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本編
14 白い花
しおりを挟むシャルロッテ・フェンクローク伯爵令嬢とリングネル・ホース次期伯爵の婚約披露会は、小規模ながら華やかに執り行われていた。
二人を祝福するように雲一つない快晴だ。水色のドレスに身を包んだシャルロッテは、リングネルと幸福そうにクルクルと何曲もダンスを踊っている。
メールナード侯爵の件が一応片付き、リングネルは今まで自分がフェンクローク家を影から見守る任務を帯びていた事を告白してシャルロッテに求婚した。膝をつく彼に彼女もすぐに手を取った。
但し、結婚はちょうど一年後。
じっくりたっぷり時間をかけて、任務ではなく愛だと証明して欲しいと笑顔で言われたらしい。流石はアリシアの妹。リングネルは裏でこっそりしょげていた。
ランクスは壁にもたれながら、柔らかな午後の日差しに欠伸を噛み殺していた。
メールナードとカールストンの裁判の余波を受け、他の貴族の罪も次々と明るみに出た為に特別局は連日大忙しだ。貴族院は更に輪をかけて目の回る忙しさらしく、張り切るオケリー公爵は悪魔のようだと部下達が噂していた。恐ろしいのでランクスは極力近づかない事にしている。
昨日も深夜までかかって何とか書類を仕上げたところだ。今日はこの会に呼ばれていた為仮眠を取って駆けつけたが、副官のジドルトは今日も朝から書類に追われているはず。
目の前のフロアでは招待された男女が二人を祝福しながらも、会話を楽しみダンスを踊り、そして自分の相手を探している。
そんな華やかで熱気溢れる場を挟んで反対側のソファには、アリシアとハルフェイノスが居た。側にはシャルロッテと良く似た金髪の女性と利発そうな少年も居る。フェンクローク伯爵未亡人と次期伯爵のベルカインだ。彼らはリングネルの両親と楽しげに談笑している。
先程からダンスを申し込む紳士が後を絶たないのに、アリシアは最初にハルフェイノスと一曲踊っただけで断っている。というより、ハルフェイノスがにこやかに断りを入れている。後見人を務めるハルフェイノスが彼女と踊るのは自然な事だし、アリシアが他の男性と手を取って踊る姿なんて見たくはないので、その部分は有難いはずなのにランクスはどちらも面白くない。
「俺にもしっかり釘を刺した上に、これか。いよいよバーンズ侯爵は本音を隠さなくなったなあ」
ランクスは小さく息を吐き出して独りごちる。
メールナード邸から馬車に乗り込み、三人で戻った時の事が遠い昔に感じる。ほんの数か月前の事なのに。あの時もハルフェイノスには一晩かけてちくちくと責められた。
だがグランドーでアリシアと心を通わせてからのハルフェイノスは、それらの比ではない。
踏み出せずに開いていた一歩の距離を詰めて、彼の中の何かが吹っ切れたようだ。本当はずっとそうやって接したかったのだろう。
アリシアの事を『私のお姫様』などと愛しそうに呼び、そう呼ばれると『もうそんな風に呼ばれる歳じゃありません』と照れるアリシアの様子をでれでれとした顔で眺める。でれでれとしていても顔面が崩れないのは美丈夫の特権だろう。ちょっと頭にくる。しかし愛称で呼ばせようとしている試みはまだ成功していないので、いい気味だとこっそり思っている。もちろんランクスは顔には出さない。
――出ていないはずだ。
「あら、騎士様がこんな所でお一人なんて。一体どうなさったのですか?」
涼やかな声に苦笑いを浮かべ、ランクスは礼を取る。
「私は騎士などではありませんよ、しがない局員です。オケリー様こそお一人でどうされました」
「ジネットで構いませんと申し上げてるのに。貴方とアリシア様は私の恩人、救世の騎士様ですもの」
「アリシア様の事は秘密ですけれど」と付け加え、ジネット・オケリー公爵令嬢は指を一本唇の前に立ててみせた。
カールストンに閉じ込められて衰弱していた頃から考えると、見違えるほど元気になった。彼女が領地で療養中の時、ハルフェイノスに同行して一度だけ見舞ったことがある。回復して王都に戻ってきた時には、彼女の方から改めて挨拶に特別局へと足を運んでくれた。アリシアとは気が合ったのか、それなりに交流をしているようだ。
彼女の取り巻きは会話の聞こえない距離でこちらを窺っている。ジネットにはこんな場所でもある程度の人払いが出来てしまうらしい。
「リングネルやシャルロッテ嬢と交流がおありとは存じ上げませんでした」
「直接は立ち話程度ですね。お二人とは歳も違いますし。今回は父の名代としてお邪魔させて頂きましたの。その方が堅苦しくなくて良いだろうと申しましたので」
きっと社交界へ復帰するための練習も兼ねているのだろう。
芯の強い令嬢だとは思うが心に負った傷は計り知れない。
「ご無理はされていませんか?」
「大丈夫です、だってここは幸福と光に満ちていますもの。ところでランクス様はどうしてアリシア様をダンスに誘わないのです?」
「いやあ、あの調子ではバーンズ侯爵に弾かれて終わりそうで」
まさに今のハルフェイノスは庇護欲と独占欲の塊だ。
一番愛する人に発揮できなかったそれを、アリシアに惜しみなく行使している。
「まあ! それでは諦めるのですか」
――諦める? アリシアの事を?
