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【第三章】追 跡
ザリオン再び
しおりを挟む寸時もして──。
「ごぉらー! 待ちやがれ!」
弛緩した空気を揺るがす、大きな怒声が響いた。
そのせいか、ヲタの記念撮影を物珍しそうに見ていた人影が急激に薄れた。従業員もそそくさと自分の持ち場に戻る者、知らぬ顔をして離れて行く者。パターンはいろいろだが、すぐに理由は理解できた。ドスの聞いた声音で争いが始まったからだ。しかも一人だけが一方的に怒鳴っていた。
こういうシチュエーションに遭遇すると、途端にソワソワしだす挙動不審者(バカもの)がいる。
「え~。なによぉ~。喧嘩なのぉ?」
「お前、なんか浮かれてない?」
「久しぶりなのでムズムズするねー」
怒鳴り声を聞いて武者震いするオンナ……怖えな。
こいつが美人でなかったら、ゴミ箱に投げ捨てて帰るところだが、何しろ全国制服美人コンテストで3年連続1位のオンナだから始末に置けない。しかもその期間は、あのキレイな女性は誰だと言う問い合わせが殺到して、会社の電話がパンクするんだ。
「おらぁぁ。クソガキ! オレの肩にぶつかっておいて黙って行くっタぁ、どういうつもりダ。このヤロウ」
「あ、あ~の~ぉ。ぶつかって来たのは、おにいさんのほうで……あ、あ。ジブンのカメラ返してください」
「うっせぇ! こんなもの見ながら歩いてっから、オレにぶつかったんだ。金出しゃ許してやる。財布ごと置いてけ。クソガキ!」
なんだかアルトオーネの繁華街を思い出す会話が聞こえてくるけど。ヲタと同じで、やっぱこういうヤカラも場所を問わず、のさばるのだな。
「ほらほら、裕輔ぇ、チンケなチンピラに誰かとっ捕まったみたいよ。見に行こうよ~」
何をソワソワしてんだか。
猫ジャラシを出す前からその雰囲気を察知して、一人勝手に尻を振って浮きまくる小猫のようだが、
「ジブン、スキンにはこだわらないほうです。データだけ返してください」
「ウッセーッ! 何言ってんだ! この野郎!」
「おい。あの声……」
聞こえてきた声はさっきの水色の肌をした青年だ。目の前にそびえ立つ大きな商品棚の反対側から聞こえてくる。
「ほら早く、裕輔」
玲子は満面の笑顔で俺を引っ張って行くが、できることならぜひ拒否権を発動したい。こうやってこいつはヤバ系の人たちに自ら絡みに行くのだ。しかもそれで楽しかった思い出が俺には一つも無い。
ドターン。
反対側の通路に顔を出した俺たちの前にさっきのヲタがすっ転んで来た。
「あ~。カメラが……。あ~の~ぉ。手荒な真似はしないでください。お金ならあるだけ払います。Fシリーズのフィギュアをロット買いするつもりで来ましたのでぇ、だいぶ入ってます。だからカメラだけは助けてください」
まるで田吾だった。あいつのカメラは今どうしてんだろ?
「おう。ガキ。その言い方だとオレが脅してるみたいじゃねえかよ。オレは話し合いをしようって……」
ヲタ青年の胸倉を鷲掴みにして、ぐいっと引き上げたチンピラと目が合った。
「あ──っ!」
耳近くまで裂けた口に並ぶ牙。後頭部から首筋にかけて、爬虫類と同じ硬い鱗(うろこ)がびっしりと広がるワニそっくりの姿。
「どぁあ──っ!」
向こうもこっちに気づいた。
引き寄せていたヲタの首っ玉をいきなり開放して、跳ねるように後退りしたワニ野郎。そうザリオン人だ。しかも、
「このあいだのオンナ!!」
絶叫を残して逃げだそうとした。じわじわと後退りするのではなく、一目散に逃げようとした。
遁走(とんそう)しかけた背後から、飛びついた優衣に襟(えり)首を摘ままれて、今度はこいつが床に叩きつけられた。
ビタ~ン!
