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【第四章】悲しみの旋律
エルの怒り
しおりを挟む「なんでや! こんな短時間にミカンは転送圏外にまで飛んどるんか? 早すぎるやろ!」
俺が司令室へ戻ると社長が喚いていた。
「ミカンちゃんが転送圏内にいる間はスクリーンに映らないようにシロタマのセンサーをごまかしていたみたいなの」
玲子が状況を俺に説明し、社長は悔しげに目でうなずく。
「機長。ミカンを追い掛けるで。こっちのほうが速度が上や。ミカンに近寄ってくれまっか」
《通常エンジンまでシステムダウン中です》
操縦席からは虚しい返事が返ってきた。
「くっ! どこまで用意周到なんや、あの子……」
地団太を踏む社長。最終決断は、
「ハイパートランスポーターを使って回収できまへんのか!」
『その命令は推奨されません。次に使用するのに8時間を要します。通常エンジンが使えない現状では、回収後、スケイバー艦から逃れる術(すべ)を失います』
報告モードの理に詰んだ説明に押し流された。
《接近中の小型艦に告グ。その武器ハ何ダ。詳細ヲ述ベヨ》
いきなりスケイバー艦からの声が響いた。
メカニズムなどは解らないが、真空の空間を通して辺りにいる船の隔壁を直接震わせて音を発するようで、その言葉はミカンへ直接語り掛けていた。外からは察知できないが、ミカンに乗り込んだエルが自分の超能力を使ってスケイバー艦内を直接攻撃しているようだった。
「ミカンへ通信はできまへんのか、シロタマ?」
『通常周波で通じます』
「エル! 聞こえまっか? 今すぐ帰還しなはれ。ネブラに関わるんやない」
数秒の間が空き、繰り返そうと社長が息を一つ吸い込んだ直後。
〔……コイツらがあたしの両親や仲間を殺したんでしょ?〕
「ま……間違っては無いけどな。エルが手を出すことは無い。ワシらに任せときなはれ」
しかしエルからは決意にまみれた声が渡ってきた。
〔エルフ族を殲滅に追い込んだ張本人を目の前にして離れるわけにいかない。あたしはコイツらを絶対に許さない〕
「やめるんや。今すぐトランスポーターで回収するから、ミカンを停船させなはれ!」
〔ゲイツさん。邪魔しないで!〕
ダダ――ン!
いきなり船内に稲光にも似た猛烈な放電が起きた。
『危険です! 空気が電離してプラズマが発生中です』
シロタマの報告はとんでもないことだと言っていた。
「エルの怒りの表現だ」
それが船内の空気にプラズマを起こしたのだ。
さらに報告モードが慌てふためく。
『驚異的な現象が進行中! スケイバー艦の回りに巨大な質量が集まっています』
とか言われてもどう対処していいか皆目解らない。
『さらに増えています。猛烈な重力が発生中』
「銀龍への影響は?」
『現時点では局所的ですので影響はありません。しかしスケイバー艦には重大な損傷を与えています』
「ぬぁっ!」
スクリーンが強い光りで瞬間瞬き、1隻のスケイバー艦がぺしゃんこになった。まるでアルミ缶を踏んづけたようだった。船体を構成するフレームが一気に折れ曲がり内容物が宇宙空間に飛び散った。
《そのエネルギーの発生元ノ情報ヲ与エヨ》
とんでもなく危機に直面している割りに淡々と無機質な質問が続くが、
《直チニ投降シ……》
それはプレス機に掛けられたプラモデルのようだった。六角形の巨体が瞬きよりも早く木っ端微塵になった。
『相転移反応です』
てなことをシロタマが叫んだからって、
「なんと、そりゃ大変だ」と叫んでいいのか、
「ほぉ。よかったじゃないか」
なんて、弛緩していいのか、
「ふ~ん。それって値段はいかほど?」
と尋ねるべきか。
でも全員が同じ言葉で叫んだ。
「なんやそれっ!」
「なんだそれ?」
「なんダすか?」
「そうてんい……?」
赤丸口紅マークがぐりんと回って、
『エネルギーの質量化です。膨大な重力を局所的に発生させてスケイバー艦を圧し潰しています』
「誰がやってんだ? やっぱりそれも……」
『エルです』
やばい。最悪のシナリオだ。
「エルが暴走したら俺たちの手には負えないぞ」
スクリーンの隅っこに映るミカンに向かって思わず叫ぶ。
「エルもういい。やめるんだ。それ以上やるとお前の体にさわる。すぐ戻るんだ」
〔やめない! あたしの仲間を……えいっ!〕
気張った声が途切れるや否や、スケイバー艦が紙屑を丸めたみたいにクシャンと縮まった。周長にして102キロメートル、ちょっとした小惑星クラスの巨大な宇宙船がコンマ何秒でぺしゃんこになったのだ。内部にいた50万を超えるデバッガーたちももろともだ。
「――っ!!」
次から次へとスケイバー艦が潰されていく悪夢のような光景。初めて強い戦慄を覚えた。怒りにまかせてエルが暴れているのだ。
「やめるんだエル!」
感情の制御が利かない怒りは必ず自らを破壊する。
『このままではこちらの空間にもひずみが発生して危険です。最低でも数光年は離れるべきです』
「馬鹿な! ミカンとエルを放っておけないだろ!」
〔ミカンちゃんはあたしが守る。ギンリュウももっと離してあげる〕
俺の問いに返してきたエルは意外にも冷静な声だった。
「エル! 直ちにやめなさい。そして落ち着くんだ。俺たちのやり方でネブラを葬る。お前は手を出す必要は無い!」
〔ゆーすけ。あたしは落ち着いてるよ〕
「じゃあ、俺の言ってるが解かるだろ? 帰って来いよ。また遊ぼうぜ」
〔あたしは平気。まだまだ元気。この次元はあたしが断ち切ってあげる〕
次元……。あいつは何を言いたのだ?
