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一
高市皇子
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真夏。
新都の朱雀大路を女物の小ぶりな馬車がゆく。決して豪奢ではないが、品の良い馬車である。女帝、皇太妃、太政大臣の正妃を除いて、これほどのものを使えるのは、ただ一人である。
中にいたのは女人の歳の頃は四十前。最低限の化粧しかしない上品な顔立ちではあるが、自信のなさが骨まで刻み込まれている。頭頂に一つ小ぶりの髷を作り、あとは後ろに垂らしている。よくよく見れば、髪に白いものがないわけではない。
下々のように深い皺が刻まれているわけではないが、この女人からは若さはとうに姿を消していた。
女人は簾を掲げて西を見た。
畝傍山の向こうに二上山が見えた。女人はかつて自らが詠んだ句を口の中だけで詠んだ。
うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟背(いろせ)と我(あ)が見む
(この世の人である我は、明日からは二上山を我が弟と見なす)
二上山の麓にはこの女人の弟が眠る。
馬車は、東に向かい、香久山の麓の屋敷に着いた。
瓦葺きではないことだけを除けば、門構えも、敷地の広さも、建物の作りも、女帝の住まう皇宮を除けばこの新都で最も豪奢なのがこの香久山宮である。
香久山宮の主人は、かつての大戦の若き英雄たる高市皇子である。この年、四十五を迎えようとする、太政大臣であった。
「斎宮さまのー、ご到着ー」
屋敷の門番が内部に告げた。
助けを借りずに、先帝の第二皇女たる大来皇女は馬車を降りた。伊勢から帰京して何年にもなるというのに、まだ「斎王」「斎宮」と呼ばれる。
大来皇女は父帝の斎王として伊勢に捧げられた人である。
父帝が亡くなり、大来皇女が伊勢から帰京することになった。当時は、まだ飛ぶ鳥の飛鳥の古都が唯一の都で、今の新都は建築途中であった。
大帝没後、皇后の称制が続き、そのまま皇后が即位した。この女帝が今上である。
元々皇女は、この嫡母たる女帝の元で育った。生母は父帝がまだ大海人御子と呼ばれた頃の正妃であり、女帝の実の姉である。早くに遠い那津で亡くなり、代わって正妃になったこのお方を母代わりとして育ったのである。
女帝には斎王はいらぬ。
女帝は新たな斎王を選ばなかった。伊勢に使者を送り、自らも行かれたが、帝の名代として皇女、女王のいずれも天照大神に捧げられることはなかった。そのため、斎王、斎宮と言えば、未だに退任したはずの大来皇女を指すのである。
大来皇女を迎えたのは、この太政大臣邸の刀自、高市皇子の正妃の御名部皇女であった。さすがに太政大臣の正妃だけあって、御名部皇女は髪を高々と結い上げ、衣も豪奢である。表情も若々しく、自信に満ち溢れる。二歳下の大来皇女と並ぶと誰もが、御名部皇女の方が若いと言うだろう。
御名部皇女は、近江に都を置いた帝、当時は「大王」と称していたお方の姫君の一人である。高市皇子、大来皇女の父帝は、この近江大王の弟でもある。同時に、御名部皇女は今上と、大来皇女の生母の異母妹でもある。そのため、大来皇女から見れば御名部皇女は父方の従姉であり、母方では叔母でもあった。
「大臣、斎宮さまがお越しになりましたよ」
御名部皇女は大来皇女への挨拶もそこそこに、大来をとある部屋に案内し、扉を叩いた。
中の返事を待たずに、御名部は中に入る。
窓には布がかけられていて、室内は薄暗い。奥の寝床にがっしりとした体格の、白髪混じりの男が横たわっていた。その人こそ、太政大臣・高市皇子である。かつての紅顔の少年は、年齢以上に老いて見える。
この夏は例年以上の暑さである。
女帝は夏風邪をひいてなかなか体調が戻らない。
