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1章 幼少期編 I

55.子守歌(Side トゥーラ王妃)

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【ティストーム王妃 トゥーラ視点】


春になり、夫と次男は外遊視察へと旅立った。

今年の行路は北方面。

途中通過する北西の領地を軽く視察しつつ、トルドン王国へ出国。
トルドンからガイナ帝国に抜けて、最後はマラーナ海洋王国へ。
外遊を終えて北東の領地を通って帰ってくる。

早くとも二ヶ月半。遅くとも3ヶ月はかからない日程だ。

一期に三国を巡ることなど滅多なことではないが、今回は植物紙と印刷技術の披露目ということで決行となった。

しかし、それは表向きの布告である。

前世の記憶を持つ娘のシュシューアは、この国の未来を記した書を読んだという。
その内容はティストームに似て非なるもの。創作が組み込まれていると言う夫の意見には賛成だ。
ただ、北の飢饉については節がある。

多数の餓死者といえば考えられることは自然災害だが、北に限定と言うならばそれは有り得ない。

国庫の備えは万全である(夫の気質によるもの)
実りの多い南方との相互協力も硬く結ばれている。
半島国家であるティストームには海もある……いや、内陸にめり込んだ位置にある北方三領土に海はないが、豊かな山と森で狩猟が盛んに行われて潤っている。

そこで考えられるのは十中八九、戦争である。

常時から、援軍も補給も即座に答える体制は出来ている。
ただし渓谷が多いティストームの地形が邪魔をする懸念がある。
数ある橋を同時に落とされたら、各土地は簡単に孤立してしまうのだ。

領地の視察はそこを重点的に、外遊は戦争の火種を探りに。
植物紙は本当に良い隠れ蓑になった。



☆…☆…☆…☆…☆



前世の記憶があるという前提は、精神の熟達とは全く関係がない。

「うわぁぁぁぁん! 行っちゃだめぇぇぇ~!」

娘の駄々は中々のものである。
全身を使って、力いっぱい泣き喚く。捕まえようとする兄たちを躱し、手を取られると地べたに転がり足を蹴る。
もう何がしたいのやら、父たちはもう出立して居ないというのに。

子育てを乳母任せにしてきたつけが今来ているだろうか。上の兄たちは手がかからなかったから油断していた。

「母上、半時ほどすれば癇癪が収まります。それまでよろしくお願いします」

そう言ってアルベールは足早に退室した。ベールもそれに続いた。


──…ま、待って!


押し付けられた。
母は見捨てられた。
この暴れる小鬼をどうすればいい。
泣く子を黙らせた経験などないのだ。


娘の前の人生は、豊かだが孤独に生きていたようだと、夫は言う。
『情に飢えているのなら、好きなだけ与えよう』とも言っていた。
この小餓鬼を満腹させるほどの情とは……


ついに侍女たちまでいなくなった。
ふたりきりになってしまった。

諦めて、長椅子に座って待つ。
しばらくしたら体力を使い果たしたらしく、大人しくなった。
涙と鼻水だらけの顔をこちらに向ける。
目が合った。
取り敢えず微笑んでみる。

「ぶしっ」

鼻水が飛んだ。
こちらに来る。
ハンカチーフを出して待ち構える。ルベールの真似だ。
のそのその歩いてくる。
顔を突き出してくるから、拭いてくれというのだろう。
ガシガシと拭いてやった。
汚い顔がきれいになった。

「シュシューア。お母さまの膝に乗りますか?」

今度は夫の真似だ。

無言で長椅子によじ登り、膝に乗らずに頭を預けてきた。膝枕だ。
頭をなでてやる。
よしよし。
よしよし。
よしよし。

「~♪ ~♪ ~♪? ~♪?」

子守歌を歌うつもりが、これは子守歌ではなかった。

「~♪ ~~♪ ~♪ ~♪~~」

これだ。


…………寝た。


寝ている顔は可愛い。
寝ていなくても可愛いが。
愛している。
愛しい人の愛しい子供。
いつも、いつも笑っていて欲しい。



子供たちは勘違いしているようだが、私は決して優淑な質ではない。
婚前にはトルドンの鬼姫とまで呼ばれた暴れ馬だった。

夫との結婚は、国境で起きた戦争平定のための政略結婚である。
トルドンは敗戦国だ。
人質として戦勝国に嫁ぐなど我慢ならなかった。

感情的になった当時の私は、ティストーム代表で平定会議に出席していた王子に決闘を申し込んだ。馬鹿なことをしでかした。ものの見事に惨敗した。

決闘後であっても彼は私を娶る意思を変えず、私は神妙に受け入れるしかなかった。
愛のない結婚は仕方がない。王族に生まれての覚悟は遅まきながらその時に芽生えた。
しかし彼はティストーム王のひとり息子だ。私のような跳ねっ返りが王妃なぞ務まるはずがないではないか。

回避する方法はないものか。

頭を悩ませながら共に歩いていた何かの拍子に、落ちた髪飾りを彼が踏んでしまった。
その時の彼の慌てようは、瞬時に私の剣を叩き落した男とは全くの別人に見えた。
今でも思い出すと笑えてくる……あれで私は落ちたのだ。我ながら琴線がおかしいとは思う。でも好きになったのだ。



外遊視察に出立する日の朝……夫から贈られた紫水晶の髪留め。

トルドンでしか採れない宝石だ。
紫の宝石は貴色とされ、輸出は禁止とされている。どんな手段で手に入れたのか。

『16年も待たせてしまったな』

夫と出会ったのは16年前。
あの時の髪飾りの色を、彼は知らないはずだ。


髪飾りは、夫の手ずから髪に差し込まれた。

不意に泣きたくなって、あの時は礼も言えなかった。



行ってらっしゃいませ……無事のお帰りを西神にお祈りいたしております。




◇…◇…◇…◇…◇




20年程前───
トルドン王国・第一王女デリネは、ノッツ伯爵家に嫁した。

我が姉であるデリネは淑女の鑑と一部では讃えられていたが、内面には悪辣な奔放さを抱えていた。
そんな姉の降嫁は、勝手気ままな行為で多くの問題を起こしたことが起因となっている。

姉を溺愛する父王は娘を窘めることをしないまま、しかし結局は庇いきれず、最後は家臣たちに追放されるように王都を去るかたちとなった。

用意されたのは三位も格下の伯爵家。
領地も王都から一番遠い国境沿いの辺境。

だが、大人しくなるどころか、嫁してすぐに最大の問題を引き起こした。


隣国ティストームとの戦争勃発───

トルドンはあっという間に敗北した。


敗戦国トルドンには莫大な賠償金が求められた。

そして、和平の証としての政略結婚案も練られた。
白羽の矢が当たったのは、当時16歳であった第二王女の私であった。

あの時、ノッツ伯爵夫人であるデリネが『わたしが責任を取ってティストームに嫁ぎますわ!』と平定の場に乗り込もうとした騒動は、後から兄に聞かされた。

恐らくロッド王子に一目惚れでもしたのだろう。姉好みの大変な美男子であったから。

その後のデリネは、ノッツ伯爵邸からの外出を王国議会院から言い渡された。
議会院は身分剥奪か蟄居令を出したかったそうだが、父王が発令を認めなかったそうだ。

それから10年───
ベールが歩き出した頃……またぞろ裏で悶着を繰り返すようになった。

当時の明確な粛正は執行されないまま、父の崩御が伝えられたのは先の年。
新たに王位に就いた兄がどう出るか………

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