アカネ・パラドックス

雲黒斎草菜

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【第四章】悲しみの旋律

  満天のダイヤモンド  

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 隣の会議室で取っ組み合いの喧嘩をしていた割に、肩に手を添えて和気藹々と戻るのは、子供の喧嘩みたいで恥ずかしくないか、という気持ちは、ビューワーに広がる光景が消し去ってくれた。

 社長が玲子へ伝えたとおり、デバッガーを真ん中に挟んで両サイドに別れて艦隊の戦闘機が並んでいた。もちろん母艦も二手に分かれて十字の腕を伸ばしている。

『あと25秒です』

 何をと聞く必要は無いだろ。俺たちが苦労して行った時空修正の結果が実空間に現れるまでの残りタイムさ。

《ゲイツ殿。取り囲むと言うのは常套手段じゃがのぉ。こんな不思議な配置はなかろうかと思うのじゃが》

《バジル総督の言うとおりだ。これだと前後に逃げ道がある。それとも何かをここへ迎い入れるのか?》
 と訊いてくるザグルの言い分もよく解る。2隻のオーキュレイを挟んで両サイドに艦隊が分かれて待機していると言ってもいい。

「ええ読みしてまっせザグルはん。助っ人を呼んでまんねん。あと十数秒ほど待ってくれまっか」

《助っ人……?》
 バジル提督の突き出たワニ顎が傾くと同時にそれが始まった。

「な、何?」
「きゅりゅっりゅ?」
 事情を知らない玲子とミカンが顔を上げ、田吾が強張る。

「お、おかしな振動を感じるダ」

 それはまるで、鏡のようにしんと静まり返った湖面に小石を投げ込んだようだった。
 銀龍を中心に波紋が広がった。それは宇宙の奥深くまで広がって行くのが見て取れる。カラフルに散らばる星々が波紋に合わせて瞬いて行く。
 タネの無いイリュージョンだ。防波堤みたいに左右に分かる艦隊のど真ん中にあの彗星が現れたのだ。


《何だ! ΨだΩッ、∀σёбЧ! ※Δ▼●!!》
 ザリオンたちが一斉に喋り始め、一時的に通信が麻痺して言葉にならなかった。通信パニックってやつだ。

 そうして時間が入れ替った。

「彗星がぶつかるのを待っていた甲斐があったダスな」
「誰が見つけたのか知らないけど、いいアイデアよね」
 玲子と田吾は互いに俺の記憶とは異なるセリフを吐いた。

 二人の会話は最初からそのコースを彗星が進んで来たような意味合いを含んでいた。
 つまり俺のアイデアが実行されて時の流れが変えられ、新たな歴史へとレールが引き直されたのだ。
 おまえら二人に言ってやりたい。
 この世界を誕生させるまでには、言うに言えない、俺さまの苦労があったんだぜ、とな。

《観測のとおり、彗星のコースはプロトタイプへと向かっています。これで逆転ホームランの可能性が出てきました》
 パーサーの報告からも窺える。彗星の軌道が衝突コースだったことを誰かが見つけて、それで急いで立てた作戦のようだ。

「あはは。みんな聞け! この世界を作ったのは俺なんだぜ。すげぇだろ」
 と口した途端、ハラワタがひっくり返りそうな吐き気と悪寒が襲った。
「ぐはぁっ!」
 ず、ずみません、神様……。奢った態度は慎みます。
 時空修正の感情サージはおとろしいのだ。

「さあ、手はずどおり動くのよ!」
 いきなり玲子が立ち上がった。

 手はず?
 疑問符を打ち立てる。

 修正当事者と無関係の者と違いはここなのだ。無関係の者は時の流れに添って行動するが、こっちは今変化したのを感知したのだ。玲子たちとは異なった38時間の記憶が優先的に前へ出てくるから戸惑ってしまう。

