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第四巻・反乱VR
金は天下の笑い物
しおりを挟む無責任なギアの態度に我輩は少々憤りを見せた。
「NAOMIさんが気付かなかったら永遠とこのままだぞ。どうする気なんだ」
ギアは能天気に、「いつかは出れる。それまでここを楽しもうや」と言い放つと、
「ほれ……」
手を出してそれへと顎をしゃくった。
「何だ? アシストしてくれなくても一人で立てるぞ」
「アホか。なんでくっさい男の手を引くねん。そんなことするぐらいなら尻(しり)噛んで死んだるわ」
「ヘソではないのか?」
「ゴアの手を引くぐらいやったら、尻を噛んで死ぬほうがムズいけど、結果的には気が楽や、っちゅうことや」
「なるほどな、って。我輩はけなされているのか?」
「うきゃきゃきゃ。うけるよー。おんもしろーい。キミたち最高! あはははは」
散々笑いこけて、
「――じゃぁさ、頑張ってね」
少女は店を出ようとするので、
「うぉっ! リョウコくん待ってくれ。我輩たちをここから出してくれ」
「あのさぁ、キミ……。それって捕まえられたカブトムシがカゴの中で叫んでんのと同(おんな)じだよ」
怖いことを言う割りに、可愛いらしく笑みを浮かべ、
「さっきも言ったでしょ。想像力を働かせて好きな環境にすればいいじゃん。自由自在なんだからさ。あっと、あたしの分は払っとくから。じゃっねー」
涼しげな声と300円をテーブルの上に残して、少女は指でVサインを拵えるとスタスタと店の外へ消えた。
「我輩たちはカブトムシだと言いたいのか」
立ったまま、二人して締まりゆく扉の隙間から外を眺めていた。
「カッコええこと言うなや。カブトムシはワテや。オマはんはついでに捕まえられたカナブンや」
ギアのくだらないセリフは我輩の耳には入らなかった。
ぼんやり出口の奥を見つめていたら再びギアの手が伸びてきた。
「ほれ。早よ出せや」
「何を?」
「ポケットの銭や」
ギアはリョウコくんが置いて行ったテーブルの300円と会計伝票を掴んで言った。
「お帰りですかー。レイコー3つで900円でーす」
必然的に我輩はポケットの700円をそれへと合わせ、ギアはそこから9枚だけをウエイトレスに渡して、
「おおきに。ネーちゃん。美味しかったわ。また来るわな」
「ありがとうございました」
深々と頭を下げるウエイトレスの前をしゅるりと抜け出ると、ギアは残った100円を某球団のハッピのポケットへ放り込んだ。
「さぁ。明るい未来へ行きまひょかー。うひゃひゃひゃ」
「キショイ奴……」
我輩はバカの能天気パワーに引き摺られて店の外へ、ギアは悄然とする我輩の正面に立つと胸を張った。
「なに元気無くしとんねん。見てみい。念願のヒューマノイド型生命体や。この世界はワテらにとっては夢の世界やど。こんなんめったないんや」
「オマエの無駄に明るい性格はどこから来るのだ?」
「先見の明があるっちゅうことや。オマはんよりワテのほうが見識が高いねん」
よく言うよな。
「我々はこの世界に閉じ込められたのだぞ」
「そこや!」
と叫ぶと、喫茶店の外にあった人工池のほとりに並んだベンチに我輩を座らせ、
「あかんデ、オマはん。ほんま考えが薄っぺライわ。ええか。この世界と昨日までおった実世界とどこが違うちゅうねん」
「今も区別したではないか。こっちが偽の世界だ」
「VRならそうやろ。疑似世界ちゅうぐらいやからな。でもな、リョウコちゃんはなんちゅうとった。ここは本物以上の世界やゆうとったやろ。オマはん地球に何で来たんや?」
「たまたま覗いていたら、雷に撃ち落とされたのだ」
「それが地球やったちゅうことや。そん時にこの世界に落とされとったら、そこがオマはんの今いる場所や。つまりや。どちらに落ちていようと何ら変わらんちゅうことや」
「悟らそうとしてるようだが、オマエから言われると騙されているようにしか聞こえん」
