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本編
36 膝上の幸福
しおりを挟む「温室の出来はどうだったかな?」
ランバルトは薔薇色の外出着を纏ったレティレナを、領主館の応接室に導きながら尋ねる。
誕生日の翌日にちょっとした揉め事はあったものの、正式に二人の婚約が発表された。
立会人はヴァストーヴァ辺境伯ゲイルと、ウッドテイル侯爵アンソニー。そしてザーク・サリデ卿。招待客のみならず、城や領地の人々を大いに湧かせた。
その婚約から、既に三週間近くが経つ。
秋ももうすぐ終わりを告げる。
そうして冬を越した春には、レティレナはランバルトの妻。
グラーソニス夫人だ。
ランバルトは今、幸福の最中に在る、と言っても過言ではない。
浮かれすぎて頭がおかしくなりそうだ。
しかし、レティレナと顔を合わせるのは実に二週間ぶりだったりする。正式に領地を継ぎ、一緒に居られる時間が取れないのだ。
それからは手紙のやり取りと、ほんの一瞬顔を見にバストーヴァを訪れるのが関の山。それだって、レティレナの家族に邪魔をされる。さすがに婚約の当日に手を出したのは拙かった。後悔はしていないけれど、婚約期間の長さが堪える。
それこそ殆ど会えなくなってしまった。
だから領主館の庭に造らせている温室の確認を口実に、レティレナを館に招いた。専用の植物園と温室は、彼女への結婚の贈り物だ。
勿論レティレナにはお目付役がぴったりと張り付いているものの、許容範囲だろう。何と言っても、ここはランバルトのテリトリー。
侍女のジルを下がらせた途端、レティレナが堰を切ったように話しはじめる。
「とっても素敵! お願いしたとおりに区画を分けてくれていたし、水捌けも好さそう。それに周囲の植物の植え替えまで行ってくれているなんて、思わなかったわ。庭の冬支度だって忙しいのに、皆熱心に取り組んでくれて。本当に感謝しています」
皆というのは、職人達とグラーソニスの庭師達のことである。レティレナは彼ら相手に随分と話を弾ませていた。
大人げ無く、少しだけ拗ねた気分になる。子供でもあるまいし、彼女の関心を独り占めしたいなんて。
もうちょっと、春までの我慢だ。
なのに、きらきらと楽しそうに愛する植物について語るレティレナの表情を見ていると、もっとこちらを見て欲しい、と強欲になってしまうのだ。
――箍が外れた途端、この有り様とはな。
苦笑いしながら、長椅子に並んで座っていたレティレナの腰を引き寄せ、膝の上に乗せる。
「ランバルト?」
散々自ら膝上に悪戯気分で乗ったり、ほぼ一晩抱えられていたこともあったからだろう。さして抵抗もせず、向き合う形になった膝上のレティレナは、首を傾げた。
「気に入ったなら良かった。俺も少しは頑張ったのだけどなぁ」
同じくらいになった目線のレティレナに、こつんと額を合わせてそんな主張をしてみる。
単純に触れていたいからが半分、己も褒めて欲しいという下心が半分だ。
「知っているわ。温室のことも、――それにフローレンス様のことも」
レティレナがランバルトの胸に手を置き、額をつけたまま囁く。
ランバルトは軽く驚き、額を離すとまじまじと彼女を見つめた。
「情報源は、もしかしてお従兄かな」
アイロニーの顛末については、まだ彼女に話す機会がなかった。
「いいえ、叔母様よ。ザーク叔父様にはもう、叔母様に隠し事をする権利はないみたい」
レティレナが肩をすくめてみせる。ランバルトは抑えられずに、喉の奥で笑った。
「それは仕方ない。いまやサリデ卿夫人に逆らえる紳士は、バストーヴァにはいないさ。普段笑顔の方を怒らせるものじゃないね」
レティレナの誕生日の翌日。晴れの婚約披露の場だというのに青い顔をしてふらつく男達全員に、夫人の甲高い雷はてきめんの効果を発揮した。
かく言うランバルトも、レティレナの兄達四人と一緒にこっぴどく叱られたクチだ。二日酔いの男が五人、談話室に横一列に並ばされる姿など、そうそうお目にはかかれない。
「アイロニー伯爵は、ご自分がフローレンスだと公表されるのですってね」
レティレナに頷く。
「ああ。おそらく彼女の爵位は剥奪。または返上という形を取ることになる。爵位継承の規定はそれぞれの家にもよるけれど、アイロニー伯爵家は男系のみの継承が決まりだ。彼女を追い出したあと、伯爵家は別の誰かが継ぐだろうね。そうして彼女は、ただのフローレンス・アイロニーになる」
二十年ぶりに、本当の名と性に戻るのだ。
それは解放であり、茨の道でもある。
人知れず姿を消すのではなく、背負ってきた秘密を公にする。フローレンス・アイロニーの望んだ、レティレナへの贖罪の形だった。
「受け入れられるのは、きっと困難でしょうね」
やや俯くレティレナの頬を、慰めるように軽く撫でる。
「真実が明るみに出たら、アイロニー伯爵と交流のあった貴族達は決して彼女を許さない、侮辱されたと受け取るだろうね。さらにもっと厄介なのは、爵位の継承権を持つ親族達だ。新たな伯爵が今までの腹いせに、彼女を精神病院送りにすると言い出すことも考えられる」
フローレンスに抗う術はない。
「けれどそうならないように、ウッドテイル侯爵とグラーソニス卿が、国王陛下に話を通してくださるのね」
真っ直ぐな瞳が眩しくて、ランバルトは目を細めた。
誕生日の朝。
ランバルトはザークを馬車に同乗させ、宿屋に留め置いていたアイロニーの元を訪れた。彼女とザークと三人で、身の振り方を話し合った。
