上 下
97 / 109
第十三章 新世界

新世界(3)

しおりを挟む
 いつもの朝、いつもの駅。――そこに篠宮明莉はいなかった。

 先週の火曜日に偽装恋愛を始めてから、毎朝二人で同じの電車に乗っていた。
 一週間ちょっとだったけれど、待っていてくれる姿は僕にとって日常になっていた。

 仕方なく一人で電車を待った。
 味気なく一人で車窓の景色を眺めた。

 偽装恋愛だった。でもその間、少なくとも明莉は隣にいた。
 幼馴染の延長線上でこそばゆい感覚はあったけれど。
 偽装でも、そこに幸せはあったのかもしれない。

 でもやっぱりそんな仮初めの関係を許せなくなって、僕は彼女に迫った。
 その虚構を現実としての受け入れさせるため、強引に迫った。

 朝日が街並みを照らしている。
 窓から見える電線が波打って流れる。
 その隙間から見える瓦屋根に反射する輝きが眩しかった。

 それらの景色を遠くに見る。僕はこの世界の傍観者に過ぎないのかもしれない。
 それはスマートフォン液晶画面に映る動画みたいなものなのかもしれない。

 坂を登って校門を抜け、教室に辿り着く。
 森さんの机の傍に水上が立っていた。

「おう、悠木。おはよう!」
「あぁ、おはよう――。森さんも」
「うん、おはよ~! 悠木くん!」

 二人の横を抜けて、自分の席に鞄を下ろす。

「――なあ、悠木。――ありがとう」

 隣を通り過ぎた僕を振り返り、水上が声を掛けてきた。

「――何が?」
「いや、美樹のこと。――朝からこんなこと言うのもアレだけどさ。お陰でなんとか仲直りっていうか、……誤解を解くことが出来たからさ。お礼を言わなくちゃって」

 視線を動かすと、森さんが座ったままこっちを向いて、曖昧な笑顔を浮かべていた。

「――僕は何もしていないよ。水上と森さんはお似合いのカップルだからさ。二人の絆が強かっただけだよ」
「でも、まぁ、お礼はしたいからさ。また何か奢るよ」
「いいよ、いいよ」

 それにお礼なら、もう森さんから貰ったから。
 もし何か貰えるなら、君の彼女をもう一度抱かせもらえるかな?
 そんなことを思ったけれど、口には出さなかった。

 教室の前の入口から、俯きがちに歩きながら明莉が入ってきた。

「――明莉」

 手を伸ばして声を掛ける。
 でも彼女は振り向かなかった。
 僕の呼びかけを無視するように、俯いたまま自分の席に座った。
 僕は行き場をなくした右手を引っ込めた。

「悠木……、喧嘩でもしたのか? 明莉ちゃんと?」
「――喧嘩っていうかさ。まぁ、あれだよ。恋人関係が……終わったのかも」

 水上と森さんが揃って驚いたように僕を見る。
 
「――俺のせいか? 悠木。俺が言ったから?」
「違うよ。それは違う――水上は関係ないよ」

 それは本当に関係ないんだ。
 森さんは心配そうな顔で僕を見上げる。
 僕はただ肩を竦めて、椅子に腰を下ろした。
 もう朝から頭がどうにかなってしまいそうだ。

 春先からしばらくの間、僕は明莉と口を聞かなかった。
 風評に引き込むのを避けるために。
 あれは僕が一方的に決めたことだった。
 でもそれを逆向きにされることがどれだけ辛いか、今更わかった。

 一時間目が始まり、いつも通りの一日が始まった。
 ――始まったはずだった。
 でも何かがおかしい。先生の声が遠くに聞こえる。
 まるでパソコンの中の映像を見ているみたいだ。
 霞の掛かったフィルターが僕と周囲の間に挟まっている。