「まっ、気ぃ落とすなや。ラブマシンの最大の欠点はパワーが切れたら停止するちゅうとこや。しょせん相手は機械やんか。それかその前にNAOMIはんか、キヨ子はんが気付いて停止させてくれるデ」
こいつのポジティブ的な考えは時にして我輩を引き摺ってしまう。妙に肩の辺りが軽くなった気になり、ベンチから立ち上がって白衣の裾を閉じた。
「ギア。腹が減って来たな。何か食わぬか」
「ホイきた、ゴアはん。ほな早速お食事処でも探そうや」
その相の手、どこかで聞いたことがあるような気がするのだが。
ひとまず、ポジティブなギアの考えに押されて、かつ空腹でもあったので我輩も立ち上がった。
「初めてヒューマノイドの空腹感という物を味わったが、電磁生命体とはだいぶ異なるな」
「ほんまやな。なんで腹の中でオナラが鳴るんやろな?」
「詳しくはないが腹の虫と言うらしいぞ」
「ほな。放屁は尻の虫っちゅうてもええのに、なんでオナラちゅうねん」
「知らぬわ。キヨ子どのがいたら詳しい説明をしてくれるんだがな」
とかくだらない会話をしていたら、空っぽの右ポケットで再び異物感を覚えた。
「ん?」
思わず手を突っ込むと、
「10円入っていたぞ」
「へ?」
「もう屁(へ)の件は終わったのに……?」
チャリリン。
「あれ? また10円増えて、20円になった」
「どういうこっちゃ? 屁ぇゆうたらお金もらえまんの? ほなもう一回ゆうたろか」
ギアは我輩の右ポケットに向かって
「屁ぇ、へ~、ほ屁ぇ~」
くだらないな。
「なにも変化が無い。20円のままだ」
「つまり。おもろなかったんや」
「なるほどな。リョウコくんの感情を揺り動かせばその対価として金銭がもらえる仕組みなのだ。それで喫茶店で支払いができたのだな」
そうなると最初の対価となった350円は、我輩の下半身をガラスドアに映したお代と言えるが、ちょっと安くないかい?
我輩はさらに思考を巡らせる。ポケットに現れる小銭はエモーショナリティコインとでも言えばいいのだろうか。労働の代わりに何らかの感情をリョウコくんに与えてやればいいわけだ。ただしあの口調からすると、楽しい話題でないとよくないようだ。
「よっしゃ。先が見えてきたデ。まずは腹ごしらえや。ワテの持ってる100円と合わせて120円や。タコヤキぐらいは食えるやろ。どっかに店ないか?」
我輩はもっとがっつりとレストランかお食事処で、ちゃんとした物が食いたいのだが……背に腹は代えられぬ。それよりも懸案事項は拭い去れない。
「前にアキラと行ったタコヤキ屋さんを知っておるが、そこは8個で500円であったぞ。380円も足りない」
「ホンマにネガティブ思考やな、オマはん」
「オマエがポジティブ過ぎるのだ」
「まあ、ワテに任せとけや。どこやその店は?」
人っ子一人いない寒々とした構内から大きく口を開けた出口の向こうにある広場。そのさらに先を指し示し、
「駅前の信号を渡った先にある金魚屋さんの隣だが、このまま行ったって無人のままだ。タコヤキだって焼けているかどうか怪しいぞ」
「せや。どうもこの寂しさはワテには不向きや。負のパワーが満ち溢れておって、ワテの正のパワーが消えていくみたいや」
量子論的に真空を説くみたいに言うな。
「やっぱ町は賑やかでないとアカンで。ワテの想像力でここを変えたるワ」
「町を構築するのはいいが、さっきみたいな品の無い町はうるさくてかなわん。もうちょいでいいから抑え気味にしてくれ」
「よっしゃ。ちょうどエエの拵えたる」
ギアが目をつむって数秒後――。
すぐに騒々しい音が鼓膜を刺激し我輩は目を見張る。横断歩道が青を伝えるオルゴールが信号機から鳴り響き、目の前に大勢の民衆が光と共に現れたのだ。
「おぉぉ。すばらしい」
気付くといつもの喧噪の中に立っていた。
道路は自動車が行き来し、タクシーが駅前の広場に列を作って停車。それへと人々が並び、あるいは交差点に集中。あるいは駅の改札口へ向かうエスカレータに群がっていた。
「どや? 見慣れた景色やろ。ほれ桜園田の駅前そのものや」
「すごいぞ、ギア。この世界を作ったのはお前の想像力なのだ。素晴らしい能力ではないか。まるで日常の駅前だ。何も変わらないぞ」
