アカネ・パラドックス

雲黒斎草菜

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【第三章】追 跡

  倫理サブルーチン欠損エラー  

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 それからほんの寸刻後、わずかな振動と軽い爆発音が尻から伝わってきた。どうやらやっと麻痺した感覚が戻りつつあるようだが、今のが脱出ポッドを排出した衝撃だと思われる。

「じゃ。ユウスケさん作戦開始です」
 と言って、茜の真似をした優衣がさっきまで転がっていたフロアーに駆け戻り、再び目をつむった。

 それは完全な停止状態で、人間とは違って呼吸をする必要は無いし、手や足が本人の意思に関係なく痙攣のように動くこともない。停止すれば何時間でも完璧な無反応状態を維持できる。しかも楓までも騙したところをみると、やはり本気にホールト状態にするのかもしれない。

 俺の思考はさらに冴え渡ってきた。三日先から優衣がやって来たところを鑑みると、何らかの結果を残し俺たちの未来はここでは終わらないことを示唆する。二人の優衣はいったいどんな作戦を立てたのだろう?

 脱出ポッドを排出した意味は何だ。楓をこの船に閉じ込めるための処置だというか?


 ただならぬ振動は遠くまで伝わったようで、楓が気忙(きぜわ)しく部屋に戻ってきた。

「今のショックはなんなの?」

 部屋の中は何も様子が変わっていない。表情を緩めた楓は、俺をじっと見つめ続けるロボットに尋ねる。
「ミカン。この部屋で何か変わったことは無い?」

 やっべぇぜ、このロボットは二人の優衣の行動を一部始終観察していたぞ。
 しかしミカンはそこまで知能が進んでいないのか、あるいは優衣に肩を持ったのか、きゅい、と鳴いて小首を傾ける程度で動きを抑えていた。
「役に立たない子ね」
 そうつぶやき、楓はエアロディスプレイの中を覗く。

 しばらくして、
「脱出ポッドが排出されたわ」とつぶやき、さらに画面を弾く、
「無人? 無人の脱出ポッドが発射されたの? どういうこと?」
 振り返った楓は、俺に説明しろと言わんばかりに詰め寄った。

 俺だって知らんよ。その理由ならそこで茜の顔して転がる優衣にでも訊いておくれ。

 ほくそ笑みでもしてやりたい気分で、楓の白い顔を見つめていると、
「ミカン、あなたがやったの?」
 詰め寄る楓に、ミカンは悲しげな目を潤ませて首を振った。

「この部屋で動けるのは、あなただけでしょ。何があったのか、おっしゃりなさい!」
 しかしミカンは怯えた目をして首を振り続けるだけだった。

 楓の白い肌に陰のような黒ずみが走ったかと思うと、赤と黒の波紋が滲み出し、蠢(うごめ)きあって全身に広がった。
 見る間に鬼面に遷移した楓は、大きく拳を振り上げ、
「言わねば、オマエもスクラップだ!」
 それでもミカンは首を振りつつ、体を丸めてしゃがみこんだ。

「死ね──っ!」

 ガッンという硬い音がして、楓と優衣の腕がぶつかり火花が散った。

「かわいそうなことはやめてください」
 力を込めて振り下ろそうとした腕を優衣が止めたのだ。

「なっ!」
 首をねじった楓は自分の視界に銀髪の優衣を捉え、さっと白い肌に戻す。

「アカネ……。どうしたの?」
 戸惑いは隠せないようだ。俺だって真実を知って仰天したぐらいさ。

 風を引き起こす勢いで体を翻すと、楓は声も高らかに歓喜で白い顔を満たした。
「よかった。ホールトを解いてくれたのね」

「はい。ホールトする必要がなくなりました」

 素直に肯定する優衣と、安穏とする楓。
「そっか、気が変わったのね。あたしと行く気になった?」

「いいえ。ワタシはユウスケさんと行かなければならないんです」
「こんな男、もう用済みよ。あなたがホールトを解いてくれたら、どうなったっていいわ」
 ちらりと俺を見る楓の蔑(さげす)む視線にカチンときた。

「うるへぇぇ。オレらはぁ、みっひょんのさいひゅうなんら。おまへとはどこへもいひゃねぇ」
 急に声が出た。そして雲の切れ間から暖かな光に照らされたように、さぁっと感覚が戻ってきた。

「あららら。さめれれいくろ」

 まだ、口元がおかしいが……麻痺したときと同じで覚める時も素早かった。
 楓は憎々しげに、優衣は胸をなで下ろすようにこちらへ視線を振る。
「ふはぁ。麻痺が覚めてきたぜ。ざまあみろ、カエデ!」
 ようやく自由になった自分の片腕を摩(さす)りながら、一歩前に踏み出そうとして、きつい電撃ショックを受け、俺は尻餅を突いた。

「いっ痛ぇ──ぇ。なぁ!」

 派手にスパークが飛び散り、しゃがんでいたミカンが丸い目を最大限に広げて飛び起きた。

「あ、痛でででで。麻痺が覚めた途端にこの刺激は沁みるぜぇ」
「バカな男……。電磁シールドから出ることはできないわよ。」

「痛っつつ」
 麻痺とは真逆の刺すような痛みは逆に覚醒を早めてくれて、言葉が鮮明に出る。
「お前は狂ってんぞ。それが解らないのがおかしくなった証拠だ」

 思ったとおり楓が鼻で笑う。
「あたしはこのとおり正気よ。そうだ。あたしのドローン(システムの端末としての肉体)として服従を誓うのなら、あなたも連れて行ってあげるわ」

