上 下
11 / 19

ある側近の苦労

しおりを挟む
「本日の午後、王妃陛下からお茶の誘いが入りました」

「えぇ……それ、断れないかなあ」

 主であるヴィクトールが、羽ペンをくるくると回しながら情けない表情をするのを見て、レーヴェはこっそりと溜息をつく。王妃の話の内容は、多分婚約者のことだろう。今シーズンに入ってからというもの、まだ婚約者は決まらないのか、と定期的に急かされているのだ。

「無理でしょうな」

「何も進展はない、と母上に言うのが怖い……」

「早くお決めになれば良い話でしょうに」

 温厚で可もなく不可もない王太子として通っている主は、見ての通り少々情けないところがある。自分がまだ少年騎士だった頃に当時8歳の王太子殿下に仕え始めて、15年になる。これだけ長く傍にいれば、良いところも多く知る分欠点も含めて受け入れてしまえるのだけれど、国の未来がかかった今回ばかりは甘い事も言っていられない。

「そうは言ってもね、中々決め手に欠けるんだ。選り好みをしているわけではないんだけれど……」

 端正な顔立ちに憂いを乗せて呟くヴィクトールを、レーヴェは目を眇めて見つめる。「優しくて穏やかで、犬が好き」一見普通の条件に見えるが、誇り高い貴族令嬢として育った婚約者候補たちに"優しくて穏やか"とつける時点でかなり絞られてしまう。
 そのうえ、"犬好き"が更に難しくしている。彼の言っている犬とは、一般的に愛玩動物とされる小型犬ではなく、牧羊や軍事、狩猟などの目的で飼育される大型犬のことだ。深窓のご令嬢が、大型犬を愛でられるとは思えない。現に、既に何人かの令嬢を犬舎に連れていっては逃げられているのだ。

「今は色々と動きもありそうですから、王妃陛下も殿下が誰を選ぶのか気になっているのでしょう」

「……アーデルベルトの件か。生まれる家が逆だったら良かったのにな」

──生まれる家が逆だったら。

 幾度か心ない貴族の間で囁かれていたその言葉が本人から出てきたことに、思わず息を呑む。

 ヴィクトールのは、二つ上の従兄であるアーデルベルトと幼少の頃から比べられて育ってきた。当時のアーデルベルト様はもっとおできになりました、と家庭教師によく言われていたのを聞いたことがある。
 彼らからしてみれば、ヴィクトールの闘争心に火をつけたかったのかもしれないが、ヴィクトールにとっては逆効果だった。繰り返しアーデルベルトと比べられることで、徐々に自信をなくし、学ぶことへの意欲も失っていったのだ。

 レーヴェや他の側近たちから見て、ヴィクトールは決して劣っているわけではない。むしろ、意欲がないまま「可もなく不可もない・・・・・」評価を得ることができているのは、ヴィクトールの実力を表しているのではないだろうか。もし、幼い頃に心折れずに本気で学んでいれば、優秀な王太子となっていた……と、傍に仕える者たちは思っている。

「誰が何を言おうと、王位継承権第一位は貴方です」

「でも、アーデルベルトの縁談が纏まれば貴族たちの印象も変わってくる」

 最近宮廷を騒がせている、隣国の王女の件が頭を過る。当主となる年代は保守的な貴族が多い中、隣国の王女が王妃になることに眉を顰める者も多いとは思うが、次世代の者たち──次期当主となりうる若手の認識は少々変わってくる。むしろ、今ですら新しい風を求める声も少なからずある位だ。
 かといって、苛烈な性格の王妃を母に持つお陰で気の強そうな女性を避ける傾向にあるこの王太子が、対抗して気位の高いどこかの王女と縁を結ぶとは考え難い。──もともと、そこまで王位に執着していないのもあるけれど。

