官の勉強を頑張るんでしょ?」
「うん」
「逮捕できるように、たくさん学ばなきゃいけない。貴重な六ヶ月でしょ?」
確かに、母親の言うとおりだ。
人の命を守る事。
こればっかりは、切羽詰まった試験勉強みたいに一夜漬けで、どうにかなるものではない。
いきなり警棒や拳銃を持たされたとしても、殺人犯を捕まえることなど、恐らく無理な話だ。
下手したら、自分の命ですら失ってしまうかもしれない。ましてや、赤の他人を守りながら対峙することなどできるだろうか?
その不安や恐怖を一つ一つ取り除き、克服する。
そして、絶対的な自信を持たなければ。殺人犯なんて一生捕らえることはできないだろう。
そんな過酷な職業に就く予定の兄は、ソファーの上で、呑気に寝息を立てて眠っている。
「兄貴に、そんな覚悟……。あんのかな?」
「え?」
「いや、命を張って職務を全うする覚悟が、兄貴にあんのかな? って」
「やだー、あるわけないでしょ」
「……」
そこは嘘でも、あるって言って欲しかった。
母親の一言で真剣に考え、真剣に兄である英祐の心配をしたのに。
さらに母親の一言で、思考が停止するほど脱力する。洋祐は少しうんざりして、薄い視界で母親を見た。
「何? 怒ってる?」
「怒ってると言えば、怒ってるかもしれない」
「やだ、怒らないでよー。今はないかも、って話よ」
「今は、ない?」
少し視界を開いた洋祐に、母親は豪快に笑う。
「そういうものでしょ?」
「どういう事?」
「今はそんな覚悟はなくても。責任やら重圧やらを背負うたびに自覚していくものなんじゃないの? 覚悟とかってのは」
「そんなもん?」
半信半疑。そう言わんばかりに、洋祐はお茶を啜りながら呟いた。
「中にはさー、洋祐の言うとおり。相当な覚悟を持ってる人もいると思うわよ?」
「だろうね」
「でも、そうじゃなくてもいいんじゃないかしら」
「そんなもん?」
「私だって、あんた達を産んでから、初めて母親になったんだって覚悟したわよ」
「そりゃ、母さんはそうだろうよ」
「覚悟をしたら、もう突き進むしかないんだから」
今の今まで笑っていた母親が真顔になって、洋祐は一瞬、ドキリとした。
「洋祐も何でも、好きなことしなさいよ」
「え?」
「後悔しないように。自分に嘘をつかないように」
「……母さん?」
「あんたはあんたの人生で、いつか覚悟を決めなさい」
「……」
起きてすぐ、いきなりヘヴィな話になってしまった。
好きなように生きろという割には、これからの人生で必ずぶち当たるであろう、全ての分岐点では覚悟をもて、と。
甚だ矛盾していると思いつつも、母親の言葉が厭に突き刺ささる。洋祐は、言葉を返すことができなかった。
それでも、それでも!! 洋祐は薄い視界を大きく見開く。
「それ……兄貴にも言った?」
ガサガサと音をたてる自分の気持ちを軽くするように。洋祐は、あえて母親に聞いた。
「いいえ、言ってないわよ」
「え!?」
なんだよ、俺だけかよ!? とツッコミたかったが、今はそんな元気もない。洋祐はガクッと肩を落とした。
「うふふ」
いつの間にか。母親は、いつもの豪快な笑顔に戻っていて。キッチンでコーヒーをひと口飲みながら、落胆する次男を薄い視界で見ていた。
(ちょっと言い過ぎたかしらねー)
次男特有の要領の良さ。
今まであまり真剣に悩まずに、楽な道をトントン拍子で生きてきたのも自他共に分かっている。どこか、イージーモードで生きているような。そんな洋祐に、少しは生きていく上での緊張感を持ってもらいたかったのだ。
『世の中、そんなに甘くない』
コーヒーカップをカウンターテーブルに置く。
未だ寝起きの低浮上な頭に加えられた衝撃で、呆然とする次男に、敢えて母親は付け加えた。
「洋祐に、お母さんはいいことを教えてあげる」
母親は、洋祐の目の前に一枚の葉書を差し出す。恐る恐る葉書を見下ろす洋祐に、母親は非常ににこやかな顔をして囁いた。
「島津義弘公の『男の順序』って格言よ。せめて三位以上にはなってね」
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