 言葉を惑(まど)う俺を半笑いで睨むと、楓はエアロディスプレイを空中に出現させ操作を始めた。優雅に力強い指の動きは迷いが無く、何をしようとする行為なのかはさっぱりだが、奴の指の動きには見惚れてしまうものがある。

「どうなの? 返事なさい」
 楓はディスプレイを見たまま声だけをこちらに注ぎ、俺は凝然と固まりそうになる気分を振り払い、
「嫌だと言ったらどうすんだよ」と答えた。
「この場で殺す」
 奴は、濁りのある目で俺を睨みやがった。それは腐った魚の目と同じで、艶を消した漆黒の色をしており、何の光も放出していない。

 楓は俺を無視して、
「さぁ。出発よ」と言い。
「どこへですか?」と優衣が尋ねる。

「論理生命体だけの国を作るのよ」
「ワタシのクオリアを狙ってたんじゃないんですか?」
「うふふふ。アカネ。あなた勘違いしてるわ。確かにちょっと手荒な真似したかもしれない。それは謝るわ。だってあなた頑なに拒否するんだもの。ちょっと焦っただけ。ちゃんと説明するから。さきに出発の準備をするわね」

「エンジンは故障してるんでしょ?」
「ふふっ。表向きはね」
 と返しつつ、エアロの中を突っついていた。
「──ん? どうしたの、エンジンシステムが無反応じゃない。あれ? ミカンちゃん、そっちのコンソールからアクセスしてくれる」
 ミカンは部屋の隅に移動し、新たなディスプレイを広げて細かい操作を始めた。
「どう? 反応はある?」
 何度かアクセスを試みていたが、ほどなくしてミカンは丸い目を小さくすぼめ楓に振り返ると、キュキュっと声をこぼして首を振った。

「どうしたんだろ。エンジンが起動しないわ」
「だってカエデさん。エンジンは故障してるって言ってたじゃないですか」

「おのれ、ユイめ! ほんとうにエンジンのシステムを制御不能にしやがったな」
 荒げた語気を投げつけた楓、声のトーンが一気に降下する。

「くぅっ」と低く唸る吐息と共に、床を蹴って銀髪の優衣へ振り返った。

「アカネも手伝って! この船のシステムには精通してるんでしょ?」
 楓は真っ赤な目をしていた。それは燃え盛る炎ではなく、氷のように冷たく射すくめる力を放出していた。
「こっちへ来て。エンジンを掛けるわ」

「待ってください。あなた、倫理サブルーチン欠損エラーのマーカーが点灯していますよ」

「当たり前よ! 倫理サブルーチンなんか当の昔にデバイスごと抜き取ってやったわ」
 怒りに燃える双眸で茜だと思い込んでいる銀髪の少女を刺していたが、素早い速度で激しい感情を消し去った。
「タイプ4のエモーションチップには倫理デバイスなんかいらないのよ。ワタシには慈しみの感情だって持ち合わせてるもの」
 つんと顎を引いて細くした目の端で優衣を見た。

 何度も激しく揺れ動く感情はあまりにも常軌を逸しており、怒りを露にしたかと思うと、次の瞬間。買い忘れた何かを思い出したかのような気軽さで笑みを浮かべる。
「そうだ。ゲイツさんにお別れの挨拶ぐらいしていかなきゃね」
 楽しそうにディスプレイの表面で指を躍らせた。

「さ、アカネ見てて。あたしからの餞別(せんべつ)をゲイツさんにプレゼントするわ」

「何だよ餞別って?」

 そう問う俺に、楓は振り返って明るく言いのける。
「一瞬で消える量にしてあるから……よかったね。これならゲイツさんも髪の長いメスも痛みを感じないわ。ね。これが慈しみの感情なのよ」
 今にも小躍りを披露しそうなほど、爽やかにかつ楽しげな表情だった。

 俺は憤りを隠せず叫ぶ。
「慈しみとはそういうもんじゃない!」
「ふん。あんただってよく解ってないくせに。まあそんなことはどうでもいいわ。そこで銀龍が消えるとこを見てなさい。はい、これでお終いよ」
 無慈悲にも楓は画面の一部を人差し指で押した。

「──あれ?」

「光子魚雷なら発射できませんよ」
 楓の肩口から覗き込んでいた優衣が口を出した。

「なぜだ!」
 瞬時に声が反転した。
「だって。シロタマさんと一緒に武器とエンジンを無効にしましたもの」

「シロタマと? どういう言う意味だ。アカネ、オマエは銀龍にいたはずだろうが!」
「いいえカエデさん。ワタシはユイです」

 楓は半身を跳ね上げて振り返った。
「ユイだと! 嘘を吐くな!」

「ウソではありません」
「まさか……」

「ほらね。カエデさん。よく見てて」
 楓の前でまるで変臉(へんれん)にも似た早変わりだった。優衣はその頭髪を黒色に戻して見せたのだ。

 楓は悔しげに拳を握った。
「えーい、くやしい。オマエはユイ! くそお、二人とも同じEM輻射波を放出するから識別できなかった」

 優衣は平淡とかつ平淡に続けていく。
「もう一つ教えてあげるわ。この頭髪システムはこれから150年未来の技術です」

「な……なに!!」
  
  
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