「もしかして、ワテは神様ちゅうてもええんちゃうの?」
「神か……。この世界を作ったんだもんな。あそうだ。それなら神様に一つお願いがある」
「なんであるかな?」
もうその気になっておる、単純バカが。
「この白衣の下になにか着させてくれ。いくら日常通りだと言っても、我輩の下半身が異世界ではちょっとまずいだろ?」
「せやな。ワテもパシッとスーツとデロリアンハットでも被りたいな」
「デロリアン? クルマでも載せるのか? それを言うのならテンガロンだろ」
「ほーか。知らんかった」
チャリン。
「おー。今のは20円の値打ちがあるみたいだぞ。トータル40円になった」
「よっしゃ。ひとまずパリッとしたもんに着替えよーぜ」
と言いつつギアは目をつむり、我輩も期待を込めて白衣の内側に意識を集中させる。
「えいっ!」
気合を込めるギアだが……。
「おい?」
「どないや。カッコようなったか?」
両手を固く握りしめ、目をつむって気張るギアだが。
「何も変わらんぞ?」
「何でや? スリーピースのスーツと、オマはんには木綿のパンツを念じてんのやで」
安っぽいな。何なんだそのスーツとパンツの差は。
「だめだ。何も変わらん」
ギアもぱちりと目を開けて、
「ワテもステテコのままやがな」
「もしかして……」
たびたびだが、嫌な予感が。我輩の思いをギアが口にした。
「念じれるのは一回こっ切りなんや。ワテの神様はさっきで終わりなんや。あああああ。何でやー。知っとったらワテ専用のハーレムランドにでもしておけばよかった」
大げさに嘆いた後、ギアは我輩をギンと睨み。
「オマはんが余計なこと言うから。普通の桜園田町になってもうたやんけ。どないしてけつかんね!」
「それは八つ当たりだ! 我輩を見ろ。白衣の下はまっぱのままだぞ!」
平たくした口を突き出すギアに向かって、我輩は大きく前を広げて見せた。
「きゃぁ――っ!」
絹を裂くような、と言う表現がふさわしい女性の叫び声が響き、我に返る。
見ると、駅前広場に集まった民衆が一斉にこちらに振り向き、凍り付いていた。
ほんの寸刻の間(ま)に我輩たちの周りに空間が広がった。清澄な水面に小石を落としたように輪を成って人々が遠ざかったのだ。
女性たちは目線を下に落として足早に逃げ、男性のほとんどはバイ菌を見る目をして歩み去って行く。
慌てて前を隠して、人生二度目の内股に。
そこへ――。
「キミたちはここで何をしてるんだ?」
「何って。それはこれから考えようと……わあぁ――っ!」
「あっ! オマワリ……さん」
夏服の警察官が二人、我輩たちの両脇に立っていたのである。
「ずいぶん涼しそうなカッコをしてるけど?」
「あ、いや。これはですね。仕方が無いというか……」
「わ、ワテもステテコなんて穿きたないんやけど」
「そんな格好で町を歩き回ってはいけないっていう条例があるだけでなく、そっちのキミは下に何も着てないようだな」
警官は我輩の腕をがっしりと掴み、
「ちょっとそこの交番まで来てくれ」
ぐいっと引っ張った。
「ほ、ほんならワテはここで失礼させてもらいます。ほなな、ゴア。お達者で……」
「あーーっ! オマエ逃げる気か。裏切るのか! テメエ、電磁生命体の風上にも置けぬ奴め!」
だが、もう一人の警官がギアを捕まえた。
「キミも一緒に来てもらおうかな。ステテコは下着だから同罪だ」
「あうぅ。ちゃいまんねん。これにはワケがおますんや。聞いてくれまへんか?」
「もちろん聞いてあげるさ。交番でね。さっ行こうか?」
見覚えのある警官だと思ったら、一人は初めて地球に降り立ったクララをヘンタイ女だと認定して交番へしょっぴいた警官であった。
「オマワリさん……これにはいろいろとワケがあるんです」
ここは駅前交番の中である。
悄然と肩を落とす我輩と、きょろきょろと交番内を眺めるお気楽バカ。
「キミは何で裸なの?」
と警官に問われるが、答えられるわけがない。この格好は我輩自身、意味不明なのである。