人々は、いかに大乱で夫とともに軍を率いた女傑と言えども、この夏は越せまいと噂した。
その次は、どなたが即位されるのか。
かつて、大帝は卑母拝礼を禁ずる詔を出した。仮に長子たる太政大臣が即位すると、大臣は自らの父の詔を破ることになる。
高市皇子の生母は宗像氏の尼子娘である。少なくない大帝の御子の中で最も年長ではあるが、生母の身分は最も低い。
大来皇女の生母は、大帝が大海人御子と呼ばれた時代の正妃だった太田女王と呼ばれた人である。この人はその当時女王に過ぎなかったが、近江の葛城大王の姫君の一人である。太田は葛城大王の即位の前に亡くなったのであるが、それを持ってこの太田を卑賤とすることは女帝にはできない。何しろ、太田は女帝の同父・同母の姉なのである。このお方には皇后の諡名こそ与えられないが、今日では太田皇女と呼びならわした。
先帝の子女は存命の者も数多いが、嫡出として生まれた先帝の四人の御子たちのうち、存命はこの大来皇女一人である。しかも、伊勢で天照大神に巫女として仕えた聖なる皇女である。それゆえに、先帝の数多い皇子皇女の中で、この大来皇女が最も尊いとされる。
そのため、ある人は子のいない大来皇女を中継ぎの女帝とし、高市皇子が太政大臣として補佐し、女帝の孫でこの兄妹の甥にあたる可留皇子を東宮に迎えるのではないかと噂した。
可留皇子は先帝と女帝の間の唯一の御子、草壁皇子の遺児である。可留の母は御名部皇女の同父・同母の妹である皇太妃・阿閇皇女である。
先帝は、唐では、皇帝から天皇、皇后から天后と変えたと聞き、我が国では、大王から天皇に変えた。皇后はそのままにしてある。
先帝は自ら天皇を名乗り、同時に、自らの子らとかつての大王の子らを皇子・皇女とした。皇子の子らは、王・女王である。それに従えば、可留皇子は皇子の子であったので、本来は「可留王」と呼ばれるべきである。しかしながら、草壁が東宮であったことを理由に、女帝は可留を可留皇子、その姉妹の氷高と吉備をそれぞれ氷高皇女、吉備皇女と呼ばせた。
これを快く思わない人は少なくない。
そもそも蘇我氏を母に持つ今上が、大帝の卑母拝礼の禁を破ったのである。
高市皇子も大来皇女はいずれも是とも否とも発言したことはない。
だが、父帝の卑母拝礼の禁によって、自らの即位を禁じられている高市皇子は、父帝の定めであれば王・女王に過ぎない者が皇子・皇女と呼ばれていることを不快に思わないのだろうか。
一度、尊い大来皇女を中継ぎの女帝とするが、高市皇子と御名部皇女の子、長屋王がその東宮になっても構わないのではないだろうか。
可留が故東宮の遺児とすれば、長屋は存命の太政大臣の息子である。その生母は御名部皇女であり、阿閇皇女同様に尊い。
他人の耳目は、女帝の体調不良をきっかけにこの兄妹に集まった。
その、高市皇子が大来皇女を自らの邸宅に呼んだ。
人が入る物音を聞いて、高市皇子は頭を動かし、その瞬間にコホンと咳をした。
本来、力強い男の咳は、低く、大きく、大来皇女を驚かせた。しかし、御名部皇女はすかさず水差しから水を注いで皇子に差し出した。
家人が入ってきて椅子を向かい合わせに並べ、間に卓を置いた。女嬬が食べ物の乗った盆を持ってきた。
ゆっくりと皇子は起き上がり、助けも借りずに椅子に座った。
「杏子が届きましたのよ」
お好きでしたよね、と御名部皇女は大来皇女に笑いかけ、向かい合わせの椅子に座るように大来皇女を促した。
大来は無理矢理笑顔を作ってみせた。
相変わらず、愛嬌も愛想もないと御名部皇女は思う。夫を見れば、我が子に向けるような顔をしてこの四十前の皇女を見ていた。高市皇子の目にはまだ、伊勢に下る前の十二の少女のように映るのだろう。
「しばらくお会いせぬうちに、兄君は父帝によく似て来られた」
大来皇女が話かけた。
