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第一巻・我輩がゴアである

 わが名をゴアと申す

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 忽然とキヨ子のスマホがブルブルと震えだした。突然のことで我輩も驚き、電荷を強張らせる。しかしいつまで経っても震えは止まらない。我輩にしたら直下型の地震でも喰らったような気分である。

「キヨ子さん、着信よ。あ、お母様からね」
「携帯を見ないで誰からの電話かまで分かるの?」とアキラ。
「解るわよ。あたしはバンド19の800MHz帯が得意なの」
「意味解んないよー」
「はい、キヨ子です」
 アキラは毅然とした態度で電話に出た幼児に気づき、
「は、早くインターフェース切って! 誰が起動させろって言ったんだよ」
 慌ててマイボに飛びついた。

「だって、そのほうが話が早いかと思って……」
「だめ、切って!」

 数瞬でキヨ子は元に戻る。
「ママ? うん。まだプリンたべてないよ」
 プリンから離れない子であるな。ほんと。

「パソコン? うん、『なさ』いくの」
 話が上手く続かないと判断したのであろう、アキラが電話を取り上げた。
「あ、オバサン。アキラです。はい。今パソコンを買ったところです。はい。あ、はい、だいじょうぶですよ。キヨ子ちゃんはおとなしくしてますから」

 アキラのコメカミからひと筋の汗が伝って行くのを我輩は耳に当てられたスマホの中から目の当たりにした。そして我輩も大粒のホール(電子の抜け落ちた穴)を滴らせる。振動は収まったものの、外部から侵入してくる電磁波があまりに強烈で、いつまでも我輩の体を痺れさせたからである。

「それにしてもこの波長の電磁波はぬあんと気持ちいいことか。あぁぁ快感だ」
 あまりの心地よさに耐えられず気を許したのが我輩最大の失敗だった。

 マイボが叫ぶ。
「キヨ子さん、また電磁波を検知。携帯電話とまったく異なるスペクトルよ。今度のはだいぶはっきりしてるわ」
「店内にそんなひどい静電気は起きませんわね。位置は特定できません?」
 マイボはまた勝手にインターフェースを起動させており、スーパーキヨ子の参上である。

 これはまずい。電磁波が入り乱れる店内であるが、我輩のは特別仕様なのだ。それだけに目立ったのかも……、
「う~ん。店内のパソコンが出す電磁波の干渉を受けて特定困難よ」

 もしかしたら紙一重でバレずに済むかもしれない──と想起したのだが、事態はよくない方向へ。
「NAOMIさん、『京』(けい・スーパーコンピュータ)に接続して、位置を割り出しなさい」
「了解!」

 京だと!
 さすがに慌てた。日本が誇るスーパーコンピューターである。ま、量子コンピューターから見れば大昔のTK-80程度であるがな。
 ふむ。我輩もその道ではちょっとしたもんなのである。知らない坊ちゃんはネットで調べるとよい。『マイコン』で検索するのだぞ。


 マイボは大きな耳をパタパタ振って──どうやら耳がマルチスペクトル通信用アンテナのようだ──次々と接続結果を読み上げていく。
「ポートアイランドネットワーク侵入完了。ゲートウェイ突破。物理層通過!」
「さすが、NAOMIさんです。容易く京のシステムに侵入できるとはたいしたもんです」
 そんなとこに侵入するんじゃな──い。

 未確認物体をレーダーで捉え、スクランブル発進をした防衛軍の司令室みたいな空気が流れる中、アキラはショーケースに並んだ外付けハードディスクに向かってペコペコ頭を下げ続けている。
「――あ、はい。ありがとうございます。これから向かいます。キヨ子ちゃんはプリンを楽しみにしてますので……」

 あ、あ、あ、あ、あ、アキラの変調波が我輩の背筋をくすぐる。スマホから発信される電磁波は心地良すぎるー。
 スマホの中でもだえる生命体に気づくはずもなく、ママさんと会話を続ける青年の隣では、とんでもない会話が続行されていた。

「だめだわ。京は地震予知の計算中で外部からの使用が遮断されてるわ」
「では、ヘンタイ博士のマシンはどうですか? 使えませんか?」
「オーケー。ちょっと待ってね。…………あぁん残念。ネットワークアダプターが外されてるわ。たぶん源ちゃんがメンテナンス中なのよ」
「しかたありません……」
 顎に指を当て、大人びた仕草で黙考するキヨ子。やがてその瞳が色濃く光る。

