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第六章 光り輝く犬が降る。

第七話 過ぎた水脈

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文藝部での活動は、意外なほど上手くいっていた。

プロットは四月末までに作り終え、五月は執筆に励んだ。パソコンは文藝部に三台しかない。ゆえに、原稿用紙での執筆である。

五月の中旬には第一稿が完成した。

五月二十日・火曜日の放課後のことである。一冴は部室で原稿を修正していた。隣には紅子もいる。菊花の姿はない――今ごろ寮で執筆しているのだろう。

第一稿は、赤ペンでの修正で埋められている。それを見ながら、新しい原稿用紙に文章を書き写してゆく――さらなる修正を加えながら。

しばらくして蘭が来た。

「ごきげんよう――みなさん。」

「あ、ごきげんよう――です。」

言って、一冴は立ち上がる。

「お茶、淹れてきますね。」

「まあ――いつもありがたうございます。」

茶器を流し台へ運び、茶葉を入れ替える。

蘭の前で紅茶を注ぎ、自分の席へ戻った。

早月へと蘭は顔を向ける。

「早月先輩――来週の月曜日のお昼、部室をお借りしてもよろしいでせうか?」

「え、部室? 何で?」

「実は――来週の月曜日は、わたくしの誕生日なのです。それで、わたくしの誕生会を開きたいと友人たちが申してをりますの。けれども、適当な場所が他に見当たらないので、ぶしつけながら部室を使はせていたゞきたいのです。」

「あー、誕生会? 何すんの?」

「さあ――。誕生日を祝ふといふ以外は、わたくしにはよく。」

「ケーキ出る?」

「用意してくださるさうですよ。」

「じゃあ、私にも食べさせて。それならいいよ。」

「はい。ありがたうございます。――れんげ先輩も来られますか?」

「いくー! ケーキ食べるー。」

「さう仰ると思ひました。」

そして、蓮さんは、と蘭は問う。

「私はいい。」

一冴と紅子にも顔を向ける。

「お二人も、来られますか?」

一冴は少しうれしくなる。

「いいんですか――行っても?」

「はい。――できれば、菊花ちゃんも誘ってほしいのですけれども。」

薄闇が胸にさした。

蘭が誘いたかったのは、本当は菊花だけだったのだろう。

しかし、明るい顔でほほえんでみせる。

「ええ。菊花ちゃんも誘ってみます! 来てくれるかどうかは分かりませんが。」

「まあ――それはよかった。」

紅子はつまらなさそうな顔をする。

「私は、行けたら行くって感じです。」

「さうですか――。よろしければいらして下さいね。」

「はい。」

しかし紅子は考え込む。

「でも――菊花ちゃん来ますかねえ。あの子、そっちの気ないと思うんですけど。」

「あら、さうですか?」

言い終えたあと、しまった、というような顔を蘭はする。

「えーっと、そっちの気って?」

「今さら誤魔化さなくてもいいよ」と早月は言う。「菊花ちゃんに蘭が入れ込んでることくらい、この部室のみーんなが知ってるから。だって、あんな大きな声で言ってたんだもん。」

