神送りの夜

千石杏香

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第八章 遺跡

10 さなき

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平坂駅に這入り、無人のフォームでしばらく待った。

由香を轢いた車輛に乗るわけではない。それでも気分はよくなかった。救いなのは、行き先が踏切と逆方向であることだ。

一輛編成のディーゼル車が来る。

平坂町に電車はない。全て汽車だ。

電車と汽車の違いを、美邦は今まで知らなかった。一輛で走る汽車は、京都の叡山電鉄に似ている。しかし、この路線は電化されていない。汽車という響きが、少し時代がかって感じられた。

車輌に乗り、誰もいないことに驚く。利用者のいない交通機関は初めて見た。

貸し切り状態の中で、冬樹と隣り合って席に坐る。

平坂駅を出発した。

加速し切ると共にトンネルへ這入る。真っ暗な窓が少し続いた。やがて、風を切る音が響いて明るくなり、冷たそうな鉛色の海が窓に拡がる。

引っ越して以来、町の外へ初めて出た。

汽車の動きは、電車ほど滑らかではない。しかし、その振動が少し楽しい。

田畑や海が窓に流れた。

美邦の隣で、冬樹は何かを考える顔をしていた。だが、やがて言葉を発する。

「勤労感謝の日って、来週だな。」

来週が三連休であることを思い出す。

「そう――だけど?」

「ずっと気になっとった――なんで神嘗祭かんなめさいが秋分に行なわれるか。」

思わず目がまたたく。

「なにか、変なの?」

少し――と冬樹は答えた。

「神嘗祭は、十月十七日に皇居で行なわれる祭りだ。天皇陛下が、その年に初めて穫れた米を天照大神に捧げられる。秋分でない。秋分に行なわれるんは、秋季しゅうき皇霊祭こうれいさいって先祖祭りだに――神嘗祭と別もんだ。」

冬樹の疑問を理解する。

「秋分に行なわれるお祭りが――別もの?」

「ああ――。一応、郷土誌には、平坂町の神嘗祭は、収穫祭としての性格が強い――って書いてあったけど。」

少し考え、違和感はないように感じた。

「皇居での神嘗祭も、聞いた感じは収穫祭みたいだけど――」

「いや――宮中での収穫祭は、神嘗祭でなくて新嘗祭にいなめさいだって言われとる。」

「にい――?」

名前が酷く似ている。「かん」と「にい」では何が違うのだろう。

「新嘗祭は――天皇陛下が、天地の神様に五穀を捧げられ、自らも食される儀式だ。十一月二十三日に行なわれる。」

日付けに納得した。

「勤労感謝の日――って、収穫祭なんだ。」

「それだが。」

でも――と冬樹は言葉を区切る。

「新嘗祭はもともと、旧暦十一月の二度目の卯の日に行なわれとった。新暦じゃほぼ冬至だ。もし『本当に』収穫祭なら、実は遅すぎる。」

「冬至――」その言葉が耳に残る。「神送りと同じ?」

「恐らく、大原さんの言うやに収穫祭は神嘗祭のほうだ。」

風音と共にトンネルへ這入る。暗くなり、二人の横顔が窓に写った。

「新嘗祭の日――陛下は、真床御衾まどこおぶすまって寝床で休まれる。真床御衾は、おくるみ――赤ちゃんを包む布らしいけど。」

少し愛らしい光景が浮かぶ。

「ゆりかごみたいなもの?」

「かもな。」

「そこで休まれるんだ。」

どれだけ天皇が高齢でも、悠久の時を生きる神からすれば嬰児と同じなのかもしれない。

「皇室の祖先は言うまでもなく天照大神だ。けれど、地上に降臨し、王となったのはその孫の瓊瓊杵ににぎだった。でも――地上に降臨したとき、瓊瓊杵はまだ新生児だった。」

さらに可愛らしい光景が浮かぶ。

「――赤ちゃんの王様なの?」

「国が新しく生まれたっていうこと。」

風音が再びして、窓の外が明るくなった。

「天皇の玉体からだは、日本の国土の象徴ひながただ。そして冬至の日、太陽の力は最も衰える。太陽神の子孫である天皇が神々と食事を摂ることで、新たな力を国土に吹き込む――その儀式が新嘗祭だったと考えられる。」