「いい考えがあります。この店のパソコンをすべて使って並列処理させれば何とかなるでしょう」
「ちょ、ちょっとそんなことできないって、キヨ子さん」
 目を丸めるサイバー犬に、6歳児はこともなげに言い返す。

「できます。アルゴリズムは、いま私が考えました。まずそれには店に並ぶパソコンと接続しなければなりません」

「インターネットに繋がっていればあたしがサーバーになってあげるんだけど、ここのパソコンは店内LANで接続されていて、事務所にあるメインコンピューターからデモンストレーションを流したり、店内から不正操作されていないか監視してるだけで……」
 しばらく何かを探っていたが、数秒後、マイボは残念そうにマルチスペクトル通信用アンテナ、つまりビーグル犬の特長である大きな耳をぱたりと垂らして顔を上げた。

「だめだ。外部には繋がってないわ」
「問題ありません」
 サラサラのおかっぱ頭を振るキヨ子。目の輝きは衰えていない。それはとんでもなくおっかなく我輩の視界に映った。

「LAN接続されていれば可能です。それより私の起動するプログラムが計算をこなしているあいだ、NAOMIさんが店のメインコンピュータに侵入して、偽の店内状況を流せませんか?」

「ちょっと、ちょっとぉ」
 ママさんとの電話を切ったアキラが、二人のぶっ飛んだ会話を聞いて慌ててあいだに割り込んできた。
「そんなの、いくらマイボだって無理だろ。この店のパソコンって百台以上並んでるんだよ」

 その意見をサイバー犬はいとも簡単に覆す。
「アキラさん。量子チップ搭載のあたしを舐めないでちょうだい。千台だってできるわよ」

「では、この中のどれか一台の店舗内LANを切断してくださる? 私はそのPCから計算アルゴリズムを入力して、LAN経由で並列演算のタイミングをプログラミングします。その間、NAOMIさんは偽の店舗内データを本部へ送り続けてください」
「じゃぁ、目の前のデスクトップを切り離すわよ」
 と告げたマイボが、ほんの少し瞬く、
「はいどうぞ。いま本部のパソコンには通常通りの偽情報を流してるから、何をしても外部には漏れないわ」

「では――」
 キーボードに飛びついたキヨ子は、目にも止まらぬ速さでキーを打ち込みだした。

「うあぁ……」
 ショパン国際ピアノコンクールの優勝者みたいな指の動きに、アキラは口を大きく開けたまま固まった。
 通常では見られないウインドウが次々と開き、見たこともない黒い画面には数値とアルファベットの文字だけが広がっていく。

「な、なにこの画面?」
 驚きを隠せない様子でアキラが画面を見遣るが、意味はさっぱりなのだろう、45度に傾いた首は元に戻ることはなく、その前で文字列は超高速スクロールで次々と画面の上を流れて消えて行った。

 我輩にとって状況は超ヤバイ方向に進んでいるのだ。位置を割り出されると存在がバレるのである。そう思えば思うほどに身震いする。するとまたボディから電磁波が漏れて辺りに散っていった。

 ひぃぃぃ。誰か助けて欲しいのである。

「分散アルゴリズムは最適化しておきますから。あと速度重視の部分は一部アセンブラを使用しますわ」
 数十秒後。キーボードの上で暴れていたキヨ子の指が止まり、
「準備はいいですか、NAOMIさん?」
「いいわよ。何台使用するの?」
「ノートパソコン36台。デスクトップ92台。コア数の多いパソコンばかり、合計128台です」
「了解。秒読み5秒前からでいいわ。カウントダウンしてちょうだい」
「5、4、3、2、」

 ごくり。

「はい、スタート」
 ほんの少し店内の照明が瞬く。

 次の瞬後、アキラが驚愕の眼差しを大きく開いたまま、店内のパソコンに釘付けになった。

 ずらりと並んでいた店中のパソコンの画面が、同時に真っ黒な色に反転。美しい景色を流していた映像や、システムの説明を画像と音声で行っていた画面、新商品を映し出していたデモンストレーションも全てである。それが瞬時に黒画面に変化し、数字の羅列が高速にスクロールを始めたのだ。