「まさかっ!!」
たとえハルフェイノスに釘を刺されようと。グランドーから戻ってからごたごたして会えなくても。それは十中八九ハルフェイノスの嫌がらせだとは思うが、アリシアに避けられているような気がしても。
諦めるつもりなんて全くない。手に入れたくて堪らないのだから。
「良かった。それではもう一人の騎士様を救出に参りましょうか?」
「は?」
そう言ってすらりと出されたジネットの手を、半ば叩き込まれた習性で手に取る。
ジネットは人々を器用に避けてアリシアを目指して進んでいく。
誰もが控えめながら注目しているのが分かる。裁判において誘拐された令嬢の名前は伏せられていたとはいえ、それは公然の秘密だ。
その場のざわめきに気付いたハルフェイノスとアリシアがランクス達の方を向いた。
目の合ったアリシアが傷ついた瞳で視線を逸らすのが分かった。逸らされる前、彼女の視線はジネットをエスコートするランクスの手に注がれていた。早く彼女の誤解を解かなければ。歩くスピードが自然と上がる。
理屈じゃない、アリシアが傷つくとランクスの胸の辺りが痛んで教えるのだ。
お決まりの挨拶が繰り広げられる横で、ランクスは漸くアリシアに話しかけた。
面と向かってじっくりと話をするのは実はグランドー以来だ。少しだけ緊張するものの、顔色も戻り温かみのある薔薇色の頬に安堵する。今日のアリシアはシャンパン色のドレスに淡い紫色の花を付けている。
「久しぶりだな。元気そうで良かった」
「お久しぶりです。ランクス様には沢山お礼を申し上げたいのに、何故だか機会が合わずに会えなくて」
「お互い忙しかったからなあ。そのドレスも紫の花も良く似合ってる。……もう白い生花は付けない?」
白い生花は独身者の証し。転じて結婚相手を募集している意味になる。
今日に限ってアリシアはそれを付けていない。
「君には関係ないことだと思うよ、ランクス君」
すかさず間に入ろうと口を挟んだハルフェイノスだったが、もう一人の強者に阻まれた。
主催者であるホース伯爵夫妻とアリシアの家族に挨拶を終えたジネットが、ハルフェイノスに向かって口を開く。
「まあ私ったら忘れるところでした! 父からハルフェイノス様に言伝を預かっておりましたの。『特別局局長、正式就任おめでとう。共に綱紀を正し貢献できることを嬉しく思う』」
ハルフェイノスは正式に特別局の局長に就任にした。
肩書上は副局長であるランクスの直属の上司であり最高責任者になる。特別局も正式稼働し貴族院も変わる。来年のレンディールの即位後にはもっと変わっていくだろう。
「『追伸。年頃の娘の扱いにおいては私の方が年季が入っているので、僭越ながら申し上げる。気持ちは分かるが構い過ぎると嫌われるので程々に』以上です。私も父の意見に一票です」
ジネットの言葉を受けてその場の全員が深く頷いたことに、頬を引きつらせたハルフェイノス。しかし彼にはさらに追い打ちがかかった。
「私も一票……。自分の事は自分で出来ますから」
「アリシアッ!?」
悲壮なハルフェイノスの声を無視して、ランクスは畏まって手を差し出す。
「それではアリシア嬢、私と一曲踊ってくださいませんか?」
「喜んで。……誘ってくれないのかと思っていました」
ショックで固まっているハルフェイノスを置いて、今の内にとアリシアをフロアへと連れ出そうとすると、フェンクローク伯爵未亡人から呼び止められた。
彼女は手提げから白い薔薇を一輪取り出し、アリシアの編み込んだ髪に差し込む。
「貴方が来ないから拗ねて外してしまったのよ」という伯爵未亡人に、アリシアは真っ赤になっていた。
今度こそ彼女をフロアへと連れ出す。
曲の始まりを待ちながら肩に手を添えると、アリシアがくすりと笑った。
「どうかした?」
「いえ、グランドーでの事を思い出して。ランクス様に慰めて頂きながら、不謹慎なのですけれどまるでダンスでも踊るようだと思ってしまったんです。お蔭であの時私は素直になれたのだと思います」