「どひぃ~」
濡れ雑巾を叩きつけたみたいな音に続いて情け無い悲鳴。
玲子が前に回って凄む。
「盗った物を返しなさい! なによ、ザリオン人はカツアゲまでするの?」
仰向けにひっくり返されてじたばたするワニ面の男から、さっと財布をひったくると青年の手に戻した。
「あの~ぉ。ザリオン相手に逆らうことはやめたほういいっす。ここはおとなしく渡してカメラだけでも……」
ヲタの反応が薄く、ポカンとする玲子。しかもカメラは木っ端微塵になって床に散らばっていた。
「あ~。ジブンのカメラが……ガチレアの写真が……」
飛び込んで部品をかき集めるが、割れてしまったメモリデバイスは恐らく復活しないだろう。
「そういうことか……」
茜の存在は未来には内緒だとか言っておきながら、撮影を許可したのは、ここでカメラがぶっ潰されて写真のデータが消えることを知っていたからなんだ。下手な占いより正確だ。
「ほらサイフを盗り返したんだから受け取りなさいよ」と玲子は再度突き出すが、
「け、けっこうです。命があってのものです。あ~の~ぉ。サイフはプレゼントします」
それでも青年は拒否の姿勢。それほどザリオンが怖いのか?
ところが茜が割り込む。
「あ~の~ぉ。オタさん。この人は悪いひとではありませんよ」
意外にもワニを弁護した。
いやいやいや。
「人の財布を巻き上げようとしてたんだ。じゅうぶんに悪人だ。それより茜、ヲタの口調を学習すんじゃねえ。帰ったら社長に叱られるだろ!」
「あ、は~い」
「うぉぉぉーい。この銀髪のぉー!」
茜を見て身を引きつらせるワニ野郎。
「何だよ遅ぇな。今頃気づいたのかよ」
「人の物を欲しがるのはやめたほうがいいですよ」と優衣も立ちはだかる。
「あわわわ。黒髪のぉぉぉ!」
投げ飛ばされたくせにようやく気付く始末。
女性三人に囲まれて怯えるザリオン人という、世にも珍しいものを見た異星のヲタくん。何がなんだかよく分からないが、ひとまず命拾いをした彼は、水色の顔に血の気を戻した濃い青色にして(──どんな顔色だよ)一目散にこの場から消えた。
「あ。おサイフを……」それは茜の手の中に残っていた。
玲子はザリオン人をまたいで睨み下ろし、
「あんた何してんのさ」
「な、何が……」
筋骨隆々で玲子より遥かにごつい体格をしているくせに、ワニ顔に恐怖を滲ませ、仰向けに倒れた体勢を肘で支えて逃走の体勢。
「何がじゃないでしょ! あたしと出会ったら、どうしろと言った?」
「あ? あの……」
そこへ忽然と黒い大きな影が差した。
「おい、どうしたんだ!」
「ぬぁぁぁぁぁ!」
叫んだのは俺だ。黒い竜が舞い降りたのかと思ったからさ。
で、でかい……。久しぶりに見ると、とてつもなく大きく感じる。
威圧感あふれる体躯(たいく)。テノールよりさらに低いバリトン並みのよく響く声音。その主が喚いた。
「このオンナっ!!」
続いて俺の脳細胞が沸騰した。
天井に届くほどの身長を誇る片目のザリオン人というと、
「うぁぁっ! あの時の艦長だ!」
俺は跳ね飛び、玲子は平然と応対する。
「あら。あなたもいたの?」
「よく平気でいられるなお前。片目の艦長だぞ。俺たちを拉致ったザリオン人だ」
玲子は俺を見て強く首を振る。
「拉致ったじゃないわ。あたしがコテンパンにした艦長よ」
バケモンみたいな巨体と対面して、腰に手を当て仰ぎ見る玲子。あ、失言だ。みたいな、じゃない。バケモノそのものだ。
「もう忘れたの? 宇宙であたしちと出会ったらどうするんでした?」
こっちとは倍ほどの身長差があるワニ野郎に、ぐいっと詰め寄った。
