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第六章 光り輝く犬が降る。
第一話 パンツを盗まれてしまった
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ゴールデンウィーク、一冴は帰宅しなかった。
帰宅するならば、「いちご」として京都へ帰る演技をしなければならない。しかも、一冴は今ごろアメリカにいるという設定だ。アメリカにゴールデンウィークはない。
その上、今年の連休は四日しかない。それゆえ帰省しない寮生も多かった。梨恵もまた帰省していない。
だが、軽いホームシックに今さら罹っていた。
言うまでもなく、プライバシーや自由が寮では制限されている。身の回りのことは自分でしなければならない。加えて、一冴は「女」を演じなければならない。そこに疲れを感じつつあった。
母や妹の姿が――自分の部屋が少し恋しくなる。
さて。
五月六日火曜日――ゴールデンウィークの最終日のことである。
正午にさしかかるころのこと、一冴は自室で洗濯物を畳んでいた。
寮には共用の洗濯機がある。寮生は普通、自室の洗濯籠に洗濯物を溜め、何日かおきに洗濯する。衣類を干す場所は自室のバルコニーだ。
洗濯物を畳み終え、一冴は首をかしげる。
ショーツの数が足りていない。
先日、洗濯を終えたときは、角ハンガーの洗濯ばさみにショーツや靴下を全てつけた。ところが今日見てみると、洗濯ばさみの一か所が空いている。何かの勘違いかとも思ったのだが、数えてみるとショーツが一つ足りていない。
首をひねりつつも、洗濯物をしまう。
正午となったので食堂へと向かった。
途中、談話室から出てきた梨恵と合流する。
食堂に這入ると、トーストと珈琲の匂いが鼻をくすぐった。連休だけあり、利用する寮生は少ない。
梨恵とともにエプロンと三角巾を着け、サンドイッチを作った。
食事中、梨恵は不思議そうな顔をする。
「どしたん、いちごちゃん? 難しさぁな顔して。」
うん――と言い、先ほどの出来事を説明した。
ショーツの話を女子の前でするのはやはり恥ずかしい。何しろ、本来は自分の身体に合わない形で作られた下着なのだ。今も、股間には突起物をしまいこんでいる。
一冴の話を聴くと、梨恵は真顔となった。
「あー、いちごちゃんもか。」
「も、ってのは?」
「いや――パンツの数が減っとらん? ってうちも思っとっただけど。」
「梨恵ちゃんも?」
「うん。最初は、風で飛ばされたんかな? って思っとっただけど。」
一冴は少し考えこんだ。
「洗濯のとき、誰かが間違えて持っていったのかな?」
「うーん、どうだら?」
そして、梨恵は声をひそめる。
「先輩から聞いた話なだけど――なんか下着ドロが出るらしいで?」
「――下着ドロ?」
「うん。ちょくちょく去年からあったみたいだで? それで、下着ドロを警戒してパンツは部屋干ししとる先輩もおるみたいなだけど。」
一瞬、自分のショーツで昂奮する人間の姿が脳裏をよぎった。
しかし、そんなことよりも気にかかることがある。
「けれど――もし下着ドロがいるんなら、不審者が校内に忍び込んでるってこと?」
「うーん。――まあ、内部の犯行ってことはないだらあし、さぁいうことになるでないかなあ。でなきゃあ、こっそり男が寮で生活しとるとか? だったら怖いわなあ。」
さぁと、背筋が冷たくなる。
「うん、確かに怖いね。」
ぎこちない返事を、本当に怖がっているせいだと梨恵は解釈したようだ。
「そういや――不審者でないだけど、増えとる教師の噂って知っとる?」
「何それ?」
「いや――いるはずのない先生が現れるっていう噂があるの。何でも、紅い口紅をつけた若い女の先生らしいだけど。灰色っぽい巻き毛で。」
一冴はきょとんとした。
その教師に――自分は会ったことがあるのではないか。
「それで、悩みを抱えた生徒の前に現れて、的確なアドバイスをしてくれるだって。だけど、そんな先生は誰も知らんだが。正体は、白山神社の神様だって。その先生に会った人は、みんな幸せになれるとか。」
「そう――なんだ。」
一冴は俯き、珈琲を一口すする。
「やっぱ、多いのかな――そういう七不思議的なものは。」
「まあ――七不思議ってほどじゃないけどな。ジンクスならあるみたいだで? 例えば、白山神社のろうそく立ての話とか。」
「――それって?」
「白山神社のろうそく立てに、七日間かかさず、思い人の名前を書いた蝋燭を奉納するとかなうって話。白山神社の神様って、縁結びの神様だけえ。」
「――へえ。」
白山神社と言えば、白山女学院の由来となった神社だ。
あいにく、一冴はまだ行ったことがない。
「あと聞いたのは――鈴宮城の何とか丸っていう処の夜景が綺麗で、そこで告白すると恋がかなうっていう噂。その何とか丸って処は、元々はお姫様が住んどって、恋の守り神になってるって話だけど。」
「ああ、芍薬丸でしょ。」
芍薬丸は鈴宮城の二の丸跡地の一角だ。城山の麓には石垣が段状に重なっているが、芍薬丸はその最も高い処にある。確かに眺めはいい。
「初代城主の奥方様が芍薬院っていうんだよ。元は公家で、鈴宮氏はその人と縁を結ばれたから戦国時代を生き残ることができたって話だけど。」
梨恵は目をまたたかせる。
「詳しいねえ。」
「あ、いや――」
自分は京都出身の設定なのだ。
