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 社交シーズンの中盤に開催される、今日の王宮舞踏会はローズマリー曰く小規模なものである。最も、小規模とはいえ王宮で行われるものであるためそこらの邸宅で開かれる夜会よりは豪華に違いないのだけれど。
 王女の騎士がエスコートしてくれることになったので、王宮舞踏会のエスコートは不要と兄パトリックに伝えると、非常に渋られた。何度か反対されたものの、従姉妹とはいえこの国の第一王女の提案ということで渋々、本当に渋々許可が出た。
 その騎士とは二曲踊らないだとか、会場から一歩でも出る時は─バルコニーさえも─パトリックに声をかけろだとか、飲酒はいつもの半分以下だとか様々な制約付きではあるが。
 
 王宮に向かう馬車の中でも、再三注意を受けて一つ一つ約束を復唱させられた。取り巻き時代は放置だったくせに、何故か突然過保護になってしまった兄にアリシアは溜息をつく。
 
 王宮に着くと、近衛の制服に身を包み、黒髪を後ろに撫で付けた精悍な出で立ちの男性が出迎えてくれた。今日、ローズマリーからアリシアのエスコートの命を受けた近衛の騎士である。
 彼は今年20歳になる伯爵家三男とのことだった。5歳年の離れたパトリックとは少し年齢が違うため、声をかけてくる独身男性もまた違うだろうというのは王女の言葉。
 更に詳細に言えば、「シスコンの公爵家嫡男が横に張り付いていたら、知り合い以外来れないわよ!」とのことだった。
 
「今日はくれぐれも、くれぐれも妹をよろしく頼む。
 不埒な思惑を持っていそうな男は近づけないように、変な男が近づいたらすぐに私に報告するように。また、人が少ないところには決して立ち入らせないように。
 くれぐれも頼む」
 
「ええ、この制服にかけて、無体をはたらく輩は近づけません。
 もちろん、私自身も王女殿下から命を受けている以上、騎士の誇りを以て節度あるエスコートをいたしますのでご安心ください」
 
 兄馬鹿全開の牽制に、アリシアは思わず天を仰ぎたくなるが近衛騎士は至極真面目に言葉を返す。そこまで言われると、パトリックもそれ以上言い募れないらしく、しかし最後に「頼んだからな!」と忘れずに駄目押しすると先に会場に向かっていった。
 
 申し訳ない気持ちでちらりと騎士を見ると、真面目そうな顔に僅かに微笑みを乗せて略式の騎士の礼をとった。
 
「本日、姫様のエスコートの名誉を賜った近衛三番隊のマーカスと申します。
 至らぬ点も多々あるかと思いますが、誠意をもって仕えさせていただきます」
 
 元王女を母にもつアリシアは王姪であるため、姫と呼ばれる身分に間違いはないのだが、今までにない対応だったので非常にむずがゆくなる。例えばお調子者のダニエルであれば、冗談半分で姫扱いもすることはあるだろうが、目の前の生真面目な騎士は本気で言っているのだろう。
 類は友を呼ぶというのか、兄や兄の友人たちはどちらかというと文官肌の者ばかりだ。彼らも護身目的や嗜み、または体型作りなどで体を鍛えているのだが、騎士であるマーカスの体は段違いで厚い。身長は兄パトリックとそう変わらないように見えるが、質量が全く違う。鍛え抜かれた筋肉を持つ目の前の騎士はまるで人種さえも違うように見える。
 
「こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ。マーカス様」
 
 エスコートのために差し出された手に自身の手を添えると、壊れ物を扱うようにそっと握られる。真面目そうな、見る人によっては堅物の朴念仁にも見えるマーカスだが、流石は王女付きの近衛隊である。女性へのエスコートに覚束なさが見られないので、安心して任せることができそうだ。
 王女の言った通り、今日はいつもと違う舞踏会になりそうだと、アリシアは胸を躍らせた。
 
 
 
*****
 
 
 
 そんなに都合よく、今日すぐに結婚相手が見つかるとまでは思っていなかったが、それでも候補の一人くらいは見つかるのではないかとアリシアは期待していた。少なくとも、新たなお知り合いの一人くらいは作れるだろうとも。
 隣にいるのが公爵家嫡男のパトリックではなく、伯爵家三男……更に言えば近衛騎士の制服を身につけ、“義務感”を出し特別な男性であると思わせないことで、いつもよりも周りの男性も声が掛けやすくなるはずだと王女は言っていた。
 
