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第六章 霜月
1 死を送る
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遺影の中で由香が微笑んでいる。
十月二十八日・火曜日――上里にある寺院で葬儀が行なわれた。
抹香の香りが漂う本堂は薄暗かった。そこに、由香の親戚のほか、親しかったクラスメイトたちが竝ぶ。今朝降った雨のせいで寒い。喪服や制服を着た出席者の姿がだぶり、離れて人影となる。
椅子の一つへと、幸子は――頽るように坐り込んでいる。由香に起きたことが未だ信じられない顔だ。
葬儀の直前、やや遠慮のない囁き声が行き交った。
――実相寺さんのとこって、前にも不審死があったでないだか?
大っぴらに言っていたわけではない。それでも敏感に感じ取らざるを得なかった。
――そりゃ本家のほうだが。由香ちゃんの従兄でなかったかいなあ?
――そうそう。あれはもう七年も前のことで。
――ここの父親は本当に碌で無しだが。娘の葬式にも出んだけえ。由香ちゃんも、奥さんも可哀さあに。
今は涙が出ない――おととい散々泣いたためだ。それでも、暗鬱な気分は消えない。
読経のあと、母親による短めの挨拶があった。そして、最後の別れとなる。
棺桶の中、真っ白な布に遺体は包まれていた――汽車に轢かれ、見られないほど損傷したためだ。周りには、無数の花や、ぬいぐるみなどが詰められている。
一か月前――そこに昭も収まっていた。自分にも必ず訪れる死――あまりにも由香には早すぎた。立て続けに訪れた死を、いま、美邦は送らなければならない。
棺桶が閉じられ、霊柩車で運ばれようとする。
そのとき、悲痛な声を上げて幸子が泣き崩れた。周囲の大人たちに支えられ、そのままどこかへ連れて行かれる。
由香を見送り、本堂の前に呆然と美邦は彳んだ。拡がった水溜りに、自分の足元が写る。
顔を上げ、雨露を頬につけた冬樹と顔を合わす。やがて、幸子の様子を見に行った芳賀が戻ってきた。
「古泉さんな、お母さんが迎えに来るだって。」
「それか。」冬樹が顔を上げた。「じゃあ、そっとしといたほうがええな。」
ふと、中性的な顔が翳る。
「これから二人はどうする? 僕は上里だけぇ、すぐ帰れるけど。」
質問の意味が分からず、ありのままのことを美邦は応えた。
「私は――これからもう帰るつもりだけど。」
俺も――と言った後、何かに気づいたように冬樹が顔を向ける。
「大原さん、一人で帰れるかえ?」
「大丈夫、道は分かるから。」
「いや、あの踏切以外の帰り道は?」
はたと気づき、首を横に振る。一昨日、美邦が幻視した通りに由香は亡くなったのだ。来るときも、そこを渡らなければならなかった。いま――再び渡りたくなどない。
「じゃあ、あそこ以外の道で帰らあで。」
「うん。」
山門を出た処で芳賀と別れた。平坂へ続く農道を二人で歩いてゆく。畑の中には、案山子のような人影がいくつか彳んでいた。風が冷たい。一方、家を出た時に持ってきた傘は無用となった。
竝んで歩く冬樹は、同い年なのに自分より背が高い。同時に、生きていることが後ろめたくなる――冬樹に縋りたくなったからだ。こう思うことさえ、由香はもうできない。