実は、この二人は面と向き合うのは、実に何年ぶりかのことである。
御名部皇女が答えた。
「そうでございます?先帝は、」
高市皇子はコホンと今回は小さく咳き込んで割り込んだ。
十二で大来皇女は伊勢へ送られて、父帝とは今生の別れをしたのである。父帝の十三年の治世の全てを、大来皇女は伊勢で過ごした。二十五にしてようやく帰京が叶えば、父は亡く、姉も亡く、弟の遺体とも対面出来なかった。
このお人は、先帝の御遺体と対面することがなかったと、御名部皇女は思い出した。
「昔語りがしたい。二人きりにしておくれ」
高市皇子に言われて、御名部皇女は推測した。
自分に聞かせたくないような昔語りと言えば、先帝の第一皇女こと十市皇女の話であろうか。
まさか、夫が絶世の美女の名を欲しいままにし、先帝が最も愛した長女であった、あのお人に恋慕していたとは。
太政大臣に上り詰めた皇子らしく、高市皇子には側女が何人かいた。御名部は刀自らしくやきもちを焼いたことすらない。しかしながら、このお方だけは別である。
十市皇女が亡くなった後に、高市皇子が詠んだ三首の挽歌は人々の憶測を呼んだ。
最も有名なのはこれであろう。
山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく
(遠く東の果ての山吹の咲く泉は、死者を復活させることができると言う。その水を汲みに行きたいが、道がわからぬ。)
母は違うとはいえ、幼い頃から共に祖母の宝大王の元で育った兄と妹と思っていたのに、二人の間に特別な感情があったとは。
死者と争っても勝ち目はない。
聡い御名部皇女は「昔語り」と聞けば、激しい嫉妬を抱きはするが、すぐに退席した。
御名部皇女が去った後に高市皇子はつぶやいた。
「我よりも、大津の方が父帝に良く似ていたなあ」
大津皇子。
その名はもう何年も人の口に登ったことはない。
先帝が存命だった頃、東宮だった第二皇子の草壁皇子に次いで尊い皇子とは、今は二上山に眠る第三皇子の大津皇子とされていた。このお方も大来皇女同様、太田皇女の生んだ御子である。
もしも存命であれば、女帝の後にはあの頑丈で丈夫なお人の即位に異議を唱えるのは、女帝本人だけであっただろう。
没後、姉の大来皇女ですら、その名を口にしたことがないにも関わらず、この日に限っては、太政大臣は臆することなく口にした。
「ここ数日、大津に草壁、そしてあのお人が次々に夢枕に訪れる」
あのお人とは十市皇女であろうと思い込み、大来皇女は答えた。
「姉上さまは、お元気でした?」
ふむ?と顔を少し傾けて高市皇子は大来皇女を見た。
白髪が増えたとはいえ、その父の亡くなった年齢を思えばまだまだ若い。めっきり老け込んだと思ったが、その仕草には可愛らしさすらある。そう感じるのが自らの年齢というものであろうかと、大来皇女は思う。
わずかに口元をほころばせ、高市皇子は否定した。
「いや、その夫君の大王さまだよ」
皇子は首を振って否定しながら続けた。
「十市が夢枕に立ったことはないなあ」
大来皇女の身体中に鳥肌が立った。薄い紗の衣のかかった腕をなで、鳥肌を落ち着かせようとした。
十市皇女がまだ十市女王と呼ばれていた頃、その夫は大友御子、大友大兄御子、そして東宮と呼ばれた。
先の大戦で、この高市皇子とまだ童子に過ぎなかった大津皇子が名を挙げたが、その相手こそ、近江の葛城大王の子、この大友である。
「大王、さまと」
ー大兄のまま、今で言う東宮として亡くなられたのではなかったか
高市皇子は答えた。
「お若いが立派に即位された、堂々たる大王さまであったよ」
大来皇女は袖で口を覆った。
謀反。
ーあの大乱は、父上の起こした謀反であったか
正統な大王を、あの、お美しいお方を。
大来皇女の脳裏に浮かぶのは、あの楽しい淡海の夏である。
「斎宮よ、斎宮」
高市皇子が呼んだ。