確かに右手を取り左手は背中に回っている。あの時と同じ体勢だ。
「なるほど。俺は初めて会った時を思い出した。まだ君がどこの誰とも知れず、それでもメイドの娘を慰めるために自分の白い薔薇を差し出す君を見て、独身なのだと無意識に確認してた」
「変装の一種だったかもしれませんよ?」
「今ならその可能性も考えるんだけどな。あの時の俺は単純に喜んでしまったんだ」
「喜んだのですか」
「ああ。今も君が白い花を挿しているから喜んでる。俺の花と交換をしてくれるかもしれないって」
そこで曲が始まり二人の会話は途切れた。
独身者同士の白い生花の交換は、仮の婚約を意味する。
もちろん家同士の話し合いやそれぞれの事情により、その後正式な婚約に至らなかった場合も稀にはあるが、その場では皆祝福するのが習わしとされている。
アリシアはそっとランクスの胸元の白い生花に目を落とす。久々に眺められるランクスの表情ばかりをずっと見ていたので、胸ポケットの花をしっかり見てはいなかったのだ。
「この花って、花束の」
「ああ。君に喜んでもらえる花っていうと、やっぱりこれしか思いつかなくて。……薔薇とか有名どころの方が良かったか?」
二人で見た植物園の季節の草花コーナーと同じものだった。今はもうだいぶ季節が進んでいるから、これらを手に入れるのは逆に骨が折れたはず。
「いいえ、とっても嬉しいです」
「それは受け取ってもらえるって意味かな」
「貴方が私の花で満足してくださるなら」
貴方が私で構わないのなら。そんな気持ちを込めてアリシアは言葉を紡ぐ。
書類仕事には口を出し、危ない潜入にも進んで付いて行く。危ない目には合わないように気を付けるけれども、仕事を辞めるつもりは無い。
ランクスがジネットをエスコートする姿を見て、二人はお似合いだと思った。だというのにその場所を得たいと、諦めたくはないとアリシアは自覚してしまった。
ただの相棒じゃない。全てにおいてランクスのパートナーになりたいと。
「アリシア」
感極まった声に顔を上げると、瞼や頬にキスの雨が降ってきた。
いつの間にやら抱え込まれて頬に手を添えられる。
「ちょっ、ランク……んんっ」
アリシアの声はランクスの口づけによって遮られてしまった。
息苦しさに呼吸をしようと口を開いたら、角度を変えながらより深く口づけられた。酸欠のせいか、ぼんやりとしてきて楽団の音楽も聞こえない。周りの景色も吹き飛んでしまった。
途中でダンスを止めてしまった二人にぶつかった青年は、文句を言おうとしたが熱烈な口づけに吃驚して離れた。
ぶつかられた衝撃ではっと我に返ったアリシアがランクスの胸を叩くと、やっと彼はアリシアとの口づけを中断した。
「アリシア愛している。すぐに結婚しよう」
「ええっ!? 色々と飛ばし過ぎですっ。まずは花の交換! それに求婚だってきちんと膝を折ってくださらないと。ああでも、私も愛しています」
ランクスはアリシアの答えに再度口づけをしようとしたが、思わぬ伏兵に阻まれた。
「姉様! 良かった、やっぱり運命のお相手はランクス様だったのね。花束を受け取る姉様を見た時から、きっとそうなんじゃないかって思ってました。大好きな姉様、絶対幸せになってくださいね」
「ロッテ……」
中央で踊っていたはずのシャルロッテがアリシアに抱きついてきたのだ。
涙を流し自分の事のように喜ぶシャルロッテに、アリシアも瞳を潤ませる。二人は抱き合い、ランクスは放っておかれてしまった。
その後鳴りやまない拍手に囲まれながら、目が笑っていないハルフェイノスにちくちくと嫌味を言われ、リングネルにはにやにや笑いを贈られた。
この日アリシアとランクスは、互いの白い花を交換した。
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