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決勝戦…そして、
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勝ち上がった最後の二騎が場内に現れると、楽隊がひときわ勇壮な音楽を奏でだした。観客たちは立ち上がり、盛大な拍手で二人の剣士を出迎えた。
決勝戦を戦うのは、剣技会開幕の当初は誰も予想しなかった二人……無名の浪剣士と宮廷騎士ビルトールである。
「ジュスティニアに祈りを。二人の騎士よ。そして、王の前で誓いの礼を」
客席の拍手に包まれて、障壁を挟んで南北に向き合った二人は、馬上で胸に手を当て礼をした。それに国王マルダーナ四世が席上から言葉をかける。
「よくぞここまで勝ち残ったり。最後まで見事に戦い抜いてみせよ。勝利者には名誉と剣の祝福を与えよう」
すでに、この一日で十四の槍試合が行われていた。試合場の土は馬蹄によって踏み固められ、障壁には騎士たちのくり出した槍による跡が、激しい戦いの痕跡となって残されている。その試合場の土を、これから最後の二騎が踏みしめようとしていた。
トレミリアの大剣技会、その馬上槍試合の決勝戦が、いよいよ始まるのだ。
「双方構え」
審判の声とともに、槍を手にしたレークは、馬上から静かに前方を見つめた。
意識が戻らない相棒のことは心配であったが、もう絶望に嘆くことはない。いっときはまるで、この国にたった一人で取り残されたような気分にもなったが、今はもう違う。
ただ剣を振り、己の感じるままに戦い、勝利をつかんだ。そして気づいたのだ。
(そうとも)
自分のアレンへの信頼は絶大であると。たとえ、世界中の人間が敵になったとしても、アレンだけは自分の傍らにいるだろう。そして、穏やかに笑いを浮かべてこう言うだろう。「レーク。勝つのは俺たちだ」と。
(そうだ……あいつの言ったように)
(オレはただ、試合に勝つことを。それだけを考える)
なんの迷いも、恐れもなかった。
ただ信じる。
己を。そして、
「突撃!」
合図の旗が上り、二騎が同時に飛び出した。
わあああ
わあああ
客席からの喚声がつんざくように大きくなる。
土を踏む馬蹄の響き、耳元を切り裂く風の音、それらを感じながら、鞍上の浪剣士はゆるやかに槍を持ち上げた。
スピードを上げた二頭の馬が、あっと言う間に接近し、ものすごい速さですれ違った。
ただ一点を見据えていたレークの目が、ぎらりと光る。
その槍先が鋭く動いた。
ガガガッ
板金が削られるような強い衝撃……レークの鎧を相手の槍先がかすめた。
「……!」
人々の絶叫にも似た喚声と槍がぶつかり合う響きと重なり、次の瞬間には、交差した二騎が駆け抜けてゆく。
舞い上がる土ぼこりのなか、主のいない馬が走り抜ける。しんと静まった場内……試合場の中ほどで、倒れこんだ騎士の姿を、人々が指さした。
「あれは、ビルトールだ!」
「落馬したのは、ビルトールだ」
「おお……では、浪剣士の勝ちだ!」
次々に声が上がり、ざわめきは大きな渦のように広がった。
「兜をつけぬ剣士だ!」
審判の騎士も、興奮気味に声をうわずらせ、
「二番の勝ち!優勝は二番の剣士。名は……」
用意されていた参加者名簿を手に、その名を確かめると、勝利者の名を告げた。
「レーク・ドップ!」
勝利のらっぱが高らかに吹き鳴らされると、すさまじい歓声が爆発した。
「優勝だ!」
「あの兜を付けぬ剣士が勝った!」
「浪剣士が優勝だ!」
わああああ
おおおおお
割れんばかりの歓声と拍手、それに口笛の音……その地響きのような大歓声は、風にのって川を越えて、フェスーンの市街にまで響いてゆくかと思われた。
「オレが、勝った……」
嵐のような歓声と拍手を聞きながら、馬上のレークはつぶやいた。
「勝ったぞ……アレン!」
兜の面頬を上げると、涼やかな風とともに、そこから勝利の喜びが吹き込んできた。
「俺は、勝った……アレン。アレンよ」
相棒の名を呼びながら、拳を固く握りしめる。勝利者の権利である場内を凱旋する一周ももどかしく、レークは馬から飛び降りた。兜を放り捨て、相棒の待つ天幕へと走り出した。
そのときだった。
歓声に混じって、一つの異質な声が上がった。
「何?」
「なんだ、なんといった?」
最初に気付いたのは、試合場の周りに立つ警護の騎士たちだった。続いて審判が、さらには表彰式の用意を始めようとしていた従者たちもが、手を止めて周りを見回した。
ほとんど叫びのような耳障りなその声は、戦いの興奮に浸る人々の余韻を無残に醒ました。いつしか客席の拍手はぴたりと止んでいた。人々は、いったい何が起こったのかというように、にわかにざわめきだした。
「あれは……ビルトール、か」
貴族席の片隅から試合を見ていた女騎士……クリミナも、怪訝そうにその眉をひそめた。その視線の先にいたのは、試合に敗れたはずのビルトールだった。
「八百長だ!」
「八百長だ。これは八百長なんだ!」
ビルトールは、その同じ言葉を、さっきから繰り返し叫び続けていた。
「俺は知っている。インチキなんだ!」
「この浪剣士はとんでもないペテン師だ。でなきゃ、この私が負けるはずがない。何もかもが薄汚い策略だ。そうだ、これは陰謀なんだ!」
落馬した貴族騎士は、すぐ近くにいた審判に向かって、蒼白な顔で訴えた。
「何をいってんだ?あの野郎は……」
天幕へ向かおうとしたレークも、思わず足をとめた。
「本当だ!ああ、俺は知っている。知っているだ。すべてはあの浪剣士のたくらみだ」
口角泡を飛ばして狂ったようにわめき続ける彼を、そばにいた審判も周りの騎士たちも、唖然として見つめていた。
人々ははじめ、ビルトールが落馬のショックでおかしくなったのだと思い、なかば呆れながら見守っていた。これでは劇的な戦いの余韻もなにもかもが台無しである。誰もが興ざめし、客席はすっかり静まり返っていた。