――私が町に来なければ。
由香は――亡くならなかったのだろうか。
やや心配そうに冬樹が眼差す。
「それにしても、昨日は肝を冷やした――大原さん、LIИEにも出んかったけん。」
うん――と、美邦はうつむく。
「ごめんね――ちょっと色々あって、体調を崩したみたい。学校を休んだのもそれ。由香が亡くなったこととは関係ないよ――私も、お昼に初めて知ったし。」
「それか。」
本当は、全てを打ち明けたかった――休んだ理由や、見たものについて。自分が抱えるものはあまりに重い。だが、打ち明けられるはずもなかった。
――でも。
冬樹と自分との間には、似た何かを感じる。初めて出会ったときも、かすかに音を立てるような感触があった。
由香の言葉が蘇る。
冬樹の端正な横顔に問いかけた。
「神社って、愉しい場所なのかな?」
少し驚いた後、冬樹は困った顔をする。
「俺は行って愉しいが――」
「由香ね、言ってた――もし神社が今でもあったら、お祭りとか初詣とか、愉しそうなの色々あったって。お祭り――普通は愉しいものだよね。」
悲しげに横顔が歪む。
「ああ――愉しいものだな、普通は。」
本来、自分はその神社の娘なのだ――皇室と肩を竝べると伝えられるほど古い家系の。
「由香のためにお祭りをしたい。」
直後、言い間違いに気づいた。
「ううん――もし神社が今でもあったら、由香や、みんなが愉しむようなお祭りをやりたかったよ。」
海から来る風が軽く頬をなでた。
*
家へ帰ると、紅い布の前で詠歌が塩をかけてくれた。
「大変だったね。よりによって、お葬式が続いちゃって。」
「ええ――」
詠歌とは、相変わらず会話が続かない。しかし、あの夢を見た翌朝には、一応は親身になって美邦の話を聴いてくれた。以降、腫れ物に触れるように優しく接してくれている。
玄関で靴を脱いでいると、ふと詠歌は口を開いた。
「スクールカウンセラーの先生な、木曜日に来んなるって。とりあえず、お昼に予約入れといたわ。」
美邦は顔を逸らし、引き戸の格子に目をやる。自分は――異常な行動を起こしたのだ。美邦自身も詠歌も乗り気ではなかったが、それについて何か対処しなければならないことは事実だった。
うつむき、ええ、と応える。
「とりあえず、先生に話してみないよ。本当は、お医者さんにかかるのが一番ええらだぁけど――それが難しいなら。また変なことが起きてもいけんだけん。」
「分かりました。」
気のない返事が気に障ったのか、少しだけ詠歌の顔が翳る。
「じゃあ、あとは休んで。」
はい――と応え、二階の自室へ美邦は引き返していった。
十月二十八日・火曜日――上里にある寺院で葬儀が行なわれた。
抹香の香りが漂う本堂は薄暗かった。そこに、由香の親戚のほか、親しかったクラスメイトたちが竝ぶ。今朝降った雨のせいで寒い。喪服や制服を着た出席者の姿がだぶり、離れて人影となる。
椅子の一つへと、幸子は――頽るように坐り込んでいる。由香に起きたことが未だ信じられない顔だ。
葬儀の直前、やや遠慮のない囁き声が行き交った。
――実相寺さんのとこって、前にも不審死があったでないだか?
大っぴらに言っていたわけではない。それでも敏感に感じ取らざるを得なかった。
――そりゃ本家のほうだが。由香ちゃんの従兄でなかったかいなあ?
