アカネ・パラドックス

雲黒斎草菜

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【第二章】時を制する少女

  改ざんされた歴史  

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「見ていただきたいのは、これなんです……」
 細い指でポケットの奥から摘み出されたのは一枚の写真。
 それは真新しく、艶々した面には社長と並んで5歳ぐらいの男の子が写っていた。男の子はさらに右隣に立つ黒いワンピースと白いエプロンドレスを羽織ったメイドと手を繋いで、にぃと笑っている。

「なま……なんとっ!」
 それを見て凍りついたのは社長だけだった。その唖然とする姿が異様に大げさで確実に部屋の温度を下げた。

 ハゲオヤジはテーブルの上に置かれた写真へぎこちない動きで指を近づけると、口を小さく丸め、
「こ……こ……こ……」
 ニワトリかよ……。

「こ、こ、こ……」
 まだやってやってるぜ。

「まさか隠し芸の練習してんすか?」
「アホか! ちゃうワ!」

「社長、いったいどうなされたのですか?」
 さすがに玲子も痺れを切らしたらしく、写真とケチらハゲを交互に見比べ、少々の時間経過をともないようやく気づいた。
「こちらの男の子が社長なんですね」
 社長は照かった頭をコクコクさせる。

「え? こっちのハゲ……じゃない、貫録のある男性は?」
 またもや睨まれた。

「こっちのハゲとるのがワシの親父で、この毛がフサフサの子供がワシや」
「なはははは」
 喋りずらいが地雷を踏んだのは俺だ。爆死覚悟で会話を続ける。

「社長がお子さんの時にしてはこの写真新しくないっすか? まだ新品みたいだ」
 ようやくナナが面(おもて)を上げて、俺を正面から見た。
「そうですよ。いただいて来たのはつい先ほどですから」
 意味わかんねー。

「ちょっと玲子。隣の部屋にいる真理子はんに言うて、ワシのアルバムを持って来るように言うてくれまへんか」
 秘書面に戻した玲子は笑顔で一礼。隣の部屋へ声を掛けた。



 待つ間も無く。
 ハイールの音も高らかに、古めかしいアルバムを小脇にした真理子さんが入室。

「あ……」
 テーブルに近寄るなり短い声を上げた。

 置いてあった写真を一拍ほど凝視。疑念よりも恐怖に近い表情に顔を歪めて固着した後、何か言いたげな目線で社長をマジマジと見つめた。

「そうや。その写真や、見覚えあるやろ?」
 真理子さんは静かにうなずく。

 この女性は秘書室の中でも古株のほうで、社長とも付き合いが長い。すぐに察したらしく。アルバムをペラペラとめくり、ぎょっとした面持ちで手を止めると、テーブルの写真と交互に見つめた。
「しゃ、社長……」
 開いたアルバムを写真の横に置き、スキンヘッドの顔を覗き込んで目をパチパチと瞬く真理子さん。

「し……失礼しました」
 そう言うと、背後を顧みることも無くそそくさと部屋を出て行ってしまった。


「あの人は現実主義やからな。理解できんモンから逃げるクセがある」
 と漏らした言葉に首を捻りつつ、広げられたアルバムを覗き込む。

 いくつか整然と並んだ写真。どれも年代物でセピア色に変色しているが、一枚だけ見覚えのある写真があった。

「これ、同じ写真だわ」と玲子が指差す。
 だが少し違うとパーサーが言う。
「社長がカメラを見ていませんね。横を向いている……」

「そうや。何でこんな撮りそこないの写真が残されたのか、昔から不思議に思ってたんや。よう見てみい。写真館で撮影しとるんや。ほれ、バックの設えとか本格的や。な? プロのカメラマンが撮影したんやったら、たとえシャッターを切る寸前に子供が横を向いても、撮り直すもんや。ほんでちゃんとしたほうをアルバムに張るのがふつうや」
 と言った後、ふうと息を吐き、
「ワシのオヤジはセコかったから、失敗した写真も貰って来たんやとは思うけど……」
 ケチとハゲは遺伝するという新説を唱えつつ、意識は過去に飛んだらしく口を閉ざしていたが、
「ちゃんとしたんは紛失したもんやと思っとったんやが、ここにきてそれが現れるとは……」
 ゼンマイが切れる寸前の人形みたいな動きでアルバムの中から写真を抜き出して、ナナの持って来た写真の横に並べた。

「問題は……。なんでおまはんがそれを持っとるっちゅう話や」
 二枚の写真へ語る社長に引き摺られて、俺も交互に見比べる。

 子供が横を向いてしまった以外、他の人物はまったく動いていない。社長の言うとおり、これは撮り直したのだ。

「あ、せや!」
 ケチらハゲの指がさらに激しく震えだした。
「このメイドさんや……いま思い出したデ」
 記憶の糸を手繰(たぐ)っていた社長が赤く高揚した面を上げた。

「これ見てみい。誰かに似てると思いまへんか?」

「誰かって?」
 顎に手をやり首をひねる俺へと、田吾がとんでもない答えを出した。
「ナナちゃんの髪の毛を……こうショートにしたら、そっくりじゃないダすか?」


「おわかりですか?」
 おーい、ちょっと待て──マジか?