だが、当のビルトールは、審判や騎士たちに向かって身振り手振りで訴え続け、貴族席の前を行ったり来たりしながら、しきりに「これは八百長だと」そう繰り返すのだった。
「俺は知っているぞ。すべては陰謀だ!でなければ、この……この俺が、あんな奴に負けるはずがない」
「そうだ、奴はこのトレミリアを、他国に売り渡そうともくろむ間者だ。奴が、あの浪剣士こそがすべての元凶なんだ!」
「ビルトール卿、王の御前であるぞ。見苦しい振る舞いはやめられよ!」
さすがに放ってもおけないと、大会の責任者である騎士隊長のアルトリウスが駆けつけてきた。
「おお!アルトリウスどの。いいところへ。さあ、聞いていただこう」
「ビ、ビルトールどの」
「私は知っているのだ。あのならず者の浪剣士が、実はとんでもない悪党……この国に害なす売国奴であることを!」
掴みかかられるように飛びつかれて、アルトリウスは鼻白んだ。
「とにかく、この試合はインチキで無効だ!なぜなら、私は負けてなどいない。あんな浪剣士のならずものが優勝など……私は断じて認めない。これは八百長だ。陰謀だ。奴は悪党でいかさま野郎で、そして、国を売る間者なんだ!」
「し、しかし……」
ビルトールのあまりの剣幕に気押され、アルトリウスは目を白黒させ、助けを求めるように周りを見回した。
だが人々は……審判も他の騎士たちも、いったいなにが起こっているのかが分からずに、仰々しくわめき立てるその男を、ただあっけにとられて見つめるだけだった。
「さあ、やつを捕まえろ。すぐに引っ捕らえ、処刑するんだ!あの浪剣士は間者だぞ!」
「おい、さっきから聞いてりゃ、何をいってやがるんだ、その野郎は」
名指しで誹謗を受けた当のレークは、ついにたまりかねて、そちらに歩み寄った。
「おい、ふざけるな。オレが八百長をしただと?てめえの実力で負けておいて、それを人のせいにするってのか」
「よ、よるな外道!」
そばに来たレークに、ビルトールはその顔をみるみる歪ませた。彼はまるで、恐ろしいものをでも見るようにして後ずさった。
「おまえみたいな、汚らしいならず者と交わす口など、私にはない」
「なんだと、この……」
傍にいるアルトリウスの背後に隠れるようにして、ビルトールは叫んだ。
「と、とにかく。きさまはならず者で、インチキの悪党、しかも他国の間者だ!」
「てめえ……」
すっかり頭に来たレークは、ビルトールの胸ぐらをつかもうとした。
「ひっ、ひいっ」
「そこまで!両者とも待たれい」
周りを制するような声が上がった。
「両名とも見苦しきいさかいはやめよ。マルダーナ陛下の御前であるぞ」
ゆっくりと貴族席から降りてきたのは、オライア公爵だった。その威厳ある声に、騎士たちはその場に直立した。
「さて、方々。この度、栄えあるこのトレミリアの大剣技会の、その決勝戦がこうして行われ、ここにその優勝者が決定したのは事実である」
オライア公は、見事な口髭を揺らしながら、貴族席にも届く声できりだした。
「公、オライア公。私の話を……」
「待たれよ、ビルトール卿。もう少し順をおって話をせんと、人々には事のなりゆきがまったく分からぬだろう」
穏やかだがその有無を言わせぬ言葉に、ビルトールはおとなしく口をとじた。
騎士隊長のアルトリウスが、ほっとした様子で公爵のかたわらに立つ。その後ろには、貴族席から降りてきた女騎士クリミナの姿もあった。
「とにかく、決勝の馬上槍試合については、そこの……なん申したかな、おぬし」
「レーク。オレはレーク・ドップだ」
ぶっきらぼうにレークは答えた。一国の宰相を前にしても、その横柄な口調は変わらない。
「ふむ。そのレーク・ドップが、馬上槍試合にて、ここにいるビルトールを打ち倒した。これについては、試合を見ていたこの場の観客すべてが見届けた事実である」
「公、ですが……しかし」
「ビルトール卿、しかし、そちはさきほど、そうではないと申したのだな。試合の終わった後でありながら、おぬしは、自分は負けてはおらず、これは八百長だと、そうはっきりと口にした。それに相違ないな?」
「は、はっ!その通りでございます」
息を吹き返したように、ビルトールは何度もうなずいた。
「ふむ。本来であれば、試合に勝利したものに対し、敗れた者が、いかに相手が一介の浪剣士といえど、罵詈雑言をもっておとしめるなどという所為は、騎士としてはあるまじき行い。この点から言えば、逆に厳罰をもっておぬしを裁かねばならぬところだが」
公爵は、ビルトールをじろりと見た。
「だが、さきほどおぬしは……間者、ということを口にしたな。ならば申してみよ。それはなにかゆえあってのことなのか。ただし、それが嘘偽りなき己の言葉として、騎士として誓ったのちに」
「はっ!ありがたき幸せ。この私は騎士として、また王の臣下として、これから申す言に一片の嘘偽りのなきことを、神聖なる陛下とジュスティニアに誓って申し上げます」
ビルトールはそう言って胸に手を当てると、その痩せこけた顔に沈痛な色を浮かべた。
「まことにもって、この私めが、このような国家を転覆せんとたくむ悪党の陰謀を偶然にも知り、それをなんとか阻止せんと暗闘したこと。その最後の最後に、こうして皆様の前でそのご報告ができますことを、神の計らい、一条の幸せと感じまして、私は……」
「前置きはよい。そちが知るところになったその、陰謀とやらを簡潔に話してみよ」
「は、……では、簡潔に」
ビルトールはひとつかしこまると、唇をなめた。
「それでは、私がさきほど申した間者という言葉ですが、これには無論、確証があって申したことです。私たちの前にいるこの……図々しくも優勝者を気取る浪剣士。神より見守られしこのトレミリア王国の大剣技会において、狡猾なる行いの数々により、ついに正義の刃がその胸に刺さることなく、まんまと勝ち抜きおおせたこやつこそ、すべての諸悪の根源なのです」