「菊花ちゃんから聞いたんだよ。」
「なるほどね。」
あとで菊花に口裏を合わせてもらおうと思った。
帰宅するならば、「いちご」として京都へ帰る演技をしなければならない。しかも、一冴は今ごろアメリカにいるという設定だ。アメリカにゴールデンウィークはない。
その上、今年の連休は四日しかない。それゆえ帰省しない寮生も多かった。梨恵もまた帰省していない。
だが、軽いホームシックに今さら罹っていた。
言うまでもなく、プライバシーや自由が寮では制限されている。身の回りのことは自分でしなければならない。加えて、一冴は「女」を演じなければならない。そこに疲れを感じつつあった。
母や妹の姿が――自分の部屋が少し恋しくなる。
さて。
五月六日火曜日――ゴールデンウィークの最終日のことである。
正午にさしかかるころのこと、一冴は自室で洗濯物を畳んでいた。
寮には共用の洗濯機がある。寮生は普通、自室の洗濯籠に洗濯物を溜め、何日かおきに洗濯する。衣類を干す場所は自室のバルコニーだ。
洗濯物を畳み終え、一冴は首をかしげる。
ショーツの数が足りていない。
先日、洗濯を終えたときは、角ハンガーの洗濯ばさみにショーツや靴下を全てつけた。ところが今日見てみると、洗濯ばさみの一か所が空いている。何かの勘違いかとも思ったのだが、数えてみるとショーツが一つ足りていない。
首をひねりつつも、洗濯物をしまう。
正午となったので食堂へと向かった。
途中、談話室から出てきた梨恵と合流する。
食堂に這入ると、トーストと珈琲の匂いが鼻をくすぐった。連休だけあり、利用する寮生は少ない。
梨恵とともにエプロンと三角巾を着け、サンドイッチを作った。
食事中、梨恵は不思議そうな顔をする。
「どしたん、いちごちゃん? 難しさぁな顔して。」
うん――と言い、先ほどの出来事を説明した。
ショーツの話を女子の前でするのはやはり恥ずかしい。何しろ、本来は自分の身体に合わない形で作られた下着なのだ。今も、股間には突起物をしまいこんでいる。
一冴の話を聴くと、梨恵は真顔となった。
「あー、いちごちゃんもか。」
「も、ってのは?」
「いや――パンツの数が減っとらん? ってうちも思っとっただけど。」
「梨恵ちゃんも?」
「うん。最初は、風で飛ばされたんかな? って思っとっただけど。」
一冴は少し考えこんだ。
「洗濯のとき、誰かが間違えて持っていったのかな?」
「うーん、どうだら?」
そして、梨恵は声をひそめる。
「先輩から聞いた話なだけど――なんか下着ドロが出るらしいで?」
「――下着ドロ?」
「うん。ちょくちょく去年からあったみたいだで? それで、下着ドロを警戒してパンツは部屋干ししとる先輩もおるみたいなだけど。」
一瞬、自分のショーツで昂奮する人間の姿が脳裏をよぎった。
しかし、そんなことよりも気にかかることがある。
「けれど――もし下着ドロがいるんなら、不審者が校内に忍び込んでるってこと?」
「うーん。――まあ、内部の犯行ってことはないだらあし、さぁいうことになるでないかなあ。でなきゃあ、こっそり男が寮で生活しとるとか? だったら怖いわなあ。」
さぁと、背筋が冷たくなる。
「うん、確かに怖いね。」
ぎこちない返事を、本当に怖がっているせいだと梨恵は解釈したようだ。
「そういや――不審者でないだけど、増えとる教師の噂って知っとる?」
「何それ?」
「いや――いるはずのない先生が現れるっていう噂があるの。何でも、紅い口紅をつけた若い女の先生らしいだけど。灰色っぽい巻き毛で。」
一冴はきょとんとした。
その教師に――自分は会ったことがあるのではないか。
「それで、悩みを抱えた生徒の前に現れて、的確なアドバイスをしてくれるだって。だけど、そんな先生は誰も知らんだが。正体は、白山神社の神様だって。その先生に会った人は、みんな幸せになれるとか。」
「そう――なんだ。」
一冴は俯き、珈琲を一口すする。
「やっぱ、多いのかな――そういう七不思議的なものは。」
「まあ――七不思議ってほどじゃないけどな。ジンクスならあるみたいだで? 例えば、白山神社のろうそく立ての話とか。」
「――それって?」
「白山神社のろうそく立てに、七日間かかさず、思い人の名前を書いた蝋燭を奉納するとかなうって話。白山神社の神様って、縁結びの神様だけえ。」
「――へえ。」
白山神社と言えば、白山女学院の由来となった神社だ。
あいにく、一冴はまだ行ったことがない。
「あと聞いたのは――鈴宮城の何とか丸っていう処の夜景が綺麗で、そこで告白すると恋がかなうっていう噂。その何とか丸って処は、元々はお姫様が住んどって、恋の守り神になってるって話だけど。」
「ああ、芍薬丸でしょ。」
芍薬丸は鈴宮城の二の丸跡地の一角だ。城山の麓には石垣が段状に重なっているが、芍薬丸はその最も高い処にある。確かに眺めはいい。
「初代城主の奥方様が芍薬院っていうんだよ。元は公家で、鈴宮氏はその人と縁を結ばれたから戦国時代を生き残ることができたって話だけど。」
梨恵は目をまたたかせる。
「詳しいねえ。」
「あ、いや――」
自分は京都出身の設定なのだ。
「菊花ちゃんから聞いたんだよ。」
「なるほどね。」
あとで菊花に口裏を合わせてもらおうと思った。
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