 店内を流れる音楽はそれまでどおり流れていたが、パソコンから出ていた音楽や説明のアナウンスが途絶えた店内は、静寂に沈んだといっても過言ではない。

 異常な静けさに気付いたお客も、その原因が目の前で流れる黒画面の面妖な計算式にあると結論付けると、自然と口を閉ざしそれを見つめる。店内が異様な静けさに沈んでいた。

 大勢の人がいるにもかかわらず、閉店間際みたいな雰囲気は店員にも伝わり、
「て、店長! たいへんです。店中のパソコンがウイルスに侵されました!」
 仰天したひとりの店員が連絡用の内線受話器に飛びつき叫んだ。

 受話器の向こうからの質問に答える店員の声はひどく上擦っており、
「あ、はい。全部です。全部のパソコンの画面が黒くなって数字が高速に流れています」

 報告と共に首をかしげる店員。
「え? 異常ないって? そんなバカな、こっちでは大変なことになっています。あ。これはウイルスですよ……。いやそうだ。これはライバル店のサイバー攻撃かもしれません」

 さらに首を捻る。
「店舗内はいつもどおりですって? そんなバカな。店長よく調べてみてください。世界でも屈強のファイアーウォールを販売する店のメンツが丸つぶれになりますよ」

「キヨ子さん、そろそろヤバいわよ。店長がネットワークアダプターの接続状況を調べだしたわ」
「あと少しです。『京』が使えたら、1秒と掛からないんですが……はい、出ました。解答はNAOMIさんへ転送します」

「はい、貰ったわ。LAN開放!」

 さっと店内に元の騒々しさが戻った。新商品のデモンストレーションが流れ出し、海外の美しい景色がディスプレイの中に広がり、途絶えていた製品説明のアナウンスが流れ出した。

 石化していた買い物客も、ポーズボタンを解かれた映像のように動きだし、何もかもが数分前の状態に戻った。戻っていないのは我輩の鼓動だけ。ものすごい勢いで連打していた。心臓は無いがな。

 そして不安げに頭をもたげた。

「計算結果はどうなったのだ?」


「アキラさん。キヨ子さんのスマートフォン……ちょっと見せてくれる」
 サイバー犬の言葉は、鋭利な刃物で我輩の胸を突き刺すようであった。

「南無南無……」
 一貫の終わりなのだ。絞首刑執行直前の気分である。マナ板の鯉だな。

「まさか……この携帯ですか?」
 キヨ子とアキラがじっと我輩を見つめていた。

 マイボの黒い瞳が静かに揺れ、ゆっくりと肯定する。

 あぁぁぁ。これで我輩も見世物小屋か発電所送りになるのである。
「カリンちゃん、さよなら……」
 極度に強張った我輩の電荷は自然とスマホのバイブを震わせていた。

「うぁ。携帯が震えてるよ」
 アキラの気味悪がった震え声が、我輩の心中を浸透した。
 怖がっているのは我輩のほうである。

「着信もアラームも設定されていないのにバイブが起動するのは少しおかしいですわね」
「計算された位置にあるのが、このスマホなのよ」
「キヨ子がへんなアプリを入れたんじゃないの?」とアキラが尋ねるが、
「私は人の作ったアプリなどに興味はございません。ちょっとアキラさんそのスマホ、見せてください」
 キヨ子は小さな指先でイロイロな設定を確認するが、
「おかしい。バッテリーの充電率が100パーセントのままです」

「どういう意味?」
 首をかしげるアキラにマイボが答える。
「充電器から外されて半日以上、しかも緑川のママさんと通話もしていたのにバッテリーがまったく減っていないのは異常よ」
「まるで中に発電機でもあるような状態ですわね」
 そうです。我輩が身を削ってバッテリーに補充していました。ごめんなさい。

 謝罪の意味を込めて、バイブをブルブル。
「私たちの会話に答えるかのように、バイブが動いてる気がします」
 はい。そうしています。ですから見世物小屋送りだけは勘弁してください。

 ブルブルブルブル。

「やっぱり何かのアプリが動いてんだよ」とアキラは言うけれど、
「システムの再起動をして見ます」
 キヨ子は幼児とは思えない手つきでスマホを操作。画面が一度消えて再起動が始まった。

