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善意で舗装された「ヘルGBT」への道。
3.日本語を取り戻せ!
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論語にはこんな逸話がある。
弟子の子路が孔子に問うた。
「もし衛の王が先生を政治顧問にしたとしたなら、まずは何をなさいますか?」
孔子は、「物の名を正すことから始める」と答える。
「名が正しくなければ、言葉が正しくなくなる。言葉が正しくなければ、政策も正しくなくなる。政策が正しくなければ、道義も正しくなくなる。道義が正しくなければ、刑罰も正しくなくなる。刑罰が正しくなければ、民は安心して暮らせない。」
一方、活動家の言葉はカタカナ語やアルファベット語ばかりだ。
「LGBT」
「SOGI」
「トランスジェンダー」
「アウティング」
「アライ」
「ダイバーシティ」
「インクルージョン」
「アロマンティック」
「クローゼット」
「デッドネーミング」
「クィア」
「ゲイポリティクス」
「マイクロアグレッション」
何の予備知識もなしに、これらの言葉を理解できる人はいないだろう。
それなのに、「日本は理解が遅れている」だの「理解が進んでいない」だのと活動家は日々不平を口にしている。しかし、「LGBTQ+のヒューマンライツが守られるインクルーシブでダイバーシティなソーシャルを作りたいのに、どうしてジャパンはこんなにもディフィカルトなんでしょうかねえ」と言われても、理解されないのが普通だ。
彼らの心は日本にはない。事実、LGBT活動家の理想とする「進んでいる国」とは、レイプ犯が女子刑務所に送られている国々だ。彼らが掲げている旗も、六色のシマシマ模様である――日本では、伝統的に虹は何色だったかと考えることはない。
カタカナ語を遣う理由は他にもある――世間を騙すためだ。ただの女装男を「トランスジェンダー」「トランス女性」「MtF」などと呼び、性同一性障碍と混同させているのはいい例である。
本来、「MtF」「FtM」は越境性別を指す言葉だった。
「MtF」「FtM」は "Male to Female" と "Female to Male" の略である。"Male" と "Female" は、生物学的なオスとメスを指す。一方、"Man", "Woman" という言葉は、社会的な背景のある個人だ。つまり、「オスとメス」「オトコとオンナ」の違いである。
そもそも「トランス女性」という言葉からして可怪しい。この言葉は、「身体が女性だが、男性になろうとしている人」でなければならない。つまり、男性を女性と言いくるめるための詭弁なのである。
「トランス排除」も同じだ。身体的男性を女子トイレに入れないことは排除ではない。
「LGBTQ」という言葉にしろそうだ。
何度も述べた通り、「L・G・B」と「T」を活動家は混同させてきた。「同性愛者は生きづらい」と言っても説得力はないが、「LGBTは生きづらい」と言うと「T」の問題が大量についてくる。シス男性でしかない松岡宗嗣が、越境性差の問題を我が事のように触れ回っているのも同じ理由だ。
かと思えば、「連帯する気がない奴はLGBTではない」だの「LGBTではないゲイはホモ」だのと言う者もいる。運動に批判的な当事者は「アンチLGBT」と呼ばれる。ある虹衛兵のゲイなどは、運動に懐疑的なゲイから批判されたとき、「LGBT当事者が攻撃された」と言っていた。
さらに言えば、「LGBTQ」の「Q」とは何なのか。
「Q」とは Queer の略である。この英単語の本来の意味は「変態」だ。そこから転じて、性的少数者の全てを意味する言葉となった。
欧米のゲイパレードは今や逸脱している。
同性愛者や越境性差のみならず、子供の前でSMプレイを見せる者、陰茎の模型を全身に貼り付けた者、赤ちゃんの服を着た者、ただの露出狂としか思えない者が街頭を歩くようになった。
