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【第二章】時を制する少女
玲子んちへ行こう
しおりを挟む「あー。風が気持ちいいですねぇ──」
軽トラの窓を全開にして長い黒髪を風に弄ばせているナナの横顔を鉄格子の隙間から訝しげに見遣る。
今彼女が吐いたセリフはアンドロイドとしては不適切で、かつあり得ない。『風が気持ちいい』だと?
いったいどういう構造で、そう言えるんだ?
どんなセンサーを使って、どんなデータが流れる?
だいたい、快感なんて感情をデータ化できるのか?
それでもって理解して口に出したのか?
でも以前シロタマが説明していた。感情を理解するエモーションチップ搭載のなんたらデバイスがあるとか。
え?
小難しい話はどうでもいいから、なぜ軽トラに鉄格子があるのかって?
それにはいろいろ長い話がある。まぁ聞いてくれよ。
あれは数日前のこと──。
俺はでっかいガラス張りの入り口から会社に足を一歩入れて立ち止まり、そしていつものように肩を落とす。
「はあぁーあ」
淀んだ溜め息を一つ。最近この仕草が習慣になっちまった。
言わずもがな、今日も頭の中はナナのことばかりで満杯なのさ。
言っとくが、桃色の話じゃねえからな。
それならマナミちゃんに登場願いたいよな。こんな暗い気分で出社する俺を、ほら今日も笑顔で出迎えてくれている。ここから20メートル先の受付でな。
何を悩むことがあるんだって?
そりゃ決まってんだろ。ナナに関するモノすべてさ。
まず、俺がコマンダーであることで、あいつのメンテナンスをさせられること。これに関してはもう説明済みだから飛ばすぜ。
可愛いんだよな、実際。
おっと、心の叫びが洩れちまった。悩みはほかにあるのさ。勘違いするなよ。
俺はこの会社のハゲから厳命を受けてんだ。ナナがアンドロイドだということがばれたら、減給の上に百叩きをするってな。
減給はあっても百叩きはねえだろ、って思うだろ。ところがギッチョンチョン。あのハゲオヤジなら金にモノを言わせて会社に拷問部屋だって作りかねない。それでそこの管理人に喜んで立候補するバカもいる。玲子さ。典型的な加虐性欲者だぜ、あれは。サドとも言うよな。
そんなコマンダーの不安をよそに天真爛漫なナナは自由奔放さ。
とんでもない重量物が動かせなくなって、フォークリフトを手配するあいだにナナが勝手に移動させていたり、お客さんの忘れ物を届けるのに走り去るタクシーを追い抜いたり、その都度俺が呼び出され、自分でもワケの解からない言い訳をひねり出すことに。
それからこの美貌だろ。言い寄る男性社員が後を絶たない。
あまり親密な関係になられたら、さすがに人間でないことがばれるだろ。だから俺が間に入ることになるのだが、そうなるとまるで嫉妬心丸出しみたいになる。だから手を出しあぐねていると、玲子がやって来て蹴散らしてくれる。ここまでは助かるのだが、どういう理由(わけ)か、俺がナナに近づいても蹴り倒される。ここの意味がいまいち理解できん。俺は仲間じゃねえのか?
どっちにしても俺はこの宇宙で最も不幸せな人間なんだろな。
んでもって話を戻す。
「はあぁーあ」
淀んだ溜め息を落とす。
さて、この鬱憤は仕事をさぼることで晴らそう。
気を取り直して、受け付けへ足早に進もうとした一歩目。
「ユウスケさん。今度のおやすみ、時間ありますか?」
ナナのご登場。
あと数メートル先で俺を待つマナミちゃんの視線がさっと逸らされたように見えたのは……俺の思い上がりかもしれない。いや、きっとそうだろ。俺を意識してくれていたのなら、ナナの登場にジェラシーを感じての視線逸らしだ。でも見る限り、逸らされたのではなく、出社する別の従業員に笑顔を振りまくためとしか思えん。
「ね? ユウスケさん」
ナナは受付をチラチラ見る俺の腕にすがり付いてきた。
これだよな。生身の女性にすがり付かれるのなら。何人でもぶら下げて歩いてやるぜ。
にしても。なんだこの柔らかさは。その筐体の中に詰め込まれた柔軟材はいったい何を使ってるんだ。とんでもなく気色のいい柔らかさだぜ。
おーっと、危ねえ。この子は人工物だ、目尻を下げている場合ではない。俺は田吾みたいに、お人形さんで満足するヲタではないのだ。
「あのよ。ナナ」
「あ、はい?」
やっぱ。可愛いよな。
「よーく周りを見てごらん。男女がべたべたくっついて歩いていないだろ。会社ではそういう行為は禁止なんだよ」
「え~~。知りませんでしたぁ。でも休み時間に給湯室でくっ付き合ってる人たちを見ましたよ。だから男の人とはそうしないといけないのかと思って」
「だ、誰なんだ! そんなとこで……。いったいナニをしてたんだ?」
