上 下
24 / 53
本編

23 脱出劇 中編

しおりを挟む
 

 レティレナが滑り込んだ部屋は『当たり』だった。
 部屋の奥のベッドに、芋虫のように簀巻きのタンジェが転がされている。

 見つけた。
 一か八かの賭けにレティレナは勝ったらしい。
 昔から勝負事には強いほうだ。兄達のカード勝負。内輪の勝負を彼らがカードルームで始めると、レティレナは一番下の兄ジャイスの膝に乗って参謀になるのだ。ルールも手もうろ覚えだというのに、彼女の勘はよく当たった。
 ランバルトが加わってからは、どうしても彼に勝てなくて、レティレナは参加を止めてしまったけれど。
 きっと私欲が混じるといけないのだ。
 良いところを見せたいとか、見返してやりたいなどと我を張ると、勘が鈍る。

 ランバルトが今のレティレナを見たら、なんと言うだろう。
 ゲイルなら彼女の無謀さにこめかみを押さえ、ジャイスならそれでこそ自分の妹だと大笑いをして褒めてくれるはず。真ん中の兄達はきっと頭を撫でて、怪我はないかと心配してくれる。

 ――ランバルトなら……叱る? 心配してくれる? 褒めてはくれそうにないわね。最近、ゲイル兄様みたいに難しい顔ばかりなんだもの。

 そんな叶わない妄想に逃げそうになり、レティレナは自分の両頬を叩いた。叱られるからってじっとしてるなんて、そもそもガラじゃない。
 それに、もうカップはひっくり返された。こぼれたお茶は元になんて戻らない。
 レティレナは盛大に反旗を翻し、お転婆を披露してしまったのだから。

 室内は彼女の居た部屋とそう大きく変わらない造りだ。
 急いで書き物机をガタガタと動かし扉にくっつける。

「んんー! んーっ」
 タンジェは口を布で覆われ、シーツに身体全体をくるまれた状態で、こちらに近づこうとしていた。寝台に自重で沈み込み、遅々として進んでいないけれど。

「すぐに解くから大人しくしててね」
 タンジェに近寄ると、革靴の隙間から取り出した鋏で口元を覆う布の結び目を切った。惚れ惚れとする切れ味。料理長が研ぎ石で研いでくれただけのことはある。ほんの少しタンジェの癖毛を切ってしまったのは、不可抗力なので見逃して欲しい。
 次いで、身体全体を包んでいるシーツの端に鋏の片刃を入れ、そのまま布の裁断のようにビーッと切り裂く。
 仕上げに、ご丁寧に両手両足を縛っている縄を切った。

「無事だったんだねレティ! 良かった」
「それは私の台詞。タンジェこそ、随分な厚遇じゃない」

 抱きつく従兄の背に素早く一度だけ腕を回し、レティレナがしかめっ面で応じる。
 彼の両手には痛々しい縄の痕がくっきりと残っていた。
 従兄のこの扱いは、無事の部類に入れていいのか。まあ、元気は有り余っているのでマシな方なのかも。
 レティレナの愛読書だった、『面白大全世界の拷問特集』のような拷問はされていない。良かった。

「ああこれ。最初は腕だけだったんだけど、逃げだそうとする度に戒めが増えていってね」自らの手首を擦りながら、タンジェが言う。

「つまり、何回も脱出しようとしたのね」
「レティみたいに、上手くはいかなかったけど。本当は僕の方が助けに行くつもりだったんだけどなあ」
 タンジェが自嘲気味に笑うので、レティレナは急いで首を振った。

「そんなことない。私はたまたま運が良かっただけ」
 眠り薬になる薬草と鋏を持っていたし、縛られもしなかった。

「そうだ、レティの見張りは何人居た? フローレンスだけじゃないよね。こっちはあの御者役をしてた男と、本物の御者の二人」

 タンジェの観察によると、本物の御者は中年を過ぎたやせぎすな男で、命令はあの御者に扮していた従者の男が出していたようだ。
 やせぎすな男ならさっき見かけた。本物の御者は彼のことだろう。

「こちらは一人だったわ」

「フローレンスだけ? そりゃそうか。レティがここまでのお転婆だなんて、流石に想像つかないか」
 タンジェがにやりと笑う。

「失礼ね。ちょっとした令嬢の嗜みを披露しただけよ。そう、お茶を淹れただけですもの」
 腰に手を当ててツンと顎をあげる。ユーモアを取り戻した従兄に、密かにほっとした。

「すると、誘拐犯は全部で三人なのかな。宿の人間は事情を知っているのかいないのかわからないけど、関わり合いにならないよう、近づかないだろうし。助けてはくれないだろうね」

「フローレンスもそんなことを言ってたわ」
 正確にはアイロニーが。
 宿屋の主人は閑散期の貴重な客の意に沿わないことなんてしない、と。

「フローは、どうしてこんなことをしたのかな」
 タンジェが苦しそうに眉を寄せる。
 彼はフローレンスに恋心を抱き、父親に反抗する自分の絶対的な味方だと信じていた。裏切られた苦しさはきっと一入ひとしお
 ほんの小一時間一緒に居ただけのレティレナだって、十分むかむかしているのだ。