あるオランダのLGBTプライド写真展では、SMボンテージを着た裸のゲイたちが、ブランコ遊びをする幼女の前で屯している写真が入賞した。関係者は、「教科書に載る一葉」と絶賛したという。
活動家の中には、小児性愛者や動物性愛者・死体性愛者などの権利を擁護しろと言い出す者もいる――たとえ小さな子供であっても、同意があるのならば性交渉する権利があると。当然、小さな子供の判断能力や精神上の傷・身体上の問題などは無視だ。
L・G・B・T・Qでは完全に同様の対応が出来ない。
未成年との性交渉を禁止する法律を、かつてのソドミー法と同じようには考えられない。小児性愛者に対して試みられている治療と、かつて同性愛者に行なわれていた「治療」も同等に考えられない。
同性愛者と越境性差を区別し、越境性差と性同一性障碍を区別する。さらには、小児性愛者など、他者の人権・社会的福利を著しく損なうものを峻別する――これが「名を正す」ことではないだろうか。
逆に、LGBT活動家がしていることは、言葉を奪い、思考を奪うことだ――ちょうど、ジョージ゠オーウェルの『一九八四』のように。
『一九八四』に登場する独裁国家は、「新語法」や「二重思考」などの方法で民衆を支配している。
「新語法」は、民衆を支配するために国家が改造した言葉だ。
例えば、Ungood(よくない)という言葉があれば bad という言葉は必要ない。なので bad は廃止。free という言葉も、「~がない」という意味さえあればいい。ゆえに「自由」という意味は廃止。それにより、「自由」という概念を人々は忘れてしまう。
戦争を行なう官庁は「平和省」、情報を歪める官庁は「真理省」、拷問を行なう官庁は「愛情省」と呼ばれる。これらでさえも Minipax, Minitrue, Miniluv と極端な略語で表されているため、そもそも何の意味なのか民衆には分からない。
これは、ナツィス゠ドイツで実際に行なわれていたことである。つまり、「国際共産主義運動」を「コミンテルン」と略したり、「秘密国家警察」を「ゲシュタポ」と略したりして、それが何を意味するのか民衆に考えられなくしたのだ。
「分かるだろう、ニュースピークの目的は挙げて思考の範囲を狭めることにあるんだ。最終的には〈思考犯罪〉が文字通り不可能になるはずだ。何しろ思考を表現することばがなくなるわけだから。」ジョージ゠オーウェル『一九八四』
思想を表すのに適切な言葉を消し、真実を表すのに適切な言葉を歪め、さらには、「矛盾した二つの事実を同時に信じること」を国家は要求する。民衆は、平和のために戦争をしているのだと思っているし、自由意志で国家に服従していると思っている。
ちょうど、女子トイレで鉢合わせた男性を「トランス女性=女性なんだ」と考えるように。
「われわれは精神を支配しているからこそ物質も支配しているのだ。 現実というのは頭蓋骨の内部にしか存在しないのだよ。 君も段々に分って来るさ、ウィンストン。 われわれに出来ないことは何一つない。 姿を隠すこと、空中を浮遊すること――何だって出来る。 その気になりさえすれば、私はこの床上からシャボン玉のように浮揚できる。 」
ネット上で暴れまわっているゲイたちは常にこれをやっている。
例えば、「あなたは『トランス男性』を性愛の対象にできるの?」と虹衛兵のゲイに問うと、「男性だからと言って全ての人が恋愛対象になるわけではない」と返される。つまり、「トランス男性」が男性ではないと彼らも分かっているのだ。そのくせして、「女性の定義とは子宮があることなのか?」などと、「性別」が何か分かっていないようなことを言う。
このような考えにに賛同しない者は、ゲイだろうが越境性差だろうが「LGBTではない」と言われ、「アンチLGBT」と呼ばれる。だからこそ、私は彼らから「ただの女装」「女装子」と呼ばれるのだ。
だが、現実が「認識」のこと、「頭の中にしかない」という考えは、元・統合失調症患者である私からすれば舐めた話でしかない。そうでなければ、この病気で私が苦しむことはなかった。
