アカネ・パラドックス

雲黒斎草菜

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【第二章】時を制する少女

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 あり得ない写真を突きつけられて唖然としていた俺たちだったが、本編はこれからなのだった。


「これってどういうことなの?」
 説明を求める玲子に、ナナはふぁふぁの栗色ヘアーを揺らしながら正面から向き合う。
「この写真は、ユウスケさんが5歳の時、隣に住んでいたワタシが可愛いお子様ですねって言ったら、お父様が写真を焼き増してくれたので、そのまま頂いて来たんです」
 と言って、再び続きの台詞を楽しげにつけ足した。

「さっきですけどね」

「お、お前……。よく俺んちへ遊びに来てたじゃねえか」
 俺の指も社長と同じようにワナワナと震えていた。
「あ、はい。よく遊びましたよね。公園行ったり、散歩したり。そう言えば、このあいだ玲子さんの家に伺う時に近くを通りましたでしょ……。懐かしかったんですね」

「なぁ──っ!」

 ちゅうことは。
「じゃ、じゃ、じゃ。ラーメン屋が6分23秒で見えて来ると言ったり、子どもが飛び出すと言ったのは?」
「もちろん未来のワタシからの同期情報のおかげで、すべて経験済みだったんです」

「んで。裕輔のオネショはどうなったダす?」
「誰も興味がないって言ってんだろ、バカ」

 だがナナは部屋の中を見渡してからニコリと微笑む。
「ワタシがこの時間域に戻る前にご挨拶に伺おうとしたら、ご両親はお留守で、オネショをしたユウスケさんが泣いて飛び出して来ましたので、ワタシが洗って乾かしてあげたんです」

「ナナぁー。くだらない情報を残らず暴露するんじゃねえ。あぁあ。お俺はナナに遊んでもらっていたのかぁ。俺の初恋の思い出はお前に作られたものだったのか……」
 限りなく力が抜けてきた。
 彼女を慕い、泣き明かした子供の頃の小恥ずかしく甘酸っぱい記憶を手繰り寄せてくれる一枚の写真。

 えっ!?
 それでいいのか?

「ちょ──っと待て! 引き出しのピザだ!」
「なに言ってるダ? ピザが食べたいんなら、分けてあげるダよ」
「バカ、冷えたピザなんか要らんワ! そうじゃない」

 そう。あれだ。

 これは思い出したのではない。変えられたのだ。いや、事実だから思い出した、でいいのか?
 どちらにしても俺がピザを出してみろと言った瞬間に、社長や俺の記憶が塗り替えられたのだ。

 歴史の改変が行われたワケだ。
 引き出しにピザが入っていなかったという歴史が消されたのと同じ理屈で、ナナと出会っていない歴史が消され、ナナを恋い焦がれた歴史と、たった今入れ替わったのだ。

「むぉぉぉぉ……」
 時の流れの壮大な深さと奇妙な事実に鳥肌が走り、俺たちは沈黙した。


 だいぶ経って、最初に口を開いたのはパーサーだ。
「ではナナくんは、さきほど扉を開けて閉めた、その刹那の瞬間にそれだけのことをしたわけですね。トータルどれぐらいの時間を経験してきたのですか?」

「そうですね。理解しずらいかも知れませんが、ワタシは外で待機していた未来のワタシに頼んだけです。ここからワタシが時間を飛んでもよかったのですが、皆さんに跳躍光をお見せするのはまだ時期尚早だと判断しましたので、ワタシは未来のワタシに託して、結果を同期しただけです」

 なんですと?

「同期?」
「あ、はい。扉の外にいたワタシと修正結果を共有することです」

「今のお話しだと、ナナくんがもう一人登場していますが、私の聞き間違いでしょか?」
 何でもいいけど、この人は冷静に言葉を運ぶよな。俺なら『お前はバカか!』で済ましちまうところだ。

「はい。多重存在と呼びます。それとご質問のお答えですが、時間を飛んでいた期間は……」
 ナナは一刻の間を空けて、奇想天外なことを言う。
「社長さんがお子さんの時に1年。ユウスケさんと半年、お店でピザを待って20分ぐらいです。あ、そうだ、ユウスケさん。ピザキャップでなくてごめんなさいね。お店が混んでいたのでドノミにしたんです」
 何でそんなことを今ここで俺に伝えるのだろ?