「ああ、すべて投げ出して犬たちに会いに行きたい……」

 ヴィクトールは、書類が並べられた執務机に突っ伏して弱音を吐く。彼は幼い頃から動物が好きだった。猫や兎などの小さい動物も好きらしいが、何より思い切り抱き付けるような大きな犬を好んでいる。愛想はないけれど無暗に人間に危害を加えない番犬たちは、彼にとって思う存分愛でられる対象になっていた。
 「動物は余計なことを言わないから」と呟いた少年時代のヴィクトールの悲し気な笑みを、レーヴェは忘れられずにいる。小さい子供に、そんなことを思わせるほどの事を周りの人間たちは囁いたのかと憤ったものだ。
 両陛下も、余りにも無礼な貴族のことは咎めていたようだけれど、最終的には殿下自身が乗り越えるべきだとお考えのようだった。

 表で良い顔をして裏で残酷な言葉を平気で述べる貴族の相手に疲れた王太子にとって、飼い主と認識している飼育員以外に無駄に尻尾を振らないところも、番犬たちを気に入っている理由の一つらしい。歪んでいる、という感想は不敬に値するのでレーヴェは心の奥に押し込めた。──もっとも、今一番可愛がっているのは物につられて尻尾をぶんぶんと振る犬のようだけれど。

「飼育員を困らせますので、どうか程々になさってください。
 あとは、休憩を取られるのは必要な執務をこなしてからでないと、側近たちが困りますのでそちらについてもお含みおきください」

 レーヴェの言葉を聞いたヴィクトールはむ、と子供の頃のように頬を膨らます。成人済の男がやる仕草ではないが、幼い頃から知っている人間だけになると、つい昔に戻ることがあるらしい。
 本来であれば執務を補佐する文官たちが直接進言すべきことなのだが、王太子に遠慮して言えないものが多いせいか、幼い頃から傍に仕え15年来の付き合いになるレーヴェが彼らに泣きつかれるのだ。本来であれば主を諫めるのは騎士の仕事ではないというのに。




 ヴィクトールが渋々と顔を上げて執務に取り掛かったところで、執務室に扉を叩く軽い音が響いた。扉から顔を覗かせたのは、ヴィクトールの幼馴染でもあり側に仕える文官でもあるファルクだった。手には何かを包んだ白いナプキンを持っている。

「殿下、頼まれたものを持ってきました」

「ありがとう、ファルク」

「……頼まれていたもの、とは?」

 ヴィクトールの声がやたら明るくなったことに嫌な予感がしたレーヴェは剣を含んだ声で問いかけた。言葉を発してからレーヴェの存在に気付いたファルクは、やべっという顔をしたが一瞬で引っ込めて笑って誤魔化した。

「……ほら、最近令嬢を番犬たちの元へ連れていっては嫌な思いをさせているだろう?お詫びを用意しないとと……」

 若干気まずげにヴィクトールが答える。状況から察するに嫌な思いをさせている、とは令嬢たちに対してでは、多分ない。このどこかずれた王太子でも、まさか貴族の令嬢にナプキンで簡単に包んだだけの“何か”を贈るとは思えない。
 今まで大きな犬と引き合わせられた令嬢が皆、思わず叫んだり怯えて忙しなく立ち去ったりという行動を取っているため、犬に度々不快な思いをさせてしまうお詫び、ということなのだろう。
 以上のことから考えると、ナプキンに包まれたそれは調理場からもらってきた食物だと思われる。

「犬にやたらおやつを与えると、飼育員が困ります」

「私が会いに行くことと“嫌な思い”が紐づけられては困るし……」

 どの犬に何をどれだけあげたかは必ず伝えられているため餌の量は調整されているらしいが、度重なると栄養も偏るだろう。特に、殿下気に入りのこげ茶の犬は他の犬に比べて与えられるおやつへの食いつきがいい。他の犬は差し出されたものをただ食べる程度なのだが、こげ茶の犬は食べ終わると尻尾を振って次をねだるのだ。
 そのうちあの犬だけ太りだすのではないかとレーヴェはこっそり思っている。