しかし何とかしないと、このままムショ暮らしなのである。
この世界は本物と同じにシミュレートされているとリョウコくんが言い残しておるので、刑務所も忠実に再現されると思って、まず間違いないであろう。
ここで一つのことに気付いた。目の前がほんの少し明るくなる事である。
もしも念じるのが一度だけ叶(かな)えられるとしたら、まだ我輩は実行していない。
一か八かである。我輩は必死になって念じ、そして返答する。
「オマワリさん。我々はテレビ局の者なんです」
作戦は成功だった。我輩の手の中に思った通りの書類が現れた。
「これが撮影許可書です。それから白衣の下はほら……」
広げて見せる。中は全身白タイツを穿いていた。
想像ではワイシャツとズボン姿を念じたのだが、なぜか白タイツだった。この辺りは我輩の想像力不足かもしれない。
アドリブだけで生きるギアは、それを見てすぐに乗って来た。
「そーでんねん。オマワリはん!」
でかい声を張り上げ、ぐいっとデスクの上に身を乗り出して言う。
「実はでんな。この成りはテレビの撮影で、ドッキリやねん。その許可書に書かれてますやろ?」
書類をチラッと読んだ警官は、ギアのステテコに視線を移し、
「その格好はね、家の中なら問題ないけど外に出たら警察沙汰になるよ。それでディレクターはどこにいるの?」
「いやぁ~。すんまへん。ディレクターはワテでんねん」
「キミがディレクター? どうしてそんな格好してんの?」
「ディレクターと役者を兼ねるような弱小テレビ局の職員なんですワ。おんなじ職員でも、公務員はよろしおますなぁ。そんなカッコええ制服を支給されて」
「あい、いや。支給って……」
昔からそうだが、大阪は町民文化。役人をビビらない風習が今も色濃く残っている。とくにこいつはその傾向が強い。警官のほうが及び腰である。
「ワテらはこんなんが仕事着でんねん。ようするに会社員のスーツとおんなじや。あんたらが税金から支給されてるその制服と同じやちゅうことでっせ。いや~ええよな。それタダなんやろ? せやけどワテら自腹でっせ。自分のお金を使ってこんな恥ずかしい格好しなあかんって。おんなじ星に生まれて何や……差を感じまんなぁ」
同じ星に生まれてないぞ。オマエは電磁生命体である。生まれは銀河の中心近くの高密度星域だ。地球はそこから2万数千光年も離れておるぞ。
チリリーン。
右ポケットにお金の落ちる気配が。
この情景に腹を抱えて笑いこけるリョウコくんの姿が思考内を駆け抜けた。
「我々だって、地域住民を守って……」
「分かってま!」
口を出そうとした警官をギアは一刀のもとに断ち切った。
「皆まで言いなはんな。オマワリさんの値打ちが下がりま! じつはな。こういうシチュエーションになったら、どこの町の警官が素早く行動を起こすか、ちゅうドキュメンタリーを撮ってまんねん。そこに書いてまっしゃろ」
警官が書類へ視線を振ろうとしたが、横から取り上げてギアは続ける。
「素晴らしいですわ。桜園田の駅前交番がいっちゃん早かったワ。さすがです。ほれこの通り頭下げます」
キョトンとした警官が訊く。
「カメラはどこにあるのですか?」
その言葉が敬語に代わっていた。
ギアはすかさず、かつ動じず切り返す。
「これはドキュメンタリーでっせ。カメラで撮られてることを知ったら演技しまっしゃろ。ほんまモンの警官業務が撮れへんがな。まそういうこっちゃ……」
なにがそう言うことなのかよく解らないが、我々は無罪放免となり再び駅前広場に戻ることができた。
「我輩の機転と、オマエの演技力の勝利であるな」
「警官も人の子っちゅうワケや」
「そして今の対価はこれだ」
白衣の右ポケットの中を見せた。
「おほぉ。280円でっか」
ギアは剃り残した顎のヒゲを二本の指でゾリゾリとこすり、
「この世界もまんざらやおまへんな」
至極満悦な気分のようだが、我輩はとんでもない世界だと、商店街の上に広がる青空を仰いで思うのであった。
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