我々が行なうべきことは「日本語を取り戻す」ことだ。「レズビアン」や「ゲイ」といった外来語でさえも正しいものを把握しなければならない。
そうでなければ、レズビアンの定義が変えられ、ゲイの定義が変えられ、性別の定義が変えられ、結婚の定義が歪められ、憲法でさえ歪められてしまう。
田麗玉の『悲しい日本人』という本がある。
これは、韓国人の田が日本への罵詈雑言を連ねた本だ。今の韓国人からは、「外国に関する情報が少なかったときに詐欺を行なった本」と酷評されている。確かに、ここに書かれている「日本」の姿はデタラメばかりで、読んでいて気分が悪くなる。
しかし、そんな中で唯一「なるほど」と思ったのが次の文だ。
「日本語は女性的な言語だ。感情表現においては抜群だ。繊細さでもすぐれている。(略)ところが、日本人は自分の国の言葉を粗末にしすぎる。その好例が外来語の無制限の使用だ。」
漢字を廃止した国が何を言う――と思う人もいるだろう。しかし、韓国語は同音異義語が少ないため、漢字がなくても問題はない。それどころか、「セクハラ」を「性玩弄」、「クーリングオフ」を「契約撤回保証」、「コスパ」を「価性比」と呼ぶなど、日本語に比べれば外来語を漢語に直す傾向にある。
ゆえに、「LGBT」という言葉も韓国では一般的ではない。「性少数者」と呼ぶ。
そんな韓国人の田にとって、「報告します」を「レポートします」と言ったり、「昼食を摂る」を「ランチする」と言ったりする現代日本語は苛立ちの種だ。
「むろん英語をアメリカ人のように喋る必要はない。ゆっくり自分の意志さえしっかり伝わればいいというのが私の考えだ。しかし発音が違うのになぜそこまでして英語を使うのか、それで本当に何か効用があるのか。」
「日本語にないことばでも、そのまま外来語とせずに新たな日本語を造るべきだろう。この点、日本の国語学者は職務放棄していると思う。我々のように民族のことばを奪われた歴史がないからか。あるいは自分たちの言葉にそもそも愛着がないからなのか。」
「日本人よ、まず自分の言語を大切にしたらどうか。母国語ができてこそ英語もよくできるのだから……。」
弟子の子路が孔子に問うた。
「もし衛の王が先生を政治顧問にしたとしたなら、まずは何をなさいますか?」
孔子は、「物の名を正すことから始める」と答える。
「名が正しくなければ、言葉が正しくなくなる。言葉が正しくなければ、政策も正しくなくなる。政策が正しくなければ、道義も正しくなくなる。道義が正しくなければ、刑罰も正しくなくなる。刑罰が正しくなければ、民は安心して暮らせない。」
一方、活動家の言葉はカタカナ語やアルファベット語ばかりだ。
「LGBT」
「SOGI」
「トランスジェンダー」
「アウティング」
「アライ」
「ダイバーシティ」
「インクルージョン」
「アロマンティック」
「クローゼット」
「デッドネーミング」
「クィア」
「ゲイポリティクス」
「マイクロアグレッション」
何の予備知識もなしに、これらの言葉を理解できる人はいないだろう。
それなのに、「日本は理解が遅れている」だの「理解が進んでいない」だのと活動家は日々不平を口にしている。しかし、「LGBTQ+のヒューマンライツが守られるインクルーシブでダイバーシティなソーシャルを作りたいのに、どうしてジャパンはこんなにもディフィカルトなんでしょうかねえ」と言われても、理解されないのが普通だ。
彼らの心は日本にはない。事実、LGBT活動家の理想とする「進んでいる国」とは、レイプ犯が女子刑務所に送られている国々だ。彼らが掲げている旗も、六色のシマシマ模様である――日本では、伝統的に虹は何色だったかと考えることはない。
カタカナ語を遣う理由は他にもある――世間を騙すためだ。ただの女装男を「トランスジェンダー」「トランス女性」「MtF」などと呼び、性同一性障碍と混同させているのはいい例である。
本来、「MtF」「FtM」は越境性別を指す言葉だった。