 少し遅れてこっちの時間流の記憶が浮き上がってきた。
 驀進してくる彗星のガスを隠れ蓑にして、連中と最接近と同時に攻撃をする作戦だ。

「ほんとうの意味での作戦はこれからデシュ!」
「ほんまや!」
 シロタマに言われてマジ顔に戻した社長。

「ズダフ・サルベージの社長! 初仕事でっせ。これから彗星の軌道を変えようとデバッガー動き出しまっからな。破壊はせんでもええ。連中のジャマをしてくれたらそれでええ。プロトタイプはあの彗星がぶっ潰してくれますワ」

《よぉし。いいか。彗星の進路を確保するんだ! ジャマする連中を阻止するぞ。全艦、発進だぁ!》

 ザリオンの一斉砲撃が始まった。左右から広がる弾幕はデバッガーにとっては飛び交うハエを払い落とすのと大差ないのだが、尋常ではない数の砲弾が雨アラレと降り注ぐ様はまさにシャワーだ。いくらダメージが無いからと言っても受ける反動はかなり大きい。中でも光子魚雷はプロトタイプを一撃で破壊にいたるパワーを持っているため、連中のディフェンスフィールドは必至となる。

「弾かれてもかまへんで、裕輔。こっちも反撃や。上手いこと言ったらダルマに当たるかもしれん」

 しかしパワーを銀龍本体から繋ぐフォトンビームはひ弱だった。プロトタイプに届きもしない。その上。

「あっ……」

 パワーコンジットのブレーカーが働き、部屋の照明が落ちた。
 どれだけのエネルギーをビームが消費するのかが手に取るようだ。まるでコタツと炊飯器と電子レンジを同時に使うと必ず落ちる、実家の古ぼけた家と同じだ。こんな時に何だが、懐かしい光景を思い浮かべてしまう。

「あかーん。何の役にもたたへんがな」

 そこへ、
「うぉぉ!」
 目の前を猛烈な光を放出して輝線が空間を引き裂いて通った。
 再び応援に戻っていた優衣がバジル艦からぶっ放した高エネルギーシードだ。

 数千万の花火が同時に炸裂したような火花を散らして、デバッガーのディフェンスフィールドに衝突して飛び散る。
 反動でそいつは仲間の中心へと吹っ飛び隊列を乱す。ダメージは与えられなくても、体勢を崩すには効果的だった。


《それっ! もう少しで彗星が突っ込むぞ》
 デバッガーも慌てだした。新たに現れたオーキュレイ艦からトラクタビームが放射され躍起になって彗星の軌道を変えようとするが、オーキュレイよりも遥かに巨大な彗星だ。簡単には動かない。何百、何千と言う数のデバッガーが飛び立ち、ひっきりなしに彗星に突っ込み押し返そうとしたが、それが逆効果、惑星の熱射と執拗な衝撃によって、彗星の核にヒビが入って来た。

 プロトタイプがしがみ付くダイヤの塊との距離がジリジリと縮まる。やがて大きなコアが真ん中から割れだしたが、進行方向を変えるところまでは至っていない。これだけ大きな彗星が持つ運動エネルギーは甚大なものらしく、オーキュレイのトラクタビームと数千のデバッガーが体当たりをしたからと言って、カンタンに揺らぐものではなかった。

「よっしゃ! ダイヤに命中すんでぇ!」
「突っ込めぇぇぇぇぇ!!」
 誰よりも甲高い声を出したのは玲子で、
「きゅら――っ!」
 二本指の腕を振ってミカンも気張る。

 押し寄せる津波のように重々しくゆっくりとした動作で、巨大ダイヤモンドと彗星がシロタマの計算どおりに真正面からぶつかった。
 それを38時間前の位置から的確に把握していたあいつの能力には恐れ入る。

 轟音などは何も伝わってこないが、防波堤となって踏ん張る二隻の巨大なオーキュレイと幾千ものデバッガーを鈍重に押し流していく彗星の姿は神々しくもあり、そして何者にも屈しないパワーに圧巻された。どんなに科学技術が発達しようとも、自然の力には逆らえないと言い切ってもいいだろう。


