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【第四章】悲しみの旋律
時間フィールドストリームの果てに
しおりを挟む『ディフレクターを起動します』
「いいわよ」
腕を組んだままシロタマではなくスクリーンへと応える玲子の声に誘われて、皆の視線が集中する。
船の先端から太いビームが放出。すぐに空間のど真ん中に閃光が走り、光の輪が広がった。それへとニールが細っこい指で示す。
「ほらほら。あんな小さな穴を抜けるんですよ」
ネブラを背景にしたためとても小さく見えた。
「お前が言ったんじゃないか。もっとでかい穴を開ける方法があるんなら今のうちに言えよ」
俺の問いに目を閉じて銀髪の頭を振る。
「銀龍のパワーではあれが精一杯でしょう。それより次元シールドに穴を開けようとした人はいませんし、ましてやそこへ飛び込むなんて自殺行為以外何ものでもありませんよ」
「なにゆうとんや。あんたらのご先祖様はブラックホールに飛び込んだんやデ。その時ワシも同じことゆうたワ。そんなん自殺行為やってな」
ニールは黙りこけたが、何かに気付いたのか不意に首を伸ばした。
「帰りはどうするんです。パワーの損失を考えると、もう大きな穴は開けれないかもしれませんよ」
玲子はイタズラがバレた子供みたいにニタリと笑い。
「そんなの知んないわ。どうにかなるでしょう」
「ネブラを破壊すれば大手を振って帰れるデし」
とタマが言ってヲタがうなずく。
「そのとおりダすよ」
「そんなぁ……」
がっくり肩を落としたニール。虚脱感と共にしばらく黙考していたが、急激に早口に捲し立てた。
「ところで銀龍には構造維持強化アルゴリズムがあるんですか? なければストリームを越えることはできませんよ」
なんだかんだと言い訳を考えて阻止しようという作戦に出たようだ。
しかし社長はこともなげに言い返す。
「ああ、おまっせ。このあいだスケイバー艦と対峙した時にシロタマが付けとった」
「もしかして450年前の話ですか?」
「おまはんから見たらそうやけど。ワシらからしたら数週間前や」
ついと細い顎を上げるニール。
「レベルはいくつです? シロタマさん?」
『銀龍に装備したのはレベル2の船体構造強化アルゴリズムです』
「それが何だってのよ?」
怖い顔をする玲子に言いのける。
「フルガードディフレクターと呼ばれる船体構造強化アルゴリズムです。しかもレベル5はないと、外と中の時間流の差を打ち消せないので、ストリームに侵入した途端、銀龍がぺしゃんこになります」
「ちょ、ちょ。中止や。シロタマ! ディフレクターを停止させなはれ! 機長、キャンセルや。引き返しまっせ!」
社長のひと声で光の輪っかが消え、ネブラの集合体を映した画像に戻った。
ニールは青っ白い面(つら)に安堵の表情を混ぜた。
「残念でしたー。次元変移に耐えられるのはレベル5以上です。時代が古いから致し方ありませんよ。さ。帰りましょうね。もうじゅうぶんでしょ?」
まるで駄々をこねる子供をあやすかのような口調だった。
だが社長はニールの素振りを鼻で笑った。
「はは。な~んや。アンドロイドの権威やゆうてもたかが知れてまんねんな。レベル5のアルゴリズムすら知りまへんのか」
「バカなことを言わないでください。構造維持理論はDTSDをアンドロイドに装着するときの基本です。僕が知らないわけないワケが無いでしょ」
「じゃあ、教えてよ」
再び妖艶な色香を放出する玲子。社長と立ち位置を交換。
「うあっ!」
ニールが再び固まった。またまた超絶お色気モード全開さ。今度はもっと濃厚なヤツだぜ。
よし、特別に許可する。もっと接近しろ。
というより、マジでニールには免疫が無い。よっぽどのウブなんだろうな。ま、どーでもいいことだ。
「ねえ? ニールさん」
秘書課のタイトミニスカートから白く艶やかな脚をワザとらしくチラつかせると、長く形のいい人差し指をぴんと反らし、その先をキョトキョトしているスケベ野郎の顎に引っ掛けてゆっくりと持ち上げた。
「いいでしょぅ? シロタマに教えてあげてよー。アルコロジム」
アルゴリズムな。
「い……いや、あのねですね、レイコさん」
「ねぇぇ……? 教えてぇ」
「いや、それは……」
「ちょっとだけでいいのよ」
「ダメ。教えない」
首を勢いよく振るニール。
「………………」
さすが喧嘩一代バカだ。作り物の色気はすぐに限界へと達する。
「もう。ウダウダ言ってないで」
「えっ?」
「さっさと教えないと、その首絞めるわよ!」
だんだん脅迫めいてきており、その研磨された目の怖ぇぇこと。
「あ、あの。そ、そうですね。教えるくらいは……」
最終段階の仕上げにかかる玲子。さらに鼻先がつくほどに顔を寄せ、ぐっとニールを引き寄せた。
「ありがと。お礼がしたいわ」
「レ、レイコさん」
上擦った声で反応するニールへとシロタマが急降下。
「わわわ。電撃ショックはイヤですよ」
「お礼はフィギュアでしゅ!」
「なは――っ!」
ニールはのけ反り、俺も呆れて声も出ない。
く、くだらん――。
頭上から落とされた人形へ飛びつく田吾。
「あー。オラの……ののかちゃん」
子供かっ!!