思わず問い詰めちまったぜ。
したらナナは平然と、
「くっ付け合っていましたよ」
「なにを? あ……。言わなくていい」
危ねえ。こいつのことだ。平気で大声を上げるところだ。ここは会社のエントランスだぞ。
にしても不埒な連中だな。給湯室をラブホ代わり使うなんて。あ。ラブホは言い過ぎか。
「らぶほ?」
ナナが小首を傾けたので慌てて否定する。
「あわわわわ。今の単語は取り消す。メモリデバイスから削除だ。覚えなくていい。分かったな? それから給湯室で見た男女の顔認識データも削除だ。いいか。今すぐ実行せよ」
まんがいち玲子の耳に入ってみろ、怒りの鉄拳がそいつらに振り落とされるのは目に見えている。
『承認コードを述べてください』
「わぁぁぁ──お! わるい。こんなところでメンテナンスをしようとした俺が悪かった」
今の冷然とした声はナナの背中辺りから聞こえてくるシステムボイスなんだ。
シロタマの報告モードもそうだし、なぜ管理者はロボットの制御をモード分けにしたのかな。やっぱセキュリティの問題だろうな。
出社時間もピークでエントランスは騒がしい。たぶん今の声は誰にも聞こえていないと思われるが、ナナが人間ではないとバレたら、俺はハゲオヤジから百叩きなのだ。だから急いで取り繕おうとした、その時、またもや。
『システム起動をキャンセルしますか?』
システムメンテナンスに移行すると、ナナ本来の意識が消えるようで、目の焦点がぶれる。そんな女性がこんな公(おおやけ)の場で突っ立ち、潤んだ目を俺に注いでいたら、それは相当にヤバい。ナナが目撃した給湯室のいちゃつきカップルとそう変わらん。
「は──い。します。すべてキャンセルでお願いします」
俺は焦点の失せた目をウルウルさせるナナの肩に両手を付いて、ひら謝りだった。
なんで会社のエントランスで女子従業員相手に頭を下げなきゃならんのだ。これだとどう見ても内輪もめ。あるいは修羅場寸前のカップルみたいじゃねえか。
「──ユウスケさん。今度のおやすみ、時間ありますか?」
「……………………」
どうやらリセットされたようだな。最初の会話に戻ってくれた。
「予定は無いけど……」
たったこれだけのセリフをナナに伝えるだけで、汗びっしょりだった。
これで理解できただろ。最近出社するのが憂鬱になる理由(わけ)が。
ナナが言う。
「レイコさんが使わなくなった家具一式を下さるとおっしゃるので、おうちまで行こうかと思っているんです」
と言うことだ。なるほどな。会社の寮に入ったナナだが、家財道具がまるで無いのは不憫だと思ってのことだろうが、さすが金持ちの発想だ。家具一式とは豪勢だよな。俺もタオルと石鹸ぐらいは進呈したほうがいいのかな。
「ありがとうございます。でもそれは社長さんから頂いてますので」
「………………」
おっさん、どこまでケチなんだ。電化製品ぐらいポンとプレゼントしろよ。俺の出る幕が無くなっちゃったじゃないか。
話は変わって。
社内に広がるピカピカに磨きあげられた廊下を進みながら思案する。
「玲子の実家か……。めちゃくちゃ興味があるな」
現在あいつは会社近くのレディースマンションに住んでいる。かなり高級だという噂だ。でも怖いから近寄ったことはない。
「でさ。どうやって運ぶつもりなんだ?」
ナナは言う。
「家具なんか片手で持てますよー」
「あ……あのさ。電車では無理だ。大きな物をたくさん運んではいかんのだ。玲子は公共でのマナーと言うモノの説明はしてないのか?」
「コウキョウ……?」
こりゃしてないな。
仕方が無いのでかいつまんで説明を開始。
歩きたばこは禁止だとか、立ちションはしてはいかんとか……あ。全部ナナには関係ないか。
ま、そういう諸々さ。
「……と、いうことだ。どうだ? 理解したか?」
「あ、はい。それじゃあ、電車ごと運べはいいのですね」
「あ…………」
公共についてのレクチャーを終わらすのにかなりの時間を費やしたというのに、いったい何だったんだよ。
結局、薬局。胡乱げに宙を見つめるナナの前で、俺は言う。
「わかったよ。社長に頼んで物流部門の連中に話しを付けてきてやるから。そいつらに運ばせたらいい」
と口に出しておきながら、今度は躊躇する。そうなると丸投げだ。もしこいつが何かやらかしたときに、ごまかし切れない。
「やっぱ小ぢんまりとやろう。会社のクルマを借りて俺が運転してやるから一緒に行こうな」
俺が気を変えたのは、百叩きは嫌なのと玲子が金持ちだという噂の真相を明かすには、一度拝んでも損は無いだろう、という理由からだ。
「わあ。嬉しい。ユウスケさんと一緒にドライブができるんですか?」
ピョンと小躍りを披露するナナ。と、その横から、
「オラも行くダ」
わぁぁ──お!