 やがてもうもうたる水蒸気が視界を閉ざした。
 高熱で少しは炭素に昇華(しょうか)して縮んだとはいえ、小惑星級のダイヤモンドの塊はかなり熱かったようで、そこへ氷の核が衝突したのだ。もの凄まじい水蒸気が爆発的に噴き出し、白い雲が宇宙空間に生まれた。何よりも驚いたのはその温度差に耐え切れなかったダイヤモンドが木っ端微塵に吹き飛んだことだ。

「やったでぇ! 命中やぁ!」
 社長の歓喜あふれる大声よりも、
「ダイヤがっ!」
 田吾の絶叫が俺たちを釘付けにした。

 水蒸気がゆっくりと飛散し、中から現れたのは星の数ほどにも粉砕した銀の粒子。それが放射状に飛び散るスローモーション映像だった。
 宇宙空間に広がる銀粒。光輝く星々に負けない銀白の粒子がゆっくりと広大無辺の彼方へと拡散して行く、その景色の見事なこと。

「まさに満天のダイヤモンドよ」
 感嘆の声を震わせる玲子と、
「すごーい。ダイヤモンドダストですぅ」
 ザグル艦から転送されて帰って来た茜ののんびりした声だ。

 言うとおり正真正銘のダイヤのゴミくずだ。


「きれい……」
 瞳の奥に同じ小宇宙を映りこませた茜の溜め息とも言える声が部屋を浸透し、続いて粒子加速銃を部屋の隅に立て掛けながら、優衣が無念そうに報告する。

「プロトタイプは彗星が突っ込むコンマ2秒前に一体のデバッガーによって救い上げられ宇宙の彼方へと消えてしまいました……」
「ウソやろ。命中する瞬間を見たで。なあ、裕輔?」
「ぶち当たったのを俺も見たぞ」
 ダイヤが爆砕する寸前までプロトタイプが乗っていたのを見ている。

「ワタシの目で確認していますので……」
 そうこぼして自分の席に戻る優衣が言うのだから、間違いは無いのだが、社長は喰らいついた。

「そやけど、今度こそダメージはあったんちゃうんか?」

『ここにユイが存在すること自体、プロトタイプが無事だった証しとなります。破壊すればこのミッションその物が必要なくなり、新たな歴史が始まるはずです』

「かぁぁ! 既(すんで)の所で逃げられたちゅうワケかっ! 悔しおまっせ、ほんま!」
 今回は手応えがあっただけに、地団駄を踏む社長の姿は気の毒にもさえも思えた――ところで、俺たちとはまったく異なる思いを持つ連中のことを忘れていた。

《ダイヤが散ってしまうぞ。全艦総出で回収作業に入れっ!》

 開いた口が閉じなくなった。
 ザリオンにとってプロトタイプが云々というのはそれほど重要ではなく、それよりも誰がどう見ても今目の前に広がる情景はとんでもないことで、
《艦載機を全機出動させろ。網を張って拾って拾いまくれ!》

 サルベージ会社の初仕事が、あり得ない数のダイヤの回収さ。何度も言う、直径2キロメートルのダイヤの塊が粉々に打ち砕かられたのだ。連中の騒ぎはものすごいコトになっていた。血眼のワニどもが一斉に飛び付いたのだ。

 俺たちは遠巻きにしてその光景を虚しく眺めていた。一緒になって回収する気が失せるほどの数のダイヤが広がっているからだ。

「おまはん……ダイヤの価値が暴落するってゆうてましたな?」
 以前優衣が言っていた会話を社長は思い出したのだろう。

「あ、はい。大混乱が起きます」
「時間規則に反するんなら答えんでもエエねんけどな……何が原因や?」
 社長が言おうとすることが、スクリーンに映し出される光景を見ていればおのずと解る。
 元ザリオン連邦軍の数千の兵士が血走った目をして、しゃにむになってダイヤを拾い集める有様。