 授業を聞く明莉の背中を眺める。
 彼女はいつもどおり授業を聞いているみたいだ。
 ――でもその座席までの距離が果てしなく遠かった。

 僕は宙に浮いていた。
 僕は膜に覆われていた。
 君はここにいるけれど、もうここにはいない感じがした。


 ※


 ただ息を殺すように三時間目までの授業を終える。
 時々胸の動悸を覚えたけれど、保健室に駆け込まないといけない感じでもなかった。
 なんとかいける、と思っていた。 

 金曜日の四時間目は物理の授業だ。
 真白先生の授業。

 僕は真白先生から明莉を寝取り返した。
 だから僕は真白先生との戦いには勝ったのだ。
 それが現実のはずなのに、気持ちはまるで晴れていなかった。
 
 明莉はそのせいで遠くにいってしまった気がした。
 森さんは水上の元へ帰っていった。
 香奈恵さんは――それでも錆びた鎖で繋がっている。
 彼女だけは、まだ僕のことを求めてくれているのかもしれない。――依存してくれているのかもしれない。

 真白先生の奥さんが、一時的にでも自分の心の支えになるだなんて、なんて因果なことだろう。
 彼女の中に時折見える狂気が不気味に思えたけれど、唯一彼女が僕を受け止めてくれるお姉さんのような存在に今は思えた。
 安らぐわけではないけれど、あの胸に顔を埋めたいと、どうしても思ってしまう。

 その時、スマートフォンが振動してメッセージの着信を告げた。
 学校の中でのスマホ利用は基本的にはNGなので、少なくとも水上や森さん、明莉、それから親もこんな時間にメッセージを送ってくるとこはない。

 ――誰だろう? 

 そもそも友達の少ない僕だから、メッセージが送られてくること自体が珍しいのだけれど。

 まだチャイムまで少しだけ時間があったから、ポケットから携帯を取り出して画面を開く。
 通知欄には送信者の名前が表示されていた。

 ――真白香奈恵。

『やっほ、勉強している? EL-SPYで撮影動画を見てみて。ちゃんとしてるよ。――ねえ、嫉妬しちゃう?』

 何のことだろう? EL-SPYはもう真白先生に監視されているのだ。
 その腐食した鎖を通して、彼女は何を僕に見せようとしているのだろうか?
 
 EL-SPY VIEWERを立ち上げて、彼女のスマートフォンにアクセスする。
 いくつもの機能からフォルダのデータ閲覧を選択し、さらに撮影動画が収納されているフォルダを開いた。

 確かにそこには新しい動画があった。
 撮影日時は昨日の晩だった。時間から見て、彼女が昨夕に電話を掛けてきた後だ。
 僕に見せる動画なんて――なんだろう?

 まだ真白先生は教室に入ってこない。

 だから僕は机の中からカナル型のヘッドホンを取り出してスマートフォンに差し込むと、動画の再生ボタンを押した。
 机の下で、誰にも見られないようにしながら。

 横長の液晶画面一杯に動画が広がって、何処かの部屋の様子が映し出される。
 見たことのない部屋。大きなベッドが置かれた寝室。立てて置かれたスマートフォンから撮影された映像だろう。

 そこには二人の人物が映っていた。
 目を凝らすとそれが誰だかすぐに分かった。
 
 ベッドの上で真白香奈恵は真白先生に、――全裸で抱かれていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

俺がカノジョに寝取られた理由

下城米雪
ライト文芸
その夜、知らない男の上に半裸で跨る幼馴染の姿を見た俺は…… ※完結。予約投稿済。最終話は6月27日公開

悲しいことがあった。そんなときに3年間続いていた彼女を寝取られた。僕はもう何を信じたらいいのか分からなくなってしまいそうだ。

ねんごろ
恋愛
大学生の主人公の両親と兄弟が交通事故で亡くなった。電話で死を知らされても、主人公には実感がわかない。3日が過ぎ、やっと現実を受け入れ始める。家族の追悼や手続きに追われる中で、日常生活にも少しずつ戻っていく。大切な家族を失った主人公は、今までの大学生活を後悔し、人生の有限性と無常性を自覚するようになる。そんな折、久しぶりに連絡をとった恋人の部屋を心配して訪ねてみると、そこには予期せぬ光景が待っていた。家族の死に直面し、人生の意味を問い直す青年の姿が描かれる。

