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第二巻・ワテがギアでんがな
ラブジェットシステム
しおりを挟むでー、だ。
キヨ子どのが口にしたホロデッキシステムとは、そんなオモチャみたいな発展途上の3D映像ではなく、エネルギー放射で作る立体画像のことで、触れることもできるし、反対に向こうから押し返してくることも可能だと言うのである。しかもだ。それを現実の世界で実現させるなどと言うが、これは途方もないことなのである。
「そうです、モグモグ……。そのエネルギー放射をコントロールするのがラブジェットシステムです……モグモグ」
小さなスプーンなのにキヨ子の口にはまだ大きい。目を見開いてご飯と粘り気のある茶色い物質を放り込んでいた。
それ、美味いのか?
「ふ~ん。そうなんだぁ、すごいねー」
アキラの目はテレビに移っており、あきらかに上の空である。
「空気中の窒素分子を利用して立体化させるモノです。モグモグ……ラブマシーンがあれば特別な投影装置を必要としませんの」
ん……?
おい、アキラ。キヨ子どのの目が鋭くお前を捉えておるぞ。
「へぇえ。さすがキヨ子だね。画期的じゃないか……モグモグ。すごいすごい、偉いねぇ。モグモグ」
せっかく我輩が忠告したにも関わらず無視するもんだから、吊り上がっていた目じりがさらに角度を増した。
「アキラさん?」
「うんうん、聞いてるよ。さすがだねぇ」
カーン!
キヨ子どのが投げつけたスプーンが見事にアキラの額に直撃した音である。
「あでででっ!」
吃驚(びっくり)して、キヨ子に丸い目を据えるアキラ。
「高校生にもなって食事中にくだらない少女アニメを見るのはおよしなさい! テレビなど消して人の話を聞くのです」
「な、なに言ってんだい、メルルちゃんがいいって言ったのはキヨ子じゃないか」
頬の辺りを手の平で摩(さす)りつつ、こっちも必死の攻防である。確かにメルルちゃんを所望したのはノーマルキヨコで、アキラに頼んでチャンネルを替えさせていたのは事実だが、それはスーパーキヨ子になる前であるからして、言い替えると宇宙がビッグバーンで生まれる前と後ほどの差があるのだ。
テレビの映像が『世界の珍獣』に変えられ、
「この番組なら、まぁよろしいでしょう。あなたにはもっとグローバルな視点をもった人になって……」
その時であった。
どこかで何かが弾けた音がして、瞬間に真っ暗になった。
もちろんテレビだって即行で消える。
「なんです? こんな時に停電なんかして、電力会社の怠慢ですか?」
うーむ。小学一年生の言葉ではないな。
「ちょっと、アキラさんブレーカー見て来てよー」
暗闇の中でNAOMIさんの目だけがキラキラしていた。
「何でよ。マイボは暗闇でも大丈夫だろ?」
「そりゃ暗視モードにすれば見えるわよ。でも身長が足りないじゃない」
身長の問題ではなく、犬にブレーカーを戻させるほうが問題なのである。
「ちょっとお待ちなさい。我が家には発電機が居るでしょ」
我が家って……ここはあんたの家でもないし、『居る』って言葉がおかしいぞ。
と、すっとぼけるつもりだったのだが、剣呑な気配を感じ取ったので、
「あ? 我輩のことっすか?」
「こいうときのために飼っているんです」
「我輩はペットではない」
「当たり前です。どこの世界に電磁生命体をペットにする家庭があるのです」
ほんと、あー言えばこー言う。スーパーキヨ子はイケスカナイのである。
「我輩はいま携帯に入っておる、ならどこかの充電器に突っ込んでくれたら、そこから……」
「もう一人の大阪商人はどこに行ったのです?」
やっぱり人の話なんか聞いちゃいない。
「そう言えばギアはどこいったの? バイトから帰ってきてんだろ。恭子ちゃんが作ったバギーが充電器に挿し込まれていたよ」