 言っていたのだが……。確かに、まれに兄の友人以外の……いつもと違う男性も声をかけてこないこともない。しかし、大抵が数分も立たないうちにそそくさと話を切り上げてしまうのだ。
 原因は勿論わかっている。隣にいる騎士の存在だ。彼はエスコート役として簡単な挨拶を終えた後、見定めるように鋭い視線で声をかけてきた相手を見つめるのだ。平均よりも少し高めの身長と、平均よりも大分厚めの体つきで威圧しているようにも見える。
 移動やグラスの交換に関しては王女付き近衛騎士らしく100点満点のエスコートをするので油断していたが、この騎士は非常に口下手だった。アリシアと彼女に声をかけてきた男性の会話に参加しないのは勿論のこと、人が寄ってきていないときにも、アリシアに対して何か世間話をするでもなく会場内を警戒するように眺めている。まるで市井の─しかも治安が良くない街を─護衛をしているかのようだ。
 馬車から降りた時に告げられたパトリックの『不埒な男を近づけない』という言いつけを守っているつもりなのかもしれないが、これでは不埒でない人間も近寄れないのではないだろうか。
 それが証拠に、いつもであれば必ず挨拶は交わす知人の令嬢すらも近寄ってくる気配がない。むしろ、アリシアの視界に入らないようにしているようにすら思える。
 
 少し離れたところにいた、令嬢に囲まれたパトリック─今日もシガールームに逃げなかったらしい─と目があったので、さりげなく視線で助けを求めてみたが、なぜか満足気に頷かれるだけだった。肝心なときに役に立たない兄である。
 
 彼の本来の主にあたるローズマリーであれば、小言の一つでもいって殺気を収めるように指示ができたのかもしれないが、この生真面目騎士の扱い方を知らないアリシアにとっては難題だった。しかしこのままでは壁の花(守護者ガーディアン付)という全く意味の判らない存在になってしまう。
 
 
「アリシア様、グラスが空きそうですが次は何をお飲みになりますか?」
 
「……ええと、度が低めの果実酒をお願いいたしますわ」
 
 無駄話は一切しないが、相変わらずドリンクの空き具合などには気が利くようだ。
 給仕の元へ向かう近衛服を見ながら、アリシアはこっそりと溜息をついた。パトリック経由以外での人脈を広げるべきというローズマリーとの計画は思い切り躓いた。
 マーカス個人は誠実な人柄であることが伝わるし、決して悪い人ではない……むしろ個人で関わるのであれば好ましい人間なのだけれど今回に至っては人選ミスとしか思えなかった。
 
 このままでは全く収穫のないまま舞踏会を終えそうで、どうしようかと思案していると、会場を出てすぐのところにある庭園から女性が何か言い募っているような声が聞こえた。それも、よく耳にしたことがある人物の声で。
 
 王宮の舞踏会で揉め事を起こしたら、個人邸で開かれる夜会での揉め事と違い大ごとになる可能性が高い。厄介事に自ら首を突っ込む性分でもないつもりなのだが、なんとなく気になってしまったアリシアは声のする方へと足を向けてしまう。
 
 
 
 案の定というべきか、そこにはよく見知った人物がいた。
 クラウスの取り巻きのリーダー格である、侯爵令嬢とそれに付き従うように2人の令嬢が控えている。3人の令嬢が囲う相手を見て、思わず踵を返しそうになる。
 
 令嬢たちの視線の先。先日の夜会でクラウスに声をかけられた可憐な少女が芝生に尻もちをついた状態で令嬢たちに向き合っていた。
 
 彼女たちは決して友人ではないけれど、先日まで同じ取り巻きとして過ごしていたのである程度の性格は知っている。侯爵令嬢は少々激情型なところがあった。屋外庭園とは言え、会場フロア出てすぐのところでの言い合いということは、何か思うことがあって呼び出したわけではなく、たまたま居合わせて少し文句をつけてやりたくなったのだろう。
 でなければ、こんな誰に見とがめられるかわからないところで一人の令嬢を囲うなんて馬鹿げたことをするはずがない。
 