ザークはこの件でレティレナに謝るタイミングを失してしまい、夫人に非難されたようだが、同行を申し出たのはザークの方からなのだ。それが彼なりの責任の取り方なのだろう。
アイロニーを二度とレティレナの目の前に立たせないようにするだけなら、そのまま放っておけば良かった。後ろ盾と根回しなしで返り咲けるほど、社交界は甘くない。女性の立場は確立していない。
けれど彼女は攫ったレティレナを傷付けはしなかった。
それに、レティレナがアイロニーとタンジェと三人で、いつか観劇をするのだと約束をしたから。
レティレナの願いを叶えたいと思った。
「陛下は芸術に関しては一家言をお持ちだ。王宮に音楽家や絵師だけではなく、有名な女優もお招きになるくらい。――劇場を経営する元男装の麗人なんて、耳目に入れねば後でどんなお小言を頂戴するか」
国王の芸術への傾倒はともすればやや行き過ぎで、しばしば影で揶揄されるものだけれど、今回ばかりは好都合。
王宮に一度でも招かれれば、風当たりも少しはマシになるだろう。
あとは本人次第。
「叔母様が言っていたわ。フローレンス様は伯爵ではなくなってしまうけれど、劇場はそもそも彼女名義のものだし、叔父様が後援につくから心配ないって。代わりにフローレンス様は、叔父様に投資についての助言をするそうよ」
「それに関しては、サリデ卿も胸を撫で下ろしただろうね」
にやりとランバルトが口角を上げて言うと、レティレナもにんまりと笑う。
「そうね、腕利きの助言者を得て、叔父様はこれから投資で損をしなくて済みそう。それに劇場でタンジェの脚本を使って貰えるかもって。あら。タンジェとも仲直り出来て、叔父様ばかりが得をしてないかしら?」
フローレンスの劇場の後援は、ザークが務めることとなる。代わりにフローレンスは自らの投資の才能を、彼に提供する。
その心配はもうないだろうけれど、側で目を光らせる、とザークが約束をした。その状況は片恋を抱くタンジェにとっては、天国であり地獄かもしれないが。
「ありがとう」
「兄と陛下は竹馬の友という間柄でね。俺はオマケだよ」
謝辞に、ランバルトが肩をすくめる。
「うそつき。ランバルトが助力しなければ、ウッドテイル侯爵が動いてくださる道理なんてないもの」
「じゃあ、頑張ったご褒美をくれるかな。殆どレティに会えない日々を、今日まで生き延びたんだ」
再び額をつけて懇願すると、レティレナの両手がランバルトの頬に添えられた。
「欲張りね。気高い騎士様はどこにいってしまったのかしら」
唇が触れるほどの距離で囁いたあと、レティレナの柔らかな口づけが降りてくる。
対等にと宣言したレティレナに、今やランバルトの方が甘えている。自覚はある。しかし、心地よく沈み込んで抜け出せそうにない。
腰においた手に力を込めて、もっとと、レティレナの身体を引き寄せた。
優しい労るようなものから、あっという間に主導権を奪い、深く奥まで探ろうと口づけを深くする。
砂漠の真ん中で渇きを癒やすために水を欲するように、レティレナの唇をむさぼる。
片手はレティレナの背を優しく上下に撫でた。訂正しよう、少しはしたないほど腰の辺りまで撫で上げた。
「んんっ、だめっ」
不埒な手の動きは、ぺしりと打ち落とされた。
「どうして?」
「扉の外でジルが待っているもの。それに、ジャイス兄様だって」
「きっと今頃、二人はお茶に呼ばれているよ。料理人のミセスマリーが菓子を作りすぎたと、朝から頭を抱えていたからね。ジャイス殿は紳士だ。困っている女性の頼みを無下には断れないんじゃないかな。もちろん、君の連れた侍女だって」
ジャイスは年嵩の女性には親切だ。若い女性相手では、追いかけられて逃げてばかりだけれど。
ジルはレティレナの輿入れ時に一緒に付き従う予定になっている。未来の仕事仲間を邪険には出来まい。
眉を上げてみせると、レティレナが首を振る。
「もしかして私よりずっと、ランバルトの方が性質が悪いんじゃないかしら」
「おや、そんな今更。俺が相当のひねくれ者だって、出会った最初から気付いていたんだろ。小さなレティレナ姫?」
それは初めて一緒に踊った収穫祭での、レティレナの啖呵。
十七歳のランバルトは、どきりとさせられた。心の内を見透かすような少女の瞳に敵意を向けられ、癇癪を起こされ、真実を突かれて。
それを受け入れられたから、今のランバルトが在る。
「私を子供扱いしたわね? 春になって、野草料理で嫌がらせを受けるのは貴方なのよ。温室の緑は、全部ランバルト専用にするのだから」
「はははっ! それは春が来るのが楽しみだ」
彼にとってどんなに喜ばしい宣言か、レティレナ自身はわかっていないらしい。
声を上げて笑ったランバルトを、少し睨んでいる。
彼女の興味は食用植物。
けれど、それが全部ランバルトのためだなんて。
使用人達の引き留め作戦は上手くいった。
けれど、いい加減ジャイスが戻るだろう。今日はお互い二日酔いではないので、剣を抜かれては堪らない。
ランバルトは、少しへそを曲げたレティレナの唇を、最後に優しく啄み微笑む。
口づけで少し腫れた唇で、レティレナが呆れたようにくしゃりと笑った。
彼女はいつか素直に言葉にしてくれるだろうか。
ランバルトを「愛している」と。
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