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第二巻 第三章 第三部 ハレルヤ

第五十七話 殺戮と救済

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 ××××××

 僕が将校になったのは、四年前だ。
 僕の地位はすでに確立しており、将来的には大佐になるであろうと皆から言われていた頃の話だ。

 以前の僕は、誰よりも殺戮を好み、戦地があるとなればすぐに向かって残虐の限りを尽くしてきた。
 ある時は女子供関係なく火炙りにし、ある時は人民諸共、街を破壊し尽くした。

 名誉が上がり、周りに評価される。
 これが何よりも心地よく、戦闘のこと以外を考えることが無いほど僕は愚かだった。

 そんなある日。
 どこかの国から捕虜として連れてこられた女の子が、僕の前を横切ったのだ。
 酷く痩せこけ、何度も暴行を受けた跡があり、足枷を嵌められ、牢屋へと向かう最中だった。

 僕はこの頃から、何百人の命を奪い、それを正義であると定義付けていた。
 理由は特にないが、命を奪うことなど、僕が安定をした生活を送る為の生贄くらいにしか考えていなかった。
 敵地に侵攻し、殲滅し、壊滅をさせれば報酬が受け取れる。
 僕は名誉と保証が何よりも欲しかった。
 戦わなければ、汚されて死んでいく女性捕虜のようになってしまうと思っていたからだ。

 安定。
 僕は、愉悦の向こう側で踏ん反り返り、常に選ぶ側の立場で居たい。
 何を犠牲にしてでも、僕が生きていればなんでもいい。
 僕以外の人生など、どうでもいい。
 そう考えていた、ある日だ。

「おい、止まれ。その娘を僕の奴隷にする」

 僕は、声をかけてしまった。
 特に理由はない。
 興味本位で、傷だらけの女性を自分の元に迎え入れることにしたのだ。

 ××××××

 翌る日から、彼女は性奴隷としての役割を終え、僕の直属の部下として働かせることにした。
 その女は、最初はかなり怯えた状態だった。
 それもそのはず、軍人の性処理の道具として使われてきたのだ。
 男性に対する嫌悪感はどれほどのものなのか。

「おい」

「はい」

 おい、と話しかけるだけで、彼女は僕の望むことを読み取ったかのように資料を持ってきてくれた。
 紅茶を飲み干したと見れば、すぐにポッドを持ってきて注いでくれた。
 非常に気がきくやつだが、彼女に感情は一切なかった。
 いや、殺されたのだろう、感情を。

 彼女に降りかかった災難を僕は知らない。
 ただ、彼女の目の奥に燃えたぎる炎と消しきれぬ憎悪が覗いて見えた。
 きっと彼女は、これからも僕のそばで強かに生きていくのだろうとこの時思った。

 ××××××

 秘書として奴隷を置いてから一週間が過ぎた頃。
 周りの軍人から、僕の奴隷が高く評価されていることを知った。
 僕の身の回り以外の掃除や家事、他人の秘書代理までもこなしていると知ったのだ。
 彼女は相当優秀で、賢く、感情が著しく欠如していた。
 その結果、魔王様は大変お喜びになり、彼女に一つの魔法が与えられることになった。
 その魔法が、『ハレルヤ』であった。
 そして、彼女の名はハレルヤとなり、僕の正式な軍事秘書としてそばに置くことになったのだ。

 ××××××

 それから数ヶ月が経ち、僕の秘書としての仕事を終え、彼女は戦地へ赴く特攻兵となった。
 そして、戦地から3日で帰ってきた。
 その功績は、都市壊滅、3つの国との強制奴隷契約、植民地をいくつも作って帰ってきたのだ。
 話を聞けば聞くほど、ハレルヤの成績は計り知れないほど多くあった。
 ハレルヤの功績は魔王軍においてもトップクラスの性能であると誰もが頷いた。
 結果、彼女はその後からたった数ヶ月で大佐になったのだ。