「やめろ! お前が死んだら俺たちは悲しむだけだ。もっと自分の体を大事にしてくれ!」
〔ゆーすけはその心配性を治せよ。木偶人形たちの船を潰したらすぐ帰るからさ。ちょっと待ってて〕
「壊さなくていい。すぐ帰ってきてぇ――っ!」
横から玲子が悲鳴を上げた。
〔ねぇ。レイコねえさん?〕
エルはとんでもなく甘えた声を出した。
込み上げる絶叫を急いで呑み込み、玲子は口調を反転させる。
「な……なぁに?」
〔あたしの家はギンリュウでしょ?〕
「そうよ。だから早く帰ってきて」
少しの間が空き、エルは決然と答えた。
〔わかった。これが終わったらすぐ帰る。ゴハン作って待ってていいよ〕
「エルっ。社長命令や! 直ちに帰還せぇ! ぐわぁぁ――っ!」
言葉の途中で猛烈な横向きの加速が襲った。
「な、何なのー!」
玲子と田吾が床を滑って壁に衝突。
俺も座席にしがみ付いて激烈な加速から身を守りつつ、スクリーンに映る驚愕の光景を目の当たりにすることとなった。
スクリーンの中心へ向かって全ての星が定規で引いたような一閃を引いたのだ。幾万とあった光の粒が虹色の輝線を放って全てが一点へと引っ張られて消えた。
瞬間の暗闇。瞬目(しゅんぼく)と同じ時間が経ち。今度はさっきと真逆の現象だ。スクリーンのセンターに出現した一つの輝点が瞬時に星空へと戻った。
しかし誰もが気付いた。視界に飛び込む景色が変わっていたことを。
《どこかへ瞬間移動しました。距離測定不能です》
パーサーの声で我に返った。
勢いに振り回され、乱れた衣服を整いながら社長が尋ねる。
「亜空間跳躍でっか?」
『違います。ユイの方法とも異なる方式です。完璧な空間転移です。銀河の中心位置から測定して、数千光年は移動しています』
答えたのはシロタマだったが、その説明で背筋が寒くなった。あの子は時空までを自由に操れるところまで進化していたのだ。
エル保護から20日目。
昨日のこと。
銀龍は弾き飛ばされた星域から元の場所を特定するのに、シロタマの脳力をもってしても数時間を必要としたが、ひとまずハイパートランスポーターの跳躍圏内だと判明し、安堵の吐息と共に直ちに元の場所へ戻り、漂流中のミカンを捜索した。
あたりは紙屑のようにくしゃくしゃになった何隻ものスケイバー艦の残骸や、細かな破片が散乱する荒涼とした景色が数千万キロに渡って広がっていた。
まるで激しい戦争の跡のようだが、これらは怒りに暴走したエルが数秒で果たした結果なのだ。
「どえらい能力やで……なんや背筋が寒ぅなるな」
社長はいつものハゲ頭を手のひらでペシャリペシャリとやる仕草を繰り返してスクリーンの映像へ目を通し、優衣は手元の探査装置を覗いていた。
そして。
「社長さん。右舷3600メートル先にミカンちゃんを発見しました」
ミカンは機能不全も無く、回収すると素早く元の丸っこいボディにトランスファーしたのだが、乗っていたエルは虫の息だった。
「ムチャをしたわね」
妙に優しげな玲子の声は、エルの容態があまりに悲惨であることを意味する。
「レイコねえさん……また駆けっこしよ……楽しか……ったよ。カプセルの中に……押し込まれたままよりずっと……ずっと……楽し……かった」
そこにいたのは老婆の姿をしたエルだった。
白く艶々とした肌に深々とシワを刻んだ痛々しい姿にもかかわらず、尖った耳だけはエルフであることを象徴していた。
「エル……」
「だから……、そんなに悲しい顔しないで……レイコ、笑って。あのさ。とっておきのプレゼントを準備したんだ……受け取って……」
「な、何言ってんだよ。お前が無事なら何もいらないんだよ」
「ゆーすけ……待っててね…………」
結局エルは意味不明の言葉を俺たちに残して、生後19日という短い生涯を閉じた。
そして今日。
「黙祷!」
パーサーの重々しい声が第二格納庫を響き渡った。
「……もっと遊んであげたかったのに……ごめんね……エル」
涙声の玲子の漏らした言葉に胸が締め付けられた。
俺は悔しさだけが次から次へと湧き出てきて、何か言おうとしても喉が震えてそれをことごとく邪魔してきた。
エル……俺も何か言葉を贈りたい。
で、でも……。
深い悲しみは思考が止まることを体験した。
「短い間でしたが、きみほど自分の生涯を清々しく生き抜いた女性はいないでしょう。我々は決して忘れません……またどこかで……こんどこそボルドーで一勝しますからね」
パーサーの声と射出音。そして一段と高まったすすり泣きに第二格納庫が沈んだ。
最後のエルフ。
あまりに短くあまりに寂しい人生。それを阻止できなかった俺たちには深い後悔が残ったことは隠しきれない。
彼女が残したとっておきのプレゼントの意味は解らない。でもここに大切な宝物がある。
司令室に残された遺品を見るたびに思い出すだろう。赤ちゃんだったエルが入れられていた耐熱性カプセル。その中に大切に保管された、まだ新品のベビー服。たった19日前のことだ。
後日談だが、俺たちはとても嬉しい事実を見つけた。
彼女の時間剥離症候群はエルフ族が住む惑星の環境下では発病しないという事実と、この時空修正ミッションが成功すれば、未来のネブラは抹消し、連鎖的にエルフ族の惑星は破壊から免れるという事実だった。
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