「お呼びだてしたのは他でもない、他の人には決して話せぬ、話がしたい」
大来皇女は頷いた。
「何でもお聞きいたしましょう」
高市皇子は話が三つある、と断り話し始めた。
新都の朱雀大路を女物の小ぶりな馬車がゆく。決して豪奢ではないが、品の良い馬車である。女帝、皇太妃、太政大臣の正妃を除いて、これほどのものを使えるのは、ただ一人である。
中にいたのは女人の歳の頃は四十前。最低限の化粧しかしない上品な顔立ちではあるが、自信のなさが骨まで刻み込まれている。頭頂に一つ小ぶりの髷を作り、あとは後ろに垂らしている。よくよく見れば、髪に白いものがないわけではない。
下々のように深い皺が刻まれているわけではないが、この女人からは若さはとうに姿を消していた。
女人は簾を掲げて西を見た。
畝傍山の向こうに二上山が見えた。女人はかつて自らが詠んだ句を口の中だけで詠んだ。
うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟背(いろせ)と我(あ)が見む
(この世の人である我は、明日からは二上山を我が弟と見なす)
二上山の麓にはこの女人の弟が眠る。
馬車は、東に向かい、香久山の麓の屋敷に着いた。
瓦葺きではないことだけを除けば、門構えも、敷地の広さも、建物の作りも、女帝の住まう皇宮を除けばこの新都で最も豪奢なのがこの香久山宮である。
香久山宮の主人は、かつての大戦の若き英雄たる高市皇子である。この年、四十五を迎えようとする、太政大臣であった。
「斎宮さまのー、ご到着ー」
屋敷の門番が内部に告げた。
助けを借りずに、先帝の第二皇女たる大来皇女は馬車を降りた。伊勢から帰京して何年にもなるというのに、まだ「斎王」「斎宮」と呼ばれる。
大来皇女は父帝の斎王として伊勢に捧げられた人である。
父帝が亡くなり、大来皇女が伊勢から帰京することになった。当時は、まだ飛ぶ鳥の飛鳥の古都が唯一の都で、今の新都は建築途中であった。
大帝没後、皇后の称制が続き、そのまま皇后が即位した。この女帝が今上である。
元々皇女は、この嫡母たる女帝の元で育った。生母は父帝がまだ大海人御子と呼ばれた頃の正妃であり、女帝の実の姉である。早くに遠い那津で亡くなり、代わって正妃になったこのお方を母代わりとして育ったのである。
女帝には斎王はいらぬ。
女帝は新たな斎王を選ばなかった。伊勢に使者を送り、自らも行かれたが、帝の名代として皇女、女王のいずれも天照大神に捧げられることはなかった。そのため、斎王、斎宮と言えば、未だに退任したはずの大来皇女を指すのである。
大来皇女を迎えたのは、この太政大臣邸の刀自、高市皇子の正妃の御名部皇女であった。さすがに太政大臣の正妃だけあって、御名部皇女は髪を高々と結い上げ、衣も豪奢である。表情も若々しく、自信に満ち溢れる。二歳下の大来皇女と並ぶと誰もが、御名部皇女の方が若いと言うだろう。
御名部皇女は、近江に都を置いた帝、当時は「大王」と称していたお方の姫君の一人である。高市皇子、大来皇女の父帝は、この近江大王の弟でもある。同時に、御名部皇女は今上と、大来皇女の生母の異母妹でもある。そのため、大来皇女から見れば御名部皇女は父方の従姉であり、母方では叔母でもあった。
「大臣、斎宮さまがお越しになりましたよ」
御名部皇女は大来皇女への挨拶もそこそこに、大来をとある部屋に案内し、扉を叩いた。
中の返事を待たずに、御名部は中に入る。
窓には布がかけられていて、室内は薄暗い。奥の寝床にがっしりとした体格の、白髪混じりの男が横たわっていた。その人こそ、太政大臣・高市皇子である。かつての紅顔の少年は、年齢以上に老いて見える。
この夏は例年以上の暑さである。
女帝は夏風邪をひいてなかなか体調が戻らない。
人々は、いかに大乱で夫とともに軍を率いた女傑と言えども、この夏は越せまいと噂した。