 ケチらハゲは屈めていた腰を引き延ばし、見開いた丸い目でナナを凝視。
「まさか、このメイドさん。おまはんか!」
「はいぃぃー」
 元気に挙手をするナナ。

 ぴょんと背筋を伸ばすと後ろに手を回し、長い髪を束ねていたリボンを解くとふるふると頭を振った。すると黒髪がぱふぁっと扇型に開放されて、玲子と同じ艶々のロングヘアーが波打った。その魅惑的な黒髪姿はとても人工とは思えない出来映えだ。唖然と見ている前で髪がしゅーっと乾いた音を発して、すべてが頭の中に吸い込まれた。

 ナナを作った管理者の開発センスは、驚嘆に値するほどの超絶で美的なこだわりがある。髪型と色を簡単に変更できる構造なんだ。このおかげで大きくイメージを変えることができる。

 一瞬マネキン人形かと思わせる可愛い坊主頭を披露したが、半拍の間も無く、頭皮から栗色の髪の毛が放射状に噴出し、ゆっくりと垂れ下がっていく。

「あうぅ……」
 信じられない光景だった。
 俺たちの目前、テーブルの向こうに内側へ美しくウエーブした栗色のボブカットに変身したナナが立っていた。

 言葉を失って、ぺたんと座席に座りこんだ。全員がだ。
 写真のメイドと寸分の違いも無い。たった今撮影してきた、と言う言葉に嘘はない。

「お……おま……はん」

 呆然自失と化した俺たちを楽しげに観察しながら部屋の中を半周すると、ナナは社長の正面に立った。

「この写真は、ワタシがメイドを辞めるときに、撮り損ねたほうの写真を記念に頂きたいとお願いしたら、ご主人様がこれをくださったのです」

 髪型はおかっぱに近いが、もう少し長くて正面は軽くセンターで分けられており、左右に緩くウエーブを描いて頬を覆っている。内巻きの先端は顎から頬、首の後ろを綺麗にロールして、ふさふさと柔らかそうだった。
 もちろんだが写真の中のメイドさんと寸分たがわない容姿だ。

「か、可愛いダぁ。ナナちゃぁぁん」
 田吾は奇妙な声を捻り出し、抱きつかんばかりの勢いで迫ったが、
「やめなさい!」
「あぅ! 痛でででで」
 玲子がエロヲタの頭を殴って黙らし、俺と社長はナナが告げた驚き説明に打ち震えた。

「そ……そんことありえんだろ……」

「ご、50年も前の話やで? ほなあの時……」
 何かを思い出したらしく、社長の声はさらに上擦る。
「ドゥウォーフの村でもろたあのサンドイッチの味……懐かしく感じたのは……ま、まさか。信じられへん……」

「社長と面識があったなんておかしいじゃないか。それだと衛星でお前と初めて会う前から知っていたことになるぞ」
「確かにそのとおりですね。つい先ほどまでは別の歴史でした。でも今は面識があったことになりますね」
 と言い、さらに喜色で染まる笑顔をこちらに向けた。

「だって、ほらぁ。ユースケさん、これも見て」
 俺の目前にもう一枚の写真を取り出した。

「ぬなぁぁぁっ!」
 社長の子供時代に撮られた写真の横に置かれた1枚のフォトグラフ。
 こまっしゃくれた俺の子供時代の写真だった。まだ弟が生まれる前で、三輪車に乗ってすました顔のやつだ。

「待ってくれ。何でこの写真をお前が持ってんだ……」
 そこまで言った時だ。異様な雰囲気が肌を強く伝わってきて口をつぐんだ。思考の奥から言いようのない気配が頭をもたげてきた。

「なんだか頭がおかしいぞ……」

 沸々と湧き出す記憶。まるですっかり忘れていた夢の内容を思い出すかのようだ。それは見る間に鮮明になって、
「俺が持ってるヤツは半分に裂いたはずだ!」
 そう叫ぶと共に、なぜ半分に破いたか理由を聞かれるとまずいと思った。
 破ったほうには俺の初恋の人が写っていたことを思い出したのさ。5歳にして初恋だ。な。こましゃくれたガキだろ?