冤罪をかけられ、彼女まで寝取られた俺。潔白が証明され、皆は後悔しても戻れない事を知ったらしい

一本橋
恋愛
痴漢という犯罪者のレッテルを張られた鈴木正俊は、周りの信用を失った。 しかし、その実態は私人逮捕による冤罪だった。 家族をはじめ、友人やクラスメイトまでもが見限り、ひとり孤独へとなってしまう。 そんな正俊を慰めようと現れた彼女だったが、そこへ私人逮捕の首謀者である“山本”の姿が。 そこで、唯一の頼みだった彼女にさえも裏切られていたことを知ることになる。 ……絶望し、身を投げようとする正俊だったが、そこに学校一の美少女と呼ばれている幼馴染みが現れて──

彼女は処女じゃなかった

かめのこたろう
現代文学
ああああ

ずっと君のこと ──妻の不倫

家紋武範
大衆娯楽
鷹也は妻の彩を愛していた。彼女と一人娘を守るために休日すら出勤して働いた。 余りにも働き過ぎたために会社より長期休暇をもらえることになり、久しぶりの家族団らんを味わおうとするが、そこは非常に味気ないものとなっていた。 しかし、奮起して彩や娘の鈴の歓心を買い、ようやくもとの居場所を確保したと思った束の間。 医師からの検査の結果が「性感染症」。 鷹也には全く身に覚えがなかった。 ※1話は約1000文字と少なめです。 ※111話、約10万文字で完結します。

不倫してる妻がアリバイ作りのために浮気相手とヤッた直後に求めてくる話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

俺は先輩に恋人を寝取られ、心が壊れる寸前。でも……。二人が自分たちの間違いを後で思っても間に合わない。俺は美少女で素敵な同級生と幸せになる。

のんびりとゆっくり
恋愛
俺は島森海定(しまもりうみさだ)。高校一年生。 俺は先輩に恋人を寝取られた。 ラブラブな二人。 小学校六年生から続いた恋が終わり、俺は心が壊れていく。 そして、雪が激しさを増す中、公園のベンチに座り、このまま雪に埋もれてもいいという気持ちになっていると……。 前世の記憶が俺の中に流れ込んできた。 前世でも俺は先輩に恋人を寝取られ、心が壊れる寸前になっていた。 その後、少しずつ立ち直っていき、高校二年生を迎える。 春の始業式の日、俺は素敵な女性に出会った。 俺は彼女のことが好きになる。 しかし、彼女とはつり合わないのでは、という意識が強く、想いを伝えることはできない。 つらくて苦しくて悲しい気持ちが俺の心の中であふれていく。 今世ではこのようなことは繰り返したくない。 今世に意識が戻ってくると、俺は強くそう思った。 既に前世と同じように、恋人を先輩に寝取られてしまっている。 しかし、その後は、前世とは違う人生にしていきたい。 俺はこれからの人生を幸せな人生にするべく、自分磨きを一生懸命行い始めた。 一方で、俺を寝取った先輩と、その相手で俺の恋人だった女性の仲は、少しずつ壊れていく。そして、今世での高校二年生の春の始業式の日、俺は今世でも素敵な女性に出会った。 その女性が好きになった俺は、想いを伝えて恋人どうしになり。結婚して幸せになりたい。 俺の新しい人生が始まろうとしている。 この作品は、「カクヨム」様でも投稿を行っております。 「カクヨム」様では。「俺は先輩に恋人を寝取られて心が壊れる寸前になる。でもその後、素敵な女性と同じクラスになった。間違っていたと、寝取った先輩とその相手が思っても間に合わない。俺は美少女で素敵な同級生と幸せになっていく。」という題名で投稿を行っております。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...