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第九章 恋に先立つ失恋

第四話 禁域の理由

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翌日の昼休憩のことである。

教師からの頼み事があり、一冴は職員室に呼ばれていた。それが終わり、教室へ帰ろうとしたときのことだ――二階から降りて来た蘭と顔を合わせた。

「あら――いちごさん、ちゃうどよろしかった。」

一冴は足を止める。

「――はい?」

「いえ、お話ししたいことがありますの。お時間、よろしいでせうか?」

ほんの少しうれしくなる。

「あ――はい。構いません。」

「この場では憚られることです――少し移動しませうか。」

「――はい。」

蘭に連れられて校舎裏へと向かう。

ひとけのない処へ自分を連れ出そうとしている。二人で話したいこととは何だろう。しかし、悪い予感はしない。それが何かを考えると、ひとときでも期待せざるを得ない。

やがて校舎裏へ着いた。

蘭は静かに目を向ける。そして、ゆっくり口を開いた。

「上原一冴さん――ってご存じですか?」

一冴は動けなくなる。ここにいてはいけない人物の名を耳にした。

一体なぜ、そんなことを尋ねるのか。

当然、一冴は何も答えられない。それを目にし、震えるような声で蘭は言う。

「菊花ちゃんが教へてくださいました――貴方、本当は一冴さんといふのですね?」

困惑と混乱が訪れる。

――菊花が?

梨恵に正体がバレたときのことが頭をよぎった。

そういえば――ここには監視カメラはない。

麦彦も見ていないはずだ。

蘭は軽く眉をひそめた。

「のどぼとけが出てゐますよ。」

衝撃的な言葉を耳にし、咄嗟に、自分の喉へと触れる。目立たないレベルのはずだった。しかし、実際は目につくものだったのか――それとも目につくようになったのか。

何かを確信したような表情へと蘭は変わる。そして、一冴の胸に手を伸ばした。

一瞬、息が止まる。

胸元の軽い膨らみがずれた。

蘭は顔を歪める。それは、あの冬の日と同じ顔だった。

一冴は突き飛された。

意外と強い力によろめき、壁にもたれる。

「――やっぱり。貴方――男性だったんですね。」

蘭は一冴を見下ろす。軽蔑の視線が降ってきた。

一冴は目を逸らす。足元から力が抜けていった。

「あの――何で――?」

「先ほども申した通りです――菊花ちゃんが教えて下さいました。」

――菊花が。

頭の中が白くなる。信じられなかった――そんな言葉は。しかし、菊花が教えたのでないなら、なぜ蘭は知っているのだ。

「女装して入学したのは――わたくしに近づかうと思ってですか?」

違う――と言おうとしたが、できない。

「いえ――あの――」

「少なくとも、文藝部へ入ったのはそのためですね?」

蘭は少し後ずさる。

「貴方――トイレや更衣室はどうしてゐるんですか? ――女子と同じ物を使ってゐますね? 周りの女の子たちは、貴方が男性であることを存じてをりますか?」

一冴は何も答えられない。

蘭は眉間にしわを寄せる。

「更衣室やトイレが、なぜ男女で分かれてゐるかご存じですか?」

「あ――あの。」

「男性から女性を守るためです。盗撮や痴漢や暴行――中には、貴方のやうに女装してまでも女性用スペースを犯したがる男性もゐる。――それがどれだけ恐ろしいことか分かりますか?」

自分の履いているスカートの端が目に入る。途端に、女の格好をしていることが恥ずかしくなった。セーラー服をまとい、ペニスストッキングで股間を隠し、梨恵から与えられた髪飾りで自分を彩ることによって――何か勘違いをしてはいなかったか。

――お前は女の出来損ないだ。

いや、出来損ないですらない――男なのだ。

蘭は続ける。

「しかも、貴方は異性愛者ですね? わたくしの性的指向を知った上で、性別を偽り、わたくしと付き合はうとした――本当に気持ち悪いです。」

一冴は何も言えない。

何しろ、分かっていたはずなのだから。

蘭の言う通りなのだ――全て。

「貴方が男性であったことは言ひません。けれども――お願ひですから、もう近づかないでいたゞけますか? 文藝部も辞めてください。さうでないのであれば――わたくしが出てゆきます。幸ひ、父から転校も勧められてゐるところですし。」

一冴は顔を上げる。

蘭は顔をそむけていた。

――転校する?

蘭は再び顔を向け、冷たい視線を向ける。

「冗談ではありませんよ? 出て行かうと思へば――明日にでも寮から出ていけますから。」

それだけ言うと、蘭は去っていった。
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