「いきなり柱の裏から顔を出すな。吃驚(びっくり)するだろ! バカ。田吾!」
「裕輔と二人きりにすると、ののかちゃんが危ないダ」
「お前ねえ。こいつはナナだっちゅうの。もう銀髪でもないんだ。ののかは卒業しろよ」
「冗談ダすよ。ナナちゃん」
脂ぎった面立ちを気持ち悪く歪めて──本人は笑顔のつもり。
「で? 玲子さんの家に行くのならオラも行くダ」
断る理由もないし、
「ああいいぜ。みんなで行こう。そのほうが色々と言い訳を考える時に楽だ」
ナナが人間離れした何かをやらかしたときの安全パイとしてな。
ところが、その日の昼食時間も過ぎた頃──。
外回りから戻った俺が遅い昼食を取ろうと食堂へ行ったところ、社員は誰もいないと思っていたのだが、隅のほうで田吾がきつねうどんを啜っていた。
「お前も今昼飯かよ?」
「んダ。フィギュアの足を削ってたら食べ損ねたダ」
高校生かっ!
「何しに会社来てんの?」
俺が言うのもなんだけど……。
「フィギュア作りダす」
こうあからさまに言われたら返す言葉がないわけで。
「よくこんなヤツに社長は給料払ってんな」
俺が言うのもなんだけど……。
「裕輔はなんでお昼食べ損ねたんダす?」
「社長の命令で新装開店の列に並んで。サービス品を貰いに行って来た」
田吾は数本のうどんを口から垂らして俺を見た。
「この会社だいじょうぶダか?」
「知らね──」
「相変わらず、しょぼい仕事をさせられてるわね」
胸の前で腕を組んだ人影。照明をバックによく見えないが、二階から見下ろすような口調の女性と言えば……。
「玲子!!」
ビリジアンカラーの制服をパシッと着こなし、秘書然とした女だ。俺たちとはだいぶランクが違うだけあって、接してくる態度も舐めきっている。
「ねえ。誰か若い男いない?」
「秘書課のホープがそんな言葉遣いしていいのか? 誰かに聞かれたらどうすんだよ」
玲子はロボットみたいに首を回してから言う。
「あなたたちしかいないから平気じゃん」
「お前の実体を知ったら、この会社を辞めていくヤツが続出するぜ」
「当然でしょ。半分はあたしの美貌で成り立ってんのよ」
よく言うぜ……。
「で? 若い男を探してどうすんだ? 食うのか?」
これからは山姥醜女(やまんばしこめ)と呼んでやろう。
玲子は朱唇をウニュウニュさせて顎を突き出す。
「変なこといわないでよ。ナナにあげる家具を実家の倉庫から引き出すのに人手がいるの。誰かいない?」
「その話なら俺と田吾が行くから大丈夫だ」
「あんたたち二人だけだとちょっと頼りないんだな。あと二人ほど何とか見繕ってよ」
「お前が言うと、生け贄を捧げに行くみたいだな」
それに……。若い男との交流なんてねえし。
困惑する俺の横で、うどんを、ずず、ずーっと啜っていた田吾が言う。
「ナナちゃんのファン倶楽部から選ぶといいダ」
「「ファン倶楽部?」」
俺と玲子の声がそろった。
「お前、そんなの作ったの?」
「んだ。ののかちゃんファン倶楽部の副会長もしてるダから。そういうのは慣れてるダよ」
そっち系の道に関しては、尋常でない働きをするヤツだからな。
「高校生なんかはダメだぜ」
「もちろんダ。全員この会社の若手社員ばっかりダすよ。ほとんどが開発課の連中ダ」
「それで最近俺の周りをうろうろするやつが増えたんだ。あれは何かの情報を得ようとしてんだな。で、何人ぐらい集まった?」
「今のところ80名かな?」
「「はちじゅうめい!」」
よくよく声がそろうな、玲子。
今度会社の合唱団でも入る?
「嫌よっ!」
即行で断るなよ。
「んダよ。全員若い男のみダす。選り取り見取りダ」
「全員はいらないわ。二人ほどでいいの」
「なら抽選で連れてくダ」
「いいいわね。それじゃ、これ……」
ぽいと俺に放ったクルマのキー。
「社長に言って借りといてあげたわ。軽トラの鍵よ」
「さすが秘書課のエース。手回しがいいな」
「三人乗れないだぁ」
「そうだよな。軽トラといやあ、二人乗りだよな」
「え~。裕輔と行くだか?」
「なんで俺がブタとドライブしなけりゃならんのだ」
「だってオラ、クルマの免許持ってない」
「お前は、倶楽部の若手と電車で行け。俺はナナと一緒に仲良くドライブして行く」
「え──。そんなぁ」
派手にブーイングをあげるブタオヤジだったが、
「ナナと裕輔とで来ればいいわ。あなたは若い子らと先に来て倉庫から出す仕事をしなさい」
玲子の命令に抗うことはできない。田吾は渋々承諾した。
「わかったダよ」
どういうわけか特殊危険課の課長の采配で、すんなり俺とナナが二人きりになる許可が下りた。
なんでだろ。マジ、明日は雪が降るかもナ。
…………槍か?
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