 だからと言って、我輩がどうこうなるわけではないし、スマホ自体も正常動作なのであるから、もちろんちゃんと再起動した。

「異常はありませんわね。動いてるのはメインシステムとカーネル部分だけです」
 キヨ子はスマホの裏側を折り曲げた人差し指の角で、コンコンと叩いた。

 叩かれたら返事をしてしまうのはトイレに入った者のエチケットで、
 ブルブル? (はいはい?)
 エチケットかどうかは知らないが、それは条件反射というモノで……。

「なぜこちらの意思に反応するのかしら?」
 首を捻るマイボ。
 あんたこそ人工物のクセに、なんでそんな深い洞察力を持ちえるのか? そっちのほうがすごく気になるのである。

「もしもし」
 待ち受け画面のまま携帯に話しかけるキヨ子。

 ブルブル(はいはい)。
 だからなんで我輩は返事をしてしまうんだろうな。

「会話が成立しそうですわ」

「あなたは誰なの?」
 ゴアですが……。
 今度は何もせずにじっと我慢できた。

「黙秘する気ですね。返事をなさい。でないとバッテリーを引き抜きますわよ」

 別にかまいませんが……。

 いきなり電源が落とされた。キヨ子の手にはバッテリーの薄い板が握られている。
「あっ。電源が切れないよ」
「当然です。朝から使っていて充電率が下がらない原因は、バッテリー以外に電力を供給し続ける何かがあるからです」
 驚くのはアキラだけで、キヨ子は平然としていた。

「そうね。それが電磁波の発生源となってるのよ……それも意思を持った何かね」
 このイヌ怖いのです。全てそのとおりなんです。

「ではこうしましよう」
「どうするの?」
 我輩に代わって尋ねるアキラ。
 ちらりとキヨ子は迷惑そうに青年を睨むが、再び我輩が宿るスマホへ視線を戻して、
「電源端子をショートさせます」
 そのままお店のショーケースを縁取る金属製のフレームに、キヨ子がゆっくりとスマホを近づけた。

 おわぁぁぁ。それは困る。そんなことをしたら、我輩の電荷は一瞬で交じり合い小爆発を起してこの世とおさらばすることになる。それだけはご勘弁ください。

 ブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブル――。

「分かりました。それなら条件をつけましょう。イエスならバイブ一回。ノーならバイブを二回振動させなさい」

『いや。面倒臭いので、音声回路から直接音声の電気パルスを送ります』
「うぁぁ。スマホが喋った!」
 逃げ腰で後ろにたじろぐアキラとは異なり、キヨ子は手に持ったスマホを睨んだまま、片眉を吊り上げただけだった。

 6歳児は嫌になるほど冷静な口調で尋ねる。
「何者です?」
『ゴアと申します』
「音声認識技術はあたしと同じモノかしら?」
 マイボが尋ねるので、
『いえ。我輩は電磁生命体と呼ばれる、れっきとした知的生命体です』

「な、なに? 怖いよう。このスマホ怖いよう。我輩って、今どきの言葉じゃないよ~」
 泣きそうな声を漏らすアキラをもう一度睨むキヨ子。

「静かになさい!」

 そして冷たい疑惑の視線を我輩に戻した。
「カタチも無い体でどうやって生命体だと言うのですか。コンピューターのバグでスマホが暴走しているだけですわ」
『いえ、電気の状態でかつ生命体です。今はこのスマホの中にいます』

「その地球外生物が、如何様(いかよう)な理由があって、私の携帯に忍び込んでいたのです? 場合によってはこのまま水の中に放り込みますよ」
 みんなはいつのまにか川の流れる地下街を歩いており、立ち止まったキヨ子が流れの上にスマホをかざして怖い宣告をした。

『それだけはご勘弁ください。我輩、体電圧がゼロになることは死を意味します』
「ベラベラと自分の弱みを口にして、知能の低さを露呈していますわね」

『うぅぅぅ。正直者と言って欲しい』
「どちらにしてもアキラさん。帰りますわよ」
「え? 回転寿司は?」
「そんなものどうでもいいでしょ。それよりもこんな面白いバカを手に入れたのです。早く研究室へ持って帰って、イロイロといじくりましょう」
「そうね。あたしも手伝う」

『プリンはどうするのであるか、キヨ子さん?』

 幼児はさっと表情を強張らせ、
「私の名前だけでなく、好物まで知ってるとは……いつからそこに入っているのです」
『い、いや……あの』
 やっぱりスーパーキヨ子は怖いのである。
  
  
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