レークを指さすと仰々しく告げる。
「皆々様。このものは、我々、騎士たちの警戒の目をたくみにかいくぐり、その実力以上の運あってこうして勝ち上がりましたが、実際のところ、この男は、わが国の機密情報を他国に流すためにこのフェスーンへ潜入した、忌むべき間諜の輩に他ならないのです!」
近くにいる騎士たち、それに貴族席から、非常などよめきが起こった。
「間諜だと?」
「それは、まことであるのか?ビルトール卿」
「ジュスティニアに誓って。私は知っています。そして、その証拠もあります」
「証拠だと。それを申してみろ」
公爵に促されると、ビルトールは落ち着きはらった顔でうなずいた。
「その前に、警備の騎士たちをここに呼び集めておかれるがよろしいでしょう。この浪剣士が逃げ出さぬように」
「ふむ。よかろう」
オライア公が命じると、アルトリウスは騎士の一隊を呼び寄せた。周りを囲んだ騎士たちに満足したように、ビルトールはその顔に薄く笑みを浮かべた。
「よろしい。では申しましょう。実のところ、確証をともなった証拠はいくつもありますが、まずは、それを具体的に説明いたしましょう」
いまだに、なにが起ころうとしているのか見当もつかないレークは、むっつりと口をへの字にして聞いていたが、ビルトールの次の言葉に思わず目を見開いた。
「この男は、職人通りのベアリスという金細工師と共謀して、この国の情報を他国に流そうとしています。それについては、そちらにおられる宮廷騎士長、クリミナどのも、すでに何かをご存じのはずです」
「宮廷騎士長、それはまことであるか?」
公爵から尋ねられると、女騎士クリミナはこちらに歩み寄ってきた。その栗色の髪を肩に垂らした騎士姿は、あの晩に月明かりのもとで見たままで、レークは吸いよせられるように彼女の顔を見つめた。
「……」
彼女は一瞬、レークと目を合わせると、公爵の前に来て騎士の礼をした。
「私はこの場において、宮廷騎士長として発言すべき事実はなにも知ってはおりません」
女騎士は、静かな声を響かせた。
「ただ……ビルトールの言うように、この浪剣士が、その金細工師となんらかの関わりがあろうことは知っております。それについては、オードレイ……レード公爵騎士団で女官をしている私の友人ですが……彼女が証言いたしましょう」
「ほう。その女官というのはここにいるのか?」
「はい。私の天幕におります。呼びにやらせましょう」
クリミナに命じられた使いの騎士が走ってゆくのを待って、オライア公は口を開いた。
「それでは、おぬしは、この者……レーク・ドップが、その何とかという金細工師と、何らかの関係があるということまでは明言できるというのだな?」
「そう言ってよいかと存じます。また、これは只今調査中ですので、その結果が報告されたのちにお伝えしようと思っておりましたが……、実はすでに、そのベアリスという金細工師のもとには、今日の槍試合の前に、ローリング卿を向かわせております」
「それは、手筈のよいことだな。ローリングならば確かなことを突き止めるであろう」
(なんだ……これは、どういうことなんだ)
まだレークにはよく分からなかった。さっきまで、ビルトールの言葉などは、自分にはまるで無関係に思えていたのだが、目の前のやりとりを聞くうちに、しだいに得体のしれない不安が広がってゆく。
(なにが、どうなるってんだ……)
やがて使いの騎士が、ひとりの娘を連れて戻ってきた。
「こちらがレード公騎士団の女官、私とローリングの友人……オードレイです」
女騎士がその娘を紹介した。その顔を見るや、レークの驚きはさらに大きくなった。
「あ、あんたは……」
「……ごめんなさい。剣士さん」
そっと目を伏せた娘の顔には、はっきりと見覚えがあった。
今はうっすらと化粧をして、いかにも宮廷の女官らしい清楚な白いサテンのスカートとローブ姿であったが、その波うつような亜麻色の髪と可愛らしい顔つきは、あの町娘のイルゼのものであった。
「……」
レークは言葉を失って、目の前のその娘を見つめた。同時に、昨日の出来事が次々に思い出される。二人で町を歩いたことや金細工師の店でのこと、そして、あやしげな伯爵ガヌロンのこと……そのときの場面や言葉などが混ざり合い、頭の中で渦を描いてゆく。
「さあ、オードレイ。オライア公爵の質問にお答えして」
「はい。クリミナさま」
オードレイと呼ばれた亜麻色の髪の女官は、公爵に向かって丁寧に礼をすると、やや不安そうにレークとビルトールに目をやった。
「ふむ。ではオードレイとやら。そなたに尋ねるが、そのほうは、ここにいるこの浪剣士、レーク・ドップと面識があるのか?」
「はい」
「では、この者が、金細工師のベアリスと申す者と関わりがあるのというは事実か?」
「はい。昨日、二人で職人通りを歩いているとき、私たちはその金細工職人の店に立ち寄りました。そこでレークさまは、その店の主人と知り合いであるからといって、店の奥へと入ってゆきました」
「その主人という男の顔を見たかね」
「いいえ。私は店で待っておりました。そのときはただ、知り合いに会ってお話をしているのだろうと思いましたので。しばらくしても戻って来ないので、私はひとまず外に出て、路地で待っておられるクリミナ様の馬車へゆき、そのことをご報告いたしました」
(そういうことだったのか……)
レークは、己の甘さに歯噛みするような思いだった。ただの町娘と思っていたイルゼが、女騎士の指示で自分を見張っていたなど、まるで考えも及ばなかった。
(くそ。なんてまぬけなんだ、オレは……)
「なるほど、それで、その後はどうした?」
「はい。しばらくして私が戻ると、レークが店の前で待っていました。それからレークは用事ができたと言い、私たちはその場で別れました」
