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Case03 スターリングス・オブ・カラミティ
Case03-2
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「ごめん! お願い!」
首が折れるかというほど、蓮司は勢い良く、深く頭を下げた。
右手の指を揃えて真っ直ぐ天に伸ばし、片手で拝むように頭上に掲げる。左手もきちんと合わせたいところだが、がっちりとギプスで固定されている前腕は、右手に添えるように持ち上げるのが限界のようだ。
その姿を前にして、ミチはむうと小さく頬を膨らませた。
蓮司からの頼み事など、普段なら何をおいても二つ返事で聞くところだが、ことこの件に関してはそうもいかない。
「ミっちゃんが亮ちゃんキライなの知ってるけど! 今日だけ! お願い!」
今日だけ、と言いつつ割と頻繁にしているお願いであることは、本人含め誰もがわかっている。少し前にも、見回り当番であることをすっかり忘れ、代わりに亮介と同行してもらったばかりである。
しかし、今回ばかりは致し方ない。
特に何が起こるわけでもないだろうが、さすがにギプスで固定された腕では万が一の時に対応出来かねる。
菫からも再三に渡り外出禁止を言い渡されている以上、代打を起用するしかないのだ。
「竜二さんとこのケーキ二つ!」
これでどうだと言わんばかりの提案に、膨れっ面のミチの眉がぴくりと動く。
「……ダメ?」
「……みっつ」
蓮司の情けない犬のような上目遣いに、思わずぐっと顎を引いてから、ミチは指を三本立てた。
「よし決まりィ! ありがと、ミっちゃん!」
途端に、丸めていた背をすっと伸ばし、蓮司がぱっと破顔する。ミチはまだ不服そうではあったが、蓮司の笑顔に押し切られるように、小さく頷いた。
「……さて、このやり取りを目の前で見つめる俺はどうリアクションするのが正解ですか、菫さん」
「知るか」
腰掛けた椅子を傾けてキッチンカウンターに寄りかかる亮介に、調理場の菫は投げやりに答えた。
浅く咥えた煙草を上下に動かすと、紫煙が生物のようにうごめく。
亮介は数拍、ふむと思案するような表情を作った。
「お嬢ー、ホールでって言っときなー」
ばっと振り返るミチの顔は、亮介に向けるものとは思えないほど輝いていた。
「亮ちゃぁんっ!」
思いがけない追撃に、蓮司が慌てて声を上げる。「いいのかそれで」と、菫が呆れたように亮介の背後で零した。
蓮司がそっとミチに視線を戻すと、見たことがない程にキラキラとした瞳とかち合った。諦めたように項垂れて、その頭をぽんぽんと撫でる。
「……じゃあ、今日お願いね」
当分は真面目に仕事をしようと決意を新たにする蓮司を尻目に、ミチはふんふん頷くと長テーブルの合間を縫って亮介に歩み寄った。
立ち上がろうともしない彼の胡散臭い笑顔に一瞥くれ、斜めに傾く椅子の脚を何の躊躇いもなく流れるように足で払う。
「――あっぶな!」
と大袈裟には言うものの、ある程度亮介にも予測はついていたのか、大きな音を立てて倒れたのは椅子だけだった。蓮司が「ミっちゃーん」とさすがに嗜めるような声を出すが、ミチは意に介さない。
半ば強制的に立ち上がらされた亮介は、吸口を噛み潰してしまった煙草を灰皿に押し付けた。
「んもー、あんまり人にそういうことしちゃダメよ、お嬢」
「……おまえにしかしない」
長身の亮介と小柄なミチでは、頭の位置が四十センチ近く違う。低い位置から睨み上げるミチに、亮介は丸まった背を更に折り曲げた。