――国土に。

「新たな力を――?」

しかし、冬樹の顔は明るくない。

「俺は、神送り・神迎えの儀式が、平坂町の新嘗祭なんだと思う。」

ひざの上で手を組み、冬樹は視線を落とす。

「平坂町には、新しい力を吹き込まないけん。そうでなきゃ、過疎化と少子化で、ゆっくり滅んで人がいなくなるやな気がしてならん。」

美邦は静かにうなづく。

引っ越して以来、京都との落差を肌で感じていた。

買い物をする場所も遊ぶ場所も当然ない。だが――そもそも人がいないのだ。

シャッターの閉まった商店や廃屋が目立ち、田畑も放置されている。恐らく、進学や就職などでどんどん若者は町を離れるのだろう。

では――その先に何があるのか。

県庁所在地へと着いた。

駅内のセルフうどん屋で昼食を摂り、バスへ乗る。

さびれた地方都市の中を進んだ。京都と比べれば見劣りがする。だが、平坂町に住んでいたためか、ずいぶんと都会のように感じられた。

県庁の前に着く。

博物館は、そのすぐ近くにあった――意外にも新しい建物だ。

入場し、順路をめぐる。

展示物は、⬛︎⬛︎県の歴史や文化に関連したものだった。ナウマンゾウの化石があったかと思えば、県特産の染め物が展示されている。

展示物の九割以上は、平坂町はおろか古代史とも関係がない。それでも、つまらなくなかった。古い物は同時に美しい。数十年では、この美しさは出ない。

民俗学や考古学について詳しい冬樹を、変わっていると感じていた。しかし、その気持ちも今は分かる。特にそう感じたのは、考古物の展示コーナーへ差し掛かったときだ。

そこだけ空気が変わっていた。

淡く調節された照明と、やや冷たい空気は地下室に似ている。硝子匣子ガラスケースの中には、土器や勾玉・銅剣や銅矛などが静かに横たわっていた。

肝心の銅鐸は、展示室の真ん中にある個別の匣子ケースに収められている。

古い青銅器の表面に、大原家の家紋が描かれていた。

思わず胸が痛む。

緑色に腐蝕し、吊り手が折れ、あちこちが欠けた姿は、地中に埋もれていた悠久の時を物語っていた。しかし地上に再び出て、大切に保管されながらも人目に触れていることに安堵する。

隣から冬樹が口を開いた。

「この銅鐸は、平坂中学校を造るとき、教室棟あたりからぜつと一緒に発見された。」

「――ぜつ?」

銅鐸の隣を冬樹は指し示す。手の平大の棒状の青銅が置かれていた。

「銅鐸を打ち鳴らす部品だな。銅鐸は全国で見つかっとるが、舌を伴った発見は珍しい。平坂町を除けば、鳥取の湯梨浜町と淡路島くらいしか例がない。」

「なぜ? 舌も、銅鐸の一部なんじゃないの?」

「銅鐸って、普通は丁寧に埋められとるに――必ず舌を抜いて。それ自体が何かの儀式だったらしい。」

銅鐸へと冬樹は目をやる。

「でも――この銅鐸は、海沙かいさ――海の沙に埋もれて発見された。丁重に埋納された状態でなかった。何かがあって打ち捨てられたのかもしらん。」

「何か――って、何が?」

「よく分からんけど――。多分、海沙に埋もれる何か。」

銅鐸へと視線を戻した。沙の中から見つかった銅鐸。失われた自分のルーツはここにあるかもしれない。

十分間ほど、銅鐸の前から離れられなかった。

だが、長いあいだ留まっているのも気が退ける。他の展示物へ目を移した。平坂町から出土した物は、少数の土器や管玉しかない。

平坂町以外の出土品で目を惹いた物は銅矛だった。

全長四十センチ以上はある青銅が四本、ショーウィンドウに竝べられている。幅は広く、大きなしゃもじのようだ。

「大きいね。」

「銅鐸と同じだ。」冬樹はうなづく。「武器でなくて、お祭りの道具だっただが。だけえ、銅矛にしろ銅剣にしろ、武器として役に立たんほど大きくなりだす。」

「やっぱり、つぁんなきを吊るしてたのかな。」

冬樹は首をかしげる。

「ツァンナキ?」

「えっ――?」

復唱されたことで、意味不明な言葉を発していたことに気づいた。

「えっ――と。」

目のやり場に困り、振り返る。

匣子ケースに納められた銅鐸が再び目に入る。そして、これが「つぁんなき」なのだと確信した。

「口がすぼまってて、鳴くものだから――」

言っているうちに声が小さくなっていった。自分は何を言っているのだろう。言葉の意味は分かっている。しかし、なぜそんな言葉になったかが分からない。

ツァンナキ――と、冬樹は小声で復唱した。

「ひょっとして『さなき』のことか? 銅鐸の『鐸』と書いて。」

途端に恥ずかしくなる。

「よく――分からない。」

冬樹は振り返り、銅鐸と銅矛とへ交互に目をやった。

「銅矛に――銅鐸を吊るしとったってこと?」

「ごめん――。自分でも――よく分からなくて――」

「まあ、ええでない? 大原さんが何か思いつくでないかなって思って博物館に誘ったに。」

「――うん。」

恥じらいから目を落とした。

視界に銅矛が写る。その下部についた出っ張りが気になった。何かを吊り下げるための孔が開いている。

「ほら――矛の下に出っ張りがあるでしょ? そこに吊るしていたと思うのだけど。」

美邦は期待した――学術的に既に発表されている知識が冬樹の口から出ることを。

しかし、冬樹は口元に拳を当て、銅矛を眺めたまま考え続ける。やがて、そういう使い方も確かにあるな――と言った。

「この出っ張りは『』っていう。何か飾りが付けられとったらしいけど――それが何かは分からん。」

「――そう。」

「でも――平坂神社の御鉾も、鉄鐸が吊るされとった。ひょっとしたら、銅矛には銅鐸が吊るされとったのかも知らん。」

期待が外れ、美邦はうつむく。

「平坂町から出土した銅矛はないの?」

「生憎――出土したって話は聞いたことないに。」

「――そう。」

だが、一つのイメージが美邦の中には浮かんでいた。

狭鳴さなきは共同体の祭器だったのだ。常世の国から神を招くために鳴いていた。それが、なぜ打ち捨てられたかは分からない。けれども、全く同じ儀式は十年前まで平坂町で続いていたはずだ。

展示コーナーを離れる。

まるで夢から醒めたような気分だった。

それでも、美邦の無意識には変化が起きていた。今までは突発的に、しかも断片的にしか湧き上がって来なかったものが、沙が水を吸うように、徐々に意識の上へと浸透してきたのである。
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