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弐章 親思ふ心にまさる親心
参話 変化
しおりを挟む「それよりも早く、その楽しい話とやらをしてちょうだい」
「分かりました。……それではつい先日の話を。あれは日が昇るか昇らないかという、闇が空を覆っている時間帯でした。朝が苦手な俺は当然そんな早くから起きられるわけもなく、微睡みのなかにいました。そんな折、突然雷鳴の如く戸が爆音を立てたのです」
「ばしん、と?」
「バシィンッ! と、でしたね。もちろん寝ていた俺は何が起こったかは分かりませんでした。だが部屋に何者かが入ってくる気配で、その大きな音を出したのは戸ではなく人であることが判明したのです」
「討ち入りかしら!?」
だったら多分、俺はここにいない。
「……その突如としてやってきた闖入者は、まだ完全に覚醒していない俺のもとに来て言いいました。……『内蔵助! 上方で流行りの『ぱへ』とやらが食べられるみたいだ! 行くぞ!』と」
ガシャン、と何やら外で音がするも俺は気にしないことにした。
「白雪様は存じているかも知れませんが、あの綱吉さん。普段は凛々しく、笑顔よりも額にしわを寄せていることが多い人物。その扱う技は苛烈で熾烈。大の大人でも、綱吉さんの眼光の前では借りてきた猫のようになってしまいます。……ですが彼女もその中身は一人のオナゴ。甘味に目がなく、期間限定で流行りのパフェが食べられるという噂を耳にし、まだ店も空いていない時間から俺を伴って街へ――――」
「あはははは! 綱吉も可愛いところがあるじゃない! 普段はお澄まし顔でいるのに、氷菓子で……っく、お腹痛いわ……!」
早朝も早朝、待ち切れず日が昇る前に店に行くも空いておらず、しょんぼりと肩を落とす綱吉さん。
ようやく念願叶ってパフェを食べるも、アイスの冷たさに驚いて椅子から転げ落ちた綱吉さん。
主に彼女の失態を面白可笑しく話すと、白雪様は目尻に涙をにじませるほど笑った。
普段なら話の途中で眠ってしまうのだが、今回は物語の主人公が綱吉さんであることと、内容が完全にコメディーだったので目が冴えてしまったのだろう。寝物語には適していない気がしたが、白雪様の様子を見る限り悪くはなかったみたいだ。
「それじゃあ白雪様。本日はこれくらいで……」
「そうね。私も笑い疲れたわ……ふふ。内蔵助、また明日もお願いね?」
「はい」
帳から出ると、震えている綱吉さんが目に映った。もちろん自分の失態を改めて人から聞いて笑う……のではなく、怒りで身を震わせていた。
右手は刀の柄を握り、既に鯉口は切られている。
――――死んだな。
しかし次に襲いくるであろう斬撃に目を瞑るも、いっこうにその一撃が俺を襲うことはなかった。
「……?」
目を開けて綱吉さんを見ると彼女は口を真一文字に引き締め、左手で右手を押さえていた。どうやら俺を斬りたいという本能に理性が抗っているらしい。
今が好機と俺は目を瞑ったままの綱吉さんに一礼し、寝室を後にする。
向かう先は無論俺の部屋……ではない。
さんざん綱吉さんは変わったと言った俺だが、何も変わったのは綱吉さんだけじゃない。
「……寒」
いつ梅雨に入っても遅くない六月。日がすっかり落ちた今の時間帯、離れにある道場はかなり冷える。
足袋越しに迫る冷気に打ち勝つように、俺は力強く一歩踏み出した。
ダァンッ、と心地良い音が鳴る。
「……うん」
俺は道場に置いてある竹光……とは名ばかりの、刃引きされた真剣を手に取る。技の練習にはやはり普段使いである白国の方がいいのだが、いかんせんあれは軽すぎた。ここにある真剣は俺より膂力に勝る綱吉さんが普段振り回しているものであり、重さは十二分にある。
それを腰に差し、ゆっくりと時間をかけて抜刀する。
素早く腰を捻って抜刀するのは案外難しくない。それよりも抜刀して納刀するまでの所作を、十秒以上かけて行う方が断然難しいのだ。
重心がばらつけばバランスを崩し、刀を片手で保持する時間が長ければ長いほど腕が悲鳴を上げる。
このゆっくりとした動きは身体のフォームを矯正し、居合に必要な筋肉まで鍛えてくれるわけだ。
「……くっ」
うちの流派には『初伝』『中伝』『奥伝』がある。基本的に後半になるほど複雑で難しい状況を想定した技になるのだが、この抜刀と納刀は両方共『初伝』であり『中伝』であり『奥伝』の技。即ち他の技と違って一連の速度、完成度の高さによって難易度が異なるのだ。
そして今現在、この国で最も強い綱吉さんの一撃をギリギリとはいえ数度弾いた俺の抜刀、納刀は――――中伝、である。
奥伝の抜刀は銃の引き金を引くより早く相手を斬り、相手が斬られたと知覚される前に鞘へ戻る。
一度だけ見た奥伝の抜刀は、既に刀を構えていた俺より早く巻藁を斬っていた。
つまり奥伝の抜刀さえ取得できれば俺は綱吉さんと渡り合える。少なくともあの時みたいに無様な戦いにはならないはずだ。
……変わったのは綱吉さんだけじゃない。俺もまた変わっていた。本気で居合に打ち込んでいた時よりも、真剣に俺は練習に精を出している。
悔しかったのだ、俺は。目が覚めた時、真剣じゃなくて良かったという安堵と恐怖。そして自分の生を実感したあと、どうしようもなく悔しかったのだ。
中学の時、うちの剣道部から全国に行ったやつがいた。俺はそいつを見に剣道場へ行き、そして自分と相手との力量差に笑った。おままごとみたいなレベルだったのである。
だから俺は高校に上がり、安心して勉学に励むことができた。俺の才能ならいつでも免許皆伝の腕前に至れると慢心したのだ。
そして祖父が死に、うちの流派は絶えた。俺は全ての技を継承していない。俺の夢も祖父の夢も、先人たちの努力も全て俺が無駄にしたのだ。
だが既に、一介の高校生にできることは何もない。そう思って俺は刀を握ることも祖父の道場に通うこともせず、心の安寧のために剣道部のやつらを見下し、何の変哲もない高校生活を送ってきた。
我ながらクソったれな人間だし、クソみたいな人生だと思っていた。だがその事実から目を背け、一歩引いた状態で自分を見ることで悟ったような気でいたのである。
ああ、恥ずかしや。若気の至りというか……友人である金忠の言葉を借りれば厨二病というやつなのだろう。
だがその傷も、こうやって刀を振っていく度に癒えていく気がした。正確に言うならば研がれて傷は消え、その身は確実に細く脆くなっている。
だがそれでも、俺は今の状態の方がよほどマシだと思う。
俺は人斬りの子孫なのだ。義士とか、忠義とか、そんなものは一方の正義でしかない。事実だけ述べれば闇討ちした人斬りだ。
だがそれでいい。俺は悪だと知ってなお、先祖様方を尊敬している。自分の腕はともかく、同じ状況になれば俺は同じことをする。俺は今度こそ道を違えない。
白雪様の家臣として、俺は修羅にもなるし鬼にもなる。
「……まずは」
その覚悟の一環として、綱吉さんを超える。
俺はあの綱吉さんの動きを頭に浮かべながら、ただただ居合を繰り返した。
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