 僕は、それがあまりにも許せなかった。
 僕がハレルヤを引き取らなければ、彼女はきっと何も成せずに死ぬだけだった。
 彼女は僕に感謝すべきだ、そして僕に服従すべきだ。
 そう思い、僕は特設されたハレルヤの部屋へと向かったのだ。

 僕よりも、早く出世したことが何よりも恐ろしく、僕の地位を脅かす最低な存在であると考えた。
 だから、僕はハレルヤを許すことができない。
 だから、僕はハレルヤに、僕を讃えて欲しかった。

 僕はハレルヤの部屋へと飛び込むと、彼女は一冊の本を読んでいた。
 その本は、聖書だったと記憶している。

「ハレルヤ! 僕よりも早く出世しやがって! 僕に感謝しろ!」

 子供じみた、我儘のような安い言葉を吐き出すと、彼女は僕に顔を向けた。
 ――しかし彼女は、聖書を読みながら涙を流していたのだ。

「ラデツキー中尉」

「な、なぜ泣いているんだ。答えろ」

「はい。私が、この世界に生まれた意味はなんでしょうか?」

 彼女はそんなことを口にしたのだ。

「知るかそんなこと! 生まれた意味が分からないなら、性奴隷になったほうがいいんじゃ無いか! そっちの方が需要があるだろ!」

 僕は怒り任せにそう言うと、ハレルヤは赤い髪を引っ張る。

「私は、性奴隷になるために生まれたのでしょうか?」

 ハレルヤの目は虚で、死にかけの子供のような表情になる。
 彼女は全てに絶望しており、頼れるものが何も無かった。

「……お、おい。お前、大丈夫かよ?」

 ハレルヤの目を見ると、全く光を感じていないようだった。
 彼女の表情は全く無い、例えるなら泥のような表情だ。
 泣いているのに、悲しさを一切感じていないような、恐ろしい顔だった。

「ラデツキー中尉。私、書庫でこれを見つけました。私、聖書が好きです。救われる方法がたくさん書いていますから」

「は、はぁ」

 僕は怒りが一気に消えた。
 ハレルヤのこんな状態を見て、僕は彼女を殴ることはできなくなってしまったからだ。

「数ヶ月前、初めて人を殺しました。何も感じないんだなと思いました。私、ラデツキー中尉が何を考えているか分かりました。命とは、実に簡単に消え去るものなんですね」

 ハレルヤは最初からおかしな子であるとは思っていた。
 しかし、いざ魔法という武器を与えると、彼女の中で悍ましい何かが生まれ、さらにおかしくなってしまった。

「私、聖書が好きです。救われる理由が書いてますから」

 同じことを繰り返し言うと、彼女の表情が少しだけ明るくなった。

「私は、この本に書いてある救世主に救われたいです。私の人生は、本当にクソみたいでした。両親が目の前で殺されて、恋人を殺されて、連れてこられて強姦されて。私は生きる意味を失っていました。ですが、ここに救われる方法が書いてたんです! 私、救世主に救われたんです!」

「え、お、おい」

「私、ついに救われたんです! これが、私を救ってくれました!」

 ――完全に、ハレルヤは壊れていた。
 色々な状況に晒されて、彼女の思考が完全に停止していたのだ。

「ちょ、おいハレルヤ。一回、医務室に行ったほうがいいんじゃないか?」

「大丈夫ですよラデツキー中尉。私、救われる方法が見つかったんです。私は可哀想な子だから、神が救いに来てくれるそうです! 神からのお告げです、私をちゃんとしたものになれるように管理してくれると! 私、やっと飼い主が見つかったんです!」

 ハレルヤは僕のことを全く見ていなかった。
 いや、彼女は最初から何も見ていなかった。
 見る気がない、何も考えたくない。
 そんな怪物を、僕は拾い上げてしまったのだ。