「後は追わなかったのかね」
「はい。クリミナ様から、決して報告なく一人でついてゆかぬようにと、固く仰せつかっておりましたので」
「ふむ。それはそうだ」
オライア公は腕を組んでうなずいた。
「そなたのような若い娘の身に危険がおよんではな。それで?」
「はい。別れ際に、レークはルミエール通りへはどうやってゆくのかと私に尋ねました。もしできるようなら直接彼と会えるようにと、クリミナさまはおっしゃっておりましたので、お二人が待機しておられる路地を、近道だとレークに教えました」
「ふむ……なるほど」
うなずいたオライア公は、それから女騎士に向き直った。
「さて、クリミナ騎士長。ここでひとつ分からぬのは、おぬしはどうして、そうまでしてこの者……レーク・ドップに、じかに会おうとしたのだな?」
「それは……」
「いくらおぬしとて、女の身。さらに、市民たちにも名の知れる宮廷騎士長という役にありながら、そのように軽々しく町へ出てゆき、もし騒ぎになったり、あるいは万が一にも何か危険があったらどういたす」
「でも……ローリングも一緒にいましたから」
女騎士はまるで、父親にしかられた娘のように、いくぶん口を尖らせた。
「確かに、ローリング卿ならば信頼もおけようが」
「公、公。そんなことよりも、」
横でやりとりを聞いていたビルトールが、たまりかねたように声を上げた。
「今はこの浪剣士の間者としての疑いを、この私が告発している最中ですぞ」
「……おお、そうであったな。これはすまなかった」
「ともかく、これでお分かりでしょう。騎士長クリミナどのも、密かにこやつの正体を怪しんで、そのように独自に奴を探っていたというくらいですから」
「いや、私はただ……」
クリミナは否定しようとしたが、そのまま黙り込んだ。
「さあ、もうこれで、この男がけしからぬ間者であることは疑いなきこと。すぐに剣技会の優勝を剥奪し、この場で捕縛してから、さらなる尋問をすべきです」
(くそ……まずいことになってきた)
レークは呆然と立ち尽くしていた。うつむいた顔は蒼白になり、頭の中ではこの場をどう切り抜ければいいのかと、ただそのことだけぐるぐると駆け巡っていた。
「ビルトール卿の言うとおり、この浪剣士がその金細工師とやらに会ったことは事実のようだな。それは女官のオードレイも証言した。さて、レークとやら」
公爵から名を呼ばれ、レークは顔を上げた。
「相違ないか?」
「う……」
レークは返答に窮した。オライア公をはじめ、ビルトールにアルトリウス、そして女騎士が、じっとこちらを見つめている。
「た、確かに……、オレはその金細工師に会った。だが……」
絞り出すような声で、そう言うのが精一杯だった。
「よかろう。ひとまずはそれだけでよい。お前にはまた釈明の機会が与えられよう」
「では、ビルトール。貴公の申した一つ目の事実は、これで確認されたわけだ。しかし、それだけではこの者が間者であるという、その揺るぎない証拠にはならぬのもまた事実。さきほどおぬしは、確証をともなった証拠があると申したな」
「その通りです」
ビルトールはにやりとして言った。
「この私が、神に誓って申し上げた事実……すなわち、この者が他国に通じる間者として、この国を害せんと企む輩であることを証明する、そのきわめて重大な証拠がございます」
「して、それは?」
「このものは……密書を持っています」
「密書だと?」
オライア公は眉を寄せた。
「そうです。このトレミリアの機密事項……すなわち、軍事に関する秘密情報が書きつらねられた、重要な書面を。この浪剣士は手にしているのです」
「なんと……それは、まことであろうな?」
「もちろん。おそらく、今もその密書をどこかに隠しておることかと。なにしろこの浪剣士にとっては大切な大金の元ですからな。きっと肌身離さず持っているはずですよ」
ビルトールは勝ち誇ったように、レークを指さした。
「そうだろう?おい、どうした、浪剣士。なにか弁解することはないのか?なかろうな。なにしろ、すべて、この僕の言ったとおりなのだから」
「……」
レークは無言で相手を睨み付けた。
(くそ。なんでこいつが密書のことを……)
この場をどうやって切り抜ければいいのか、必死になって考える。
(どうする?……どうしたらいい)
(せっかく優勝したってのに、ここでとっつかまったら……何もかもがおしまいだ)
いったいどうしてこんなことになったのか。自分はなにか、とんでもないワナにはめられたに違いない。そんな気がしてならなかった。
(間者として捕らえられたら、処刑されるのは間違いねえだろうな……)
(ここは、逃げるか?しかし……)
レークは迷った。いま手元にあるのは、腰の短剣だけだ。
(オレの剣は天幕に置いてあるはずだ。そうだ、天幕まで行けば……)
そこで、レークははっとした。
(アレン……)
(そうだ……逃げるんなら、アレンを置いてはいけねえ。こいつらは、オレとアレンとが相棒だってことも、とうに知ってやがるはずだ)
さりげなく見回すと、近くにいるのは、オライア公とビルトール、女騎士、それに騎士隊長のアルトリウスだ。あとは、少し離れて並んでいる、武装した騎士隊が六名ほど。
(まともな武器を持っているのは、あの六人の騎士だけだな。天幕まで走って剣を取れれば……この騎士どもを斬り倒して逃げることもできる)
(それに……アレンが、目を覚ましていてくれりゃ怖いものはねえ。二人して全員をぶったぎって、そのままおさらばだ)
腹を決めると、レークは慎重にそのチャンスを窺った。
「公。早く騎士たちに命じて、この浪剣士の身体を調べさせましょう。そうすれば、すぐに見つかるはずです。ゆるぎのない証拠が」
「ふむ。よかろう」
オライア公が後ろに控える騎士たちを振り返る。ビルトールもこちらから目を離した。
(今だ!)