「好きな子にイジワルするやつ?」
近い位置でニヤリとするその顔目掛け、ミチの右手が振り上がる。
だがその小さな拳は、毛嫌いする男の顔ではなく、敬愛するリーダーの手の平にバチンと着弾した。
「だっから嫌われるんでしょうよ、亮ちゃんはもー」
ミチがそれ以上手を出さないよう、蓮司は二人の間にわざとギプスの腕を差し入れた。その思惑通りか、ミチはばつの悪い顔で手を引っ込めると、俯きがちに一歩後ずさった。
ギプスの先端から覗く、僅かに動く指の背で、蓮司がミチの落ちた肩を撫でる。
「ごめんね、ミっちゃん。ホントに嫌だったら俺行くよ」
その顔にどんな効果があるのか知ってのことか、無意識なのか、蓮司は困ったように笑った。ふるふるとミチが慌てて首を振る。
「『行くよ』じゃねえ、行けないからミチに振ってるんだろうが。お前もいい加減にしろ、大人気ない」
調理場から出て来た菫が、呆れたように亮介の後頭部をぴしゃりと叩いた。「いてー」と、大して痛くもなさそうに漏らす亮介は、丸めた背を伸ばして新しい煙草を咥えた。
「ミチ、悪いけど頼むぞ。蓮司、お前は部屋で大人しくしてろよ」
こくりと頷くミチの横で、蓮司がふてくされたような表情を作る。
「えー……。ていうか菫ちゃんはどこ行くのよ?」
「俺は野暮用」
さらりと答えると、菫はキッチンから持ち出した荷物をテーブルに置き、椅子の背に掛けていた上着を手に取った。
「何、野暮用て。仕事?」
「野暮用は、野暮用」
事細かに説明する気はないらしく、短時間で同じ単語を三度も返し、するりとジャケットに袖を通す。「ズルい」と抗議する蓮司の声をヒラヒラ手を振って流すと、そのまま菫はさっさと部屋を出て行ってしまった。
「……女か」
「女だ」
ここぞとばかりに息を合わせる蓮司と亮介を、呆れたようにミチが見やる。
「いいやねえ、顔面偏差値高いと」
亮介は口に挟んでいただけの煙草に火を点け、煙を一筋吐き出した。腰のホルスターに差入れてある銃を抜き、弾倉を確認して戻す。菫の前でやると普段の手入れ不足を叱責されるが、現状ではミチの冷めた視線を受ける程度で済む。
二丁共簡単に見終えると、亮介は一度煙草の灰を落とした。
「さてー、じゃあ俺らも行くかね、お嬢」
「ん。気をつけてね」
亮介には目もくれず、ミチは蓮司に向かって小さく頷くと、スタスタと出入り口へ向かった。その背を、蓮司は苦笑混じりに見送る。
「亮ちゃんもごめんねー。別に何もないだろうし、ホントに俺が行ってもいいんだけど」
「そうねえ」
亮介は伸びをするように背を反らせると、一際大きく煙を吸い込み、細く長く吐き出した。
「……まぁ、今日くらいはホントに大人しくしときなよ。昨日はだいぶヘコんでたんだから。お嬢も、菫も」
そして、煙草を指に挟んだ手の平で、ぽんぽんと蓮司の頭を撫でた。
「大将は、まだヘコんでんね」
「……!」
予期せぬところから予期せぬ言動が飛び出し、蓮司はうまく対応し損ねた。ぐっと詰まるリーダーの様子を見て、亮介が短く笑う。
「――じゃあ、行ってくるねー」
口にすべき言葉を蓮司が探しあぐねている間に、亮介もまた、手を振って出て行ってしまった。
閉じられたドアをしばし見つめ、肺に溜まっていた空気を一気に吐き出す。首を傾け、二、三度襟足の辺りを擦ると、蓮司の口からは声になりきれない音が漏れた。ガシガシと今度は少し乱暴に頭をかき、また溜息をつく。
蓮司は窓際に歩み寄り、路上を見下ろした。すでに一区画程度先を歩くミチのあとを、亮介が赤茶色の猫毛を揺らしながら、急ぐでもなく追う姿が見えた。