筋骨の塊のようなザリオン人を前にそびやかせても、玲子はまったく動じること無く、堂々と胸を張る。これがこいつの超人的なとこさ。頭に『バカ』が付くけどな。
艦長は玲子の前で背筋を伸ばし、ゆっくりと腰を折り曲げて小さな声で言った。
「こ……こんにちは、ご機嫌いかがでしょうか……お嬢さま」
固唾を飲んだ。飲まざるを得ない出来事が目の前で展開している。
宇宙一凶暴だと噂されるザリオン人を束ねて配下に置く、その頂点に立つ戦艦の艦長が玲子に頭を下げたのだ。
遠巻きに様子を窺っていた買い物客から、どよめきのような声が滲み渡った。
「よろしい……。あたしたちに会ったら挨拶から始めんのよ」
「はい……」
すげえ。素直に返事したぜ。
艦長は下げた頭のまま、部下を横目で睨むと、
「オマエは何をやったんだ!」
と、小声で凄んだ。
「い、いや。ガキからサイフを巻き上げていたら、この人がそこの通路から出てきて……」
「くだらねえことやってるからだ。バカヤローが! オマエもちゃんと挨拶しろ!」
鋼(はがね)の上腕三頭筋がモリモリッと動いた。
「へ、へい……」
艦長に小さく頭を下げ首肯すると、玲子に向き直り、
「ご、ご……ご機嫌いかがですか? お嬢さま」
苦しげに声をひねり出した。
「ごきげんよう。ワタシは元気です。あなたは?」
「お、オレも……いや、わた、くしも、す、すこぶる元気であります」
生まれて初めて口にしたとでも言いたそうな面差しで玲子を睨んでいるが、玲子は涼しい顔して茜からサイフを受け取ると、部下に向かって息巻いた。
「今すぐこれをさっきの青年に返してきなさい。ちゃんとよ。でないとまたひねり潰すわよ」
「ひっ!」
考えられん。いくら一度玲子にやられたからって、ここまで従順になることは無いだろう。反旗を翻すことならいくらでもできるはずだ。こいつらは戦士だって言うじゃないか。優衣と茜は別だが、こっちは生身のオンナだぜ。
首をすくめて財布を受け取る部下に、艦長は追加の伝言を命じる。
「サイフを返したら、酒場に寄って他の艦長らに伝えろ……」
ほらみろ。仲間を連れて来てんだ。仕返しされるぜ。やっべーぜ。どーすんだよ。
こんなでかい奴らに吊し上げを喰らっている自分を想像して、急激に足がすくんできた。またあの時の二の舞だ。
だが俺の足の震えは艦長が放った次の言葉で、とりあえずは鳴りを潜めてくれた。
「ヴォルティ・ザガを紹介するからと言うんだぞ。それから敬意を表してくれとな」
部下は艦長だけでなく、玲子にも一礼して走り去った。
「どういうことだ?」
またまた謎が深まった。
「ヴォルティ・ザガって何だろ?」
俺の疑問を晴らす説明は艦長からではなく、シロタマの報告モードからだった。
『ヴォルティ・ザガはザリオン語です。直訳するとヴォルティは《従う、従順的》で、ザガは《人》という意味です』
艦長はシロタマを感心した風に睨みつけ、
「オマエらは別の星系から来たと言っていたが、やけに詳しいな」
生臭い息を吹きかけ、説明を付け足す。
「オレたちザリオンはザータナスの誓いを宣言して対決した場合、勝ったほうをヴォルティ・ザガと呼んで、生涯逆らわず大切にする。それを名誉と重んじて生きるのだ。逆らうことは不名誉になり歴代まで軽蔑される」
「そんな宣言したっけ?」
いけしゃあしゃあと玲子は首を捻るが、俺ははっきりと覚えていた。
ザリオンの船内で玲子と対峙した時だ。よく解らないザリオン語でそんなこと叫んでいた。
「そうだ。あの時だ。オレが艦長である身分を宣言し、ヴォルティも真剣勝負だと言った」
ドスのある低い声で吼えて、さらにトーンを下げた。
「負けたのが同じザリオンか、それ以上の勇者ならまだしも……こんな小娘に負けたとなると……」