レークは脱兎のごとく、その場から走り出した。
「あっ」
「やつが逃げたぞ。追え!捕らえろ!」
背後から上がった声にもかまわず、レークは走った。
決勝戦を戦うのは、剣技会開幕の当初は誰も予想しなかった二人……無名の浪剣士と宮廷騎士ビルトールである。
「ジュスティニアに祈りを。二人の騎士よ。そして、王の前で誓いの礼を」
客席の拍手に包まれて、障壁を挟んで南北に向き合った二人は、馬上で胸に手を当て礼をした。それに国王マルダーナ四世が席上から言葉をかける。
「よくぞここまで勝ち残ったり。最後まで見事に戦い抜いてみせよ。勝利者には名誉と剣の祝福を与えよう」
すでに、この一日で十四の槍試合が行われていた。試合場の土は馬蹄によって踏み固められ、障壁には騎士たちのくり出した槍による跡が、激しい戦いの痕跡となって残されている。その試合場の土を、これから最後の二騎が踏みしめようとしていた。
トレミリアの大剣技会、その馬上槍試合の決勝戦が、いよいよ始まるのだ。
「双方構え」
審判の声とともに、槍を手にしたレークは、馬上から静かに前方を見つめた。
意識が戻らない相棒のことは心配であったが、もう絶望に嘆くことはない。いっときはまるで、この国にたった一人で取り残されたような気分にもなったが、今はもう違う。
ただ剣を振り、己の感じるままに戦い、勝利をつかんだ。そして気づいたのだ。
(そうとも)
自分のアレンへの信頼は絶大であると。たとえ、世界中の人間が敵になったとしても、アレンだけは自分の傍らにいるだろう。そして、穏やかに笑いを浮かべてこう言うだろう。「レーク。勝つのは俺たちだ」と。
(そうだ……あいつの言ったように)
(オレはただ、試合に勝つことを。それだけを考える)
なんの迷いも、恐れもなかった。
ただ信じる。
己を。そして、
「突撃!」
合図の旗が上り、二騎が同時に飛び出した。
わあああ
わあああ
客席からの喚声がつんざくように大きくなる。
土を踏む馬蹄の響き、耳元を切り裂く風の音、それらを感じながら、鞍上の浪剣士はゆるやかに槍を持ち上げた。
スピードを上げた二頭の馬が、あっと言う間に接近し、ものすごい速さですれ違った。
ただ一点を見据えていたレークの目が、ぎらりと光る。
その槍先が鋭く動いた。
ガガガッ
板金が削られるような強い衝撃……レークの鎧を相手の槍先がかすめた。
「……!」
人々の絶叫にも似た喚声と槍がぶつかり合う響きと重なり、次の瞬間には、交差した二騎が駆け抜けてゆく。
舞い上がる土ぼこりのなか、主のいない馬が走り抜ける。しんと静まった場内……試合場の中ほどで、倒れこんだ騎士の姿を、人々が指さした。
「あれは、ビルトールだ!」
「落馬したのは、ビルトールだ」
「おお……では、浪剣士の勝ちだ!」
次々に声が上がり、ざわめきは大きな渦のように広がった。
「兜をつけぬ剣士だ!」
審判の騎士も、興奮気味に声をうわずらせ、
「二番の勝ち!優勝は二番の剣士。名は……」
用意されていた参加者名簿を手に、その名を確かめると、勝利者の名を告げた。
「レーク・ドップ!」
勝利のらっぱが高らかに吹き鳴らされると、すさまじい歓声が爆発した。
「優勝だ!」
「あの兜を付けぬ剣士が勝った!」
「浪剣士が優勝だ!」
わああああ
おおおおお
割れんばかりの歓声と拍手、それに口笛の音……その地響きのような大歓声は、風にのって川を越えて、フェスーンの市街にまで響いてゆくかと思われた。
「オレが、勝った……」
嵐のような歓声と拍手を聞きながら、馬上のレークはつぶやいた。
「勝ったぞ……アレン!」
兜の面頬を上げると、涼やかな風とともに、そこから勝利の喜びが吹き込んできた。
「俺は、勝った……アレン。アレンよ」
相棒の名を呼びながら、拳を固く握りしめる。勝利者の権利である場内を凱旋する一周ももどかしく、レークは馬から飛び降りた。兜を放り捨て、相棒の待つ天幕へと走り出した。
そのときだった。
歓声に混じって、一つの異質な声が上がった。
「何?」
「なんだ、なんといった?」
最初に気付いたのは、試合場の周りに立つ警護の騎士たちだった。続いて審判が、さらには表彰式の用意を始めようとしていた従者たちもが、手を止めて周りを見回した。
ほとんど叫びのような耳障りなその声は、戦いの興奮に浸る人々の余韻を無残に醒ました。いつしか客席の拍手はぴたりと止んでいた。人々は、いったい何が起こったのかというように、にわかにざわめきだした。
「あれは……ビルトール、か」
貴族席の片隅から試合を見ていた女騎士……クリミナも、怪訝そうにその眉をひそめた。その視線の先にいたのは、試合に敗れたはずのビルトールだった。
「八百長だ!」
「八百長だ。これは八百長なんだ!」
ビルトールは、その同じ言葉を、さっきから繰り返し叫び続けていた。
「俺は知っている。インチキなんだ!」
「この浪剣士はとんでもないペテン師だ。でなきゃ、この私が負けるはずがない。何もかもが薄汚い策略だ。そうだ、これは陰謀なんだ!」
落馬した貴族騎士は、すぐ近くにいた審判に向かって、蒼白な顔で訴えた。
「何をいってんだ?あの野郎は……」
天幕へ向かおうとしたレークも、思わず足をとめた。
「本当だ!ああ、俺は知っている。知っているだ。すべてはあの浪剣士のたくらみだ」
口角泡を飛ばして狂ったようにわめき続ける彼を、そばにいた審判も周りの騎士たちも、唖然として見つめていた。
人々ははじめ、ビルトールが落馬のショックでおかしくなったのだと思い、なかば呆れながら見守っていた。これでは劇的な戦いの余韻もなにもかもが台無しである。誰もが興ざめし、客席はすっかり静まり返っていた。
だが、当のビルトールは、審判や騎士たちに向かって身振り手振りで訴え続け、貴族席の前を行ったり来たりしながら、しきりに「これは八百長だと」そう繰り返すのだった。