「……目聡いんだよなぁ……」
一人呟く室内には、煙草の匂いが色濃く残っていた。
首が折れるかというほど、蓮司は勢い良く、深く頭を下げた。
右手の指を揃えて真っ直ぐ天に伸ばし、片手で拝むように頭上に掲げる。左手もきちんと合わせたいところだが、がっちりとギプスで固定されている前腕は、右手に添えるように持ち上げるのが限界のようだ。
その姿を前にして、ミチはむうと小さく頬を膨らませた。
蓮司からの頼み事など、普段なら何をおいても二つ返事で聞くところだが、ことこの件に関してはそうもいかない。
「ミっちゃんが亮ちゃんキライなの知ってるけど! 今日だけ! お願い!」
今日だけ、と言いつつ割と頻繁にしているお願いであることは、本人含め誰もがわかっている。少し前にも、見回り当番であることをすっかり忘れ、代わりに亮介と同行してもらったばかりである。
しかし、今回ばかりは致し方ない。
特に何が起こるわけでもないだろうが、さすがにギプスで固定された腕では万が一の時に対応出来かねる。
菫からも再三に渡り外出禁止を言い渡されている以上、代打を起用するしかないのだ。
「竜二さんとこのケーキ二つ!」
これでどうだと言わんばかりの提案に、膨れっ面のミチの眉がぴくりと動く。
「……ダメ?」
「……みっつ」
蓮司の情けない犬のような上目遣いに、思わずぐっと顎を引いてから、ミチは指を三本立てた。
「よし決まりィ! ありがと、ミっちゃん!」
途端に、丸めていた背をすっと伸ばし、蓮司がぱっと破顔する。ミチはまだ不服そうではあったが、蓮司の笑顔に押し切られるように、小さく頷いた。
「……さて、このやり取りを目の前で見つめる俺はどうリアクションするのが正解ですか、菫さん」
「知るか」
腰掛けた椅子を傾けてキッチンカウンターに寄りかかる亮介に、調理場の菫は投げやりに答えた。
浅く咥えた煙草を上下に動かすと、紫煙が生物のようにうごめく。
亮介は数拍、ふむと思案するような表情を作った。
「お嬢ー、ホールでって言っときなー」
ばっと振り返るミチの顔は、亮介に向けるものとは思えないほど輝いていた。
「亮ちゃぁんっ!」
思いがけない追撃に、蓮司が慌てて声を上げる。「いいのかそれで」と、菫が呆れたように亮介の背後で零した。
蓮司がそっとミチに視線を戻すと、見たことがない程にキラキラとした瞳とかち合った。諦めたように項垂れて、その頭をぽんぽんと撫でる。
「……じゃあ、今日お願いね」
当分は真面目に仕事をしようと決意を新たにする蓮司を尻目に、ミチはふんふん頷くと長テーブルの合間を縫って亮介に歩み寄った。
立ち上がろうともしない彼の胡散臭い笑顔に一瞥くれ、斜めに傾く椅子の脚を何の躊躇いもなく流れるように足で払う。
「――あっぶな!」
と大袈裟には言うものの、ある程度亮介にも予測はついていたのか、大きな音を立てて倒れたのは椅子だけだった。蓮司が「ミっちゃーん」とさすがに嗜めるような声を出すが、ミチは意に介さない。
半ば強制的に立ち上がらされた亮介は、吸口を噛み潰してしまった煙草を灰皿に押し付けた。
「んもー、あんまり人にそういうことしちゃダメよ、お嬢」
「……おまえにしかしない」
長身の亮介と小柄なミチでは、頭の位置が四十センチ近く違う。低い位置から睨み上げるミチに、亮介は丸まった背を更に折り曲げた。
「好きな子にイジワルするやつ?」
近い位置でニヤリとするその顔目掛け、ミチの右手が振り上がる。