ナリはでかいが、悩みは俺と同じだ。妙に親近感を覚え、
「まぁ気にするなよ。こいつらは俺が知る限り宇宙一強いんだ。きっとあんたの名誉は汚(けが)れることは無いぜ」
「オマエのヴォルティもこの人か?」
「え? ち、違う……えっと。この人は……俺の上司だ」
「ジョーシ?」
太い首が傾き、それにシロタマが反応する。
『ヴォルティと同義です』
当たらずといえども遠からず……だな。
「で、オマエらは何をしているんだ?」
艦長は中腰なのに、天井から見下ろされた気分だ。
「誰かの金でも巻き上げに来たと思ってんのかよ。ここは店なんだ。買い物に決まってんだろ。お前らは何しに集まってんだよ」
俺と同じ境遇だと分かると、急激に馴れ馴れしくなるのは、ザイオンス効果と言うにはまだ交流関係が成り立っていないが、妙に気が許せた。
「オレたちは作戦会議中だ」
「酒場で作戦会議とは……何の作戦なんだか」
艦長は鼻を鳴らすと、
「どれ。買い物に付き合ってやる」
「それは助かるのでーす。今日はたくさんのお買い物がありまーす」
「よし。オレにまかせろ。この店の者はザリオンに従順だからな」
怖がっているだけだろ、と言いたいのだが、奴の荒げた声にはどこか優しい空気が漂っていた。
ぐおーんと背筋を伸ばす艦長。茜の三倍は伸びた。それを見て超ビビる俺。恐竜と子ウサギだった。
「わたしはアカネです。あなたのお名前はなんと申しますか?」
「オレはザリオン連邦連合軍第五艦隊のガナ・ザグル大佐だ。ザグルでいい」
茜は空を見上げるようにして尋ね、艦長は地べたに語るように言った。
「まじかよ……」
連合艦隊の大佐だぜ……こんな奴を相手にして、やばくね?
「あたしは特殊危険課の玲子、この子はユイ。それからこれ、あたしの部下で裕輔よ」
部下じゃねえよ。
「この丸いのは?」
ザグルから見たら豆粒にしか見えないだろう。オレンジの片目をシロタマへとしょぼつかせる。
「この子はシロタマ。対ヒューマノイドインターなんとかって言うの……ね、裕輔」
こういうときだけオレに助けを求めやがって……。
「シロタマは流動性金属でできた人工生命体だ。ユイとアカネは知ってるよな。ま、いろいろとワケ有って行動を共にしてんだ」
「おマエら何者だ? 特殊危険課なんていうのも聞いたことが無いが、だいたい管理者のガイノイドが二体つるむこと自体おかしいな」
本当のことは時間規則で言えない。そのことは玲子だって理解している。
「この子たちは社員旅行のお供よ」
「ば、バカ……」
前回お前はハンドキャノンで大佐の船をぶっ壊したんだぞ。社員旅行でそんな物騒なものを持ち歩く──痛ててててて。玲子、尻を抓るんじゃない。だんだん容赦なくなってきたな、お前……。
「宇宙には物騒な連中がウヨウヨしてるでしょ」
玲子はザグルの目をじっと見て、
「……だから、護身用に持ってんのよ」
苦々しい笑みを浮かべるワニ顔を顧みることなく、平然と言い切った。
護身用で宇宙船一機をパァにされてりゃ世話ねえワ。
やられた本人も体に比例して豪傑なのだろう。玲子の笑みを爽やかに収め、
「ま、どうでもいい。オレには関係の無いことだ。で、何を買いに来たんだ?」
玲子に長い首を伸ばした。
「陰極カソードと大型のパワーエンクロージャー、あとは、模造刀とお茶でしょ。それから大型プランターと土に野菜の種よ……え? なに?」
茜に袖を引かれて、
「あ。そうそう。布巾も忘れないでね」
「まとまりの無い買い物だな」
「だろ……」
やっぱり思うことは誰しも同じなのだった。
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