その次は、どなたが即位されるのか。
かつて、大帝は卑母拝礼を禁ずる詔を出した。仮に長子たる太政大臣が即位すると、大臣は自らの父の詔を破ることになる。
高市皇子の生母は宗像氏の尼子娘である。少なくない大帝の御子の中で最も年長ではあるが、生母の身分は最も低い。
大来皇女の生母は、大帝が大海人御子と呼ばれた時代の正妃だった太田女王と呼ばれた人である。この人はその当時女王に過ぎなかったが、近江の葛城大王の姫君の一人である。太田は葛城大王の即位の前に亡くなったのであるが、それを持ってこの太田を卑賤とすることは女帝にはできない。何しろ、太田は女帝の同父・同母の姉なのである。このお方には皇后の諡名こそ与えられないが、今日では太田皇女と呼びならわした。
先帝の子女は存命の者も数多いが、嫡出として生まれた先帝の四人の御子たちのうち、存命はこの大来皇女一人である。しかも、伊勢で天照大神に巫女として仕えた聖なる皇女である。それゆえに、先帝の数多い皇子皇女の中で、この大来皇女が最も尊いとされる。
そのため、ある人は子のいない大来皇女を中継ぎの女帝とし、高市皇子が太政大臣として補佐し、女帝の孫でこの兄妹の甥にあたる可留皇子を東宮に迎えるのではないかと噂した。
可留皇子は先帝と女帝の間の唯一の御子、草壁皇子の遺児である。可留の母は御名部皇女の同父・同母の妹である皇太妃・阿閇皇女である。
先帝は、唐では、皇帝から天皇、皇后から天后と変えたと聞き、我が国では、大王から天皇に変えた。皇后はそのままにしてある。
先帝は自ら天皇を名乗り、同時に、自らの子らとかつての大王の子らを皇子・皇女とした。皇子の子らは、王・女王である。それに従えば、可留皇子は皇子の子であったので、本来は「可留王」と呼ばれるべきである。しかしながら、草壁が東宮であったことを理由に、女帝は可留を可留皇子、その姉妹の氷高と吉備をそれぞれ氷高皇女、吉備皇女と呼ばせた。
これを快く思わない人は少なくない。
そもそも蘇我氏を母に持つ今上が、大帝の卑母拝礼の禁を破ったのである。
高市皇子も大来皇女はいずれも是とも否とも発言したことはない。
だが、父帝の卑母拝礼の禁によって、自らの即位を禁じられている高市皇子は、父帝の定めであれば王・女王に過ぎない者が皇子・皇女と呼ばれていることを不快に思わないのだろうか。
一度、尊い大来皇女を中継ぎの女帝とするが、高市皇子と御名部皇女の子、長屋王がその東宮になっても構わないのではないだろうか。
可留が故東宮の遺児とすれば、長屋は存命の太政大臣の息子である。その生母は御名部皇女であり、阿閇皇女同様に尊い。
他人の耳目は、女帝の体調不良をきっかけにこの兄妹に集まった。
その、高市皇子が大来皇女を自らの邸宅に呼んだ。
人が入る物音を聞いて、高市皇子は頭を動かし、その瞬間にコホンと咳をした。
本来、力強い男の咳は、低く、大きく、大来皇女を驚かせた。しかし、御名部皇女はすかさず水差しから水を注いで皇子に差し出した。
家人が入ってきて椅子を向かい合わせに並べ、間に卓を置いた。女嬬が食べ物の乗った盆を持ってきた。
ゆっくりと皇子は起き上がり、助けも借りずに椅子に座った。
「杏子が届きましたのよ」
お好きでしたよね、と御名部皇女は大来皇女に笑いかけ、向かい合わせの椅子に座るように大来皇女を促した。
大来は無理矢理笑顔を作ってみせた。
相変わらず、愛嬌も愛想もないと御名部皇女は思う。夫を見れば、我が子に向けるような顔をしてこの四十前の皇女を見ていた。高市皇子の目にはまだ、伊勢に下る前の十二の少女のように映るのだろう。
「しばらくお会いせぬうちに、兄君は父帝によく似て来られた」
大来皇女が話かけた。
実は、この二人は面と向き合うのは、実に何年ぶりかのことである。
御名部皇女が答えた。