暗闇の中でスプーンがきらりと光った。この状況下でありながらまだご飯を食べ続けるとは、驚きなのである。
「まさか……」
と言う言葉をのこして、キヨ子どのは我輩を引っ掴むと命じた。
「ライトを点けなさい」
「はぁ?」
「スマホには懐中電灯アプリがあるはずです。それを点けなさい」
「あ、はいはい。フラッシュライトね。少々お待ちを……」
数あるアプリケーションの中から、白色LEDを点灯させるプログラを探し……って、我輩にアプリは関係ない。この中のデバイスは自由自在なのであった。
キヨ子どのは我輩が点灯させた明かりを頼りに研究室へ歩んだ。足元にはNAOMIさん、その後ろ数メートル離れてアキラが付いて来る。
「いつまでスプーンを握っているのです!」
キヨ子どのが怖い顔を捻ってアキラに一喝。アキラは「あ」とか言って、スプーンを投げ捨てた。
「何もうっちゃることはないでしょ」
どちらにしても、アキラはキヨ子どのの尻に引かれる運命なのである。
真っ暗闇になった廊下をひたすら研究室を目指す。
我輩らが来てからは無料で電力の供給が可能になった北野家では、人のいないところでも煌々と電灯が点いておるのだが、全部が消えると無駄にでかい屋敷だけに不気味であった。
「何で研究室に行くのさ」
「関西電力生命体が何かやらかしたのに決まっています」
だんだん言い方がおかしくなってきておるぞ。何度でも言う。我々は電力会社の回し者ではない。我々は電磁生命体なのだ。いつになったら覚えるんだ。
「我輩はゴアで……」
「LEDを消してみなさい。東京電力生命体!」
だから……人の話を聞けよな。
下手に反発すると後が怖いので、素直に白色LEDを消す。
キヨ子どのは暗闇になるのを待って、そっとノブを回し、扉を開けた。
「あ……」
アキラの小さな声が後ろから聞こえ、
「やっぱり……」
とつぶやいたのはキヨ子どのであった。
真っ暗な中で青白くぼんやり光る人影。
「ジイちゃん?」
「まるで北野博士の亡霊ですわね」
アキラは「えっ」とか言ってキヨ子どのに一瞥を投げると、しゃがみ込み、
「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ……」
たたずむそれへと向かって呪文を唱え出した。
「バカですかあなた。博士は学会へ行ってるのですよ。しかもまだまだ死ぬような人物ではありません。煩悩の塊なのです」
世界の北野博士をそこまでコキ下ろせるのは、おそらくあなた様だけであろうな。
「なぁ……。なんかおかしおまへんか?」
「わぁ。ジイちゃんの幽霊が喋ったよー」
「死んでませんって!」
「ちょっとぉ──」
NAOMIさんは正体が分かっておるようで、タタタタと近寄り、黒い鼻先を突き出した。
「あんた。あれほど近づくなって言ってあげたのに、何で壱号機に近づいたのよ」
「いや。すんまへん。興味本位からですがな」
「おおかた。いくらかのお金になるとでも思って近づいたのでしょう」
「うっ……」
幽霊みたいな北野博士が絶句する。図星のようだ。
「どういうこと?」
ようやく拝み合わせていた手を放したアキラ。その隣でキヨ子どのはまるで新車発表会のコンパニオンみたいに腕を広げて紹介する。
「これがラブジェットシステムです」
「そ、キヨ子さんの発明品。電荷を帯びた素粒子を大量に放出させて、空気中の窒素分子を共振させておいてから壱号機の量子プロセスを通して映像化させるの」
「そのようなことができるのか」
思わず我輩は感嘆の息を吐いていた。
「量子物理学とはそんなものです」
「いや、キヨ子どの……。我輩が言いたかったのは、小学生がこんな事をこともなげにやっちゃってもいいのであるか?」
「何を言っているんです。量子理論をマスターすれば、あとは経験がモノをいうのです」
どう考えても物心がついて3年程度。それしか人生経験が無い幼児のくせに、そう言い切るその根拠はいったいどこから湧くのだ?
