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第六章 光り輝く犬が降る。

第十三話 陽動作戦

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月曜日の登校前――自分の部屋へと一冴は戻った。

そして、ドライアイスで冷やしていたプリンを鞄へしまう。麦彦を警戒し、あえて冷蔵庫は使わなかった。

部屋を出る。玄関で梨恵と合流し、紅子や菊花よりも先に寮を出た。

青々とした桜の葉のトンネルを進む。石畳の途中――庚申こうしんの石像の前で二人は立ち止まった。全ては、先日の外出のとき打ち合わせした通りだ。

少し遅れて紅子と菊花が登校してくる。

待たせたな――と紅子は言った。

「いや。」一冴は軽く首を横に振る。「いま来たところだから。」

そして、プリンの入った箱を鞄から取り出した。

これこそ、土曜日にファミレスで打ち合わせ、菊花にもLIИEで伝えた作戦だ。

ファミレスで食事を摂ったとき、次のように一冴は言った。

――先週、菊花ちゃんの作ったお弁当を理事長先生が食べる事件あったでしょ?

それが、と紅子は問うた。

――実は、理事長先生ってああいうことをよくする人なの。多分、私が何を作ったか理事長先生もどこかで知ると思う。だって、菊花ちゃんがお弁当作ってることも知ってたくらいだし。

ゆえに、早くから一冴も警戒せざるを得なかった。

――それで、陽動作戦。まずは、紅子ちゃんにプリンをあずけるの。そして、私が先に登校して、紅子ちゃんは少し遅れて学校へ来るわけ。理事長先生も、まさか紅子ちゃんがプリンを持ってるとは思わないんじゃないかな。

紅子はこれに同意した。

プリンの入った箱を紅子は受け取る。念には念を入れ、体操着入れの中へと隠した。

しかし紅子は首をかしげる。

「けれど――何も寮の中まで警戒することもなかったんじゃないのか? いくら何でも、理事長先生の目はあそこまで届かないと思うが。」

「まあ――用心するに越したことはないし。」

そうして、一冴と梨恵は先に登校した。少し遅れて、紅子と菊花が登校する。

さて。

その日の三時間目の授業は体育だった。

生徒たちは体育館へと移動する。

一冴が最も警戒したのはこのときだ。紅子の体操着入れは人の目を離れる。しかし、警戒しだしたら際限がないのかもしれない。

授業が始まった。

事態は、一冴にとって全く思いもよらない人物によって動くこととなる。

三時間目――桃は体育をサボって保健室で休んでいた。

授業が終わりに近づいてゆく。

保健室でぐっすり休んだあと、教室へ戻ろうとした。第二実習棟にある保健室から、教室棟へ向けて渡り廊下を歩いてゆく。

一人の女教師が向かい側から歩いてきたのはそのときだ。

灰色がかった巻き毛。口元の真紅が大人びて見える。

授業をサボっている最中なのに、教師の姿を目にしても桃は何も思わなかった。すれ違いざま、香水の良い匂いをふわりと漂わせ、彼女は言う。

「更衣室の窓辺に、いい物があるよ。」

桃は振り返る。

静かな足取りでその教師は去っていった。

桃は首をひねる。ただ、その教師のつけていた香水の甘い匂いが鼻についていた。昼休みの一時間前のこと――少し小腹が空いている。そして、更衣室にあるという物が気にかかった。

ひとまず、更衣室へと向かうこととする。

やがて授業が終わった。

一方――こちらは一冴である。

体育を終え、急いで更衣室へと向かった。

パットつきキャミソールで身体が隠されていると言え、やはり女子の前で着替えるのは気まずい。何より、一冴が男だと菊花は知っている。それゆえ、クラスメイトより一足先に更衣室へ向かうのが習慣となっていた。

しかも、プリンが麦彦に見つかっていないか気になる。

不安を抱きつつ、更衣室へ這入る。

そして一冴は見た。

桃色の髪の少女が床に坐り、プリンを食べている。スプーンはないので指ですくっていた。クリームまみれの指を子供のようになめ回している。空となった硝子の瓶が床には転がっていた。

一冴は真っ蒼になり、恐る恐る桃へ近づく。

「早川さん――何やってるの?」

「メンソレータムの戦い。」

「いや、それ、他人のプリンだよね?」

崩れ落ちるように一冴はしゃがみ込む。そして、床に転がっている硝子の容器と、桃が持っている容器とを数える。全部で四つ。一冴が作ったプリンは全て食べられていた。

桃の肩を掴み、一冴は問う。

「何で? ねえ? 何で食べたの!」

「いや、だって、甘い匂いがしてたから。」

「だからって――喰うかよ、普通!」

やがてクラスメイト達が這入ってきた。

菊花や梨恵もまた這入ってくる。そして、呆然としている一冴と、口をクリームまみれにしている桃の姿を目にした。梨恵は慌てて桃へ駆けよる。

「早川さん、いちごちゃんが作ったプリン食べちゃったん!?」

「うん、美味しかった。」

「いけんが! このプリンは、いちごちゃんが鈴宮先輩のために作ったもので――」

しかし、そんな梨恵の声はどこか遠くにあった。

――あれだけ警戒したのに。

ここ数日の苦労は何だったのだ。目の前が真っ暗になりそうだった。

呆然自失としていたが、いつまでも着替えないわけにはいかない。

しかし、まるで心と体とが分離しているかのようだ。

――食べられた。

――蘭先輩に上げるはずのプリンが。

着替え終えると、ふらふらした足取りで教室へ向かった。足は萎えている。それでも、これからどうすべきなのか考えた。蘭の誕生会に自分は呼ばれている。しかし、渡すべきプレゼントはない。手ぶらで行って、ケーキをごちそうになって帰るのか。

教室へ這入り、机へと着く。

両ひじを突き、額をおおった。

梨恵が声をかける。

「元気だしない、いちごちゃん。」

「うん。」

「とりあえず、早川さんは先生に叱ってもらうしかないが。事情を話しゃあ、鈴宮先輩も分かってくれるで。」

「うん。」

尿意を感じ、一冴は立ちあがる。

「ちょっとトイレ行ってくる。」

「あ――行ってらっしゃい。」

トイレへ這入り、用をすませた。

洗面台で手を洗う。

鏡の前には、花瓶に百合が生けられていた。

そんな百合と、鏡に写った自分の顔とを見つめる。プリンを作るために喪失した時間と労力のことが思い浮かんだ。いや――そんな問題ではない。蘭を喜ばせることなど、結局のところ自分にはできないのではないか。

休み時間が終わりに近づいた。

トイレから女子たちが出てゆく。

やがて一冴のみが取り残された。

「いちごちゃん。」

一冴は顔を上げる。

蘭の好きな者が立っていた。

「あの――大丈夫? 気になって様子見に来たんだけど。」

「うん。」

「まあ、プリンのことは残念だったけど――プレゼントのことは蘭先輩に説明すれば分かってもらえるよ。私も誕生会に行くし――まあ、本当はあんまし行きたくないけど。」

「そうだね。」

「とりあえず、教室もどろ? もうそろそろ授業始まるよ?」

「うん。」

そして菊花はきびすを返す。

人間ひとの判断力や倫理観が、強いショックや焦燥によって著しく鈍るときはある。加えて、間が悪かった。そのとき、トイレには一冴と菊花の他に誰もいなかったのだ。

鏡の前の花瓶を素早く一冴は手に取った。

そして、菊花の後頭部を殴りつける。

白目をむいて菊花は失神した。
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