 ほっとけ!

「わぁぁぁぁぁ! まさか!!」
 やばい。マジでやばい。目の前に突き出された写真は破られていない。その部分が白日の下に曝け出されている。しかも今見ると、誰だかはっきりする。

 ナナだった!
 まさかあの時の女性がナナだというのか。

 隣に住んでいた外国の留学生だ。それがある日、突然母国へ帰ってしまったのだ。
 その女性が三輪車の向こうに写っていた。そう、今はっきり思い出した。それが俺の初恋の人だ。いなくなった人を恋い焦がれ、1枚しかない写真のこの部分を破いて、大切に持っていたんだから忘れるはずがない。


 今あらためてじっくり見て確信した。これはナナだ。
 まるで記憶喪失に陥った患者の目覚めのように次々記憶が甦ってきた。俺には恥ずい記憶がたんまりあったのだ。

 ナナはまだ何か言いたげに口元をモゾモゾさせていた。それが何であっても、とにかくここは穏便に済ませ無いと俺の沽券にかかわる。
 片目を幾度も瞬いて「何も言うなと」俺はナナにアイコンタクトを送った。
「なによ。あなた目にゴミでも入ったの?」
 と玲子に覗き込まれて、俺は大いにうろたえる。

「うふふふ」
 ナナが意味ありげに笑い、ブタオヤジが写真を覗き込んで指を差す。
「この男の子は裕輔ダすな?」
 左右の足に違った靴下を履いても平気なくせに、なぜかこういうときは細かいところに目が行く野郎なんだ。

 黙っていたらもっとヤバそうなので、必死の攻防さ。
「あ? あぁ。そうだ。俺が5歳の時の写真だな」

 平然を装って、時が流れ去るのを待つが、
「なんで、それをナナが出したのよ?」
 玲子。頼むから波風を立てないでくれ。それ以上詮索するな。

 でも俺の願いは虚しく葬り去られる。
「この人。ナナに似ていないダすか?」
 田吾よ。ほんっとに、お前はそういうとこ敏感だねぇ。

「そうですね。服装は古めのリクルートスーツみたいですが、長い黒髪といい。この輪郭はナナくんですね」
 パーサーくん。もういいからあっち行っててくれる?

「裕輔の子供時代にも、ナナが飛んでたの?」
 結い上げた自慢の黒髪が崩れんばかりの勢いで振り返る玲子。

「い、いやぁ。気づかなかったなぁ。でもさ、悪いが全然記憶にないね」
 こうなったら違う意味ですっとぼけるしかない。

「ユウスケさん。ほんとに記憶にないのですか? ねしょパンツの」
「わぁぁぁぁぁ。ナナっ!」
 ハイパージャンプでナナに飛びつき口を塞ごうとした途端、神業の動きで玲子が俺の懐深くに滑り込み、体をひょいとねじりやがった。
 たったそれだけの動きなのに水に濡れたぼろ雑巾みたいに吹っ飛ばされ、仰向けに床に伸びて、びたぁぁん、てな音を出した。

 床ドンの進化したヤツだ。踵(かかと)から尻、背骨、鎖骨、後頭部まで、体の背面全てを床に打ち付けられる、新型床ビタンだ。新しいゴキブリ駆除剤みたいだが、床ドンよりかなり痛いのが床ビタンだ。覚えておいてくれよな。

「痛ぇぇぇぇなぁ。このバカ女。手加減しろぉぉ!」

「ごめん。いきなりナナに飛びかかったから、体が反射的に動いちゃった」
 玲子は片目をつむって胸の前で手刀(しゅとう)をかざした。

「この動く殺人兵器め。反射的に動く腕なんか縛っとけ!」
 という俺の叫びに、田吾がぽつりと告げる。
「腕を使わないでも、のされるダすよ」

「じゃぁ……。足も縛っとけ」


「──ナナに間違いないんやな、裕輔?」
 ケチらハゲは俺たちの会話には興味がないらしく、話を急かした。
「え? ええ」
 仕方ないだろ。認めるしかないもんな。

「で、ねしょパンツってなんや?」
「ばっ、ば……」
 まさか社長に向かってバカ野郎とは言えないので、『ば』に続く言葉を探していたが、
「きっとオネショでもしたんダスよ」
 このブタオヤジめ。デリケートな問題を簡単に展開しやがって。

「憶測だけで話を進めるんじゃねぇ!」
 田吾に向かって怒鳴ってやった。

「あなたのオネショなんか。興味ないわ」

 あ。そ。
  
  
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