社長も苦笑いと嘲笑(あざわら)いを混ぜた歪んだ笑顔で近寄り、
「明るい未来を築きましょうや。ニールはん」
「分かりましたよー」
渋々ニールは体を起こして、俺に意味不明のワードを投げ掛けた。
「ユウスケさん。ユイくんのメンテナンスポートを開けてくれます?」
「へ?」
「アホ。メッセンジャーをやっつける時に開けたことあったやろ。忘れたんか?」
「メッセンジャー?」
色々と嫌なことを思い浮かべ、ようやく。
「あぁ。DTSDを……」
まだ俺が喋っているのに、ユイはくるりと俺に背中を向けると、上着を脱いで肩を出した。
ほっそりとしたしなやかな二つの丘陵が目に飛び込む。
「んぐっ!」
俺と田吾の喉が鳴るのは、男の脳ミソにそういう処理がインプリメント(実装)された仕様なのでどうしようもない。
「DTSDの起動デバイスに構造維持アルゴリズムフィールドがあるんです。それを一時的に使用します」
「おいおい。その何とかアルゴリズムを施すのは銀龍の巨体だぜ? こんな華奢な少女とは違うんだ」
ニールはふっと薄っぺらな笑みを浮かべて、俺を絶句させた。
「ユイくんはこの銀龍丸ごと時間と空間を飛ばすせるだけのパワーがあるんですよ。その気になればあと数機まとめたってどーってことないですよ」
言葉を失った俺は、白い背中を惜しげもなく曝け出した優衣に告げた。
「承認コード7730、ユウスケ3321。メンテナンスの準備だ」
『メンテナンスポートを開きます。登録DNAを所定位置に当ててください』
黙って優衣の手首を握った。
『DNA承認完了』
宣言なのか合図なのか、目の前で優衣の背中が開いた。
「はいはい。どうも」
ニールは躊躇なく中に手を突っ込むので、
「おい。丁寧に扱えよ。それと使ったらちゃんと元に戻してくれよ」
奴はハンサム光線を俺へと当て。
「大丈夫ですよ。抜かりはありません。何しろこのDTSDを装着したのも僕なんですから」
小一時間で作業は終わり、シロタマが銀龍のメンテナンスゲートから戻って来た。同じメンテナンス設備だと言っても、規模は優衣の比でないのはお解りだろう。宇宙船なんだからな。でもそれ全体を制御するにしては、構造維持アルゴリズムフィールドと呼ばれる装置はあまりにちゃっちなモンだったことを伝えておこう。
『ディフレクター、起動しました』
シロタマのセリフに続いて、再び船の先端から太いビームが放出、空間のど真ん中に光の輪が広がった。
「機長。お待たせしましたな。入り口が開きましたデ」
続いて船内通信のマイクを切り替え、
「パーサー。構造維持フィールドの調整を頼んまっせ」
《了解です》
「それとな。その装置は優衣の体に入っとった部品や。丁寧に頼んまっせ」
スピーカーからは声を詰まらせる気配と共に、
《……心得ております》
「驚いた時は驚いた声をだせばええのに……」
社長は切ったマイクに言い聞かせた。
「さぁてと……」
俺はあらためて次元の穴を見て吐息する。
パッと観察した感じはしっかりした縦長の楕円形だが、縁がうにょうにょ動いていて、それに触れずに入るのは至難の技だ。見るからに危なっかしそうだった。
穏やかではない雰囲気が室内を浸透し、ニールが最後通告みたいな言葉を吐く。
「ほらね。難しいでしょ。やっぱやめておきましょうよ。別の手を考えたらどうです?」
玲子はニールをきつく睨みつけ、
「慣性ダンプナー最大!」と俺に向かって叫んだ。
「こら。それは社長の役目だろうが」
俺の忠告に、こそこそと自分の席で小さくなる玲子。社長は苦笑いを浮かべたしわくちゃの顔を俺にくれて、顎をしゃくった。
「ほれ裕輔。軍団長の命令や。ダンプナー最大にしなはれ」
「はいはい」
「ハイは一回や」
と社長に咎められつつ装置を起動させ、操縦席からもそれを合図に返事が戻る。