 いくらか逡巡しながら、フローレンスの正体について話そうと口を開く。
 けれど、扉をノックする音に二人して飛び上がった。

「だ、誰かな?」
「従者がもう扉を破ったのかしら」
「それとも御者のほうかも」

 机を押して扉につけて、間に合わせの防柵にしたけれど、心許ない壁だ。木製の寝台の方は頑丈すぎて重すぎて、二人では動かせなかった。
 フローレンスのことについては一旦保留。
 早く何とか逃げなければ。

 タンジェとレティレナは、悠長に話している場合では無いと、互いに頷き合った。




「やっぱり私が先に降りる? 私の方が軽いもの」

 二階から見下ろす地面と、ベッドの天蓋を支える四本の柱の一つに括り付けられた紐を交互に見ながら、生唾を飲み込むタンジェ。
 彼に声をかける。

「駄目だよ。そんな真似させられない。僕が先に降りて、下からレティを受け止めなくちゃ」

 まだ十歳の頃、レティレナは木に登って降りられなくなってしまった事がある。
 あの時はランバルトが受け止め事なきを得た。
 高さだって、今考えると死ぬようなものじゃない。せいぜいお尻に大きな青あざでも作る程度だったはず。
 だから高所でも、建物の中なら大丈夫、怖くない。ちゃんと靴のかかとが床に付いているもの。梯子だって下を見なければ登れるようになった。
 ……それでも、大手を振って高所を完全に克服できたとは言えなかった。
 登るのはいいのだ。けれど、上から肩越しに見下ろしたり、梯子を降りたりする時に、まごついてしまう。
 だから先に降りるなんて、強がりが半分以上。
 勿論口にしたからには実行するつもりだったけれど。

 でも今、小声ながら強く言い返すタンジェの目は真剣で頼もしかったから。

「ありがとう」

 レティレナも彼にちゃんとお礼が言えた。
 従兄が一緒で良かった。勇気を分けて貰えたから。
 二人とももう、あの頃の泣くばかりの子供じゃない。

 下までの距離はほんの二階と言っても、階下は食堂も兼ねている宿屋。通常の民家よりも高さがある。
 タンジェを縛っていたシーツと荒縄を使った急ごしらえの紐は、繋げても下まで届く長さには出来ていなかった。
 足りない分は、自然落下の運と自らの頑強さに賭けてみるしかない。

「急ぎましょう」

 部屋の扉は書き物机を押しつけて、念のため鍵を回されないようにアイロニーの部屋の扉の鍵を内側から鍵穴に差し込んである。
 無理に差し込んだので回らない。表からもきっと回らないだろう。
 実際の造りなど分からないが、タンジェとレティレナに思いつく精一杯の方法だ。
 ノックをされ、ドアノブをガチャガチャと回される度に、二人して飛び上がる。紐を用意した時間は実際には十分と経っていないけれど、それは一時間にでも感じてしまうような不安な時だった。
 急がないと。

「ここをいつ破られるかわからないしね」

 タンジェが力強く頷いて、窓枠に足を掛けた。
 レティレナは室内から結ばれた紐が解けたりしないように、念のため支柱に括り付けた紐をぐっと両手で掴んでいる。
 タンジェは窓枠に一旦座り、雨に濡れて滑りやすくなっている庇に慎重に両足を下ろす。踏みしめながら縁へと近づいていく。
 今度は庇に座って這うようにして、ゆっくりゆっくりと今度は紐を頼りにして地面を目指す。
 順調に降りる途中、庇が邪魔してタンジェの頭が見えなくなった頃、布から繊維を裂くような嫌な音がし始めた。
 丁度庇に強く当たる部分の布が擦れているのだ。

「紐が……ああっいけない!」
「うわっ」

 ぶつっと千切れる音と共に、タンジェの悲鳴。重い音。
 重さに耐えられず、作った紐が途中から切れたのだ。
 やっぱり最初に鋏で裂いたのがいけなかったのかも。レティレナは唇を噛みしめるが、今さら後悔しても遅い。
 慌てて窓枠を掴みながら覗き込むと、タンジェが地面に座っていた。

 幸い半分過ぎまで下りていたので、残りの高さはそれほどでもなかったようだ。腰を押さえているけれど無事だ。レティレナに向けて手を振っている。
 安堵の息を吐いてから、手を振り返す。
 けれど突然、下のタンジェが大声をあげた。

「レティ! 左っ」

 言われて左を見るけれど、雨に煙る中、宿屋の窓が並んでいるだけ。
 首をひねりながら顔をタンジェに戻そうとしたところ、強い力で二の腕を掴まれた。

 窓の外、右側から。

 アイロニーの部屋の方角。
 レティレナが盛大に窓を割った方角から。
しおりを挟む

処理中です...