「そうでございます?先帝は、」
高市皇子はコホンと今回は小さく咳き込んで割り込んだ。
十二で大来皇女は伊勢へ送られて、父帝とは今生の別れをしたのである。父帝の十三年の治世の全てを、大来皇女は伊勢で過ごした。二十五にしてようやく帰京が叶えば、父は亡く、姉も亡く、弟の遺体とも対面出来なかった。
このお人は、先帝の御遺体と対面することがなかったと、御名部皇女は思い出した。
「昔語りがしたい。二人きりにしておくれ」
高市皇子に言われて、御名部皇女は推測した。
自分に聞かせたくないような昔語りと言えば、先帝の第一皇女こと十市皇女の話であろうか。
まさか、夫が絶世の美女の名を欲しいままにし、先帝が最も愛した長女であった、あのお人に恋慕していたとは。
太政大臣に上り詰めた皇子らしく、高市皇子には側女が何人かいた。御名部は刀自らしくやきもちを焼いたことすらない。しかしながら、このお方だけは別である。
十市皇女が亡くなった後に、高市皇子が詠んだ三首の挽歌は人々の憶測を呼んだ。
最も有名なのはこれであろう。
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母は違うとはいえ、幼い頃から共に祖母の宝大王の元で育った兄と妹と思っていたのに、二人の間に特別な感情があったとは。
死者と争っても勝ち目はない。
聡い御名部皇女は「昔語り」と聞けば、激しい嫉妬を抱きはするが、すぐに退席した。
御名部皇女が去った後に高市皇子はつぶやいた。
「我よりも、大津の方が父帝に良く似ていたなあ」
大津皇子。
その名はもう何年も人の口に登ったことはない。
先帝が存命だった頃、東宮だった第二皇子の草壁皇子に次いで尊い皇子とは、今は二上山に眠る第三皇子の大津皇子とされていた。このお方も大来皇女同様、太田皇女の生んだ御子である。
もしも存命であれば、女帝の後にはあの頑丈で丈夫なお人の即位に異議を唱えるのは、女帝本人だけであっただろう。
没後、姉の大来皇女ですら、その名を口にしたことがないにも関わらず、この日に限っては、太政大臣は臆することなく口にした。
「ここ数日、大津に草壁、そしてあのお人が次々に夢枕に訪れる」
あのお人とは十市皇女であろうと思い込み、大来皇女は答えた。
「姉上さまは、お元気でした?」
ふむ?と顔を少し傾けて高市皇子は大来皇女を見た。
白髪が増えたとはいえ、その父の亡くなった年齢を思えばまだまだ若い。めっきり老け込んだと思ったが、その仕草には可愛らしさすらある。そう感じるのが自らの年齢というものであろうかと、大来皇女は思う。
わずかに口元をほころばせ、高市皇子は否定した。
「いや、その夫君の大王さまだよ」
皇子は首を振って否定しながら続けた。
「十市が夢枕に立ったことはないなあ」
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十市皇女がまだ十市女王と呼ばれていた頃、その夫は大友御子、大友大兄御子、そして東宮と呼ばれた。
先の大戦で、この高市皇子とまだ童子に過ぎなかった大津皇子が名を挙げたが、その相手こそ、近江の葛城大王の子、この大友である。
「大王、さまと」
ー大兄のまま、今で言う東宮として亡くなられたのではなかったか
高市皇子は答えた。
「お若いが立派に即位された、堂々たる大王さまであったよ」
大来皇女は袖で口を覆った。
謀反。
ーあの大乱は、父上の起こした謀反であったか
正統な大王を、あの、お美しいお方を。
大来皇女の脳裏に浮かぶのは、あの楽しい淡海の夏である。
「斎宮よ、斎宮」
高市皇子が呼んだ。
「お呼びだてしたのは他でもない、他の人には決して話せぬ、話がしたい」
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