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本編
16 フローレンス 前編
しおりを挟むいよいよ明日はレティレナの誕生日。
午後に入って、バストーヴァの城に宿泊をする親しい客人の馬車も到着している。兄達や城の人々は、彼らの相手で大忙しだ。
一方レティレナは時間をもてあましていた。
彼女は美しい包み紙に隠された明日の主役。お披露目の瞬間より前に姿を見せては、観客の驚きが不足してしまうと云うもの。
だからいつもの通り、薬草園の手入れと必要な植物の摘み取りを行う。
浮き足立つ城内をよそに、レティレナの日課は変わらなかった。大人になったら全てが変わるような気がしたけれど、案外何も変わらないのかもしれない。相変わらず、まだまだレティレナは蚊帳の外だ。
ランバルトも二日前に城を発ったまま、戻っていない。
そう、ちょうどレティレナが口づけを贈った午後に。
もしかして、逃げ出すほど嫌だったのか。
それなら避ければいいのに。……避けなかったくせに。
気兼ねなく会える子供の時間は、明日には終わりを迎えてしまうのに。
顔を合わせないせいで、思考がどんどん下向きになってしまう。
彼の行き先を兄達が教えてくれないのも、要因の一つだ。兄達はいくらランバルト不在の理由を聞いても、ニヤニヤと笑ってはぐらかす。気持ちが悪いったらない。
彼女が少しへそを曲げているのはそのせいだ。
薬草園から戻ったところで声をかけられた。
「タンジェが裏門で待っているの?」
「はい。お話が通っているはずだとおっしゃいまして、どうしてもと」
使用人から取り次いで、レティレナに伝えた侍女のジルは困り顔だ。
「……あ。ああっ! わかったわ。すぐに向かうと伝えておいて」
「ですがタンジェ様は――」
父親と喧嘩をして家を飛び出したり、兄達が怖くてレティレナのところへ直接顔を出したりと、端から見るとお騒がせばかりのタンジェは、こってりとゲイルに絞られ、レティレナの誕生日まで謹慎を言い渡されていた。レティレナと会うなんて、もってのほか。
叔父からは収穫祭と誕生日欠席の詫び状が届いている。しかしゲイルが使いを送ったので、王都からこちらに向かっているはず。叔父にタンジェの滞在を知らせない訳にもいかない。
それを受けて、叔父夫婦は今日の夕方にも到着する予定になっていた。
タンジェに、ザーク叔父とバストーヴァで直接対決をせよとのゲイルの計らいだ。
叔父の領分の王都ではなくバストーヴァで対決させるのは、ゲイルらしい励ましなのだけれど。はたしてタンジェに伝わっているかは疑問だ。
「いいの。気晴らしに馬車に乗せてくれるって、タンジェと約束していたのよ。うっかりしてたわ。伝え忘れてごめんなさい」
そう言ってレティレナが眉を下げると、ジルは頬を赤くして首を振る。新しい侍女は王都出身のとても有能な娘なのだが、レティレナが笑み崩れると途端に本人の淑女の仮面も崩れる。申し訳ないと思いつつレティレナは、我が侭を押し通す時にはちょっぴり意識して微笑むことにしていた。
「お二人だけなど、なりません。差し出がましいようですが、どうぞ私もお連れください」
ジルにしてはきっと一大決心の言葉だ。彼女がこんなに踏み込んで来たことは今までなかった。
レティレナは嬉しく思うが、今はちょっとだけ困る。
何せ、ジルや教育係や叔母の教えてくれない結婚後の自由について、フローレンスに聞きたいのだから。
「ありがとう。でもね、実は兄様達には内緒なのだけれど、タンジェの大切なお友達も一緒なの。二人だけじゃないのよ?」
「それでは余計にいけませんわ」
ジルの目が使命感に燃えている。
「落ち着いて? その大切なお友達っていうのはね、フローレンスという王都の貴婦人なの」
「まあっ」
手短に、相手が未亡人でタンジェの片恋なのだと匂わせる。ジルは驚きすぎて、「まあ」しか言わなくなってしまった。彼女は両手を口に当てて、途端にきらきらと目を輝かせた。
どんな時もお芝居のような恋物語は、若い娘の好物なのである。ジルも例外じゃない。
世事に疎いレティレナだって、二人の境遇にぐっときてるくらいなのだ。
「それにジル、あなた今日は朝から一度も休憩を取ってないでしょう? ちゃんと休んでちょうだい」
レティレナ自身は時間をもてあましていたけれど。専属侍女のジルは朝から大忙しだった。明日のドレスや髪、小物の確認など。レティレナの世話をしながら準備をこなしていた。
「あ、ありがとうございます」
じっと瞳を見つめながら言うと、ジルは首下までをほんのり赤く染めあげて、恥ずかしそうに頷いた。
「ゆっくりしてきて。――そうね、午後のお茶を楽しむ程度の時間よ。あんまり遅くなったら、タンジェがゲイル兄様に今度こそ簀巻きにされちゃう」
「簀巻きですか? 領主様が。ジャイス様ではなく」
「あら。そこで名前が出てきてしまうなんて、ジャイス兄様はジルに何をしたの? 私がとっちめてきましょうか」
「いえそんな! とんでもありませんっ」
レティレナが眉を上げると、ジルはぶんぶんと音がしそうなくらい首を振った。あまりに振りすぎて立ちくらみでも起こしそうだ。
「冗談よ。さすがに相手がタンジェでも、簀巻きは十歳までよね」
「問題は年齢なのでしょうか……」
と、ジルが何故か遠い目をする。そういえば、ファリファも時たまこんな目をしていた。
「誕生日の前日に一番暇なのって、本人だと思わない?」
レティレナがそう付け足して笑うと、ジルもようやく笑みを返してくれた。
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