「俺は知っているぞ。すべては陰謀だ!でなければ、この……この俺が、あんな奴に負けるはずがない」
「そうだ、奴はこのトレミリアを、他国に売り渡そうともくろむ間者だ。奴が、あの浪剣士こそがすべての元凶なんだ!」
「ビルトール卿、王の御前であるぞ。見苦しい振る舞いはやめられよ!」
さすがに放ってもおけないと、大会の責任者である騎士隊長のアルトリウスが駆けつけてきた。
「おお!アルトリウスどの。いいところへ。さあ、聞いていただこう」
「ビ、ビルトールどの」
「私は知っているのだ。あのならず者の浪剣士が、実はとんでもない悪党……この国に害なす売国奴であることを!」
掴みかかられるように飛びつかれて、アルトリウスは鼻白んだ。
「とにかく、この試合はインチキで無効だ!なぜなら、私は負けてなどいない。あんな浪剣士のならずものが優勝など……私は断じて認めない。これは八百長だ。陰謀だ。奴は悪党でいかさま野郎で、そして、国を売る間者なんだ!」
「し、しかし……」
ビルトールのあまりの剣幕に気押され、アルトリウスは目を白黒させ、助けを求めるように周りを見回した。
だが人々は……審判も他の騎士たちも、いったいなにが起こっているのかが分からずに、仰々しくわめき立てるその男を、ただあっけにとられて見つめるだけだった。
「さあ、やつを捕まえろ。すぐに引っ捕らえ、処刑するんだ!あの浪剣士は間者だぞ!」
「おい、さっきから聞いてりゃ、何をいってやがるんだ、その野郎は」
名指しで誹謗を受けた当のレークは、ついにたまりかねて、そちらに歩み寄った。
「おい、ふざけるな。オレが八百長をしただと?てめえの実力で負けておいて、それを人のせいにするってのか」
「よ、よるな外道!」
そばに来たレークに、ビルトールはその顔をみるみる歪ませた。彼はまるで、恐ろしいものをでも見るようにして後ずさった。
「おまえみたいな、汚らしいならず者と交わす口など、私にはない」
「なんだと、この……」
傍にいるアルトリウスの背後に隠れるようにして、ビルトールは叫んだ。
「と、とにかく。きさまはならず者で、インチキの悪党、しかも他国の間者だ!」
「てめえ……」
すっかり頭に来たレークは、ビルトールの胸ぐらをつかもうとした。
「ひっ、ひいっ」
「そこまで!両者とも待たれい」
周りを制するような声が上がった。
「両名とも見苦しきいさかいはやめよ。マルダーナ陛下の御前であるぞ」
ゆっくりと貴族席から降りてきたのは、オライア公爵だった。その威厳ある声に、騎士たちはその場に直立した。
「さて、方々。この度、栄えあるこのトレミリアの大剣技会の、その決勝戦がこうして行われ、ここにその優勝者が決定したのは事実である」
オライア公は、見事な口髭を揺らしながら、貴族席にも届く声できりだした。
「公、オライア公。私の話を……」
「待たれよ、ビルトール卿。もう少し順をおって話をせんと、人々には事のなりゆきがまったく分からぬだろう」
穏やかだがその有無を言わせぬ言葉に、ビルトールはおとなしく口をとじた。
騎士隊長のアルトリウスが、ほっとした様子で公爵のかたわらに立つ。その後ろには、貴族席から降りてきた女騎士クリミナの姿もあった。
「とにかく、決勝の馬上槍試合については、そこの……なん申したかな、おぬし」
「レーク。オレはレーク・ドップだ」
ぶっきらぼうにレークは答えた。一国の宰相を前にしても、その横柄な口調は変わらない。
「ふむ。そのレーク・ドップが、馬上槍試合にて、ここにいるビルトールを打ち倒した。これについては、試合を見ていたこの場の観客すべてが見届けた事実である」
「公、ですが……しかし」
「ビルトール卿、しかし、そちはさきほど、そうではないと申したのだな。試合の終わった後でありながら、おぬしは、自分は負けてはおらず、これは八百長だと、そうはっきりと口にした。それに相違ないな?」
「は、はっ!その通りでございます」
息を吹き返したように、ビルトールは何度もうなずいた。
「ふむ。本来であれば、試合に勝利したものに対し、敗れた者が、いかに相手が一介の浪剣士といえど、罵詈雑言をもっておとしめるなどという所為は、騎士としてはあるまじき行い。この点から言えば、逆に厳罰をもっておぬしを裁かねばならぬところだが」
公爵は、ビルトールをじろりと見た。
「だが、さきほどおぬしは……間者、ということを口にしたな。ならば申してみよ。それはなにかゆえあってのことなのか。ただし、それが嘘偽りなき己の言葉として、騎士として誓ったのちに」
「はっ!ありがたき幸せ。この私は騎士として、また王の臣下として、これから申す言に一片の嘘偽りのなきことを、神聖なる陛下とジュスティニアに誓って申し上げます」
ビルトールはそう言って胸に手を当てると、その痩せこけた顔に沈痛な色を浮かべた。
「まことにもって、この私めが、このような国家を転覆せんとたくむ悪党の陰謀を偶然にも知り、それをなんとか阻止せんと暗闘したこと。その最後の最後に、こうして皆様の前でそのご報告ができますことを、神の計らい、一条の幸せと感じまして、私は……」
「前置きはよい。そちが知るところになったその、陰謀とやらを簡潔に話してみよ」
「は、……では、簡潔に」
ビルトールはひとつかしこまると、唇をなめた。
「それでは、私がさきほど申した間者という言葉ですが、これには無論、確証があって申したことです。私たちの前にいるこの……図々しくも優勝者を気取る浪剣士。神より見守られしこのトレミリア王国の大剣技会において、狡猾なる行いの数々により、ついに正義の刃がその胸に刺さることなく、まんまと勝ち抜きおおせたこやつこそ、すべての諸悪の根源なのです」
レークを指さすと仰々しく告げる。