「時間規則には反しません。みなさんの想像通りの結果が事実となります」

「じゃ、じゃあ。こいつらが拾って帰ったダイヤが原因で価値が暴落するのか?」
「あ、はい。そこらの石ころと変わらないほどの数が市場に出てしまいますからね」

 楽しげに告げる優衣から小さくすぼめた目を引き離して、社長がぽつりと言う。
「逃げるで……」
「何で?」
「アホ。価値がなくなる前にザリオンから逃げとかんと、何を言われるかわからへんで。下手したら今回の仕事の損害を請求されるやもしれん」

 社長は田吾へ告げる。
「無線を繋いでくれまっか」

 バジル総督の満面の笑みがズームアップ。

《おぉゲイツ殿。それでは約束どおりダイヤの半分を貰っていくからな》

「あ、あのな。ワシらちょっと先を急ぎまんねん。せやからダイヤは全部あんたらで折半しなはれ。ワシらはいらんワ」

《さすがは本社社長じゃわい。ほんに懐が大きいのぉ。だがこんなにあるんだ。おおぉ。今、わが艦隊の中で誰が最も大きい塊を拾って来るか競い合っておるようじゃぞ。おほぉ。重さ800キロのダイヤを拾った奴がおるわ。ぐぁわははは……》

 豪快に笑う機嫌の良さも母星へ帰るまでだ。1トンものダイヤをゴロゴロ持って帰って一斉に市場(しじょう)へ出せば暴落もするぜ。
 怒り狂った連邦軍を抑え切れる奴は、玲子であってしても無理だろう。

「それじゃ。みんな元気でね。また何かあったら呼ぶから。あたしたちはもう行くわ」

 手を振る玲子にザグルの笑い顔が、
《また呼んでくれ、ヴォルティ。どこへでも参上するからな》
 その笑顔が反転した時のことを想像すると怖ぇよ。

「ほな機長。行ってや……」

《ダイヤを拾わなくていいんですか? なんならパーサーに宇宙服を着てもらって掻き集めさせましょうか?》
「かまへん。さっさとここを離れたほうが気が休まる。早よ発進してくれ」

 後ろめたさも残るが、我を忘れて奮闘するワニどもを説得させることは不可能だ。早急にここを離れたほうが俺もいいと思う。




 狂喜乱舞を続けるワニどもから離れること6時間。
 ようやく落ち着きを取り戻した俺たちは、茜の淹れてくれた熱いお茶で心身共ににリラックスしていた。

 プロトタイプにダメージを与えたのかどうかの推測は、まだ俺たちが宇宙を飛んでいるところを見ると、失敗したようなのだが、ちっとも悔しくないのは、すっかりこの生活に慣れてきたからだろな。いかんなこんなことでは。


 そんなこんなで、半日ほど前のことを思い出して反芻する。
「しかしまあ。いい具合に彗星が突進して来たもんだ。まるで計算されていたみたいに、みごとな軌道だったよな」
「んだば。神様っているのかと思ったダよ」
 したら、シロタマが奇妙なことを言った。

「そうなるようにしたんでシュよ」

「誰が?」とは俺さ。

「ふんっ。時空修正の当事者も時空震が収まると、記憶が一つになるでシュね」
「何か意味深なこと言うじゃねえか。まさかあの彗星はプロトタイプに突っ込むように誰かが仕向けたと言うのか?」

「もういいよ。バーカ」
 よく解らないが、シロタマはプリプリしながら部屋を出て行った。

「何だよ……。なんか俺、怒らすようなこと言った?」
「知らないわ」
 玲子もぽかんとして首を振り、ミカンが何か言う。

「きゅるりゃりゅろろりゅ……」

「何言ってんのミカン?」
 茜に訊くが、
「何でもありませーん」
 ミカンを連れてこいつも部屋を出て行く、その不機嫌な態度が妙に気になる。

 何なんだ?


 俺が何をしたってんだ? なぁ?
  
  
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