「ラデツキー中尉。私と共に救われませんか? 神は、ラデツキー中尉も共に行きましょうと仰せです」

「え、ええっ……はぁ?」

 僕は不覚にも後退りをしてしまった。
 今まで戦いにおいて、退くなんて概念はなかった。
 が、僕は今、間違いなく恐怖している。

「さぁ、私と共に参りましょう。あなたは私の昔の主です。新しい世界で、私と共に歩んでいきましょう」

「あ、ああっ、ああっ!」

 僕は急いでハレルヤの部屋から飛び出し、トイレに駆け込んで猛烈な嘔吐をしてしまった。
 ――あんなに酷く痩せこけて、暴虐の限りを尽くされて弱っていたあの娘が、まさか僕の恐怖心を暴くだなんて。
 僕はその日、戦争の無意味さと恐怖をこの身で体験した。

 ××××××

 数年後、僕はやっとの思いで大佐まで上り詰めた。
 ハレルヤ大佐は僕よりも優秀で、何人もの命を『救済』と呼んで奪い去っていた。
 無論、僕もそうだ。

 だが、僕はあの日以来、人を簡単に殺そうと思うことは無くなった。
 人を殺すことに対して、恐怖を感じるようになってしまったからだ。
 僕は、今まで人を殺す理由なんて考えても仕方がないと思って生きてきた。
 殺してしまえば、その人の感情なんてないから。
 だが、問題はそこではない。
 残された遺族の感情があるのだ。

 ハレルヤは、戦争に巻き込まれ、家族と恋人を殺され、結果的に殺戮マシーンとして君臨している。
 彼女はもはや、無敵状態なのだ。
 失うものは何もなく、これからはただ得るだけの人生。
 それこそが、ハレルヤの強みなのだ。

 そんな彼女にも、一つの目的ができた。
 それは、魂の救済、もとい殺戮である。
 自分と同じ境遇に合わないように、何も感じないように殺戮を行う。
 そうすることによって、命は悲しむ暇もなく天へと昇華する。
 それを彼女は『善』であると本気で言っているのだ。
 だから、彼女の攻撃は無作為、無差別、無慈悲なのだ。

 魔王様は、これ以上にない逸材だと大変お喜びになられた。
 結果、魔王様は軍人に対して『できるだけ苦しむように殺戮をせよ』と言ったのだ。
 ハレルヤのような、生きてるだけで苦しい生活を演出し、強きものを選別せよ、とのことだ。

 僕はその命令が降った瞬間、魔王軍に居る意味を全く以って失ってしまった。

 悲しみは、強い恨みを生み、それを利用して悲しみを増やす。
 強き魔王軍を作り出すことが、魔王様のお考えであるのは承知している。
 ただ、僕はこれ以上、ハレルヤのような犠牲者を増やしたくないと思ってしまったのだ。

 ――だから、僕は魔王軍を抜け出し、フーガ司令官の元に来たのである。
 彼は、魔王軍から与えられる紋章を解除する力がある。
 僕は、フーガ司令官に頼み込み、呪いのような紋章を取ってもらい、この戦争に臨んでいる。
 魔王様に干渉されることなく、魔王軍を止めることができる。

 そのために、僕はこの戦争に向かったのだ。

 もう、ハレルヤは誰も殺さなくていい。
 もう、ハレルヤは悲しまなくてもいい。
 もう、ハレルヤは罪を背負わなくてもいい。

 だから、僕はハレルヤと戦う。
 これ以上、彼女のような人間を作り出さないために。
 これ以上、彼女を悲しませないために。

 心揮、ヒポクリット。
 意味は、偽善者だ。

 僕は決していい人間ではない。
 自分のために、私利私欲で殺戮をしてきた魔物だ。

 これは、僕なりの贖罪だ。
 これが、僕なりの正義だ。
 草臥れた布切れのような善意で救えるものがあるのかは分からない。
 でも、せめてハレルヤだけでも、この布切れを被せてあげたい。
 もう、戦わなくていいと伝えたい。

 これが、僕の思う最善な贖罪だ。
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