「あんな。キヨ子はんの経験値なんかどーでもエエねん。それよりワテはどなしたらエエねん。何で北野博士なんや?」
「それしか人物データが入力されていないからですわ」
キヨ子どのは平然としたもんだったが、アキラは目を剥いて口を尖らせた。
「え――っ! ウソだろ。壱号機に入っていた大勢の女の子データは? あのハーレムは僕の宝物なのに」
「削除しました」
あっさりと吐くキヨ子どの。
「え――。ジイちゃんが僕にくれるって言ってたのに。何てことしてくれたんだよぉ」
「せ……せやのうてやな」
「私という妻を持ちながら、他の女にうつつを抜かすなんて言語道断です。アキラさんには物理学の勉強をする時間しか残っていませんのよ」
「気の毒な人生だなアキラ」
「やだよー。物理とか科学とか大嫌いなんだ」
「お~い、おまはんら……」
「大嫌いって……。北野博士の孫とは思えない暴言……いいでしょう。今から折檻の時間に替えて差しあげましょう」
「ちょ――っ、ジブンら! 何の話で盛り上がってんねん! ワテはどないしたらエエんや。こんなジジイの恰好なんかしたないんや。なんやNAOMIはんの気持ちがよー分かるで。不本意なボディを持つ悲しさを」
「あーやっと気付いてくれたの? そうよ、そうなのよ。あたしの心は女なのに身体はビーグル犬なのよ。分かってくれる?」
いやぁー、どこか違う気がするけどな……。
「わかりまっせ。ボディを持たん電磁生命体が、こんなぶっさいくなジジイの姿って屈辱や。せめてハリウッド映画の女優ならまだしも……」
「それって、すごすぎー。それなら僕は萌々香ちゃんのボディになりたいよ!」
「ボディになって──ほ、ほんで、どないすんねん? アキラ!」
あまり興奮するなギア。とんでもないヘンタイ爺さんに見えるぞ。
「お風呂入るんだよ。自分で体を洗うんだ」
「おほぉぉー、ええな。ええなぁ。せやNAOMIはん。萌々香ちゃんの画像データを入力してぇや。あ、無ければ桃石麻衣ちゃんの……ぬあぁっ!!」
瞬きもしないキヨ子どのの燃え盛る炎の双眸に睥睨されて、ジイちゃんの形をしたギアがたじろいだ。青白くて薄ぼんやりした輪郭はまさに亡霊だ。
「せ……せや、ワテはどなしたらエエんでっか?」
「どうもこうもないわよ。壱号機を止めたらいいだけ」
NAOMIさんはトコトコとおっぱい型をしたマシンのそばへ行き、前足で器用に操作。
さっと照明が点き、北野博士の容姿をしたギアが消えた。
同時に屋内インターフォンのスピーカーから聞きなれた大阪弁が。
「うほぉぉぉ。助かったで。一時はどないなるか思たワ。瞬間に吸い込まれて気が付いたらジイさんになっとったがな」
瞳の奥を色濃くした小学女児が腕組みをして、興奮を堪え切れない様子で言う。
「あまりに自然なので気付きませんでしたけど、今の北野博士はカラー化されていました。これは画期的なことです。夕刻までの実験ではそれが難しかったのに、確かに色彩が認識できましたわ……これって」
くるりとビーグル犬に半身を振り返らせて、
「恐らく電磁生命体が作り出した電磁フィールドが幸いしたのですわ。そう思いません、NAOMIさん?」
「うーん。地球上には無い摩訶不思議な存在だからねぇ。でも少し研究すれば、こんな大阪弁の電磁フィールドを頼らなくてもあたしたちでフィールド化できるわよ」
「ですわね。電磁フィールドとラブジェットシステムがあれば画期的な3D映像が完成します。いえ、映像ではありません。実体化と呼ぶべきです。しかもフィールドで包まれているあいだはスタンドアロンが可能。そうなればモバイル機器でも投影できるようになるでしょう」
「あぁぁ。革命的だわ。これで世の中が変わるかも」
床にお座りをしたNAOMIさんは、感涙にむせぶ声を吐きながらキヨ子どのを見上げた。
「何が何だかよく解からないけどさ。それってもしかしたら好きな女の子のデータを入力しておけば、いつでもデートできるって言うこと?」
「デートどころやないで。四六時中一緒や」
「じゃ、じゃ、じゃ、じゃ………」
何を慌てておるんだこいつ。
「お風呂も一緒だ」
さっきから風呂風呂とうるさいヤツだな。
アキラは「あっ」っと言って両手で鼻を押さえて、首をほぼ直角に曲げた。
「マイボ。ティッシュ……。鼻血でたー」
バカな子だなマジで。
その夜──しかも深夜。
「ゴア……」
ダイニングルームの食卓の上に置き去られた我輩を揺する者がいた。
「ゴア、起きろ……」
「むむ……むにゃ?」
そう、電磁生命体は寝る必要はないのだが、地球人と暮らすようになってから、なぜか変な習慣が身についてしまったのだ。
と言うより──。
「何ゴトだ、こんな夜中に?」
「ゴア。これ、ほら」
「なんだ?」
カメラの視界に入ったものは──、
「ぬぉぉぉぉ、ジイちゃん!」
そこに立っていたのは、北野源次郎博士であった。
だが、博士とアキラのご両親には電磁生命体のことは内密にするべきだと、キヨ子どのとNAOMIさんからの厳命で、未だに直接語り合ったことは無い。なのになぜ、博士がここに……。
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