《それじゃあ。すり抜けますよ》
機長の声は軽かった。
これまでも閉まりかけたブレインタワーの格納庫の扉を紙一重の差ですり抜けたり、対峙するデバッガーとザリオンの軍艦に数センチの距離まで迫ったりとか、数々の神業的操縦を俺たちに披露してくれた機長のことだ。おそらくこんなことは朝飯前なのだが、輝く光の輪を間近で見ると、さすがに俺も引いてしまったし、ニールは固く目をつむり、ミカンに抱きついて「ひぃぃ」と震えた。
救命ポッドから最も近い位置を陣取りたい気持ちは理解するが、何とも情けない姿だ。
縦長の楕円に変形した光の環は、みるみる俺たちに迫ってくる。あの穴の向こうは10万倍に引き伸ばされた時間の流れが渦を巻いているらしい。
「うぉぉぉぅ」
田吾の重低音の呻(うめ)き声を鼓膜に受け、ビューワーの中へ視線を固着させる。
ヲタが思わず声を出しのは、途中でカメラの視野がぐりんと縦に回転したからだ。機長が銀龍を横倒しにしたのだが、俺たちには異変はない。人工重力は常に床へと足の裏を張り付けてくれる。
銀白の光の輪がとんでもなく大きな物だったことに気付くと同時に、引き千切れるような速度で後方へ飛び去った。
ほんの少し機体が揺れ、
「あひゃぁぁぁ」と情けない声を出したのは、やっぱりニールだけだ。
ミカンでさえも後部カメラに切り替わった映像に写し出された銀龍の航跡をじっと見据えていた。
「何もおまへんな。ほんまに10万倍もの時間の流れになったんでっか?」
ニールは恐々頭をもたげ、辺りを見渡した。
「社長さん。まだ次元の穴が消えずにあれば、そこから位置情報を知らせるビーコンを放り出してください」
「パーサー、穴の外にビーコン放出や」
《了解》
銀の輝線が後方へと離れ去る楕円穴のセンターを突き抜けて消えて行った。
数秒後。
《通信コードが読み取れません。故障です》
「故障じゃありませんよ。10万倍に圧縮してみてください」
《10万倍って、タイムスタンプはミリセックまでしかできませんよ……あ~。でもこの波形は確かにビーコンの搬送波です。ものすごい低周波に遷移しています》
「ニールはんが正しかったな。中波よりも広がっとるんやろ。銀龍のビーコンはEHF(Extremely High Frequency)波やからな」
社長は膝を打つと、
「よっしゃ。シロタマ。おまはんの出番や。この日のためにセンサーアレイを磨いてきたんやろ?」
「別にそんなつもりは無いデしゅよ。しかもコイツにすり抜けられたち……」
ニールは白い目で頭上の球体を睨め上げ、
「コイツって……。意外とこの子は口が悪いんですね」
「今ごろ気付いたのか。これで普段どおりなのさ。ま、シロタマに悪たれを吐かれりゃ一人前。お前も特殊危険課の仲間になったということだぜ」
「そうね。田吾と裕輔の同類と認められたのよ。喜びなさい」
玲子が継ぎ足し、ニールはその皮肉めいた言葉を受けて嬉しそうに破顔を曝した。
「やー。何だか新鮮ですよ、レイコさん。ホロノベルより本物のほうがいいですねー」
複雑な気分で呆れたコトを言う変態野郎を見遣る。こいつも玲子の魅力に取り付かれやがったな。
「ほな。ニールはんは重力制御システムを探しなはれ。最終的にそいつを叩きまっせ。そいつが目標や」
それより本当に時間の流れが10万倍も早いのか? 何も変わっていない気がする。
ネブラが目前800キロメートルに迫っていたことも忘れて、意外と俺たちは落ち着いていた。興味が優先していたのか、全くと言って恐怖は湧かなかったからだ。
だがそれは、すぐに終焉を迎える。
「うぉっ!」
「何や!!」
唐突に、忽然と照明が薄暗くなった。
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