「なるほど。多重存在の意味が解りましたデ。ほんなら、おまはんはいろんな場所や時間でほぼ同時に存在することができるんや」
「そういうことです。説明が省けて助かります」

「無限の時(とき)を持つ少女……ですか」
 ぽつりと漏らしたパーサーの言葉が印象的だった。

 多種多様のトラブルに遭ってきた俺だったが、今ここでピザを出してみろと変な注文を出したがために、数十倍のしっぺ返しを喰らうとは思っても見なかった。これは急いで自分の記憶を洗い直したほうがいい。その後、今日にいたるまで、俺の記憶の中にナナが登場するかも知れない。そう思うと背筋が寒くなってきた。この子は他人の人生を改ざんすることができる。いや、やろうと思えばまったく違う世界に作り替えることもできるんだ。

 なんちゅうもんを作っちまったんだ……管理者め。

 驚愕する俺は恐怖すら覚えていたが、社長は大きな吐息と共に椅子に深く尻を落として言う。
「ほんで、ワシらに何ができまんの? 時空理論の概念でさえ理解していない原始人みたいな人種でっせ」
 と言ったあと、片眉を微妙に歪めて天井にばりつくシロタマを見上げた。

 あいつから猿だとか原始人だとか散々言われるセリフを自ら漏らしてしまったことに、後悔の念を浮かべたんだろう。
 だがタマはジャマをする気はないらしく、楕円形になったボディの隅っこをプヨンと揺らしただけで済ませた。


「時空の修正はその事象に最も関りのあるその時間域の人が手を下さなければ、歴史が変わってしまい未来が大きく変化する可能性があります。ですので別の時間域の人が手を出すことはタブーだと言われています」
 ナナの目の色がさらに濃くなり、
「ところがワタシも社長さんたちと同じ時間を過ごしていますので、手を出すことが可能なんです」

「なるほどな。ほんで管理者はおまはんを選んだ、っちゅうわけや」

 ナナは社長の意見にほっそりとした顎をこくんと引き。
「ワタシが時空修正を行いますので、みなさんにはそのフォローをしていただきます」

「何を修正するの?」と小首を傾ける玲子。
 こいつも田吾と同種の人間だな。これまでの話を何も聞いていない。

「お前は、今まで何をしてたんだ」
「だって不思議な話ばかりで、よく頭に入ってこなくて……」

 やっぱりな。脳ミソの大半が筋肉のヤツなら仕方がないことで、社長も呆れ気味に言う。
「歴史の修正をするんやがな」
「そんなもの修正しちゃっていいんですか?」
 と返す玲子の気持ちも解らないでもない。

「そりゃそうだな。一歩間違えれば未来がムチャクチャになるな」

「時空間を正しく理解して手を出せばそれが可能です。そうすることでこの銀河が救われることになります。少なくとも管理者の銀河消滅反対グループはそう信じています。ワタシもそうです」

 ナナの瞳はいつもより増して無色透明の光りがみなぎっていた。
「ドロイドさえ蘇生しなければ、すべてうまくいきます」

「増える前に卵を先に潰すちゅうわけでんな」
「なんだゴキブリ退治と思えばコトは簡単だな。具体的にはどうやんだ?」
 まだ要領を掴めないでいる俺たちに、ナナは詳しい説明を始めた。


 それによると──。
 結局、過去のナナは、残り三枚の点火チップでスフィアのエンジンを起動することができなかったのだ。
 ま、こんなのは想定内の事だったたらしく、かつ、白神様の頼みとあって、喜び勇んだドゥウォーフの青年、バッカルは足りなくなったチップを隣のスフィアまで取りに行ったらしい。その時、そこのエンジンシステムを起動させたことにより、メモリに寄生バックアップされていたプログラムが一体のドロイドにリロードされて再起動したということだが──。

 ナナの口から出た説明はあまりにも現実離れしていて、いちがいに信じられるものでは無かった。だいたいあの漂流事件だって、時が過ぎれば記憶が曖昧になって来るもので、今となっては夢でも見ていたのではないのかと思う毎日だ。今の説明では空想小説のストーリーを語られるようで、まるで信憑性(しんぴょう)が無い。

「んな。バカな……」
 懐疑的な気分に移り変わりつつある思考の中で、話の続きを聞くこととなった。

「蘇生したドロイドはシロタマさんからダウンロードした転送理論と、ドゥウォーフさんのカタパルト技術を応用した新たな転送方式で、超新星爆発直前の空間に流れる漂流物を渡り歩いて、どんどん遠くへ跳んでしまい爆発の衝撃波からも逃れたんです」


「ワシらの知らぬところでそんな事件が……」
 重苦しい吐息と共に社長は組んでいた腕を解いた。

 もはや出す声も無いと言った面立ちでナナを睨み、ついに社長はこう結論付けた。
「分かった。特殊危険課の出番や」

 うっそー。マジで言ってんのか、このハゲ茶瓶は?