だがその小さな拳は、毛嫌いする男の顔ではなく、敬愛するリーダーの手の平にバチンと着弾した。
「だっから嫌われるんでしょうよ、亮ちゃんはもー」
ミチがそれ以上手を出さないよう、蓮司は二人の間にわざとギプスの腕を差し入れた。その思惑通りか、ミチはばつの悪い顔で手を引っ込めると、俯きがちに一歩後ずさった。
ギプスの先端から覗く、僅かに動く指の背で、蓮司がミチの落ちた肩を撫でる。
「ごめんね、ミっちゃん。ホントに嫌だったら俺行くよ」
その顔にどんな効果があるのか知ってのことか、無意識なのか、蓮司は困ったように笑った。ふるふるとミチが慌てて首を振る。
「『行くよ』じゃねえ、行けないからミチに振ってるんだろうが。お前もいい加減にしろ、大人気ない」
調理場から出て来た菫が、呆れたように亮介の後頭部をぴしゃりと叩いた。「いてー」と、大して痛くもなさそうに漏らす亮介は、丸めた背を伸ばして新しい煙草を咥えた。
「ミチ、悪いけど頼むぞ。蓮司、お前は部屋で大人しくしてろよ」
こくりと頷くミチの横で、蓮司がふてくされたような表情を作る。
「えー……。ていうか菫ちゃんはどこ行くのよ?」
「俺は野暮用」
さらりと答えると、菫はキッチンから持ち出した荷物をテーブルに置き、椅子の背に掛けていた上着を手に取った。
「何、野暮用て。仕事?」
「野暮用は、野暮用」
事細かに説明する気はないらしく、短時間で同じ単語を三度も返し、するりとジャケットに袖を通す。「ズルい」と抗議する蓮司の声をヒラヒラ手を振って流すと、そのまま菫はさっさと部屋を出て行ってしまった。
「……女か」
「女だ」
ここぞとばかりに息を合わせる蓮司と亮介を、呆れたようにミチが見やる。
「いいやねえ、顔面偏差値高いと」
亮介は口に挟んでいただけの煙草に火を点け、煙を一筋吐き出した。腰のホルスターに差入れてある銃を抜き、弾倉を確認して戻す。菫の前でやると普段の手入れ不足を叱責されるが、現状ではミチの冷めた視線を受ける程度で済む。
二丁共簡単に見終えると、亮介は一度煙草の灰を落とした。
「さてー、じゃあ俺らも行くかね、お嬢」
「ん。気をつけてね」
亮介には目もくれず、ミチは蓮司に向かって小さく頷くと、スタスタと出入り口へ向かった。その背を、蓮司は苦笑混じりに見送る。
「亮ちゃんもごめんねー。別に何もないだろうし、ホントに俺が行ってもいいんだけど」
「そうねえ」
亮介は伸びをするように背を反らせると、一際大きく煙を吸い込み、細く長く吐き出した。
「……まぁ、今日くらいはホントに大人しくしときなよ。昨日はだいぶヘコんでたんだから。お嬢も、菫も」
そして、煙草を指に挟んだ手の平で、ぽんぽんと蓮司の頭を撫でた。
「大将は、まだヘコんでんね」
「……!」
予期せぬところから予期せぬ言動が飛び出し、蓮司はうまく対応し損ねた。ぐっと詰まるリーダーの様子を見て、亮介が短く笑う。
「――じゃあ、行ってくるねー」
口にすべき言葉を蓮司が探しあぐねている間に、亮介もまた、手を振って出て行ってしまった。
閉じられたドアをしばし見つめ、肺に溜まっていた空気を一気に吐き出す。首を傾け、二、三度襟足の辺りを擦ると、蓮司の口からは声になりきれない音が漏れた。ガシガシと今度は少し乱暴に頭をかき、また溜息をつく。
蓮司は窓際に歩み寄り、路上を見下ろした。すでに一区画程度先を歩くミチのあとを、亮介が赤茶色の猫毛を揺らしながら、急ぐでもなく追う姿が見えた。
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