 せめてこっそりとやりなさいよと思いながらも、気付いてしまってみて見ぬふりはできない。なまじ囲っている側の身分が高いだけに、そこら辺の貴族では止めるに止められないだろう。
 何よりも、このまま揉め事になってしまえば、原因としてクラウスのことが上がるかもしれない。間接的とはいえ、クラウスを慕う令嬢たちが嫉妬により起こした問題となれば嫌な噂が起きる可能性がある。
 火のないところに煙は立たないというが、マッチ程度の火元からも簡単に大火事を起こしてしまうのが貴族社会だ。
 例え断ち切ろうとしている初恋の相手であっても、嫌いになって諦めた恋ではない。彼の不利益になりかねない彼女たちの行動に、苦言を呈さないわけにはいかなかった。
 
 ただ一つ懸念があるとすれば、リーダー格の彼女は侯爵令嬢。アリシアよりも家格が低いとはいえ、近年では貿易などの事業のほうで力をつけている侯爵家である。あまり表立って対立したい相手ではなかった。更に言えば彼女は持ち前の気の強さで、令嬢たちの間では結構な発言力を持っていた。
 あることないこと社交界で吹聴されたらどうしようと思いつつも、背に腹は代えられないと一歩前に進む。
 
「貴女のような田舎者がウロウロと──」
 
「聞き覚えのある声が聞こえたと思ってきてみたら……
 どうしたのかな?」
 
「……っクラウス様!?」
 
 突然湧いた声に、令嬢たちは肩を揺らして振り向いた。その表情には、驚きの色が見える。
 もちろん、アリシアも心臓が飛び出るほどに驚いていた。揉めている彼女たちの仲裁をするために、声をかけようとした瞬間に後ろからクラウスが現れたのだから。
 
「私で良かったら相談に乗るけど、何かあったのかな?」
 
「いえっ……何でもありませんわ。
 わたくしたちは失礼いたします……!」
 
 
 明らかに一人を囲って穏やかではない状況ではあるのだが、緊迫した様子などは一切見せずに微笑むクラウスに対して、令嬢たちは気まずくなったのか先ほどまでの怒気をしまってそさくさと逃げ出した。
 
「大丈夫か?」
 
「……はい」
 
 クラウスは立ち去る令嬢たちを一瞥すると、座り込む少女に手を差し出して、そのまま引っ張り彼女を立たせた。
 初夏を告げる花が咲く夜の庭園に、舞踏会会場から漏れる微かな灯りが降り注いでいる。
 
 薄明りの庭園、美少女の危機に駆け付ける美丈夫。手を取り合う2人は、まるで物語のワンシーンを切り取ったかのよう。
 2人の姿を目に写し、思わず息を呑む。クラウスは心配そうな……少女を思いやる気持ちを瞳に乗せて、対する少女は頬を染め瞳を潤ませ、明らかに恋い慕う表情をしていた。
 
──またしても脇役だわ……。
 
 取り巻きAを卒業したと思ったら、今度はさしずめ通りすがりA。
 想いがかなわないのであれば、せめて関わりのない遠い距離に行きたかった。どろどろとした醜い気持ちを飲み込むように下唇を噛んで耐えていると、前方から声がかかる。
 
 それは同じ人物から発されたものだというのに、先ほど優しく少女を気遣った時の声色と違って、どこか咎めるような声だった。
 
「アリシア、何故一人で庭園に出たんだ?
 今日きみといた騎士は──」
 
「アリシア様! やっと見つけました!」
 
「……マーカス様!」
 
 クラウスの発言を割るように、後ろから今日のエスコート役の騎士の声が聞こえた。これ以上冷たいクラウスの声を聴きたくなくて、思わず纏うように騎士の名を呼んでしまう。
 駆けてきた騎士は状況が読めなかったらしく、眉間に皺を寄せて疑問符を浮かべる表情をしたが、それも一瞬で気を取り直してアリシアに向き合った。
 
「パトリック殿も心配しておりました。こんなところにいてはなりません。すぐに中に戻りましょう」
 
「ええ、そうね。
 
 クラウス様、申し訳ございません。
 兄のところへ行かねばなりませんので失礼いたしますわ」
 
 
──あの令嬢たちと一緒に苛めていたと思われたかもしれない。
 
 クラウスの表情を見る勇気がなくて……その瞳に侮蔑の色が浮かんでいることを恐れて、視線を下げたまま礼をしてすぐに踵を返す。クラウスの声が、今まで聞いたこともないくらい冷たかったから。声だけで、彼の怒りが伝わってきた。
 これ以上あの場にいたら、泣き出してしまいそうだった。


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