「皆々様。このものは、我々、騎士たちの警戒の目をたくみにかいくぐり、その実力以上の運あってこうして勝ち上がりましたが、実際のところ、この男は、わが国の機密情報を他国に流すためにこのフェスーンへ潜入した、忌むべき間諜の輩に他ならないのです!」
近くにいる騎士たち、それに貴族席から、非常などよめきが起こった。
「間諜だと?」
「それは、まことであるのか?ビルトール卿」
「ジュスティニアに誓って。私は知っています。そして、その証拠もあります」
「証拠だと。それを申してみろ」
公爵に促されると、ビルトールは落ち着きはらった顔でうなずいた。
「その前に、警備の騎士たちをここに呼び集めておかれるがよろしいでしょう。この浪剣士が逃げ出さぬように」
「ふむ。よかろう」
オライア公が命じると、アルトリウスは騎士の一隊を呼び寄せた。周りを囲んだ騎士たちに満足したように、ビルトールはその顔に薄く笑みを浮かべた。
「よろしい。では申しましょう。実のところ、確証をともなった証拠はいくつもありますが、まずは、それを具体的に説明いたしましょう」
いまだに、なにが起ころうとしているのか見当もつかないレークは、むっつりと口をへの字にして聞いていたが、ビルトールの次の言葉に思わず目を見開いた。
「この男は、職人通りのベアリスという金細工師と共謀して、この国の情報を他国に流そうとしています。それについては、そちらにおられる宮廷騎士長、クリミナどのも、すでに何かをご存じのはずです」
「宮廷騎士長、それはまことであるか?」
公爵から尋ねられると、女騎士クリミナはこちらに歩み寄ってきた。その栗色の髪を肩に垂らした騎士姿は、あの晩に月明かりのもとで見たままで、レークは吸いよせられるように彼女の顔を見つめた。
「……」
彼女は一瞬、レークと目を合わせると、公爵の前に来て騎士の礼をした。
「私はこの場において、宮廷騎士長として発言すべき事実はなにも知ってはおりません」
女騎士は、静かな声を響かせた。
「ただ……ビルトールの言うように、この浪剣士が、その金細工師となんらかの関わりがあろうことは知っております。それについては、オードレイ……レード公爵騎士団で女官をしている私の友人ですが……彼女が証言いたしましょう」
「ほう。その女官というのはここにいるのか?」
「はい。私の天幕におります。呼びにやらせましょう」
クリミナに命じられた使いの騎士が走ってゆくのを待って、オライア公は口を開いた。
「それでは、おぬしは、この者……レーク・ドップが、その何とかという金細工師と、何らかの関係があるということまでは明言できるというのだな?」
「そう言ってよいかと存じます。また、これは只今調査中ですので、その結果が報告されたのちにお伝えしようと思っておりましたが……、実はすでに、そのベアリスという金細工師のもとには、今日の槍試合の前に、ローリング卿を向かわせております」
「それは、手筈のよいことだな。ローリングならば確かなことを突き止めるであろう」
(なんだ……これは、どういうことなんだ)
まだレークにはよく分からなかった。さっきまで、ビルトールの言葉などは、自分にはまるで無関係に思えていたのだが、目の前のやりとりを聞くうちに、しだいに得体のしれない不安が広がってゆく。
(なにが、どうなるってんだ……)
やがて使いの騎士が、ひとりの娘を連れて戻ってきた。
「こちらがレード公騎士団の女官、私とローリングの友人……オードレイです」
女騎士がその娘を紹介した。その顔を見るや、レークの驚きはさらに大きくなった。
「あ、あんたは……」
「……ごめんなさい。剣士さん」
そっと目を伏せた娘の顔には、はっきりと見覚えがあった。
今はうっすらと化粧をして、いかにも宮廷の女官らしい清楚な白いサテンのスカートとローブ姿であったが、その波うつような亜麻色の髪と可愛らしい顔つきは、あの町娘のイルゼのものであった。
「……」
レークは言葉を失って、目の前のその娘を見つめた。同時に、昨日の出来事が次々に思い出される。二人で町を歩いたことや金細工師の店でのこと、そして、あやしげな伯爵ガヌロンのこと……そのときの場面や言葉などが混ざり合い、頭の中で渦を描いてゆく。
「さあ、オードレイ。オライア公爵の質問にお答えして」
「はい。クリミナさま」
オードレイと呼ばれた亜麻色の髪の女官は、公爵に向かって丁寧に礼をすると、やや不安そうにレークとビルトールに目をやった。
「ふむ。ではオードレイとやら。そなたに尋ねるが、そのほうは、ここにいるこの浪剣士、レーク・ドップと面識があるのか?」
「はい」
「では、この者が、金細工師のベアリスと申す者と関わりがあるのというは事実か?」
「はい。昨日、二人で職人通りを歩いているとき、私たちはその金細工職人の店に立ち寄りました。そこでレークさまは、その店の主人と知り合いであるからといって、店の奥へと入ってゆきました」
「その主人という男の顔を見たかね」
「いいえ。私は店で待っておりました。そのときはただ、知り合いに会ってお話をしているのだろうと思いましたので。しばらくしても戻って来ないので、私はひとまず外に出て、路地で待っておられるクリミナ様の馬車へゆき、そのことをご報告いたしました」
(そういうことだったのか……)
レークは、己の甘さに歯噛みするような思いだった。ただの町娘と思っていたイルゼが、女騎士の指示で自分を見張っていたなど、まるで考えも及ばなかった。
(くそ。なんてまぬけなんだ、オレは……)
「なるほど、それで、その後はどうした?」
「はい。しばらくして私が戻ると、レークが店の前で待っていました。それからレークは用事ができたと言い、私たちはその場で別れました」
「後は追わなかったのかね」
「はい。クリミナ様から、決して報告なく一人でついてゆかぬようにと、固く仰せつかっておりましたので」
「ふむ。それはそうだ」
オライア公は腕を組んでうなずいた。
「そなたのような若い娘の身に危険がおよんではな。それで?」