「まあまあレーヴェ。殿下の妃が決まるまでは仕方がないさ」

「お前もお前だ!
 俺は飼育員に毎回困った顔をされて気まずい思いをしているんだぞ!」

「えー僕は別に気まずくないけど?」

 肩をすくめるファルクに苦々しい気持ちがこみ上げる。こいつはこういう奴だった。ファルクはレーヴェと同じく殿下を諫めることができるほど親しいのだけれど、誰かに訴えられても大抵笑って流す。他の側近や飼育員たちもファルクに言っても重要性をわかってもらえずヴィクトール本人に伝えてもらえないことがわかっているので、結局レーヴェのみが割を食う事になっているのだ。

 レーヴェは、片手で瞼を覆い呆れた様子を隠すことなく盛大に息を吐き出したのだが、休憩時間に思いを馳せる主と飄々としている同僚には伝わることがなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

死にたがり令嬢が笑う日まで。

ふまさ
恋愛
「これだけは、覚えておいてほしい。わたしが心から信用するのも、愛しているのも、カイラだけだ。この先、それだけは、変わることはない」  真剣な表情で言い放つアラスターの隣で、肩を抱かれたカイラは、突然のことに驚いてはいたが、同時に、嬉しそうに頬を緩めていた。二人の目の前に立つニアが、はい、と無表情で呟く。  正直、どうでもよかった。  ニアの望みは、物心ついたころから、たった一つだけだったから。もとより、なにも期待などしてない。  ──ああ。眠るように、穏やかに死ねたらなあ。  吹き抜けの天井を仰ぐ。お腹が、ぐうっとなった。

うたた寝している間に運命が変わりました。

gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

散財系悪役令嬢に転生したので、パーッとお金を使って断罪されるつもりだったのに、周囲の様子がおかしい

西園寺理央
恋愛
公爵令嬢であるスカーレットは、ある日、前世の記憶を思い出し、散財し過ぎて、ルーカス王子と婚約破棄の上、断罪される悪役令嬢に転生したことに気が付いた。未来を受け入れ、散財を続けるスカーレットだが、『あれ、何だか周囲の様子がおかしい…?』となる話。 ◆全三話。全方位から愛情を受ける平和な感じのコメディです! ◆11月半ばに非公開にします。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる

夕立悠理
恋愛
 ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。  しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。  しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。 ※小説家になろう様にも投稿しています ※感想をいただけると、とても嬉しいです ※著作権は放棄してません

このたび、あこがれ騎士さまの妻になりました。

若松だんご
恋愛
 「リリー。アナタ、結婚なさい」  それは、ある日突然、おつかえする王妃さまからくだされた命令。  まるで、「そこの髪飾りと取って」とか、「窓を開けてちょうだい」みたいなノリで発せられた。  お相手は、王妃さまのかつての乳兄弟で護衛騎士、エディル・ロードリックさま。  わたしのあこがれの騎士さま。  だけど、ちょっと待って!! 結婚だなんて、いくらなんでもそれはイキナリすぎるっ!!  「アナタたちならお似合いだと思うんだけど?」  そう思うのは、王妃さまだけですよ、絶対。  「試しに、二人で暮らしなさい。これは命令です」  なーんて、王妃さまの命令で、エディルさまの妻(仮)になったわたし。  あこがれの騎士さまと一つ屋根の下だなんてっ!!  わたし、どうなっちゃうのっ!? 妻(仮)ライフ、ドキドキしすぎで心臓がもたないっ!!

筆頭婚約者候補は「一抜け」を叫んでさっさと逃げ出した

基本二度寝
恋愛
王太子には婚約者候補が二十名ほどいた。 その中でも筆頭にいたのは、顔よし頭良し、すべての条件を持っていた公爵家の令嬢。 王太子を立てることも忘れない彼女に、ひとつだけ不満があった。

処理中です...