「MtF」「FtM」は "Male to Female" と "Female to Male" の略である。"Male" と "Female" は、生物学的なオスとメスを指す。一方、"Man", "Woman" という言葉は、社会的な背景のある個人だ。つまり、「オスとメス」「オトコとオンナ」の違いである。
そもそも「トランス女性」という言葉からして可怪しい。この言葉は、「身体が女性だが、男性になろうとしている人」でなければならない。つまり、男性を女性と言いくるめるための詭弁なのである。
「トランス排除」も同じだ。身体的男性を女子トイレに入れないことは排除ではない。
「LGBTQ」という言葉にしろそうだ。
何度も述べた通り、「L・G・B」と「T」を活動家は混同させてきた。「同性愛者は生きづらい」と言っても説得力はないが、「LGBTは生きづらい」と言うと「T」の問題が大量についてくる。シス男性でしかない松岡宗嗣が、越境性差の問題を我が事のように触れ回っているのも同じ理由だ。
かと思えば、「連帯する気がない奴はLGBTではない」だの「LGBTではないゲイはホモ」だのと言う者もいる。運動に批判的な当事者は「アンチLGBT」と呼ばれる。ある虹衛兵のゲイなどは、運動に懐疑的なゲイから批判されたとき、「LGBT当事者が攻撃された」と言っていた。
さらに言えば、「LGBTQ」の「Q」とは何なのか。
「Q」とは Queer の略である。この英単語の本来の意味は「変態」だ。そこから転じて、性的少数者の全てを意味する言葉となった。
欧米のゲイパレードは今や逸脱している。
同性愛者や越境性差のみならず、子供の前でSMプレイを見せる者、陰茎の模型を全身に貼り付けた者、赤ちゃんの服を着た者、ただの露出狂としか思えない者が街頭を歩くようになった。
あるオランダのLGBTプライド写真展では、SMボンテージを着た裸のゲイたちが、ブランコ遊びをする幼女の前で屯している写真が入賞した。関係者は、「教科書に載る一葉」と絶賛したという。
活動家の中には、小児性愛者や動物性愛者・死体性愛者などの権利を擁護しろと言い出す者もいる――たとえ小さな子供であっても、同意があるのならば性交渉する権利があると。当然、小さな子供の判断能力や精神上の傷・身体上の問題などは無視だ。
L・G・B・T・Qでは完全に同様の対応が出来ない。
未成年との性交渉を禁止する法律を、かつてのソドミー法と同じようには考えられない。小児性愛者に対して試みられている治療と、かつて同性愛者に行なわれていた「治療」も同等に考えられない。
同性愛者と越境性差を区別し、越境性差と性同一性障碍を区別する。さらには、小児性愛者など、他者の人権・社会的福利を著しく損なうものを峻別する――これが「名を正す」ことではないだろうか。
逆に、LGBT活動家がしていることは、言葉を奪い、思考を奪うことだ――ちょうど、ジョージ゠オーウェルの『一九八四』のように。
『一九八四』に登場する独裁国家は、「新語法」や「二重思考」などの方法で民衆を支配している。
「新語法」は、民衆を支配するために国家が改造した言葉だ。
例えば、Ungood(よくない)という言葉があれば bad という言葉は必要ない。なので bad は廃止。free という言葉も、「~がない」という意味さえあればいい。ゆえに「自由」という意味は廃止。それにより、「自由」という概念を人々は忘れてしまう。
戦争を行なう官庁は「平和省」、情報を歪める官庁は「真理省」、拷問を行なう官庁は「愛情省」と呼ばれる。これらでさえも Minipax, Minitrue, Miniluv と極端な略語で表されているため、そもそも何の意味なのか民衆には分からない。
これは、ナツィス゠ドイツで実際に行なわれていたことである。つまり、「国際共産主義運動」を「コミンテルン」と略したり、「秘密国家警察」を「ゲシュタポ」と略したりして、それが何を意味するのか民衆に考えられなくしたのだ。
「分かるだろう、ニュースピークの目的は挙げて思考の範囲を狭めることにあるんだ。最終的には〈思考犯罪〉が文字通り不可能になるはずだ。何しろ思考を表現することばがなくなるわけだから。」ジョージ゠オーウェル『一九八四』