――そうそう。あれはもう七年も前のことで。
――ここの父親は本当に碌で無しだが。娘の葬式にも出んだけえ。由香ちゃんも、奥さんも可哀さあに。
今は涙が出ない――おととい散々泣いたためだ。それでも、暗鬱な気分は消えない。
読経のあと、母親による短めの挨拶があった。そして、最後の別れとなる。
棺桶の中、真っ白な布に遺体は包まれていた――汽車に轢かれ、見られないほど損傷したためだ。周りには、無数の花や、ぬいぐるみなどが詰められている。
一か月前――そこに昭も収まっていた。自分にも必ず訪れる死――あまりにも由香には早すぎた。立て続けに訪れた死を、いま、美邦は送らなければならない。
棺桶が閉じられ、霊柩車で運ばれようとする。
そのとき、悲痛な声を上げて幸子が泣き崩れた。周囲の大人たちに支えられ、そのままどこかへ連れて行かれる。
由香を見送り、本堂の前に呆然と美邦は彳んだ。拡がった水溜りに、自分の足元が写る。
顔を上げ、雨露を頬につけた冬樹と顔を合わす。やがて、幸子の様子を見に行った芳賀が戻ってきた。
「古泉さんな、お母さんが迎えに来るだって。」
「それか。」冬樹が顔を上げた。「じゃあ、そっとしといたほうがええな。」
ふと、中性的な顔が翳る。
「これから二人はどうする? 僕は上里だけぇ、すぐ帰れるけど。」
質問の意味が分からず、ありのままのことを美邦は応えた。
「私は――これからもう帰るつもりだけど。」
俺も――と言った後、何かに気づいたように冬樹が顔を向ける。
「大原さん、一人で帰れるかえ?」
「大丈夫、道は分かるから。」
「いや、あの踏切以外の帰り道は?」
はたと気づき、首を横に振る。一昨日、美邦が幻視した通りに由香は亡くなったのだ。来るときも、そこを渡らなければならなかった。いま――再び渡りたくなどない。
「じゃあ、あそこ以外の道で帰らあで。」
「うん。」
山門を出た処で芳賀と別れた。平坂へ続く農道を二人で歩いてゆく。畑の中には、案山子のような人影がいくつか彳んでいた。風が冷たい。一方、家を出た時に持ってきた傘は無用となった。
竝んで歩く冬樹は、同い年なのに自分より背が高い。同時に、生きていることが後ろめたくなる――冬樹に縋りたくなったからだ。こう思うことさえ、由香はもうできない。
――私が町に来なければ。
由香は――亡くならなかったのだろうか。
やや心配そうに冬樹が眼差す。
「それにしても、昨日は肝を冷やした――大原さん、LIИEにも出んかったけん。」
うん――と、美邦はうつむく。
「ごめんね――ちょっと色々あって、体調を崩したみたい。学校を休んだのもそれ。由香が亡くなったこととは関係ないよ――私も、お昼に初めて知ったし。」
「それか。」
本当は、全てを打ち明けたかった――休んだ理由や、見たものについて。自分が抱えるものはあまりに重い。だが、打ち明けられるはずもなかった。
――でも。
冬樹と自分との間には、似た何かを感じる。初めて出会ったときも、かすかに音を立てるような感触があった。
由香の言葉が蘇る。
冬樹の端正な横顔に問いかけた。
「神社って、愉しい場所なのかな?」
少し驚いた後、冬樹は困った顔をする。
「俺は行って愉しいが――」
「由香ね、言ってた――もし神社が今でもあったら、お祭りとか初詣とか、愉しそうなの色々あったって。お祭り――普通は愉しいものだよね。」
悲しげに横顔が歪む。
「ああ――愉しいものだな、普通は。」
本来、自分はその神社の娘なのだ――皇室と肩を竝べると伝えられるほど古い家系の。
「由香のためにお祭りをしたい。」
直後、言い間違いに気づいた。
「ううん――もし神社が今でもあったら、由香や、みんなが愉しむようなお祭りをやりたかったよ。」
海から来る風が軽く頬をなでた。
*
家へ帰ると、紅い布の前で詠歌が塩をかけてくれた。
「大変だったね。よりによって、お葬式が続いちゃって。」
「ええ――」
詠歌とは、相変わらず会話が続かない。しかし、あの夢を見た翌朝には、一応は親身になって美邦の話を聴いてくれた。以降、腫れ物に触れるように優しく接してくれている。
玄関で靴を脱いでいると、ふと詠歌は口を開いた。
「スクールカウンセラーの先生な、木曜日に来んなるって。とりあえず、お昼に予約入れといたわ。」
美邦は顔を逸らし、引き戸の格子に目をやる。自分は――異常な行動を起こしたのだ。美邦自身も詠歌も乗り気ではなかったが、それについて何か対処しなければならないことは事実だった。
うつむき、ええ、と応える。
「とりあえず、先生に話してみないよ。本当は、お医者さんにかかるのが一番ええらだぁけど――それが難しいなら。また変なことが起きてもいけんだけん。」
「分かりました。」
気のない返事が気に障ったのか、少しだけ詠歌の顔が翳る。
「じゃあ、あとは休んで。」
はい――と応え、二階の自室へ美邦は引き返していった。
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