部室が凍りつく。

「あ、あー、言ってましたっけ?」

「言ってたよ!」

「蘭ちゃん、べらべら何でもしゃべりすぎィ!」

紅子が口を開いた。

「失礼ですけど――菊花ちゃんにそっちの気がないんなら、もっと別の人を好きになったらどうでしょう?」

「別の人――ですか?」

「ええ。菊花ちゃんより、蘭先輩のこと好きな人がいると思うんですけど。」

「まあ――紅子さんもわたくしのことを?」

途端に、紅子は激しく首を横に振った。

「いえいえいえ! いちごちゃんです!」

言ったあと、紅子は失言に気づいた顔となる。一冴が告白したことを知らない者もこの部室にはいるのだ。

「ご――ご免、いちごちゃん。」

「いや――いいよ。どうせ、あんな事件あったばっかりだし。」

蘭が首をかしげる。

「――あんな事件?」

「いえ――」

ぽつぽつと、先日の動画の事件について一冴は説明する。

れんげは顔をしかめた。

「それは酷いね。」

「幸い――今はもう動画は削除されてるんですけどね。」

紅子が口を開く。

「中庭が映ってたってことは、やっぱり校内の人がやったんでしょうかね?」

早月は考え込む。

「多分――そうじゃないかな?」

「私が言えたことじゃないですけど――誰がLGBTかを晒すなんて、あってはならないことなんですけどね。」

蘭が口をはさむ。

「愛の告白をネットに晒すなんて、異性愛者でも駄目なことでは?」

「いや、異性愛者とLGBTとでは違うと思いますけど。」

「同性愛者で駄目なことは、異性愛者でも駄目ですよ。」

紅子は再びつまらなさそうな顔をする。

「どうあれ――菊花ちゃんはそっちの気はないと思うんです。LGBTの人にこう言うのはどうかと思うんですが――その――好きではない人に好きだと言われるのは、あまりいい気はしないと思うんです。だから――」

途端に、一冴は申し訳ない気持ちとなる。

菊花にばかり蘭が熱中していることを、紅子は気にかけているのではないか。だから、菊花のことは諦めて、一冴に振り向くべきだと遠回しに言っているのだ。

だが、自分は男だ。蘭が愛する性別ではない。

蘭と同じ「LGBT」ですらない。

そこまで思い、何かが引っかかった。

自分は――「LGBT」ではないのか。

蘭は静かに口を開く。

「誰を好きになるかなんて――決められるものではないですよ。ある人を好きになってはいけないので、別の人を好きになって下さいといふのも無理じひです。」

その言葉により、一冴は再び失恋した。

「それと――『LGBT』といふ言葉は、あまり遣はないでいたゞけますか?」

紅子は首をかしげた。

「――はい?」

「『LGBT』と言はれても、自分のこととは全く思へません。わたくしはゲイでも、両性愛者バイセクシュアルでも、越境性差トランスジェンダーでもありませんので。」

「そう――ですか?」

「えゝ――。そも〳〵、『L・G・B』と『T』では違ふではありませんか。それなのに、わざ〳〵英単語をくだいてぎする必要などなぜあるのでせう?」

「それは――」

紅子は少し考える。

「性的少数者マイノリティという点で同じだから――ではないでしょうか?」

「それなら『性的少数者』でいゝではありませんか。そこから、『L・G・B』と『T』を抽出して一緒にする必要はありません――同じではないのですから。それを同じにしたいのは――」

何かを誤魔化したい人ですよ――と蘭は言った。

「例へば、身体が男性でも自認こゝろが女性ならば、女子トイレや女子更衣室を使はせるべきだと言ふ人がゐます――それが『「LGBT」の権利』だと。でも、同性愛者といふだけで、なぜ、そんなことにまで賛同しなければならないのでせう?」

後ろめたい気持ちとなった。

白山女学院へ入る前、一冴が女装して外出したときは多目的トイレを使っていた。むしろ今の状況が「極めて」異常なのだ。

「しかも、反対意見に対しては、『「LGBT」への差別』だと言ってくる。さうして、日本は遅れた国だとか、差別や偏見に満ちた国だとかと言ふ――欧米とは違ひ、日本は昔から差別が少ないはずなのに。」

それはそうですけど――と紅子は言った。

「差別された人も多いですよね? 理解の足りない人だって。」

「それは――さうです。」

「いつか、『LGBTに生産性はない』って言った政治家もいましたよね?」

「あれにしろ、問題はないと言った当事者も多かったのですよ。」

早月が興味を示した。

「――そうなの?」

「えゝ。要は――子供を産めないカップルより、産めるカップルのはうへ積極的に税金を遣ふべきではないか? といふ意味だからです。もちろん、『生産性』といふ言葉を人間ひとに遣ふべきではないとは思ひますが。」

蘭は軽く溜息をつく。

「わたくしも、彼女の論文は実際に読みました。をかしいと思へる部分はいくつもありましたが、共感できる部分も同じくらゐありました。」

というと、と早月は問うた。

「性的少数者にとっては、差別なんかより、親が理解してくれないことのはうが辛いのではないか――といふところです。――親が子供に望むことは、孫の顔を見せてくれること。なので子供が同性愛者だと分かると、すごいショックを受ける。――さう書かれてゐました。」

蘭は再び溜息をつく。

「確かに――そのとほりですよ。誰が同性愛者であっても、それが他人である以上、日本人は気にしません。けれども――親は違ひますよ。」
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