思想を表すのに適切な言葉を消し、真実を表すのに適切な言葉を歪め、さらには、「矛盾した二つの事実を同時に信じること」を国家は要求する。民衆は、平和のために戦争をしているのだと思っているし、自由意志で国家に服従していると思っている。
ちょうど、女子トイレで鉢合わせた男性を「トランス女性=女性なんだ」と考えるように。
「われわれは精神を支配しているからこそ物質も支配しているのだ。 現実というのは頭蓋骨の内部にしか存在しないのだよ。 君も段々に分って来るさ、ウィンストン。 われわれに出来ないことは何一つない。 姿を隠すこと、空中を浮遊すること――何だって出来る。 その気になりさえすれば、私はこの床上からシャボン玉のように浮揚できる。 」
ネット上で暴れまわっているゲイたちは常にこれをやっている。
例えば、「あなたは『トランス男性』を性愛の対象にできるの?」と虹衛兵のゲイに問うと、「男性だからと言って全ての人が恋愛対象になるわけではない」と返される。つまり、「トランス男性」が男性ではないと彼らも分かっているのだ。そのくせして、「女性の定義とは子宮があることなのか?」などと、「性別」が何か分かっていないようなことを言う。
このような考えにに賛同しない者は、ゲイだろうが越境性差だろうが「LGBTではない」と言われ、「アンチLGBT」と呼ばれる。だからこそ、私は彼らから「ただの女装」「女装子」と呼ばれるのだ。
だが、現実が「認識」のこと、「頭の中にしかない」という考えは、元・統合失調症患者である私からすれば舐めた話でしかない。そうでなければ、この病気で私が苦しむことはなかった。
我々が行なうべきことは「日本語を取り戻す」ことだ。「レズビアン」や「ゲイ」といった外来語でさえも正しいものを把握しなければならない。
そうでなければ、レズビアンの定義が変えられ、ゲイの定義が変えられ、性別の定義が変えられ、結婚の定義が歪められ、憲法でさえ歪められてしまう。
田麗玉の『悲しい日本人』という本がある。
これは、韓国人の田が日本への罵詈雑言を連ねた本だ。今の韓国人からは、「外国に関する情報が少なかったときに詐欺を行なった本」と酷評されている。確かに、ここに書かれている「日本」の姿はデタラメばかりで、読んでいて気分が悪くなる。
しかし、そんな中で唯一「なるほど」と思ったのが次の文だ。
「日本語は女性的な言語だ。感情表現においては抜群だ。繊細さでもすぐれている。(略)ところが、日本人は自分の国の言葉を粗末にしすぎる。その好例が外来語の無制限の使用だ。」
漢字を廃止した国が何を言う――と思う人もいるだろう。しかし、韓国語は同音異義語が少ないため、漢字がなくても問題はない。それどころか、「セクハラ」を「性玩弄」、「クーリングオフ」を「契約撤回保証」、「コスパ」を「価性比」と呼ぶなど、日本語に比べれば外来語を漢語に直す傾向にある。
ゆえに、「LGBT」という言葉も韓国では一般的ではない。「性少数者」と呼ぶ。
そんな韓国人の田にとって、「報告します」を「レポートします」と言ったり、「昼食を摂る」を「ランチする」と言ったりする現代日本語は苛立ちの種だ。
「むろん英語をアメリカ人のように喋る必要はない。ゆっくり自分の意志さえしっかり伝わればいいというのが私の考えだ。しかし発音が違うのになぜそこまでして英語を使うのか、それで本当に何か効用があるのか。」
「日本語にないことばでも、そのまま外来語とせずに新たな日本語を造るべきだろう。この点、日本の国語学者は職務放棄していると思う。我々のように民族のことばを奪われた歴史がないからか。あるいは自分たちの言葉にそもそも愛着がないからなのか。」
「日本人よ、まず自分の言語を大切にしたらどうか。母国語ができてこそ英語もよくできるのだから……。」
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