「はい。別れ際に、レークはルミエール通りへはどうやってゆくのかと私に尋ねました。もしできるようなら直接彼と会えるようにと、クリミナさまはおっしゃっておりましたので、お二人が待機しておられる路地を、近道だとレークに教えました」
「ふむ……なるほど」
うなずいたオライア公は、それから女騎士に向き直った。
「さて、クリミナ騎士長。ここでひとつ分からぬのは、おぬしはどうして、そうまでしてこの者……レーク・ドップに、じかに会おうとしたのだな?」
「それは……」
「いくらおぬしとて、女の身。さらに、市民たちにも名の知れる宮廷騎士長という役にありながら、そのように軽々しく町へ出てゆき、もし騒ぎになったり、あるいは万が一にも何か危険があったらどういたす」
「でも……ローリングも一緒にいましたから」
女騎士はまるで、父親にしかられた娘のように、いくぶん口を尖らせた。
「確かに、ローリング卿ならば信頼もおけようが」
「公、公。そんなことよりも、」
横でやりとりを聞いていたビルトールが、たまりかねたように声を上げた。
「今はこの浪剣士の間者としての疑いを、この私が告発している最中ですぞ」
「……おお、そうであったな。これはすまなかった」
「ともかく、これでお分かりでしょう。騎士長クリミナどのも、密かにこやつの正体を怪しんで、そのように独自に奴を探っていたというくらいですから」
「いや、私はただ……」
クリミナは否定しようとしたが、そのまま黙り込んだ。
「さあ、もうこれで、この男がけしからぬ間者であることは疑いなきこと。すぐに剣技会の優勝を剥奪し、この場で捕縛してから、さらなる尋問をすべきです」
(くそ……まずいことになってきた)
レークは呆然と立ち尽くしていた。うつむいた顔は蒼白になり、頭の中ではこの場をどう切り抜ければいいのかと、ただそのことだけぐるぐると駆け巡っていた。
「ビルトール卿の言うとおり、この浪剣士がその金細工師とやらに会ったことは事実のようだな。それは女官のオードレイも証言した。さて、レークとやら」
公爵から名を呼ばれ、レークは顔を上げた。
「相違ないか?」
「う……」
レークは返答に窮した。オライア公をはじめ、ビルトールにアルトリウス、そして女騎士が、じっとこちらを見つめている。
「た、確かに……、オレはその金細工師に会った。だが……」
絞り出すような声で、そう言うのが精一杯だった。
「よかろう。ひとまずはそれだけでよい。お前にはまた釈明の機会が与えられよう」
「では、ビルトール。貴公の申した一つ目の事実は、これで確認されたわけだ。しかし、それだけではこの者が間者であるという、その揺るぎない証拠にはならぬのもまた事実。さきほどおぬしは、確証をともなった証拠があると申したな」
「その通りです」
ビルトールはにやりとして言った。
「この私が、神に誓って申し上げた事実……すなわち、この者が他国に通じる間者として、この国を害せんと企む輩であることを証明する、そのきわめて重大な証拠がございます」
「して、それは?」
「このものは……密書を持っています」
「密書だと?」
オライア公は眉を寄せた。
「そうです。このトレミリアの機密事項……すなわち、軍事に関する秘密情報が書きつらねられた、重要な書面を。この浪剣士は手にしているのです」
「なんと……それは、まことであろうな?」
「もちろん。おそらく、今もその密書をどこかに隠しておることかと。なにしろこの浪剣士にとっては大切な大金の元ですからな。きっと肌身離さず持っているはずですよ」
ビルトールは勝ち誇ったように、レークを指さした。
「そうだろう?おい、どうした、浪剣士。なにか弁解することはないのか?なかろうな。なにしろ、すべて、この僕の言ったとおりなのだから」
「……」
レークは無言で相手を睨み付けた。
(くそ。なんでこいつが密書のことを……)
この場をどうやって切り抜ければいいのか、必死になって考える。
(どうする?……どうしたらいい)
(せっかく優勝したってのに、ここでとっつかまったら……何もかもがおしまいだ)
いったいどうしてこんなことになったのか。自分はなにか、とんでもないワナにはめられたに違いない。そんな気がしてならなかった。
(間者として捕らえられたら、処刑されるのは間違いねえだろうな……)
(ここは、逃げるか?しかし……)
レークは迷った。いま手元にあるのは、腰の短剣だけだ。
(オレの剣は天幕に置いてあるはずだ。そうだ、天幕まで行けば……)
そこで、レークははっとした。
(アレン……)
(そうだ……逃げるんなら、アレンを置いてはいけねえ。こいつらは、オレとアレンとが相棒だってことも、とうに知ってやがるはずだ)
さりげなく見回すと、近くにいるのは、オライア公とビルトール、女騎士、それに騎士隊長のアルトリウスだ。あとは、少し離れて並んでいる、武装した騎士隊が六名ほど。
(まともな武器を持っているのは、あの六人の騎士だけだな。天幕まで走って剣を取れれば……この騎士どもを斬り倒して逃げることもできる)
(それに……アレンが、目を覚ましていてくれりゃ怖いものはねえ。二人して全員をぶったぎって、そのままおさらばだ)
腹を決めると、レークは慎重にそのチャンスを窺った。
「公。早く騎士たちに命じて、この浪剣士の身体を調べさせましょう。そうすれば、すぐに見つかるはずです。ゆるぎのない証拠が」
「ふむ。よかろう」
オライア公が後ろに控える騎士たちを振り返る。ビルトールもこちらから目を離した。
(今だ!)
レークは脱兎のごとく、その場から走り出した。
「あっ」
「やつが逃げたぞ。追え!捕らえろ!」
背後から上がった声にもかまわず、レークは走った。
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