 よくよく考えたらやっぱりおかしい。こんなのはアニメの話だ。田吾なら信じるだろうけど。
 で、そのブタオヤジはというと、黙っていた。それもそのはず、あろうことか制服のミニスカートから伸びるナナの白い脚を見て目を爛々と輝かせていやがった。

 このドスケベめ。
 でも、ある意味、こいつが最も冷静な判断力してんじゃね?
 あれだけ不可思議なものを見せられても動じていないんだから。

 んなわけないか。
 まぁ、エロヲタのことは除外して。

 他のメンバーは見せつけられた写真を時間渡航の証しとして、揺るぎの無い事実だと思い込んでいるようだが、冷静な判断力のある俺の考えは今や反転していた。

 さきほどナナのやったのは、やっぱ催眠術系のスピリチュアル操作さ。最初から言ってるだろ。手品なんだよ。

 だいたい時間渡航など、どんなに科学が進歩しても絶対にあり得ない技術なんだ。上手く作られた合成写真と、どこかで得た情報を混ぜてでっち上げた話に俺と社長がまんまと騙されたのさ。他の連中は俺たちの驚きに誘導されただけだ。

 は──っ、ヘソが茶を沸かすぜ。沸いたらそれで玲子よりうまい茶を淹れてやらー。

 気分はもう上の空さ。この後の昼飯をどこの店で済ますか、昨日のメニューと照らし合わせて思案する俺の前でケチらハゲは嬉々とした。
「ようは、隣の区域にあるコロニーの点火プロセッサーが起動されへんようにしたらエエだけの話や。朝飯前やがな」
 昼飯の話してんすよ、社長。

「ね? 簡単でしょ?」
 ナナは丸い瞳をくるりとさせて、朗らかに笑った。
 インスタントラーメンに玉子を一つ割り入れて、サービスだと宣言するメイドみたいな顔をした。

 あー。ラーメン食べたくなってきた……。

「あ。そだ……」
 ナナは口を丸く開けて目をぱちくり。透き通った黒い瞳を一人ずつに巡らせて告げる。
「皆さんに注意することがありました。過去に関連する人物、中でもに自分自身と出会うことは厳禁です。決して顔を合わせないでください。これだけは約束です」

「なぜです?」
 尋ねるパーサーにナナはゆるりと身体を向け、
「未来の自分に出会ったという混乱した思考情報が、記憶を媒体として過去と未来とで反射しあい、水面を広がる波紋みたいに、感情サージと呼ばれる大きな衝撃波になります。それがずっと先の未来にまで伝わってしまうんです。これを管理者たちは自時震(じじしん)と呼んでいます。自時震が起きると当事者が自我崩壊を起こしたり、歴史が変わったりします。特に過去の自分に姿を見られたり会話をすることは厳禁です」

 そんな面白いシチュエーションが起きるのに、言われたことを守るヤツがいるのかね?

「中でもユウスケさん。お願いしますね」
 んげっ!
 こいつはテレパス機能搭載なのか? それとも超絶な推論エンジンのほうか?

「ねぇ。ちょっといい?」
 不意に玲子がその美麗な顔を上げた。

「あなたは過去のあなたに会わないで、どうやってエンジン点火の作業を交代するの?」
 なるほど。俺も気づかなかったが、言うとおりだな。
「そうだ、そうだ。今お前は過去の自分に会ってはいけないと言ったばかりだぜ」
 俺はヤジを飛ばす舞台隅のガヤのように、大きな声で嫌味っぽく言ってやる。

 ナナは笑顔のまま俺に澄んだ目を転じる。
「ワタシには感情サージが起きないメカニズムになっていますので、ワタシが過去のワタシに出会っても何も起きません」
 あっさりと言い退けやがった。


「わかったがな。そのゴキブリ退治、特殊危険課が手伝いますワ。ほんで過去のおまはんが一人きりになるのはいつや?」
 たぶんこれが社長の出す最後の質問だろう。誰もが止めることはできないほどにやる気満々だった。

「あぁぁ。また特殊危険課の出動かよ」
「おもしろそう。今度は過去へ行けるのね」
 世紀末オンナは世紀末的なことを言いのけている自分のバカ頭に気付いておらず。

「ののかちゃんも連れて行くダ」
 今度も田吾は魔法(あほう)少女同伴のようだ。情けないないぜ。

 やるせない溜息を吐く俺の前でナナが力強く言い切った。
「ワタシが一人きりになるのは、みなさんも想像できると思います。最後の点火チップを使う少し前です。このときに今のワタシがエンジンを掛けてしまえば、ドゥウォーフの若者は隣のエンジンシステムへ行く必要がなくなります」

「む~~~。なるほどな」
 ケチらハゲは腕を組むと半信半疑の眼差しでナナを見つめて唸り、天井の隅ではシロタマがもそもそと体を揺らした。

 さっきからあそこにゴキブリがゴソゴソしてっけど、どうする? 先に退治しとく?
  
  
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